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理想を掲げ、書類を改ざんして、仮想敵を作れば豚でも独裁者になれる!?|ジョージ・オーウェル『動物農場』|monokaki編集部

こんにちは。「monokaki」編集部の碇本です。
先週、毎年恒例の健康診断に行ってきました。ロッカーでジャージのような服装に着替えて、各診断で名前が呼ばれるまで椅子に座って待機していました。いつも暇を持て余すので今回は小説を持ち込んで読み進めました。
効率的に健康診断を受けさせる流れ作業と、自分が読んでいる小説がどこかしらリンクしてきて、自分がちょっと家畜になったように思えました。そうなると健康診断を受けに来ている人たちがまるで動物のように見えてきて、笑ってしまいそうになって危なかったです。小説のカバーを外してきて大正解でした。

と前置きが長くなってしまいましたが、今回はジョージ・オーウェル『動物農場』を取り上げます。
著者のジョージ・オーウェルはルポタージュ作家を経てスペイン内戦に参戦、その後BBC入社し東南アジア向け宣伝番組の制作をしていたそうです。本書の刊行は1945年、第二次世界大戦直後。彼はこの作品で初めて名声を得ました。
その4年後には同じくディストピア(「表面的には秩序だって管理の行き届いた世界に見えるが、その内実は極端なまでの管理社会であり言論の自由などがない」社会として描かれることが多い)小説として有名な『1984』を発表し、20世紀を代表する小説家のひとりと言われるほどになりました。二作品とも当時の世界状況を反映させた作品ですが、読んでいくと今の世界とも通じるものがたくさんあります。

これ以降、作品ネタバレを含みます。ネタバレされたくない方はお気をつけください。

9月14日(月):第1章 - 第2章

「メイナー農場」で飼育されているブタの老メイジャーが農場のみんなにそれぞれの権利について語るところから物語は始まります。
要約すると、「人間に支配されて生きる家畜生活をもうやめよう! 反乱しよう!」というものでした。

 さて同士諸君、我々のこの生活の性質とは何だろうか? 目を逸らしてはいけない。我々の生活は惨めで、労苦に満ち、短い。生まれたら、ギリギリ死なない程度の食べ物だけを与えられ、能力のある者は力の最後の一滴に至るまで働かされるのだ。そして有効性がなくなったとたん、ひどく残虐な形で殺処分されてしまう。イギリスのどんな動物も、一歳になってからは幸せや娯楽の意味を知らない。イギリスのどんな動物も自由ではない。動物の生活は悲惨と隷属だ。これがありのままの真実だ。
 つまり我々のこの生活の邪悪すべては、人類の圧政から生まれているというのは日を見るより明らかではないだろうか? 人さえ始末すれば、我々の労働の産物は我々自身のものとなる。ほぼ一夜にして我々は豊かで自由になれる。すると我々はどうするべきだろうか? それはもちろん、日夜心身を傾けて人類の転覆を謀るのだ! 同士諸君、これが私の贈るメッセージだ。反逆を!

毎日一生懸命働いても生活は向上することもなく、かと言って辞めてしまうと明日の生活にも困ってしまう。ここでの動物たちを圧政している人間は、私たちの世界でいうと「社会構造」や「資本主義システム」に置き換えることができそうです。

「社畜」というのは「会社」と「家畜」から来た造語ですが、自由になりたいと辞めたからと言って本当に自由になれるとは限りません。システムから外れて自分が思うように生きたいという希望と、実際にはシステムから逃れる事はできない現実があり、人間はその間でずっと板挟みになっているからこそ、働くことや生きていくことに息苦しさを感じます。
そう考えるとこの作品がいつの時代にも読み続けられている理由が分かる気がしました。

メイジャーは農場にいる動物たちをこのようにアジったあとに、人から奪われている自由や権利を取り戻すことで忘れてはいけないのは、その敵である人間に似るようになってはいけないとも告げます。実はそれがこの物語においての重要な部分となっていきます。
敵を倒したあとにその憎き敵と同じようになってはいけないと諭す者がいる、ということはそうなってしまう者が現れるというある種の予言にもなっていきます。

その三日後には老メイジャーは老衰で死んでしまいます。彼が伝えた反乱への意志は若きブタたちに引き継がれることとなりました。農場の動物の中では一番頭がよかったのがブタだったからです。
その中でもスノーボールとナポレオンという二匹の若いオスブタがリーダー格。もう一匹きわめて口がうまく説得力をもっているスクウィーラーを合わせた三匹が老メイジャーの教えを完全な思想体系に発展させ、「動物主義」と名づけることになります。

農場主のジョーンズさんやその妻や使用人たちはこのあとすぐに動物たちに追い出されます! そう、若きブタたちを中心にした「動物農場」の運営が始まっていくのです。
彼らは「メイナー農場」という字を消して、「動物農場」と書きます。そして、スノーボールとナポレオンは動物主義の原理を七つの戒律にしたものを壁に書き始めました。

1. 二本足で立つ者はすべて敵。
2. 四本足で立つか、翼がある者は友。
3. すべての動物は服を着てはいけない。
4. すべての動物はベッドで寝てはいけない。
5. すべての動物は酒を飲んではいけない。
6. すべての動物は他のどんな動物も殺してはいけない。
7. すべての動物は平等である。

こうやって新しいルールができるのですが、大抵の場合ルールを作ったやつは守らないんですよねえ...物語の悪い奴はなおさら。


9月15日(火):第3章 - 第7章

健康診断もコロナ対策で去年とは違う順序で進んでいきました。毎年身長体重、肺活量や視力検査や眼圧などをしてから、レントゲンや心電図や恐ろしきバリウム地獄だったのですが、今年はレントゲンや心電図の階に先に回され、早々にバリウムでぐったりしました。そして、小説もどんどんディストピア感が増していき、病院内でテンションが下がり続けました。つらかったですが去年より二時間近く早く終わったので複雑です。

若きブタたちは自分たちの都合のいいルールに変えていきました。他の動物たちもなにかがおかしいと思うのですが、人間がいたときよりはマシだと諭され、それを鵜呑みにしてしまいます。
スノーボールとナポレオンの二匹が次期リーダーとして頭角を現していましたが、ずる賢いナポレオンにハメられてスノーボールは農場から追い出されます。ナポレオンが生まれた時に奪うようにして育てた九匹のイヌたちがスノーボールを突如襲ったのです。ナポレオンの個人的な暗殺部隊といったところでしょうか。

スノーボールは風車を建設して農場全体の労働量を減らそうしていました。それに反対だったナポレオンでしたが、彼がいなくなるとそのアイデアも「最初は自分が考案したのだがスノーボールに横取りされた」と平気でウソをついて、自分の手柄として風車建設を進めます。こうして、農場は邪魔者を追い出したナポレオン王国になっていきます。

ちなみにこのあと「動物農場」で起きる様々な事件や事故などの犯人は「スノーボール」だということにされていきます。このようにナポレオンもですが、独裁者は「仮想の敵」を作り出していき、自分への批判や非難がこないように真実を歪めていきます。そして、ナポレオンの作ったルールに違反したものたちは処刑されていきます。
動物が動物を殺してしまう世界になっていくのです。


9月17日(木):第8章 - 第10章

 いまやナポレオンは、単に「ナポレオン」とだけ呼ばれることは決してありません。いつもの正式な形で「我らが指導者、同志ナポレオン」と呼ばれ、そしてブタたちはかれのために、万獣の父、人類の恐怖、ヒツジたちの保護者、アヒルの友などといった肩書きを発明するのがお気に入りでした。スクウィーラーは演説の中で、ナポレオンの英知や、心の善良さ、あらゆるところの全動物に対してかれが抱く深い愛情について、頬に涙をつたわせつつ語るのです。

そして、「同志ナポレオン」という詩が紹介されます。もちろんナポレオンを賛美するものです。読んでいて正直気持ち悪いです。
ブタたちは「七つの戒律」をどんどん書き換え、自分たちの都合のいいものにしていきます。老メイジャーがなってはならないと告げた人間と変わらない生活をするようにもなっていきます。商売もするし、銃も撃つし、ベッドで寝るし、お酒も飲むし、とやりたい放題になっているのですが、他の動物たちは「七つの戒律」が書き換えられても言葉が理解できずに、文句は言えないままでした。

最終章では年月が過ぎて、最初の反乱に参加した動物はほとんどいなくなっています。もはやナポレオンに疑問を抱くものもほぼいない状態です。残されているべき資料は当然のことながら燃やされています。独裁国家は自分たちに不利な証拠など残すはずはないのです。世界中の独裁国家と呼ばれる国の政治家の顔が浮かんできますが、彼らはナポレオンと同じようなことをしているわけです。他人ごとではないのが恐怖ですが...。

ブタたちは最終的には二本足で立って歩き出します。「二本足で立つ者はすべて敵」というルールがあったはずですが、「七つの戒律」はブタ以外の動物が知らないうちにたったひとつに変えられていました。

 すべての動物は平等である。
 だが一部の動物は他よりもっと平等である。

農場の動物たちは家の中でブタと人間がトランプでゲームをしているのを見てしまいますが、もうどちらがブタでどちらが人間か見分けられなくなってしまっていました。というところで物語は終わります。

すごい終わり方ですよね。ミイラ取りがミイラになるという、結局、頭が変わっただけで支配されている動物たちは自由でなく、ただ搾取される構図は変わらなかったというバッドエンドです。文字が読めないという部分に「教育」の重要さを滲ませている辺りも注目すべき箇所ですね。

現在の社会と重なる部分が多すぎてバリウム並みにグッタリしてしまう小説ですが、警句としても読むこともできます。独裁者あるあるを詰めこんだ寓話だとも言えるのかもしれません。

独裁者はたいてい
・自分で作ったルールや既存のルール守らなすぎ
・言ったことを守らなすぎ
・文書とか破棄したり焼却しすぎ
・外部の意見を聞かずに身内だけで固まりすぎ
・かつて批判していた人と似たようになりすぎ
・架空の敵を作りがち
などなど。

独裁者というと政治家が筆頭に浮かびますが、会社でも家族でも周りの意見を受け入れずに横暴に振る舞う人っていますよね。自分がそうならないためにも、そして大事な人が独裁者にならないためにも一度は読んでおいた方がいい小説ではないでしょうか。

ディストピア小説はそうなってほしくないという想像力が根本にあります。人間は見たいものしか見ない生き物です。しかし、視野を広めていくことでしか表現できないものがあります。創作を目指す人にはやっぱり政治や社会の変化を意識してほしいと思います。そして、あまりにも現実がひどくてストレートに書けない時、表現できない時にはこのような寓話の形を取る表現方法も残されています。それも希望のひとつかもしれません。

*

というわけで、「名作読書日記」でした。


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『動物農場〔新訳版〕』
著者:ジョージ・オーウェル 訳:山形浩生 
早川書房(ハヤカワepi文庫)
飲んだくれの農場主ジョーンズを追い出した動物たちは、すべての動物は平等という理想を実現した「動物農場」を設立したが、指導者であるブタは手に入れた特権を徐々に拡大していき……。
権力構造に対する痛烈な批判を寓話形式で描いた風刺文学の名作。『一九八四年』と並ぶオーウェルもう一つの代表作。

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