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平成小説クロニクル

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2020年4月の記事一覧

「公正さ」は日本の小説を世界と連帯させる|藤井太洋と深緑野分|仲俣暁生

 新たな元号への改元を前に、平成年間に書かれた小説を読み返す旅も、私の担当回はこれで最後…

「就活」というリアルとアンリアル|朝井リョウと加藤シゲアキ|仲俣暁生

 平成という時代を象徴する小説家を一人だけ挙げようとすると、この時代のどの時期に着目する…

娯楽作品は「戦争」と「軍隊」をどう描いたか|福井晴敏と百田尚樹|仲俣暁生

 平成元年は第二次世界大戦が終わってから44年目の年だった。昭和天皇が崩御したこの年、20歳…

世界と「僕」を巡って|上遠野浩平と伊藤計劃〔前編〕|前島賢

「ファンタジー・ブームを終わらせた」作品 前回の連載では、ライトノベルにおける最初の(ラ…

「本」の世界を描いたラブコメが広大な読者層を獲得した理由|有川浩と三浦しをん|仲…

 平成の30年間は、出版産業が急速に市場を縮小させていった時代として後世に記憶されるだろう…

青春ミステリーは「豊かで平和な時代」の外へと誘う|米澤穂信と桜庭一樹|仲俣暁生

 子ども向けの読み物と大人向けの読み物の中間段階、いわば階段の踊り場のようなものとして、…

「語り」と「ダンス」が小説に動きをもたらす|町田康と古川日出男|仲俣暁生

 小説の世界に他のジャンルの表現者が参入することは、いまではもう珍しくもなんともない。音楽家や美術家、劇作家やマンガ家、さらにブロガーやAV女優や社会学者までが小説を書く時代である。しかしそうした「参入組」が、小説の世界にあらたな豊かさを持ち込めたかどうかは、厳しくジャッジしなければならない。  平成9年の第116回芥川賞は、エコーズというロックバンドでヴォーカリストをしていた辻仁成(平成元年に『ピアニシモ』でデビュー)の『海峡の光』と、劇作家の柳美里(平成6年に『石に泳ぐ

「システムにからめ取られない自由」をもとめて|阿部和重と伊坂幸太郎|仲俣暁生

 平成はインターネットに代表される情報通信技術が急速に発展し、社会のあり方が大きく変わっ…

ファンタジーからファンタジーへ|水野良から川原礫へ〔後編〕|前島賢

〔前編はこちら〕  今回の原稿執筆にあたっては、テーブルトークRPGをはじめとするゲームやW…

テーブルトークRPGリプレイと「なろう」小説|水野良から川原礫へ〔前編〕|前島賢

 今回より、仲俣暁生先生のお手伝いをする形で、この「平成小説クロニクル」に参加させて頂く…

地方を舞台とした「アンチ東京小説」のリアリティ|絲山秋子と吉田修一|仲俣暁生

 物語の舞台がどこであるかを、人はどのくらい気にして小説を読むだろう。もちろん小説に書か…

「キャラクター小説」というイノベーション|京極夏彦と森博嗣|仲俣暁生

 ある作家の登場以前と以後とで、小説のあり方が完全に塗り替えられてしまうような出来事は、…

女たちにとっての「自由」と「エコノミー」|角田光代と桐野夏生|仲俣暁生

 「平成」という時代を象徴する言葉の一つとして、「失われた○○年」というものがある。昭和…

「私小説」と「エクソフォニー」|多和田葉子と佐伯一麦|仲俣暁生

 今回は「平成」という時代が始まったばかりの頃の純文学の状況を振り返ってみたい。純文学のいちばんわかりやすい定義は、「文芸誌」に掲載される小説ということだ(たとえば「新潮」は文芸誌、「小説新潮」は小説誌である)。  そして平成初期には、現在より月刊文芸誌の数がひとつ多かった。「新潮」「文學界」「群像」「すばる」のほかに「海燕」という雑誌があったのだ(福武書店[現ベネッセコーポレーション]刊)。同誌は昭和57年に創刊され、同時に創設された海燕新人文学賞からは吉本ばなな(第6回