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2000年代前半のウェブ小説書籍化(後編)|飯田一史

「楽園」での高評価を受けて新人賞投稿に至った米澤穂信『氷菓』

 自費出版やモバイルサイトの有料課金モデルではないウェブ小説書籍化の動きは、2001年から起こっている
 たとえば米澤穂信『氷菓』が第5回角川学園小説大賞ヤングミステリー&ホラー部門奨励賞を受賞して角川スニーカー文庫内「スニーカー・ミステリ倶楽部」の第1回配本として10月に刊行された。
 米澤によれば、この作品は「オンライン小説の評価サイトに投稿したミステリーがほかの作品と比べて桁違いに評価が良かったため、リライトして新人賞に応募」したものだった(「米澤穂信バイオグラフィー&作品紹介」、「ダ・ヴィンチ」2015年9月号、160p)。
「ユリイカ」2007年4月号182pの米澤と滝本竜彦との対談「HTML派宣言!ネットが僕らの揺藍だった」を読むかぎり、この「評価サイト」の名前は「楽園」である。

「楽園」はオンライン小説リンク集のひとつで、当時、新しく人気投票システムを導入して躍進していた。前身は「小説連合」。「楽園」の投稿者にはメフィスト賞を受賞して02年3月に『『クロック城』殺人事件』でデビューする北山猛邦もいた。また、ほかに同様のリンク集に「HONなび」「Novel Search」「NOVELS WORLD」などがあった。

 ただし、米澤はインタビューで「ネット小説に読者が点数をつけるサイトがあって、そこでミステリー部門で一位になったりはあったんですが」「それまで書いてきたものは習作という意識があって、初めて投稿できるものを書こうとしたのが、『氷菓』だったんです」と語っており、言い方から察するに本になった『氷菓』とウェブ上で発表されていた作品には相当な差があったのではないかと思われる(Web本の雑誌編『作家の読書道3』本の雑誌社、2010年、70頁)。
 したがって『氷菓』をウェブ小説書籍化の例とすべきかは微妙なところだ――もっとも、ウェブ版と書籍版で大きく設定や展開が変更されることは今日でもざらにあるものの。米澤はほかにもウェブ投稿時代の作品を元に『折れた竜骨』(10年11月刊)などを執筆しているが、『氷菓』にしろ『折れた竜骨』にしろ、今日のウェブ小説書籍化で一般的な「ウェブ上で人気になって書籍化のオファーがあった」事例ではない。

 ともあれ、米澤はウェブ投稿作品を改稿してスニーカーでデビューした。そしてそののち東京創元社などでミステリーを書くようになったことで、2004年前後には桜庭一樹らと並んで「ラノベから一般文芸への『越境』」作家のひとりとみなされるようになった
 だが米澤は正確には「ウェブ発、ラノベ経由で一般文芸へ越境した作家」だった。当時、活字メディアやネット上で「ラノベとは何か」「ラノベ業界や作家はSFやミステリーとどう関わるのか」といった語りが盛り上がっていた一方、ウェブ小説に注目する人は出版業界には稀有だった。それがために米澤の「ウェブで書いていた作品を改稿してデビュー」という出自には、それほど関心が払われなかった。2004年に講談社ノベルスから刊行された『空の境界』が「ウェブ小説発」が売り文句にされなかったのと同様に。


アルファポリスのドリームブッククラブ

 2001年に起こったもうひとつ重要な出来事は、5月にアルファポリスが第1弾書籍である、桃『夜を旅する童話たち』を刊行したことである。
 アルファポリスは2000年8月に法人を設立し、同名のサイトをオープン。9月には「ドリームブッククラブ」を開始している。

 ドリームブッククラブは何度かしくみを改訂しているが、Internet Archiveで確認できる最古のページ(2001年4月15日)では、著者がアルファポリス上に作品を公開(アップ)してから3か月のあいだに1冊1000円(送料込み)での100冊の購入予約が集まるか、1口1万円で募る合計投資額が出版金額をクリアすれば、初版500部で商業出版できる、というしくみだった
 なお、このときの規約には「予約や投資が集まらなかった作家は自費出版も選択できる」との一文があり、前回書いた「自費出版とウェブ小説の近さ」がこの時期のアルファポリスについても指摘できる。

 ただしドリームブッククラブと自費出版はビジネスモデルが根本的に異なる。
 自費出版は、素人が書きたいものを書く「プロダクトアウト」での出版だ。それゆえ、売上的には死屍累々にならざるをえない。読者(客)がいるのかどうかわからない状態で出してみて世に問うものだからだ。
 それに対し、ドリームブッククラブの画期性は先に読者と制作資金を集めてから刊行するという「マーケットイン」の発想に基づき、ヒットの目を見つけやすくしていたことだ。このしくみがあれば、たとえ重版がかからなくても一定数は必ず売れるために版元としてのリスクは少なく済み、最低でも確実に「100人読者がいる」と実感できることで作家も支援者である読者も満足できる。

 対して自費出版ビジネスの雄・新風舎は「自費出版でも『全国配本』を謳っているが、全然書店に置いていないじゃないか」という著者たちの不満が高まっていく。2007年7月には著者から訴訟を起こされ、悪評が広まったことで08年1月には破産申請、10年2月には破産廃止(倒産)した。
 一方、アルファポリスは創業以来20年以上にわたって右肩上がりの成長を続けていく。「読者を集めてから本を出す」という今日では一般化したウェブ小説書籍化のビジネスモデルが、「読者がいるかわからないが書き手にカネを出させて本を出す」モデルに勝利したのだ。

 アルファポリスといえば柳内たくみ『GATE ゲート 自衛隊彼の地で斯く戦えり』やあずみ圭『月が導く異世界道中』のようなファンタジーや秋川滝美『居酒屋ぼったくり』のようなライト文芸作品、あるいはレジーナブックスやエタニティブックスといった女性向けのロマンスレーベルのイメージが強いかもしれない。
 だが、初期は小説よりも業界裏事情、職業エッセイが多く、その後、旅行記系が増え、30~40代女性によるロマンス小説がブームになり、ファンタジーはさらにそのあと「なろう」の影響で増えた(アルファポリス編集部部長代理[当時]太田鉄平インタビュー『かつくら』2015年春号、桜雲社、32頁)。

 アルファポリスから2000年代前半最大級のウェブ小説書籍化のヒット作を書く作家がデビューしたのは、2002年1月tacこと市川たくじこと市川拓司である
 tacは00年11日に小説「きみはぼくの」を「楽園」に登録する。
 するとアルファポリスから一週間後に「ドリームブッククラブでの作品公開を検討ください」とメールをもらう。市川は「自費出版・共同出版・オンデマンド出版の類いの誘いか?」と警戒するも、そうではないとわかったため、「VOICE」という小説を登録する(『きみはぼくの』アルファポリス、2006年、109~111頁、116~117頁)。

 市川は当時4つのメールマガジンを発行しており、1600人(重複含む)の読者を抱えていた。それでもドリームブッククラブで書籍化が決まる100人の先行予約を集めるのは難しく、公開期限を3回延長した。3度目は「VOICE」と「きみはぼくの」の2つを公開したことで、01年9月に達成。
 書籍化に際してタイトルは「きみはぼくの」から『Separation』に、著者名はtacから市川たくじに変えて、アルファポリスから02年2月に小説集が刊行される(同120、125、128p)。


市川拓司『いま、会いにゆきます』は著者サイトとメルマガ初出だった

 市川は同作を元にほかの出版社に対して営業しようと、まず小学館の嶽本野ばらの担当編集者宛に『Separation』を送ると――すぐに「会いたい」と連絡が来て、新作を小学館で出せることが決まる。
 当時、小学館の文芸から刊行される本の巻末には「原稿募集」の告知があり、市川は恋愛小説の勉強のために読んで自作と「似ている」と感じた嶽本と江國香織の本を刊行していた小学館に「マネしたわけではないが、こういう本を出している」という想いもあって送ったのである。
 こうして生まれたのが03年5月に市川拓司名義で刊行した『いま、会いにゆきます』だ。
 この作品は2002年5月から市川がウェブとメルマガにて書き上げた順に公開して連載したもので、執筆中に届いた読者からの感想が、物語の展開に影響を与えているという。

 この当時では異例とも言えるウェブ初出の小説連載については「ぼくがこの申し出をしたとき、菅原さん[引用者註、小学館の編集者・菅原朝也]はしばらく考えていましたが、「ま、大丈夫でしょう」と意外とあっさり承諾してくれました」(前掲書、188p)とのことだ。
 小学館は98年5月創刊の小説誌「文芸ポスト」始動の1年ほど前から文芸に本格参入した新参者だったがゆえに(なにしろ直木賞受賞作が小学館から初めて出たのは2010年11月刊の池井戸潤『下町ロケット』であり、ここからも文壇・業界内評価はうかがい知れる)、新しい試みへの拒絶感が少なかったのだろう。

 市川の『Separation』は03年7月から『14ヶ月』というタイトルでTVドラマが放映されたが、これがおそらく最初のウェブ発小説の映像化作品である(自主制作を除く)。
 市川はウェブ小説書籍化の歴史を考える上で非常に重要な作家だが、あまりそういう視点で語られていないのは『いま会い』以降のインパクトが強すぎるせいかもしれない
 余談ながら、なろうに投稿された住野よる『君の膵臓をたべたい』の書籍化を双葉社で担当した編集者・荒田英之はその後、転職して2021年現在は小学館の文芸の部署に勤めている。市川拓司から住野よるへとウェブ小説の歴史の線を引くと、ある種の納得感を抱くのは筆者だけだろうか。


2000年代前半のその他の動き 『電車男』とファンタジーの種

 2004年3月には掲示板サイト2ちゃんねるに『電車男』が投稿され、10月に新潮社から書籍化、05年6月には実写映画が公開されている。
 2ちゃんねる上に「彼女いない歴=年齢」を自称する男性が「電車の中で酔っ払いに絡まれた女性を助けてお礼を言われた」と書き、さらに数日後、助けたお礼にエルメスのティーカップが届けられたがそれまでデートもしたことがないため、お礼はどうすればいいのかといった相談を次々に書き込み、他の参加者(スレ住人)から寄せられたアドバイスのおかげで電車男がデートを実現させ、エルメスとの交際を進めていく過程が綴られていった。

『電車男』が実話なのか創作なのかは、見解が分かれる。05年1月に刊行されたカズマ『実録鬼嫁日記』のような「ブログ書籍化」の類いのノンフィクションの仲間とみなすか、本連載が扱う「ウェブ小説」のようなウェブ発のフィクションとみなすか、微妙なところだ。ともあれウェブを通じて生まれた物語が本になり、映像化もされて大ヒットしたという意味では重要な作品である。
 2000年代前半のウェブ小説書籍化のヒット作『オルゴール』『Deep Love』『いま、会いにゆきます』『電車男』はいずれも現代を舞台にした青春や恋愛の物語であり、しかもいずれもフィクション度合いの濃淡の差はあれど、少なからず「実話に基づいた」という触れ込みで宣伝されたものである。一方、今日「ウェブ小説」と言って連想されるファンタジーやホラー、ライト文芸的な作品はそれほど目立っていなかった。

 ほかにも、2003年1月発売の『群像増刊エクスタス』に「江利子と絶対」を発表して本谷有希子が小説家デビューするが、これは本谷がサイトで連載していた小説を読んだ編集者が声をかけたことがきっかけとなっている(ただし「江利子と絶対」はサイト上で連載していた小説ではない)。

 第1回で触れたとおり、大西巨人が97年から個人サイト上に連載した『深淵』が04年1月に光文社から書籍化されるなど、エンタメ小説だけでなく純文学とウェブ小説との関わりも2000年代前半にはあった。ただ、ケータイ小説やなろう系がブームになると、オンライン小説は純文学サイドからは蔑視・敵視されることのほうが増えていくことになる。
 なお、しばしば田口ランディが「ネット発の作家」として挙げられるが、彼女は6万の読者を持つメールマガジンの発行者ではあったものの、00年6月に幻冬舎から刊行されたデビュー作『コンセント』は書き下ろしであり、彼女は小説をウェブで連載して書籍化したことはない。

 2000年代前半には、のちに書籍でもヒットするウェブ発ファンタジー小説につながる種も撒かれていた。
 2000年にはよろずSS投稿・捜索掲示板Arcadiaが開設され(03年にはオリジナル小説の投稿掲示板もできた)、同年の後半から吉野匠が『レイン』の連載を個人サイトで開始(「吉野匠×柳内たくみスペシャル対談」、『このWeb小説がすごい!』宝島社、2015年、69頁)。
 2002年11月から九里史生(川原礫)が『ソードアート・オンライン』を個人サイトで連載開始
 2004年4月には「小説家になろう」が開設
 同2004年六月からMF文庫Jでヤマグチノボル『ゼロの使い魔』が刊行され、06夏のTVアニメ放映以降の爆発的なヒットによって二次創作も含めて2000年代後半以降の異世界転移・転生作品に影響を与える――のだが、2000年代前半には、紙の本の世界ではこうした動きが可視化されることはなかった。

 次回から3回にわたって取り上げる2000年代後半のウェブ小説書籍化の動きのなかで、ファンタジー小説書籍化も芽吹き出すことになる。


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『氷菓』
著者:米澤穂信 角川文庫(KADOKAWA)
何事にも積極的に関わらないことをモットーとする奉太郎は、高校入学と同時に、姉の命令で古典部に入部させられる。
さらに、そこで出会った好奇心少女・えるの一言で、彼女の伯父が関わったという三十三年前の事件の真相を推理することになり――。
米澤穂信、清冽なデビュー作!

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『いま、会いにゆきます』
著者:市川拓司 小学館文庫(小学館)
タイトルの意味を知ったとき、その言葉に込められた強く切ない思いに、きっと涙すると思います。「おはよう」とか「おやすみ」とか「行ってらっしゃい」とか、そんなささやかな日常にこそ幸福はある。「愛してる」と言える人がいるだけで人はこんなにも幸福になれる。そういうシンプルな真実をファンタジックな物語に仕立て、単行本刊行時には「感涙度100%」と評された傑作恋愛小説です。未読の方はぜひこの機会に読んでみてください。

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