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転げ回って泣きついて、それでも〆切は迫ってくる|阿部智里 インタビュー

 「ハリー・ポッター」、「勾玉三部作」「十二国記」「精霊の守り人」 シリーズに親しみ、幼い頃から「作家になる」と決意していた少女は、16歳で書いた小説「玉依姫」で松本清張賞の二次選考まで進む。大学進学後、同じ世界観・キャラクターで書いた和風ファンタジー「烏に単は似合わない」で、同賞を最年少受賞
 「実際にプロになってみて、想像とギャップがありましたか?」と訊くと、「特にないですね。そもそも私はデビューする前から生活の中で小説を書いていたので、それがどう評価されるのかというのが変わっただけで、自分のやっていることもほぼ変わらないです」と即答した。若き作家の中で、豊潤な作品世界はどのように構築され、「八咫烏シリーズ」という形になったのか?
 作品執筆中、最も悩み多き時期だという「初稿校正中」の阿部智里氏を訪ね、お話を伺った。

「ちょっと君来なさい」といってキャラクター面談

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――デビュー作から続く「八咫烏シリーズ」が押すに押されぬ人気シリーズに育っています。この物語はどこから着想されて書き始められたんでしょうか?

阿部:正直、どこが始まりなのかは非常に難しくて……。「こういうのが書きたいな」と思ったときに、断片をアイデア帳に書き留めているんですが、最古の部分を遡ると中学生の頃、「四人のお姫様が競い合う話を書きたいな」と思ったのが最初です。「八咫烏シリーズ」という輪郭が露になったのは、五巻の『玉依姫』 の原型を書いた高校二年生のときですね。山の中の神域を表す言葉がどうしても必要で、山の中だし「山内」にしようと。「山内」という言葉を思いついたときに「あっ、これはシリーズになるかもしれない」と思ったんです。

――外からの視点がまずあって、「山内」という言葉と共に異世界ができたという順番なんですね。最新六巻『弥栄の烏』で「第一部・完」となってますが、ここまで書いてきて、好きだったり思い入れの深いキャラクターはいますか?

阿部:うーん……「好きなキャラクター」と言われますと、小学校の先生に対して「先生、このクラスの中で誰が好きですか?」と聞かれるような感覚なので、ちょっと困ってしまうんですけど。

――先生と生徒みたいな距離感なんですね

阿部:感覚的には面談室のようなところがあって、「ちょっと君来なさい」と言ってそこで話す感じですね。ただ、学校の先生は「生徒に幸せになってほしい」と願うと思うんですけど、私はそういうのはあんまりないですね。キャラクターに対する個人的な思い入れと、作者がやらないといけないことはまったく別問題なので。思い入れや個人的な感情で、キャラクターの命運が左右されることはまずないです。ただ、向こうが私に対して悪態をついてきたら、「コノヤロー……お前、そんな生意気言っていると幸せしてやらないぞ」とちょっぴり思ったりはします。

――ちなみに、悪態をついてくるキャラというのは……

阿部:雪哉です。雪哉は私のところには来ないんですよ。反発しているので。多分、あいつは私のこと大嫌いですし、呼んでも来ない。猫を呼んでも来ないみたいな感じで、こちらの思い通りにいってくれない。まーかわいいけどかわいくないなっていう(笑)。


歴史の中に物語の「あるべき姿」が見える

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――キャラクターに対する愛着と、作者としてやるべきことが分かれているというのは、作家としての自分と読者としての自分が別にいるんですか?

阿部:自分が書くべきものは「キャラクター」ではなく「物語」だと思っているので、物語の流れの中で死ぬべきキャラクターは死んでいくし、生きるべきキャラクターは生きていく、まずそこが大前提なんですよ。その上で個人的に「あのキャラクターはかわいいな」と思っていても死ぬときは死ぬし、「このキャラクターほんとうにかわいくないな」と思ってイライラしていてもしぶとく生きていくし。

――ご自身がストーリーを組み立てて考えていくというより、すでにそこに書くべきストーリーがあるという感覚なんでしょうか

阿部:まさにそんな感じです。私は「化石の発掘」という言い方をしているんですが、もともと「あるべき姿」があって、それをいかに面白く商品にするかが私の腕の見せ所。私はこれを歴史に近いと思ってるんですね。例を挙げますと、作中で死んでしまうキャラクターがいる。それを構想の段階で聞いた編集さんたちは「殺すのやめませんか? ほかのキャラクターはどうですか」と言われたりするんですけど、「でもこいつが死ぬのはもう決まってるし」って感じで、もう全然関係ない。動かしようのない事実があって、そのどこを切り取るかによって内容がまったく異なってくる。

――では切り取り方を変えることで、ガラッと内容が変わることもある?

阿部:改稿に躊躇はないです。初稿と二稿では全然違うものになってたりもします。核となる「書くべきところ」は決まっているので、自分の中ではそんなに変わってないと思ってるんですけど、傍から見るとずいぶん変わったように見えると思います。始まる場所が違ったりとか。

編集:既刊だと一番わかりやすいのが『空棺の烏』ですね。なかなか仕上がらなくて、阿部さんがある時突然「わかりました!」って言ったんです。そこからガーって進みましたよね。それまでは「書きたいことはわかっていて、ここが最後だというのもわかっているのに、書き方がわからない」とずっとおっしゃっていて。

阿部:これだ! と思ってからは早かったですね。そういう瞬間があるんです。発掘作業をしていて、なんかやたらと出てきちゃったけど、どう組み立てたらいいかわかんない。ギャーってなってる時にフッと、「待って、これってお尻だと思ってたけど、反対側にしたら頭なんじゃない?」「じゃあ、絶対にここじゃん!」と。見えたと思ったら、あとはその形に組み上げていくだけ。


書くことは七転八倒の「事務作業」

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――すごく確信を持って書かれているような印象を受けたのですが、執筆中スランプに陥ったり、書き方にムラが出てきたりはしますか?

阿部:いつも七転八倒してます。「これって本当におもしろいのか期」と呼んでるんですが、私、小説を書いている最中に「これっておもしろくないんじゃないですか?」って言いだす周期が必ずありまして。実は今日、それにばっちり当たってるんですよ。そうなるともう本当に自信はないし、自分のやっている作業がただただ苦痛だし、「こんな面白くない原稿書いた奴の顔が見てみたい」と思ったら私だった! という。転げ回って、編集さんに泣きついてゴロゴロのたうちまわって、それでも締め切りは迫ってくるから、「仕方ない、私がやらねば誰がやる」って戻って書いていく。

――壮絶ですね……それは周期的なものですか? このぐらいの分量を書いたらその波が来る、とか

阿部:初稿の校正作業の時が一番多いですね。最初に原稿を書いている最中は必死なんでそこまで思わないんですけど、校正さんに送って「ふぅ」と一息ついて、そのあとに「初稿の校正するぞ!」って赤ペン持ってゲラを読むじゃないですか。そのときが自分の拙さが一番目に入る段階なんで、「ひどい!」って。

――校正し終わって、本になった後は「けっこうおもしろいじゃん」と思われますか?

阿部:まず思わないですね。「おもしろいじゃん」となるのは構想してる段階だけです。書いている最中は、私の頭の中にあったときはもっと良かったのに、この拙い手が恨めしい……。もう悔しいし力不足だし、コノヤローって思ってるんですが……傍から見るとどうなんですかね?

編集:阿部さんの中にある映像を文字化するのが本当に難しくて。情報量も多いし、どこを切り出したら読者に受け取ってもらえるか? ということをずっとしている感じです。

阿部:そうですね、書くことは事務作業なんですよ。脳みそと脳みそをつなげることが出来れば、読者に私の頭の中にある映像を直接見せられるのに、そういうわけにはいかない。私は絵も下手なんで絵で描いて見せるわけにもいかないし、自分にとって、一番それを表現できる手段が小説なんです。でも、その文章すらけして満足のいく形じゃない。だから、満足のいかない文章でどうやって読者に伝えるかという、事務作業なんです。だからずっと苦しいんです。延々と事務作業を続けて、続けて、できたのがこのシリーズです。


自分のイメージと筆力との追いかけっこ

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――そうして七転八倒しながらできた「八咫烏シリーズ」ですが、今後ほかの世界も書いてみたいなと思われますか?

阿部:構想自体は乱立していますね。今は長く「八咫烏シリーズ」を書いているので、お風呂みたいに「ここ居心地がいい~」とはなってます。そこから体を拭いて、服を着て、靴を履いて、外に出て次の世界に行くのは若干面倒なことではあります。
隣の宇宙で違う物語は進行しているので、時々それを覗きに行ったりはするんです。「ああ、進行してるな……」と思うんですけど、書くとなるとそっちに行ってやらないといけないし、めんどくさいなーと思ってそっと閉じるんです(笑)。

――逆に「このお湯はもういやだ!」となることはないんですか? 違う世界に行ってやろう!とか

阿部:たまにありますよ。だいたい「八咫烏シリーズ」の初稿でゴロゴロしていて、もうつらい、やめたいとなってるときですね。テスト前にお掃除したくなる感じです。

――そうして二つの世界を並行していく書き方をされてみようとは思いませんか?

阿部:矛盾して聞こえるかもしれないですが、そこまで行き着くには、その世界にどっぷりつからないと難しいんですよ。私も最初の頃は、「隣の世界に行くだけなんだから切り替えも簡単にできるだろう」と思ってたんです。最近は「八咫烏シリーズ」と並行して違う小説も書き始めたんですが、やってみると思いの外大変だとわかって。
「壁を乗り越えて隣に行く」とき、私はもっと運動神経がいいものだと、スッと飛び越えられるものだと思っていたんです。ところが実際はあんまり運動神経がよくなくて、足が柵に引っかかって顔面から落ちるとか、そういうことがよくある。壁一つ挟んですごく近いけど遠い世界を、どったんばったんしながら行き来しています。

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――世界線移動は、痛みを伴うものとしてあるんですね

阿部:脳みその中だけだったらすぐに行けるんですが、身体を使って「書く」作業になると難しい。最近気が付いたんですけど、どうも書く作業にはいろんな荷物が必要になってくる。物理的な環境だったり、技術的なことだったり、漬物石を十個ぐらい背負っているようにグッと重くなって、その状態で隣に行こうと思ってもなかなか行けない。「ヘルプミー!」みたいな感じで今大変ですね。

――七転八倒しながらほかの世界も編まれていくということですね。最後に、世界観についてでも、書き方についてでもいいんですが、今後挑戦したいことがあったらお聞かせください

阿部:私はそもそも西洋ファンタジーが書きたくて、でも自分には書けないとわかったので次に東洋ファンタジーを書こうとして、それもダメだって気が付いて和風ファンタジーに至ったという経緯があるんです。大学で一生懸命勉強して、ようやく日本のファンタジーが書けるようになった。今、大学院で東洋史を学んでいるので、ゆくゆくは東洋史からインスパイアされた物語を書きたいなと思ってます。

――それはすごく楽しみです。ちなみに東洋ファンタジーを書かれた後には、西洋ファンタジーにも挑戦されますか?

阿部:西洋というか、世界を舞台にしたファンタジーを最終的に書けたらいいなと思っています。でも私が死ぬまでに書ききれるのかちょっと疑問ですね……。どこまで私の力量が追いつくのか、ずっと自分のイメージと筆力との追いかけっこです。いろいろ大変だと言っちゃった後なんですが、そもそも、苦しみながら「書ける」ということ自体がとても幸福なことなんですよね。こうした状況に感謝しつつ、出来る限りこの追いかけっこを続けていきたいと思っています。

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(インタビュー・構成:有田真代、写真:鈴木智哉)


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八咫烏シリーズ
人間の姿に変身することが出来る八咫烏の一族が、異世界・山内(やまうち)を縦横無尽に飛びまわる和風ファンタジー。平安王朝風のみやびな風俗と、日嗣の皇子・若宮と側仕えの少年・雪哉を中心とした魅力的なキャラクターたち、周到に仕掛けられた謎と、日本神話に通じる壮大な世界観をもつ。2012年に史上最年少20歳で松本清張賞を受賞してデビューした阿部智里が毎年一冊刊行。2017年『弥栄の烏』で第一部が完結している。


*本記事は、2018年04月05日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。