2019-2022年のウェブ小説書籍化③ 日本式の「ウェブ小説書籍化」は終わらない|飯田一史
ピッコマノベルによる韓国ウェブ小説翻訳配信と中国BL『魔道祖師』のヒット
日本市場の特徴を踏まえた上でのローカライズ成功という意味では2020年、2021年に個別の作品レベルでは新たな展開がふたつあった。
ひとつは2020年2月からピッコマ上で『俺だけレベルアップな件』(以下『俺レベ』)や『捨てられた皇妃』をはじめとする韓国ウェブ小説の翻訳配信が始まったことだ。
韓国ではこれらのウェブ小説が人気になったあとでウェブトゥーン化されたのだが、日本ではピッコマ上でまずウェブトゥーン版を小説よりも先行して配信した。ピッコマノベルの本格スタ-トは2018年11月だから、その1年3ヶ月後から韓国ウェブ小説の翻訳配信が始まった。つまり、ノベルサービスの反響を見てから原作ウェブ小説の翻訳を進めたことになる。
なぜウェブトゥーンから先に翻訳したのか。ピッコマがマンガアプリとして始まったからだ。日本ではマンガ市場は小説市場の数倍あり、マンガの翻訳のほうが小説の翻訳よりも文字数が少なくコストが安上がりだから、マンガから始めるのは自然な選択だった。
『俺レベ』は日本でも月間販売金額1億円を叩き出すほど人気の作品に育った状態になってから、小説版の翻訳が始まった(株式会社カカオジャパン「月間販売金額、1億円時代へ突入! WEBTOON作品『俺だけレベルアップな件』が大ヒット スマートフォンに最適化されたWEBTOONの急成長」)。
2015年の中国ウェブ小説『マスターオブスキル 全職高手』の日本語版は、売り上げ不振のために完結前に翻訳が途絶えてしまった。 その国のユーザーに受け入れられるような土壌を耕す前に、種を蒔いてしまったからだ。
2020年以降の韓国ウェブ小説翻訳は、まずマンガを日本の読者に十分認知させたあとで行われており、「マンガで描かれている部分よりも先の話が読める」ことが読者が原作を求める動機になっている。
もうひとつの大きな成功例は、2021年1月から墨香銅臭が中国のオンライン小説サイト「晋江文学城」で2015年10月31日から2016年3月1日まで連載した『魔道祖師』(フロンティアワークス)の翻訳刊行である(日本語版は台湾繁体字版からの翻訳)。『魔道祖師』の原作は、完結後にラジオドラマ、アニメ、漫画、実写ドラマ(タイトルは『陳情令』)化されたが、2020年から日本でもラジオドラマ版、実写ドラマ版、アニメ版が展開されて大きな話題を呼んだ。これも小説単品の翻訳では反応が薄いという日本市場の特性を踏まえて映像とセット展開したことで波及がうまくいったケースである。
もっとも、2016年に日本放映された中国ウェブ小説原作のアニメ『霊剣山』や、同年に中国マンガアプリ発でTVアニメが日本放映されて2017年から集英社のマンガアプリ「ジャンプ+」で翻訳配信された『一人之下』などは中国本土では原作は大人気だったものの、日本では芳しい反響は得られなかった。これらの作品の商業的な失敗は、アニメが日本人が求めるクオリティに及ばなかったこと、中国人にとっては常識だが日本人にとってはなじみの薄い道教関係の設定に関する翻訳・ローカライズに難があったことが要因だろう(『霊剣山』は「ピッコマ」でマンガ版が読めるが、マンガ版も用語や設定が日本人には非常にわかりづらい)。
2018年8月には九把刀(ギデンズ・コー)が執筆し、2011年に自身の手により映画化した台湾ウェブ小説『あの頃、君を追いかけた』(原題「那些年,我們一起追的女孩」)が、日本で制作されたリメイク映画の公開に合わせて講談社から翻訳が刊行されたが、そこまで大きな評判を呼んだとは言いがたい。リメイクだったこともあり、宣伝でも原作小説の存在が強く押し出されていなかったがゆえに、小説まで到達した人が多くなかったこと、リメイク映画自体が興行収入が推定2.5億円、観客動員数16.6万人とそこまでのヒットとならなかったからだろう。台湾では、小説も映画も記録的なヒット作だったのだが。
つまり映像も原作もともに日本人が求める水準であり、かつ、理解しやすいローカライズのノウハウがなされていることが、海外ウェブ小説の翻訳書籍化が成功するための条件になる。それらが揃って『魔道祖師』に結実するまでには、『霊剣山』から4、5年の時が必要だった。
韓国や中国式のウェブ小説のビジネスモデルの輸入・ローカライズは道半ばだが、個別のコンテンツでは2020年以降、日本市場での成功例が現れてきた。
LINEノベル以降に現れた一般文芸の試みと新規参入
みたび短命に終わったLINEノベル(第3期目)は、韓国式のウェブ小説のビジネスモデル輸入の夢だけでなく、一般文芸のウェブ小説進出の夢も背負っていた。複数の出版社から提供された作品のなかには一般文芸作品も含まれ、宮部みゆきのエッセイなどは新作として配信されたが、成果は得られなかった。
では一般文芸はウェブ小説に馴染まないのか?
筆者は『ウェブ小説の衝撃』などで、書籍市場で伸長するウェブ小説と凋落し続ける紙発の文芸書の差異を「ジャンルの違い」に求めるべきではなく、本質は「ウェブ上の人気競争で勝ち抜いたものだけを書籍化することで書店での競争にも勝ちやすくする」というビジネスモデルにある、と書いてきた。
しかし現実的には純文学などは基本的にデジタル配信になじんでおらず(目立った成功作もなければこぞって事業者や作家が取り組むようになるというトレンド形成もない)、とすれば「ジャンルの違い」と言っていいのではないか――と思うかもしれない。
だが筆者はやはり、ウェブで読まれることを前提とした一般文芸は十分にトライされておらず、ファンタジーやロマンスなどと比べてノウハウが圧倒的に蓄積されていないと考える。そもそも、小説誌や文芸誌掲載作品をすべて(電子雑誌としてではなく)ウェブサイト上に無料で載せたらどうなるかという試みすら行われていない。LINEノベルというあまりグロースしなかったアプリ上で1年間配信が試みられただけで結論を出すのは早すぎる。
たとえば、なろうもエブリスタもカクヨムも、アプリをダウンロードしなくてもウェブサイト上から作品にアクセスできたが、LINEノベルではできなかった。つまりクローズドなサービスで試されただけで、オープンなウェブに一般文芸の作品が多数出されたわけではない。
カクヨムや、あるいはWebマガジンコバルトのように、書籍で刊行している作品をプロモーション用に連載・掲載したりといったことさえ、一般文芸では散発的な試みに留まり、大規模には行われていない。そうしたほうが書籍の売上が伸びるかもしれないのに、それほどトライされていない。
平野啓一郎『マチネの終わりに』や上田岳弘『キュー』、村上龍『MISSING』だけでは施行が少なすぎる上に、いずれも「小説のウェブ掲載+α」を試みていたゆえのノイズが原因で、素直に純文学の一線級の作家の小説を十分な量ウェブに載せた場合にどんな反応があるのか、いまだわかっていない。
まして、最初からウェブで読まれることを前提に、文芸色の強い作家たちが新作の連載や分割配信に大量参入した例も少ない。
もちろん、LINEノベル以降も新たな試みがないではない。読売新聞オンラインは2019年2月から今野敏と上田秀人が1日1回更新のオリジナル連載小説を始めた。今野の『任侠シネマ』2020年5月に、上田の『夢幻』は20年12月にそれぞれ中央公論新社から書籍化されており、今野のほうは人気の「任侠シリーズ」作品ということもあり少なくない反響があった。読売新聞オンラインは継続的にオリジナル小説連載を行っている。
1878年に創業し、2018年に経営体制を一新した老舗出版社・春陽堂書店が、夏目漱石や泉鏡花らが寄稿して日本近代文学を彩った雑誌「新小説」の名前を冠した「Web新小説」を2020年2月に開始している。
原則月1回で連載を更新し、過去掲載作も閲覧できるものを月額1100円+税で提供を開始し、2022年2月からは月額300円+税に値下げした。連載が終わったものは書籍化されている。このWeb新小説のサブスク+書籍化モデルは、新潮社が2013年から始めて会員数2000人足らずで1年で撤退した「yomyom pocket」と同型である。
連載には谷川俊太郎の詩、町田康のエッセー、菊池道人の歴史小説、本人提供の写真や資料とともに綴られる黒川創の回想記、伊藤比呂美の朗読のほか、動画もある。当然ながら動画や音声は書籍化できない――コストがかかる一方で収益には貢献しない――わけだが、「純文学がウェブ小説をやると小説以外の要素を付け加えたがる」傾向(足し算の発想)がWeb新小説にも見られる。ただし2022年現在、いまだ話題作は出ていない。
2020年8月にはVODサービス事業者であるU-NEXTがサブスクリプション型モデルのオリジナル電子書籍の読み放題サービス(月額1500円+税の映像サービスを契約すれば、小説も読み放題になる)を開始している。小野美由紀『路地裏のウォンビン』、王谷晶『今日、終わりの部屋から』、大前粟生『話がしたいよ』などプロの一般文芸作家がU-NEXT用に書き下ろし、一部の電子書籍は紙でも書籍化するという出版事業を開始している。
U-NEXTはマンガ事業もスタートさせており、小説や映像事業とどう連動させるかはいまだ不明だが、おそらく小説からマンガ、映像を一気通貫するオリジナルIP開発の体制構築を目指していると思われる。
ほかには2020年3月末には作家・中村航(ゲーム『BanG Dream! バンドリ』のシナリオや実写映画化もされた小説『トリガール!』などの手がけた)が代表を務めるステキコンテンツ合同会社が一般文芸向けの小説投稿プラットフォーム「ステキブンゲイ」をオープン。書籍化第1弾作品としていぬじゅん『叶わない恋を叶える方法』をやはり中村が代表を務める出版社ステキブックスから同年11月に刊行している。
当初サイト上に有料販売機能はなかったが、2021年11月から有料公開機能を始めている。興味深いのは「一般文芸の投稿サイト」を謳っているが「公式のブンゲイ」と題して連載しているプロ作家は、中村以外はいぬじゅん、櫻井千姫という野いちご(ケータイ小説)出身作家か、河邉徹(ロックバンド「WEAVER」)やみあ(音楽ユニット「三月のパンタシア」)というミュージシャンであり、2010年代半ば以降ではおそらく「ライト文芸」とみなされる作家・作品をこのサイトでは「一般文芸」にくくっている。
また、LINE文庫から刊行されたいぬじゅんの作品『願うなら、星と花火が降る夜に』をステキブックスから電子書籍化、LINEノベルに掲載されて書籍版も刊行予定になっていたみあの作品『あの頃、飛べなかった天使は』を同サイトにも掲載しており(未書籍化)、ある意味ではLINEノベルが目指したものを継承している。
一般文芸、純文学のウェブ小説進出の夢は潰えたのか?
このような流れを受けてか、2020年代に入ると講談社、新潮社、文藝春秋の一般文芸の編集部から新しいサービスが立ち上がってきた。
2021年11月には小説誌「メフィスト」が「メフィストリーダーズクラブ」という月額550円、年額5500円の会員制サイト/サービスにリニューアルした。
2022年2月には新潮社が「yom yom」を完全無料のウェブマガジンとして復活させ、小説やインタビュー記事などを配信している。
同年同月には文藝春秋が電子書籍で配信していた「別冊文藝春秋」のnote版を月額800円でスタート。「小説好きのためのコミュニティ」を謳っている。ただ、投稿された小説やインタビューに対して読者からのコメントはほとんど投稿されておらず、また、今のところ読者参加企画もない(作家同士のトークショーへ参加ができることくらい)ため、何をもって「コミュニティ」と言っているのか判然としない。とはいえ2月1日から始まったばかりのサービスであり、今後どんな展開や反響があるかは未知数だ。
筆者には、Web新小説やメフィストリーダーズクラブ、別冊文春noteが入口からして有料にしていることは、2010年代初頭にいくつかの小説誌が「有料販売の電子雑誌」に乗り出し、無料のウェブ小説投稿サイトに敗北した歴史を忘れてしまったかのように見える。
新規読者獲得につながる無料コンテンツを大量に用意してトラフィックが発生する状態を作り、ユーザーが無料部分のコンテンツやサービスに親しみを持った「あと」で有料会員制のコミュニティビジネスに誘導するという二階建てのしくみならグロースの見込みはあるように思うが、ウェブ小説で無料部分の少ない「前払い」は他国の事例を見ても難しい。
また何度も書いてきたとおり、今のところ一般文芸系小説サイトは、読者に作品に対してコミットしてもらうための施策が希薄だ。これはグロース著しいラノベ系投稿サイトであるノベプラやカクヨムと比べると顕著だ。
作品の良し悪しを「評価」する「権威」は送り手(作家+編集者)にあると自負する一般文芸系サービスの多くでは、2020年代に入ってもいまだ読者は「受け身のお客さん」「透明な存在」扱いのままだ(それが悪いと言いたいわけではなく、文芸系の思想は変わらないと指摘しているだけだが)。
ただいずれにしても、最低でもさらに5、6社(誌)が本腰を入れて参入し、少なくとも数百人単位でプロ作家がチャレンジしないことには、一般文芸や純文学が本当に「ウェブには向かない」と言えるのかは定かではない。
今では忘れ去られつつあるが、ラノベでは、2000年代の作品(なろう系台頭以前の紙発でだけ成り立っていた時代の作品)と2010年代以降の作品(なろう系台頭後の作品)とでは、作劇方法、題材、キャラクターの年齢、文体などが相当に異なる。「紙発のラノベ」と「ウェブ発のラノベ」(とみなされるようになったウェブ小説)との間には当初明確な差異があり、ゆえに2013年頃までは「別物」とみなされていた。しかしウェブ小説書籍化作品の方が文庫書き下ろし作品より売れる(確率が高い)ことが周知の事実になって以降、ラノベは書き下ろしのほうも小説の中身を変容させていった。
ラノベと比べると、「ウェブ発の一般文芸」「ウェブ発の純文学」はいまだ十分に探究されていない。「ウェブ発だがラノベ」「ウェブ時代に合わせたラノベ」は当たり前に存在するようになったが「ウェブ発の一般文芸」「ウェブ時代らしい純文学」のスタイルは確立されていない。
本連載で触れてきたように、散発的には一般文芸においてもウェブ小説には幾度も幾人も参入してきたが、ケータイ小説やなろうのように流行ジャンル、ブームを作り出すことができず、その存在は世間に認知されなかった。
ウェブ小説書籍化が定着したジャンルにおいては、大きな変化を起こしたのは基本的には「単発」の作品・作家ではない。明確な特徴を持ったヒット作「群」であり、「ケータイ小説」「なろう系」のような「くくり」である。爆発的な「流行」を作り出すと、流行に終わらず「定着」する。だが流行が生まれないと「ジャンル」として定着しない。
ウェブサービスではコンテンツの「量」と「更新頻度」が決定的に重要だ。マシュー・ハインドマンは『デジタルエコノミーの罠 なぜ不平等が生まれ、メディアは衰亡するのか』(NTT出版)において、データをもとに、こう喝破している。
アメリカの地方紙発のニュースメディアは大手ニュースサイト/プラットフォームに絶対に勝てない。なぜならユーザーがそのサイトを訪問するかどうか、どのくらいの頻度で訪問するかは記事の「質」以前に記事の「量」とサイトの「更新頻度」で決まるからだ、と。記事の数と更新頻度が少ないサイトが、多いサイトより人を集めることはない。まず人を集めなければ、課金への誘導もうまくいかない。
同様のことは小説サイトにも言える。現行の一般文芸系の小説サイトはすべて、「なろう」をはじめとする小説投稿サイトに比べてあまりにも「量」と「更新頻度」が少ない。ひとつのサイトで月に数回、せいぜい十数作品を配信する程度では、ウェブサービスとしては集客上、まったく勝負にならない。ではどうしたらいいのか。
ひとつの方向性は、文芸出版社が複数社で共同事業として取り組むことで、小説投稿サイトに量で伍することだ。たとえばLINEノベル(第3期目)以上の規模で、主立った出版社の文芸誌・小説誌の作品がひとつのサイトに集まって更新されるようになるか、第三者がそのように一覧でき、更新作品をチェックできるサイトやアプリを作って利用されるようになれば、多少なりとも既成のウェブ小説プラットフォームに対抗できるだろう。もちろんそれには各社の足並みを揃えることや、誰が作るのか、その予算はどこから出るのかといった問題がある。
もうひとつの方向性は、スケールを追うのを根本的に諦めることだ。その代わりに前回書いたSFジャンルのように、メディア(SFの場合は雑誌)と継続的なリアルイベントを通じて、独自の評価軸を培うファンとプロから成るコミュニティをウェブ上にも構築する。量/人気ではなく、一般読者と作家の距離が近いかたちで、相互の評価で成り立つ場を作る。ただしこれも以前記述したようにSF以外のジャンルでは、紙媒体の時点でも読者に対してジャンル特有の評価軸、価値観を伝えるメディアやイベントに乏しかった。だが紙でやってこなかったことが、ウェブで突然できるようになるとは考えにくい。
どちらの方向性にも、クリアすべき課題がある。
しかし、ここまで書いてきてなんなのだが、文芸業界の本丸と言える小説誌・文芸誌発で劇的なウェブへの参入が行われる可能性は低いと思っている。
小説誌・文芸誌はもともと雑誌単体では採算が成立していないからだ。
作家・批評家の大塚英志は2000年代初頭に「文学不良債権論」と題して「純文学の赤字はマンガが補っている」と語った(「不良債権としての「文学」、「群像」2002年6月号初出。全文閲覧可能)。
講談社「群像」の赤字は「マガジン」が補填し、集英社「すばる」の赤字は「ジャンプ」が補填している、と。もっとも、「文學界」を擁する文藝春秋と、「文藝」を擁する河出書房新社はマンガが稼ぎ頭の会社ではないが、いずれにしてもほかの部署で稼いだ利益と、年2回のメディアイベントである芥川賞・直木賞(と、近年では年1回の本屋大賞)、それから映像化作品などでヒットを作って回している。この基本的な構造は、大塚が指摘してから20年経っても変わらない。
正確に言えば2010年代以降、集英社や講談社ではコミックがデジタルやライツビジネスで稼ぐように業態転換し、文藝春秋社は文春オンラインなど記事メディアのデジタルシフトを推し進めてきた。だがそうやってデジタルやライツで稼ぐように文芸以外の部分が変化し続けたがゆえに、単体で黒字であることが至上命題とされない小説誌・文芸誌(紙の雑誌)を中心とした文芸は大きな変化を求められないままでいる。
経済的に本当に「自立」しなければいけなかったならば、人々が使うデバイスやコンテンツ消費のスタイルの変化に合わせて、作品内容やビジネスモデルを自発的かつラディカルに変化させざるをえなかったはずだ。あるいは小説事業/小説をIPとした事業が経済的に「期待」されたならば、投資マネーが舞い込んでやはり変化が生じていたはずだ。中国や韓国のウェブ小説業界ではそういう変化が起こった。
たとえば中国の「起点中文網」で、なぜウェブ小説の有料販売が始まったのか。サービス拡大に伴い、運営者がサーバ代を払えなくなったからだと言われている。ではなぜ読者はウェブ小説をお金を出して買ったのか。
中国の出版社は国営であり、年間の出版点数は出版社ごとに事前に割り振られ、勝手に刊行点数を増やすことはできない。すると出版社は、海のものとも山のものともつかない本を出して赤字になることは避ける。つまり話題性に乏しい新人作家の作品はそもそも世の中に出づらい。ところがウェブではどんな作家でも、政治的な内容や過激な表現を除けば、比較的自由に小説が発表できた。読者は紙の出版物ではなかなか出会えない、自分たちの感覚に近いと思えるエンタメをウェブ上に発見した。だから読者はお金を払って買ったのだ。
サイト運営者、作家、読者それぞれの切実な動機が合致したことが、有料ウェブ小説の発展の基盤にある。そこにあとから「ウェブ小説プラットフォームは低コストで大量の原作をテストできる場であり、有力なIPを生み出す源泉だ」という発見があった。
ところが日本では、従来型の「有料の紙の出版+無料のウェブ小説(+映像化)」という2000年代に成立したビジネスモデルから大きく変わらなくても、維持し続けられる。投資家やコンテンツ産業の経営層からの期待も薄い。だから大きくは変化しない――これは出版業界の側だけでなく、「なろう」を中心としたウェブ小説事業者サイドも同様だ。
どちらが良い/悪いとか優れている/いないと言いたいわけではないが、中国や韓国に比べ、日本では小説でもマンガでもウェブ/アプリ上で配信される作品もいまだ単行本化を前提にしていることが大半だ。
日本ではチャット小説を除けば、マンガも小説もデジタルで基本的に完結する、ないしはデジタルファーストで紙はプラスオン(デジタルが主、アナログが従)で成立している表現やビジネスモデルは主流になっていない。
日本の出版業界、とりわけ文芸業界が「書籍化」をアテにしない、本当の意味でデジタルファーストな形態へと変化することは、よほどのことがない限り、おそらく起こらない。「よほどのこと」というのは、たとえば、大手取次が倒産してこれまで成り立ってきた日本の書籍物流・生態系がいよいよ崩壊し、紙で単行本化する商業的なメリットが相当程度なくなる、といった事態である。
同様に、膨大なトラフィックをもとに広告収益を得るモデルが通用しなくなる日まで、なろうを中心とした「基本無料」のパラダイムから日本のウェブ小説事業者が移行することもないだろう。
もちろん、新規参入者はこれからも現れるだろう。たとえば、いずれ暗号通貨の税制が変われば、日本でもトークン・エコノミーを実装したWeb3型のウェブ小説投稿プラットフォームが誕生すると思われる。投稿作品が人気になれば、作家だけでなく、投稿初期に高い評価を下したり、サービスや作品の人気拡大に貢献したスコッパーも金銭的に報われる、といった機能を有したサービスだ。
2010年代後半に有料サイトへの移行がうまくいかなかったことを思えば、ユーザーを既成の小説プラットフォームからスイッチさせることは一筋縄ではいかない。有料販売もトークンの発行も「金銭的なインセンティブを導入すれば有力な書き手やアクティブな読み手が集まり、小説投稿や読者コメントが活性化する」という似通った考えに基づいている。だがそれだけでは書き手も読み手も動かない。
読者が「おもしろい作品が読める」と思い、作家が「自作を評価してくれる読者がいる」と信じられる環境を(ニワトリタマゴの関係を打破して)用意した上に有料サービスを載せなければ、成長のグッドサイクルは回らない。そのために映像化作品を輩出してサービス/メディアの認知を広げないと、日本で小説ビジネスは軌道に乗りづらい。これは日本で2010年代後半に始まった、有料モデルを実装した新規サービスの数々の苦労が証明している。
さて、1年以上にわたってmonokaki上で連載してきたWeb小説書籍化クロニクルだが、2022年3月現在に追いつき、今回で終わる。
最後に、ごく簡単に「ウェブ小説書籍化」の歴史を振り返る。
2000年代以降、日本の小説市場では、書籍化した本が売れることでウェブ小説がさらに隆盛するという「出版ありきのウェブ小説」モデルが隆盛した。はじめはケータイ小説やアルファポリス、2ちゃんねる発で、次いでArcadiaやなろう、エブリスタ発で起きた。
それでも「ウェブ小説書籍化」は誕生当時から2010年代初頭まで「ウェブでは無料で読める小説を、なぜ有料の本にするのか?」という疑問がつきまとうものだった。その疑問は多数の事業者が参入し、無数のヒット作が生まれるなかで徐々に消え去り、ウェブ小説書籍化作品は日本の文芸市場の約「半分」を占めるに至った。
だが2010年代後半以降、韓国や中国の事業者からは「ウェブやアプリで小説が有料で販売できるのに、日本ではなぜウェブでは無料で読ませて有料の紙の本でマネタイズすることを主にした商習慣が続いているのか?」と別種の疑問を抱かせるものになった。
東アジアや北米圏での有料サービスを参照しながら日本でもさまざまな試みがなされたが、ここまで述べてきた背景によって、ウェブ小説サービスの勢力図や、人々のウェブ小説に対するパーセプション(認知)の変化は緩慢だ。
これから先、何が起こるか。
ひとつ言えるのは、書籍流通の生態系が崩壊するかウェブ上で広告収益を得るモデルが通用しなくなるまでは、「ウェブ小説書籍化」なる奇妙なパッケージビジネスは死なない、ということだ 。
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