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第五回氷室冴子青春文学賞スピーチ|monokaki編集部

 設立されてから毎回多くの作品が応募され、魅力的な受賞作を輩出してきた「氷室冴子青春文学賞」。
 今年も開催は決定していますが、今回から応募開始の時期が変更となります。第六回の応募開始は2024年秋ごろです。応募を考えている方は、続報を楽しみにお待ちください。
 最後に開催時期の変更について選考委員である久美沙織さんからのコメントがありますので、そちらも読んでいただければと思います。

 応募開始は少し先になりますが、次回の第六回の応募を考えている人、氷室冴子青春文学賞に興味のある人に読んでもらいたい記事をお届けします。
 以前にも第四回受賞者たちの授賞式スピーチをご紹介しましたが、今回の記事では第五回の大賞受賞者のスピーチを掲載します。受賞者の小説へかける想いがつまった授賞式の臨場感を味わっていただけたら幸いです。

選考委員:柚木麻子さん<審査の感想から>

柚木:この度は大賞『愛ちゃんのモテる人生』の宇井彩野さん、準大賞『やさしい雪が降りますように』の桃実さんそれぞれご受賞おめでとうございます。
選考委員になって三回目となるんですが、どんどんレベルがアップしていて今回受賞に至らなかった皆様もとてもいい作品が多く、読んでいてとてもたのしかったです。
『やさしい雪が降りますように』は性暴力に対して、断固としてNOという姿勢や熱さがとてもいいと思いました。今後どんどん作品をブラッシュアップして、いろんな要素を学んだり、盛り込んだりして桃実さんが書き続けていただけることを心より願います。
そして、『愛ちゃんのモテる人生』ですが、もし氷室さんが令和の今生きていたら、もしかしたらこんな雰囲気だったのかもしれないと思わせる明るい人生の肯定を描いた作品を私はとてもいいなと思いました。セクシャルマイノリティーや子どもの人権といったものも盛り込まれながら、多くの十代を救うライフハックとなりえる本だと思いました。
読者も学びながらも日常がとても楽しくなるような、会話のテンポや生きることへの肯定を描いた作品を私は本当に一人でも多くの方に読んでいただきたいと思います。
今後たくさんの作品を読ませていただくこと、そして『愛ちゃんのモテる人生』が長い一冊の本になることを願ってやみません。
この度はお二人ともご受賞おめでとうございます。


選考委員:久美沙織さん<授賞式のトークから抜粋>

久美:氷室冴子青春文学賞の場合は、第一回を受賞された櫻井とりおさんの『へびおとこ』、その後、刊行時には『虹いろ図書館のへびおとこ』になりましたが、この作品が受賞したことが大きかった。こういう作品を評価するんだね、このレベルが期待されるんだね、という素晴らしいベクトルができました。
エブリスタやほかの投稿サイトで書いているかたがた、作品を誰かに読んでもらいたい、自分の実力がどのくらいなのかを教えてほしいと思っている人たちにとって、つまり賞に応募する方々にとって、わかりやすい指標になったと思います。
賞のルールとしてはもちろん同時にあちこちに出しちゃダメなんですけど、多様性の世の中ですから、ある場所ではいまいちうまくなじまなくても、他ではキラキラに輝けるかもしれません。ルールを守る範囲で、あちこちに出してみて、自分の作品がどこに向いているのか確かめることもできます。
この賞は、最初は冴子さんのことを知ってくれていた人たちが反応して応募してくれたものだったろうと思います。今はそうとは限らない。とりおさんの作品や第二回の佐原ひかりさんの作品、去年第四回を受賞した平戸萌さんの『私が鳥のときは』も刊行されましたが、そういう生まれたての作品の素晴らしさにふれたひとが、「氷室冴子って誰?」「自分が生まれる前だから知らなかったけど、そんなひといたんだ」と、興味を抱いてこちらにたどりついてくださるようになってきている
氷室冴子という名前の冠に惹かれる人と、受賞作を読んで興味を持った人たちに、すごくいい循環が起きていて、らせんを描いて上っていくようなエネルギーや熱さを、この賞が生み出していると思います。


選考委員:町田そのこさん<授賞式のトークから抜粋>

町田:今回初めて審査員というお仕事を受け、久美さんや柚木さん、斎藤さんの胸を借りるつもりで挑みましたが、とてもいい経験をさせていただきました。また、はじめての審査でこの二作品を選ぶことができてよかったなと思っております。
宇井さんの『愛ちゃんのモテる人生』の主人公は、作品内でどんどん成長していきます。自分の失敗に立ち止まることなく糧にして、ひとつひとつ成長していく。失敗から得られた学びをちゃんと自分のものにしていく。その姿はすごく大事なことだと思いました。
氷室作品もそうなんですけど、主人公の言葉や背中、生き様に励まされる。自分もこうありたいなと思わされる氷室作品に通ずるものを感じました

(氷室さんのお墓参りをするのにもすごく時間がかかったと司会の人から聞かれて)私は彼女に作家になって会いたかったところがあって、「あなたの作品は人の人生を変えられるものなんですよ」ということを、自分が作家になることで証明したかったんです。でも、彼女の存命中に叶えられなかった。
お墓参りに行ったのは三回あって、一回目ははじめての本が出版されたとき、二回目が本屋大賞を取ったとき、三回目は『52ヘルツのクジラたち』が映画化が決まったとき。「先生、私、作家になったんです」と胸を張って会いに行けるときだけですね。

小さい頃は「私、絶対に氷室さんに会うんだ」と思っていたんですけど、その夢自体を20代の頃の自分が「いつか小説家になれるでしょ」「いつかがんばればいい」と後伸ばしにしてきたんです
作家ってアスリートと違って、体力とか瞬発力などが最重要項ではないから、油断していたんです。生活が落ち着いたら、自分の時間が取れるようになってから、と夢に向き合わない言い訳ばかりしていたそんなとき、新聞で氷室さんが亡くなられたことを知りました。もちろんショックを受けましたが、その反面悲しんではいけない気がした
夢を手放し、放棄し続けたのは私自身の怠慢です。恩人で、生きる希望とか言っていたのに、口だけ。私の思いって軽薄じゃないか、と自分自身を軽蔑しました。次に、これ以上自分を見限りたくない、呆れ果てたくないと強く思いました。己に対する情けなさを原動力にして書き続けたんじゃないかなと思います。


受賞者スピーチ<準大賞受賞者:桃実さん>

受賞作『やさしい雪が降りますように』

桃実:このたびは氷室冴子青春文学賞準大賞を授けていただきまして、誠にありがとうございます。
エブリスタの皆様、選考委員の皆様、授賞式の開催にご尽力くださいました皆様、すべての方に直接御礼を申し上げたかったのですが、授賞式に出席できず申し訳ございません。
深くお詫び申し上げます。
今回の作品を書き始めるにあたり、氷室冴子先生の名を冠した賞であることから、北海道を取り入れたいという考えに至りました。
私事で恐縮ですが、父方のルーツは北海道虻田郡にございまして、私は幼少の頃から、思い出せないほど何度も北海道を訪れています。雄大な景色がたくさん記憶に刻まれているのですが、遺伝子レベルで好きな羊蹄山を、大昔から変わらない癒しの象徴として描かせていただきました。
前回の授賞式の様子が掲載された記事で、氷室冴子先生が久美沙織先生に仰ったというお言葉が特に印象に残っていますので、引用させていただきます。
「少女小説っていうのは今だけじゃないんだ。来年だけじゃないんだ。五年後十年後に残っていくもの、五年後十年後の少女に届くものを書かないといけないんだよ」
このお言葉を胸に置き、我慢という感情に焦点をあてて、我慢する立場に置かれることの多い少女や子供たちの物語を、私なりの細心の注意をはらって作りました我慢と闘いながら生き続ける人間の強さが、どなたかの心に届くことを願って書き綴ったつもりです。
五年後十年後に残るものを書きたいなどとは、おこがまし過ぎて言えないのですが、そのような意気込みを、絶対に外れないピンで頭に留めて、物語を作り続けたいと思っています。
最後になりますが、もう一度心より御礼を申し上げます。
ありがとうございました。


受賞者スピーチ<大賞受賞者:宇井彩野さん>

受賞作『愛ちゃんのモテる人生』

宇井:このたびは素晴らしい賞とこのような機会をいただき、誠にありがとうございます。
氷室冴子先生について、私が語るうえでやはり外せないと思ったのが『いっぱしの女』というエッセイ集の「レズについて」という章です。
私は近年新版が出た折に読ませていただいたんですが、実際のレズビアンである私としては、そのタイトルを読んだ時点でちょっと身構えてしまう気持ちがありました。
今年ゲイであることを公にカミングアウトしたAAAの與真司郎さんが私と年齢が三つ違いなんですが、彼がセクシャリティを自覚し始めた中学生ぐらいの頃、テレビを見てもバラエティ番組で「オカマ」とか「ホモ」という言葉で笑いものにする情報にしか出会えなかったと話していました。私も世代的にそれがとてもよくわかる気持ちがあります。
『いっぱしの女』の最初の刊行が1992年なので、日本初の「プライドパレード」が開催されるよりも二年前、一体どのようなことが書かれているのかなとドキドキしてしまう気持ちでページを開いたのですが、そこに書かれていたのは映画の中のレズビアン的表象に共感する氷室先生の言葉でした。
引用させていただくと、「女が女に憧れ、その憧れが生きる力になっていく微妙な感情、泣きたくなるような思い――私はそういう感情が好きだし、いくつも経験している。だから、信じている」という言葉でした。
こういう肯定の言葉がひとつでも多く世の中にあることが、セクシャルマイノリティやクィアの私たちにとっては本当に力になるんですね。もちろん時代的なこともあって、今なら差別的な語の扱いになるようなところもありますけれど、当時この文章を読んで勇気づけられたレズビアンの諸先輩方は、それこそ94年のパレードを歩いた中にもきっといたんじゃないかなと想像します。
私は氷室冴子先生の作品を読んでいると、登場人物の少女たちや少年たちに向けて、「どうかそのまま生意気なままのあなたで生きていてね」という願いが込められているような感覚を得ます。これは私自身が作品に込めるものと共通しているように、勝手にですが感じています。私は本当に、愛ちゃんや、愛ちゃんの友人たちのような子たちに、「生きていてほしい」と願っています善悪とかではなくて、ただ私の個人的な感情として、「私はあなたに生きていてほしいんだよ」と思います
今年一年というのは、私たちクィアにとって本当にいろんなことがあった年で、ずっとアクションを続けてきてくださった方たちの努力が少し報われたようなうれしいことがあった一方で、悔しいことや怒ること、とりわけトランスジェンダーの友人たちは日々過酷な立場に立たされていて、とても悲しいことも、本当に私たちの日常の中にあります。
この賞をいただけたことは私にとって、少しだけ世界を変えるチャンスをもらったような、悲しいことがひとつでも取り除ける希望をもらえたことのような気がしています。
最後に感謝の言葉で締めたいのですが、伝えたい感謝が多くて少し長めになります。まず、この度の賞の関係者の皆様や審査をしてくださった先生方、昨日からご一緒させていただいて、皆様がこの氷室冴子青春文学賞を創設から今まで本当にあたたかな愛と熱い気持ちで守り育ててくださったことを肌で感じました。そのことにまず感謝し、私をここへ導いてくれた氷室冴子先生にも感謝を伝えたいです。
いつも私と語り合ってくれる、共にアクションをしてくれる仲間、様々なマイノリティやフェミニストやBLファンの私の友人たち。私の作品は絶対みんなとの語り合いから生まれていると思います。そして、世界中の現実にいる愛ちゃんたちに感謝と愛を伝えて終わりたいと思います。本当にみなさんありがとうございます。


開催時期の変更について<久美沙織さん>

氷室冴子青春文学賞に関心を持っていただきありがとうございます。
このたび、募集案内の発信が遅れ、「なくなってしまったの?」とご心配をおかけしてしまいましたことをお詫びいたします。
なぜ、時期がずれたのか?
実は、もとの開催スケジュールでは、授賞式が大雪に見舞われて、危ぶまれることが複数回あったから、なのです。
受賞者はどちらからおいでになられるかわかりません。
選考委員も、暖かい地方にお住まいかもしれません。
たとえば、うまれてはじめて積もってる雪を見るのが、楽しみです! と言ってくださるのですが、
北海道の中でも豪雪地帯と名高い岩見沢。
降ったばかりの雪は圧雪も除雪もされておらず、寒冷仕様ではない装備では太刀打ちできませんし、凍結路面ははじめてのひとにはゆっくり歩行すら難度が高い。
そしてほんとうに大雪だと飛行機がとびません。
これら、あたりまえのことが、やってみるまでわかりませんでした。
岩見沢のひとたちは岩見沢に慣れているのです。
創設前から関わっていたワタシ久美沙織は盛岡生まれで、北海道とは近いし北国どうしだしと思っていましたが、それでも岩見沢の「ほんとう」には、驚かされることばかり。何度も行ってようやく少しずつわかってきたところです。
氷室(冷凍保存庫)な冴子(キーンとしみるような冷たさや不純物のない氷がどこまでも透き通っているようなさまを表すときに言うコトバ)と自分を名付けた碓井小恵子さまの、ふるさと。
そこで、よりによって真冬に、日本各地からひとを呼ぶイベントを計画するのは、ちょっとばかり不親切で、考えが足りなかったのではないか。
ここまで大きな事故がなかったのは、ただの僥倖なのではないか。
そう思うにいたったため、賞のスケジュールを見直すこととなったのです。
応募者のみなさま、読者のみなさまには、どうぞご理解をお願いいたします。
次のターンは少し時間的猶予をもらえたものになります。
どうぞ、執筆に推敲にさらなるエネルギーを注いで、素晴らしい作品を見せてください。
うんと楽しみにまっています。
くみさおり


第六回氷室冴子青春文学賞」は詳細が決まり次第、「エブリスタ」のサイトや「monokaki」でお知らせしますので、お待ちください。

第四回の選考委員の選評もぜひ参考にしてください

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