作家に必要なのは、知識よりも勇気|「オール讀物」 大沼貴之
「出版社主催の新人賞に作品を投稿し、大賞を受賞してプロデビュー」。小説投稿サイト、文学フリマ、あるいは個人ブログなど、多様な場からの作家デビューが当然となった現在においても、作家志望者が「デビュー」と聞いてまず思い浮かべるのは、この方法なのではないだろうか?
大手出版社の有名な新人賞ともなれば、各回の応募総数は数千から数万にも上る。応募者目線では極端な「狭き門」にうつる選考の裏側で、新人を待ち望む編集部側はいったい何を考え、どのような心持ちでいるのか? 本連載では、その懐とも言うべき内側に入り、応募者の「よくある疑問」を直接尋ね、選考側の真意を聞いていく。
第一回は、今年からWeb応募の受付を開始した「オール讀物新人賞」を主催する「オール讀物」の編集長、大沼貴之氏にお話を伺う。「直木賞に一番近い新人賞」とも言われる同賞が、このタイミングでWeb応募受付を開始した理由とは? 数多の人気作家を世に送り出したきた編集者が求める、「プロ作家の条件」とは? 麹町にある文藝春秋本社で聞いた。
多少粗削りでもいい、オリジナルは教えられない
――「オール讀物新人賞」は1952年に設置。今年で第98回を数える歴史ある新人賞です。時代小説もミステリーも恋愛小説も応募可能ということで、かなり投稿数も多いのではと思うのですが、作品傾向があれば教えてください
大沼:第96回は1,933通、第97回は1,940通の応募をいただきました。
投稿数は毎年大体2,000弱で安定していますね。オール新人賞は原稿用紙50枚(約20,000字弱)以上から応募可能ですが、いわゆる出版社主催の「文学賞」で短編の賞って、いま少なくなってるんですよ。
さらにミステリーや恋愛など、応募の段階でジャンル分けされているものもある。短編で、ノンジャンルで書いている方に応募しやすい賞といえますね。
――ノンジャンルだと、逆に受賞作を選ぶのが難しかったりはしませんか? 多彩なジャンルの小説が集まる中で、「こういった作品を推したい」という基準はどのように定めているのでしょう?
大沼:われわれ編集部が読んでいるのは最終審査に進むまでの段階ですが、やっぱり受賞者にはプロになってほしいんですよね。プロの条件は最低限の文章力、構成力、人物造形力、オリジナリティ。
それはジャンルが変われども、共通しています。たとえばミステリーで賞を取った人が後に歴史小説を書くこともありますし、小説家としての基礎の部分は、ジャンルが違ってもそんなに変わらないと思っています。
――書くこと自体の地力、底力を見ているんですね
大沼:それをわかりたいと思いながら読んでいますね。一方で、プロとしてやっていくには、「その人にしか書けないもの」がないと戦えないじゃないですか?
お金を出して買ってもらうためには、その人なりの世界がないと生き抜いていけない。「自分にしか書けないものって何だろう」ということに向き合って書かれた作品は、やっぱり良いものが多いんじゃないかな。
――「読み物」という大きな括りで言えば、いまはネット上も含めて無限に近いテキストがありますもんね
大沼:そういう意味では、多少粗削りでもいいわけです。小説は書いていく中で直していくものだし、上手くなっていくもの。そのために編集者がいるわけですから。
ただ、編集者は何がオリジナルなのか気付かせることはできるかもしれないけど、究極は著者にしかわからない。書く前に、そことどう向き合えるかじゃないかと思います。
新人賞はコンペなので、同じようなものがあったら、両方とも一緒に落ちてしまうこともあります。似たものがある時点で「この程度か」となってしまう。
「オール讀物なんてまったく知らない」人に出会いたい
――今回からWeb応募の受付を開始されています。どういった経緯で実現となったのでしょう?
大沼:そんなにたいそうな理由じゃなくて、「50枚でもプリントアウトにするのって大変だな」って気づいたんです(笑)。僕が「オール讀物」に来た2年目の去年に提案して、今回の募集から実現しました。
今までは「作品を書き上げて、印刷して、表書きをつけて、郵送する」というハードルを設けて、「そこまでしてでも送ってください」ということだった。それよりは投稿の垣根を低くして、「もっといろんな層の人に送ってもらった方がいいんじゃない?」と。
――フォーマットが増えることで、新しい、若い作家との出会いにも期待できそうですね
大沼:98回もやってると、ある種の型ができてくるところもあって、こっちの考えすぎかもしれないですけど、傾向を読まれてくる方もいらっしゃる。
これまでは「オール讀物」本誌を見るか、公募雑誌を見て応募してくる方が大半だったと思うんですが、全然違うところでオール新人賞があると知って、応募してくる方がいてもいいなと思ったんです。
Web応募を受け付けることで、「オール讀物なんてまったく知らない」という人が、50枚なら書いてくださる可能性があるじゃないですか?
――Web上で小説を発表しているけれど、紙の新人賞には応募したことがない方もいらっしゃいます。「オール讀物を知らない人にも送ってきてほしい」というのは、とても強いメッセージですね
大沼:「この選考委員に読んでほしい」という気持ちでは送ってほしいですけどね。有栖川有栖さんに読んでほしいとか、安部龍太郎さんに読んでほしいとか。そのために雑誌は読んでほしいけど、応募のきっかけは何でもいい。作品を応募してから雑誌を読んでもらうんでもいいし。
――「こういう作品がほしいな」という作品像や、作家像ってありますか
大沼:抽象的なところからいくと、やっぱり「新しい発見」がほしいんですよ。
直木賞をとった門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』が画期的なのは、宮沢賢治の父親を書いたこと。
レジェンドとして神格化されている賢治も、父親から見ればいつまでも自立できない、駄目な男なわけです。それを父親がどう思っていたのか。「宮沢賢治」という皆が知っているテーマでも、切り方が違うとこんなに違う。新人賞だからこそ、常識にとらわれない角度のつけ方を見つけてほしい。
たとえば、昨年鮎川哲也賞をとった『屍人荘の殺人』って、すごく盛り上がってるじゃないですか。
――いわゆる新本格の筋立ての中で、新しい形の「クローズド・サークル」を提示していて、このトリックはアリなのかナシなのかも含めて、議論になっていますね
大沼:議論になるくらい、素晴らしいアイディアだと思うんですよね。今の時代だからこそ受け入れられたトリックなのかもしれないし。
それを歴史小説で門井さんが成し遂げたように、恋愛小説でも何かあると思うし。
恋愛ひとつとっても、同じ恋愛はないわけですから。「青春の悩み」と言っちゃうとダサいけど、10人いたら10人の青春は違う。自分なりの見せ方をしてくれる作品に出会えたときが嬉しいですね。それをいわゆる「新しい才能」というんでしょう。
――過去の受賞作で、「これは新しい才能だ!」と特に感じた作品があれば教えてください
大沼:僕は当時まだオール編集部にはいませんでしたが、石田衣良さんの『池袋ウェストゲートパーク』も、やっぱり出たときは「すごいな」と思いました。マコトという一人称から始まって、風俗をこう切り取って……って、「こんなにカッコいい小説があるんだ!」という喜びがあった。
これは応募作にしてヒット作という稀有な例ですが、小説にはまだまだできることがたくさんあるはずです。
「定型を知っている人」の根っこの深さ
大沼:「自分なりの見せ方をしてくれる人」がほしい作家像の一つだとすると、もう一つは、「ものすごく定型を知っている人」。スタンダードを知っている人。「この人の根っこは深いな、よく本読んでるな」と思えた作品に出会えたときも、一つの喜びですね。
たとえば2002年にオール新人賞を受賞した桜木紫乃さんの「雪虫」は、けして奇抜な話ではないんですよ。
釧路の酪農家の話で、牧草が積まれた牛舎の中で男女がまぐわったりするんだけど、「この人は多くの本を読んで、いろんな文学に触れてきて、いま自分なりの何かをしようとしているんだ」という根っこの深さを読み手に感じさせる。それもまた、「自分に何ができるか」に真剣に向き合った結果だと思います。
――読んできた本はみんな違いますもんね。100人いれば、直近読んだ100冊はみんな違う
大沼:読んだ作品は全員違うし、同じ作品でもどういう年代で読んだのか、どういうシチュエーションで読んだのかが違う。出てくるものが同じなはずはないんです。
でもどうしても、傾向を読んじゃったりするじゃないですか? それは「置きにきてるな」という作品になりますよね。そこに将来性を感じる場合もあるのかもしれないですけど、なかなか難しい。
――逆に言えば、「いままでたくさんの本を読んできた」というだけでも、応募の資格としては十分だと。特殊な経験をしていなくても、執筆歴がない人でも、初めて書いて「オール讀物新人賞」に出してもいいわけですよね
大沼:特殊な経験なんて全然要らないし、多くの作家はしていないと思います。
たとえば湊かなえさんは、教師をやって、主婦になって、それから小説を書き始めて、あれだけ人の心の奥に入っていける作品を書かれている。
作家ってすごい商売ですよね。でもなれる人はハッキリしてるんです。なれる人はなれる、なれない人はなれない。いい加減に聞こえるかもしれないですけど、物を書いて商売できる人はいるのかもしれないけど、「作家になれる人」と「そうじゃない人」はハッキリしてます。
――それは何の違いなんでしょうか
大沼:「物語を作り上げる」というのは、やっぱり大変なことだと思います。よく言うじゃないですか、「誰しも人生に一冊は本を書ける」と。それでも、書いたものが面白いかどうかというのはあって。物語を小説として立ち上げることは、できる人とできない人がいる。狭い門ではないが、書けない人は書けない。
――本連載では作家志望者の背中を押したいというねらいがあるのですが、逆に怖気ついてしまいそうです……
大沼:でもそれは、スポーツでも何でも一緒じゃないですか? 新人賞の最終候補になるって、いわば甲子園に出るようなものです。
甲子園に毎年50チームくらい、たくさんの選手が出るけれど、あの場に行けるのも野球人口からすると一握りですよね。さらにプロになれるのは、そこからほんの一握り。それくらいの絞り込まれ方はすると思います。
面白いのは、じゃあいい指導者について努力できたら書けるかというと、そうとも限らない。
今回、芥川賞をとった二人が同じ小説講座に通っていると話題になりましたが、その講座を受けてる人全員が芥川賞をとれるわけじゃない。何か違いがあるんです。
――創作はどこまでが才能で、どこまでが努力なのか。個人的にも、非常に関心のあるテーマです
大沼:わからないですね。「努力する才能」もありますし、才能だけじゃなく、努力は必要だと思います。
ただ、才能が1%でもない人は無理だと思います。とはいっても、書かなければ門は開かれないので、「書いて世に出たい」と思う以上は、書き続けるしかないと思います。
もしオール新人賞への投稿を考えていただいているのであれば、過去の受賞作を読んでもらえれば、「なるほど、大沼が言っていたのはこういうことか」とわかると思います。
「苦しいのは自分だけじゃない」とわかるのが選評
――ほかに、いま書きあぐねていたり、行き詰っている書き手に向けてメッセージがあればお願いします
大沼:選評を読むといいと思います。選評を読むと、「プロってこういう見方をするんだなぁ」とわかるので。
オール新人賞の選評でもいいですし、直木賞の選評だったら、候補作も全作読めます。
行き詰っているときに知っていてほしいのは、プロの作家だからといって、けして楽に書いているわけではないこと。 プロの作家だって皆さんと同じか、それ以上の苦労をして書いているんです。
――完成された作品だけ読んでいると、ついプロはさらさらと書いている気がしてしまいますよね
大沼:いやぁ~……プロの作家も、本当にみんな苦しんでますよ。自分をさらけ出さないと書けないことって出てくるじゃないですか?それは結局、自分を傷つけることにもなるわけです。それでも書かないと伝わらないと思うから、書く。そうやって書かれた作品が共感を生んでるんです。
苦しんで書くことを続けてきた人たちが、最終的に文学賞の選考委員にまでなってる。その人たちにしてみれば、自分をさらけ出していない作品は「この程度なわけ?」と思われてもしょうがない。
選評を読むと、プロは踏み込みの度合いの深さ/甘さを見ていると、よくわかると思います。そこに踏み込むために必要なのは、知識というよりも勇気です。
――勇気! 「新しいものの見方」、「定型をよく知るだけの読書量」とも、また違った武器ですね
大沼:僕ら編集者は、作家から原稿をいただいたらすぐに返事をします。これは、海老沢泰久さんという作家からキツク言われたことなんです。「大沼君、編集者は原稿が届いたら、必ずすぐに読んで返事をするんだ。それはベテラン作家だろうが、新人だろうが関係ない。作家は、すぐに読んで欲しいんだ」と。僕がお返事が遅れて、怒鳴られたんですよ。作品が面白いのか、直してほしいのか、それに対して早く答えてあげるのは編集者の重要な仕事のひとつです。原稿はいわば、生まれたばっかりの子ども、どんな子なのかもわかんない。その不安と戦い続けている人がプロの作家です。
――プロの作家ですらそれだけの不安を戦っていて、いわんや、アマチュアをや……
大沼:今まで書いてない人が、すぐに評価されないのは当たり前のことであって、苦しいのは自分だけじゃない。直木賞にノミネートされるような、書く人からしたらプロ作家の中でもさらに選ばれた人たちでも、それだけ厳しいことを選評で言われるんですよ。
――投稿サイトは、「頑張って書いてるのは自分だけじゃない」とボトムアップで思える場だと思っていたんですが、直木賞や新人賞の選評は「こんなに上手な人たちも苦しんでいるんだ」という、トップダウンの「自分だけじゃない」なのかもしれないですね
大沼:かつて同人誌が担っていた役割を、今は投稿サイトがおやりになっているのかなと思います。
孤独だからいいもんが書けるわけじゃないけど、書いてる間は孤独なわけですからね。
ですから、投稿された作品のレビューが読めるのは励みになると思います。僕らとしては、過去の選評や受賞作を読んでもらい、「最終選考に残った人でもこんなに言われちゃうんだ」「自分だけじゃないな、苦しいのは」と、思ってもらえればいいかな、と思います。
(インタビュー・構成:monokaki編集部、写真:鈴木智哉)
*本記事は、2018年03月01日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。