90年代ウェブ小説の書籍化|飯田一史
オンライン小説の歴史は、パソコン通信やインターネットなどオンライン通信の歴史と同じくらいの長さがある。
たとえば1981年元旦に発足した小田原マイコンクラブのBBS「マイコンセンター」上に原田えりかによって85年8月頃から約3年にわたって毎日、全1038回書かれたSFファンタジー「シシャノミルユメ」がおそらく日本初のオンライン連載小説だろうと目されている(小口覺『パソコン通信開拓者伝説』小学館、98年、48-52p)。
本来ならばストレートにオンライン小説、なかでもWWW(ワールドワイドウェブ)上に書かれたウェブ小説の歴史自体を辿っていきたいところだが、サイトや作品は時代とともに消えていくことが多く、のちの世の人間が整理することは難しい。
そこで、この連載では奥付が刻印される「本」を軸に確実に辿ることのできる「ウェブ小説書籍化の歴史」、つまりウェブに書かれた小説はいかにして本になってきたのか、ネット発の小説をどのように出版業界はビジネスにしてきたのかについて見ていくことにしたい。
2021年現在では、世の中的には、ウェブ小説といって真っ先に思い浮かぶものは「なろう系」「異世界転生」というイメージが根強くあるだろう。実際にはなろうでは転生・転移以外のファンタジーや、現代を舞台にしたラブコメも増え、なろう以外のウェブ小説サイトには、それぞれなろうとは異なる強いジャンルがあるにもかかわらず、だ。
まず今回は転生ブームが起こるはるか以前、90年代のウェブ小説と出版業界の関わりはどんなものだったかを見ていきたい。
今日ではネット上の多くの書き手が書籍化を目指して小説を書いているが、「ウェブで人気になれば書籍化のオファーが来る」のは、決して当たり前のことではなかった。
小説らしい小説「神様」とハイパーリンクを活用した小説『ペプシマン』
「ウェブ小説」の意味を「ワールドワイドウェブ上に書かれた小説」とすると微妙なラインの小説と出版物との関係が、90年代にはいくつか見られる。
この手の話で必ず挙がるのは、筒井康隆が朝日新聞に91年10月から92年3月まで連載した『朝のガスパール』がパソコン通信での読者とのやりとりと併走したものであり、一種の読者参加型メタフィクションであったことだ。ただパソコン通信はWWWではない(パソコン通信は一箇所のホストコンピュータに情報を集中するしくみだが、インターネットは違う)。
また、筒井自身がパソコン通信上に小説を書いたわけでもない。これに一番近いのは竜騎士07が同人ノベルゲーム『ひぐらしのなく頃に』(02年夏開始)や『うみねこのなく頃に』(07年夏開始)制作時に、膨大な数の読者がウェブ上に書いた推理を読み込んだ上で執筆した――物語自体はウェブ上ではなくパッケージで展開――というものだろう。『朝のガスパール』の執筆スタイルは、いまわれわれが「ウェブ小説」と言ったときに想像するようなものではない。
次に挙がるのは94年に川上弘美「神様」が第1回パスカル短篇文学新人賞を受賞してウェブ(ASAHIネットのサイト上)に掲載され、同作などを収録した『パスカルへの道 第1回パスカル短篇文学新人賞』(中央公論社)が94年10月に刊行され、川上単独名義での同名の単行本が98年9月に刊行された、というものだ。
おそらく自費出版以外では中公から94年に出た本が最古(少なくとも「最初期」)のウェブ小説書籍化だろう。ただこれはウェブが初出と言っても選考委員の筒井康隆、小林恭二、井上やすしに選ばれたものを載せており、作家が個人サイトや投稿サイトに掲載したものではない。
内容的にも「神様」は純文学然とした「小説らしい小説」であり、インターネットが初出だという雰囲気はまるでない。
「小説らしい小説」がネットに連載されて本になった初期の事例としてはほかに、純文学作家の大西巨人が97年2月から個人サイト上に書き始めた社会派推理小説風の枠組みを借りた純文学作品『深淵』がある。同作は03年10月末に完結し、光文社から04年1月に発売されている。同作のように、90年代ウェブ小説は2000年代に入らないと本になっていないものが大半だった。川上弘美や次に述べる『ペプシマン』は非常に例外的なケースである。
筒井、川上と比べると語られることは少ないものの、著者P.E.P、監修鴻上尚史『ペプシマン〈インターネット小説〉』(ぶんか社)が96年9月に刊行されている。これはペプシコーラのサイト上に鴻上が冒頭だけ書いたペプシマンを主役にした小説の続き(短編)をメールで書いて投稿すると鴻上が優秀作をいくつか掲載、さらにその続きも募って投稿作から選ぶ……というストーリー分岐型のリレー小説を掲載したのち、ゲームブック風に書籍化したものだ。
「インターネットのおもしろさはハイパーリンクでどんどん飛んでいけることだ! これを使えば新しい小説表現ができる!」という興奮に満ちているが、本の仕上がりは選択肢を選んで進んでいくゲームブックと大差なく、どうも同様の試みは続かなかったようだ。
ただ、こんにちウェブ小説と聞いて連想されるであろう「単一の作者による、リニアな物語」ではない「複数の作家が書いた、ストーリーが分岐する小説」の可能性がこの時期に模索され、本にもなっていたことは特筆すべき事態である(そもそも今の小説投稿サイトでは仕様上こういう試みは困難でもある)。
ネットが初出である必然性もなければネットカルチャー的な空気もまったくまとっていない「神様」と、ネットの特徴を活かした遊びに満ちた『ペプシマン』という対照的な書籍化が90年代半ばには生まれたことになる。
e-NOVELSから生まれた電子書籍初出の紙の小説『黄昏ホテル』
「無料のウェブサイトに投稿された作品を書籍化する」ビジネスモデルではなく、井上夢人らが中心となっておもにミステリー系の「プロ作家が小説や評論の電子書籍(pdf)を販売する」モデルを採用したe-NOVELSが、99年10月から始まっている。
iPadのようなタブレットデバイスもまだ登場しておらず、ネットでオンラインコンテンツを買い物する習慣も根付いていない時代ゆえに販売には苦戦し、2007年9月からソニー系列の電子書籍配信サイト「TimeBookTown」(株式会社タイムブックタウン運営)に作品が委託されるも、同サービス自体が09年2月末に終了している――その翌年2010年にはiPad登場によって何度目かの「電子書籍元年」と言われることになるのは皮肉だが。
e-NOVELSからは、あるホテルを舞台に篠田真由美、笠井潔ら20人の作家が競作(シェアード・ワールド)した『黄昏ホテル』が小学館から2004年11月に刊行されている。この本は、すでにほかに本を書いているいわゆるプロの作家が手がけた電子書籍を初出とする作品が商業出版された比較的初期の例だろう(のちの回で述べる「新潮ケータイ文庫」発で書籍化された作品と近い時期の書籍化である)。
ただ『黄昏ホテル』は有料のpdf電子書籍を初出にしたあと本にしたものであって「ウェブ小説の書籍化」とみなすかは「ウェブ小説」をどう定義するかによる。筆者はいわゆる電子書店上で販売される「電子書籍」とネット上で書かれ、読むことのできる「ウェブ小説」は分けた方がよいという立場に立つため、e-NOVELSは電子書籍ではあってもウェブ小説ではないと考えているが、90年代から「プロ作家がネット上に作品を発表(し、のちに書籍化される)」という事例があったことは紹介しておきたい。
90年代に書かれ2000年代に書籍化された『錬金術師ゲンドウ』『空の境界』
ほかに90年代ウェブ小説でのちに書籍化された作品で、今日から見て重要な作品がふたつある。
ひとつめは95年夏にパソコン通信上で脱稿された『新世紀エヴァンゲリオン』の二次創作「錬金術師ゲンドウ」だ。これは2003年12月から『福音の少年 Good News Boy ~錬金術師の息子~』としてぺんぎん書房から3冊刊行され、同社倒産ののち07年6月から徳間デュアル文庫で9巻刊行された。
もちろん二次創作をそのまま出すのは著作権的にアウトだから、キャラ名や設定を変更した上での出版である。この作品の存在は「ウェブ小説の二次創作との近さ」を示す一例であり、また、「二次創作の名作をキャラ名を変えて出版する」という手法は、のちのやる夫スレ書籍化(2019年9月~)などに継承されている。
ふたつめの重要作は、98年10月から奈須きのこが同人サークル「竹箒」のサイト上に連載した『空の境界式』(のちの『空の境界』)だ。
この作品は、ウェブ連載ののち99年夏のコミックマーケットでコピー誌を制作するも少部数しか売れず、しかし第1話から第4話までが01年1月発売の同人ソフト『月姫PLUS-DISC』に再録されたことで『月姫』ファンに知られるようになり、01年12月冬のコミケで同人版書籍を発売(なお、余談ながらTYPE-MOONが01年8月に頒布したファンディスク『歌月十夜』には一般募集したシナリオの優秀作も収録されており、のちに『オーバーロード』を書く丸山くがねが書いたシナリオ「黎明」も採用されている)。
この同人版『空の境界』が講談社ノベルスオマージュの装丁だったことをきっかけに04年6月に講談社ノベルスにて商業出版されることになる。
『空の境界』がこんにちの目から見て興味深いのは、講談社から刊行されたときに「伝説の同人誌を書籍化」的な扱いはされていても「ウェブ小説書籍化」とは謳われていなかったことだ。「ネット発」であることより、コミケを中心として、とらのあななどオタクショップなどでも展開される「同人シーン発」であることのほうが2004年時点でははるかにウリになった、ということだ。
ただし、「ネット発」と「同人シーン発」は構造的には似ている。
書き手が出版社の編集者や商業出版の流通を通さず自ら出したものを、受け手側が見つけて広がっていく(それがきっかけで商業出版につながることもある)、というものだからだ。
作家が書いた作品が編集者のジャッジを経て読者に届けられるのではなく、まず作家と読者が直接つながり、そこで評価されたものが編集者に発見されて商業出版される。
本連載のこの後の回で後述していくが、同人、自費出版、ケータイ小説など2000年代前半からこの種の試みが増えていく。そして2010年代にはウェブ小説書籍化というかたちで爆発的に花開くことになる。
もう一点『空の境界』に絡めて付け加えておけば、90年代~2000年代前半まではウェブで文章を書いている人間がエロゲー制作にリクルーティングされる/乗り出すことは、TYPE-MOON以外にも、いわゆる「テキストサイト」(おもしろおかしいネタを綴る個人サイト)を運営していたヤマグチノボルや桑島由一、二次創作を書いていた鋼屋ジンや東出祐一郎、奈良原一鉄など数多い。
ネットの文字書きからエロゲーのシナリオライターへ起用され、そしてラノベも手がけるようになる、という作家は2000年代にはいくつも見られた。
逆に言えば「錬金術師ゲンドウ」パターンはきわめて例外的だった。マンガ、アニメ、ゲームの影響を受けた広い意味でのライトノベル的な内容のウェブ小説がストレートに本になって商業デビューするケースは、2000年代までは数えるほどしかなかった。
2000年に『平安京八卦』(出版時タイトルは『陰陽ノ京』)で第7回電撃ゲーム小説大賞(現・電撃小説大賞)の金賞を受賞し、2001年2月に同作でデビューを果たす渡瀬草一郎は個人サイト「草一屋」を運営。
狂気太郎名義で97年からウェブで小説を書いていた灰崎抗は第1回ムー伝奇ノベル大賞優秀賞を受賞して02年1月に『想師―EXPLORER IN THE VISIONARY WORLD』でデビュー。
『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』で01年11月にデビューした滝本竜彦もエヴァの二次創作や日記サイトを経てオリジナル小説をウェブで書いていたが、いずれもウェブに書いた小説がそのまま書籍化されたわけではない。
ここまででわかるように、90年代ウェブ小説では異世界転生もので書籍化された作品はひとつもない。そして実は、おそらく2000年代前半までにも、おそらくひとつもない。どころか90年代には小説投稿サイト発の書籍化作品も存在していなかった――投稿サイト自体が未整備だったからだ。
『空の境界 the Garden of sinners 20周年記念版 通常版(上)』
著者:奈須きのこ イラスト:武内崇 講談社
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『空の境界 the Garden of sinners 20周年記念版 通常版(下)』
著者:奈須きのこ イラスト:武内崇 講談社
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