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「自分が読みたいもの」を突き詰めると、扉が開く|深緑野分 インタビュー

暇な時間ができると、祖母は玄関先のポーチにあるロッキングチェアに座ってゆらゆら揺れながら、アイスティーを片手にのんびり外を眺めた。舗装された道路を丸っこい形のフォード車が走り、緑の茂みは湿気に潤い、隣の家の二階からジャズが流れてくる。トランペットとドラムのはずむ音色に指先でリズムを取る祖母を、玄関の網戸越しに観察していると、僕の視線に気づいた彼女は振り向き、決まってこう言うのだ。

 「五感に訴える文章」はこう書くのだ、というお手本のようなプロローグ。網戸越しに見える祖母の姿、管楽器の音色、氷で薄まったアイスティーの味、排気ガスの匂い、夕方の気怠い空気――
 この文章が、1920年代にルイジアナに生まれた白人男性作家が書いたものの翻訳だと言われても、きっとわたしは信じただろう。しかし著者プロフィールを確認すると、自分と同年代の、同国の、同性の作家の来歴がそこにあった。深緑野分、1983年神奈川県生まれ。

 時代も国も異なる世界の風景を、こんなにも克明に描きだすことがなぜ可能なのか?
 最新刊『ベルリンは晴れているか』もまた、1940年代の戦中・戦後ドイツを舞台にしているという。校了直前の作業中の著者を訪ねて、直接疑問をぶつけてみた。

初めてちゃんと完成させたのが「オーブランの少女」

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――初めて小説を書かれたときのエピソードがありましたら教えてください

深緑:中学生の時に、少年犯罪に関する作文の宿題に小説を書いて提出しました。当時重松清さんの本を読んでいて、思いっきり影響されて書いたのが最初ですかね。次に完成させたのも高校の作文の課題で。子どもを作るのに人工授精が普通になっている近未来の世界が舞台で、何枚ぐらい書いたのか、結末がどうなったのかまったく覚えてないんですが、それも少年犯罪ものでした。

――そのまま作家デビューをめざして書いていかれるんでしょうか

深緑:群ようこさんが好きで、30枚ぐらいの短編を書いたりはしていたんですが、全然小説家になるつもりはなくて。どちらかというと映画を撮りたかったので、コンテを切ったりする方が多かったです。最終的に「小説を投稿して小説家になろう」と考えたのは、デビューの1・2年前でした。ちゃんと小説として完成させたのは「オーブランの少女」が初めてです。あれはまるまる1年かかっていて、かなり時間をかけてますね。

――1年も! 最初に書こうと思ったものと、最終的な仕上がりに違いはありますか

深緑:もともと書いてみようと思っていた長編の作中作が「オーブランの少女」だったんです。最初に考えていた構想だと、警察が主人公で捜査を進めていくんですが、それだと長すぎちゃうし、海外の警察の仕組みを調べるやり方もわからなくて、今のような語り手にしました。書き上がったのは応募〆切のギリギリ前ですね。書き始めてから1年、形が固まってからは9か月ぐらいかかってます。

――作品を書かれる際は、どういったところから物語を着想されるんですか?

深緑:「オーブランの少女」は、ある雑誌に掲載されていた、藤棚にキングサリの花がわーっと並んでいる写真を見て思いつきました。写真だったり、絵だったり、誰かの一言だったり……と、作品によって様々ですね。あとは資料を調べてるときに「これおもしろそうだな」って読む手が止まったエピソードを次作のアイデアにしたり。最近は明治・大正くらいの大衆食堂に関する資料を読んでるんですけど、それもすごくおもしろくて、「こういうのは話になるな」と思ってます。


資料はとにかく当たれるだけ当たる

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――リアルな生活描写にいつも引き込まれるのですが、資料調査の際に心掛けられていることはありますか

深緑:当たれるだけ当たること、できることはやること、ですね。「オーブランの少女」の頃は、今と比べるとまったくというほど調べてなかったんです。とにかく想像力が暴走するままに書いて、事実は少しだけ合わせたのが「オーブランの少女」でした。『戦場のコックたち』も今に比べるとやっぱりまだだな、と。その時々でやれることはやっているつもりだけど、毎回「あの時もうちょっとやっておくべきだったのに……」となります。

――巻末に膨大な量の参考資料が掲載されていますが、それでも後悔は残るんですね

深緑:私ごときは本当に全然です!『戦場のコックたち』まではほぼ一人でやってたんですけど、さすがに粗が出るので、色々な方にアドバイスを頂きに行きました。最近はどうしてもわからない点があって、再校の直前に、アニメを中心に考証をやってらっしゃる白土晴一さんからご意見を伺ったり。知識の量が5桁ぐらい違うんです。「このことってわかりますか?」と聞いたら「ちょっと待ってて」と言われて、次の日にはメールでバーッと教えてくださる。どうやって調べてるんだろう!? って。

――自分の暮らしから離れた世界観を書こうとすると、どうしても細部はぼんやりしがちだと思うんですが、想像の段階でシーンは映像として見えてるんですか?

深緑:ええ、完全に映像ですね。でもフレームの中にものをおさめるのがわたしにはすごく難しくて、漫画も描けないし、コンテを切るのが下手だったから映画を作るのも諦めたんです。ただ世界は頭の中で作れるので、その世界を見て書いていく。夢の中にいるみたいな感じです。

――資料は全部読み込んでから執筆開始されますか? 書きながらも読んでいくのでしょうか

深緑:ずっと同時進行でやってます。資料を読んで自分の想像が間違っていたら訂正したり、逆に自分の想像のほうがおもしろかったら、申し訳ないけど史実はちょっと脇に置いといて……と想像の方に寄せたり


チャラい人は書きやすい

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――新作『ベルリンは晴れているか』の構想はいつ頃からされていたのでしょう

深緑:『分かれ道ノストラダムス』が責了したタイミングなので、2016年の秋ぐらいかな。「戦後ベルリンを舞台に、ここからここまで歩く」というのは最初から出ていました。ただ話は全然違って、最初はカフカが主人公だったんです。アウグステは意味深なことばっかり言う占い師の女の子で、『エーミールと探偵たち』じゃなくてタロットカードを持っていた。改稿の段階で占いの意味がなくなってきてしまったので小説に変えて、もっと等身大の、傷ついている孤独な女の子になりました。

――途中から主人公をアウグステにしようと思われた理由は?

深緑:カフカを主人公にすると、物語としてちょっともったいない感じがしたんですね。それにアウグステの方が読者の共感を呼びやすい。でもカフカはすごく書きやすかったんですよ。『戦場のコックたち』のライナスもそうなんですが、チャラい人は自分の性に合うのか書きやすいです(笑)。

――書き進めながら主人公が変わったり、キャラの設定も変えていかれるんですね

深緑:自分の中ではけっこう細かく裏設定があるんですが、いわゆる「キャラクター設定」を紙に書くことはあまりしていません。あるていど固まったキャラクターをいったん自由にして、頭の中で転がしつつ書いていくとそれがどんどん膨らんで、肉体を持つようになる。このキャラはこういう考えを持ち、それが肉体に備わっていて、だからこの人はこういう服を選ぶし、こういう髪形になる、というような。

――「考え」と「肉体」が先にあって、それが細部に落ちていく?

深緑:服のどういうところに汚れが付くかとか、出自がこうだから喋り方はこうだろう……という風に転がしていきます。こういうタイプの人間がほかの人間と会ったらどうなるんだろう? とか。キャラクターが二人いたら、この二人は仲良くなるのか、ならないのか。すぐに打ち解けるのか、時間が経ってから仲良くなるのか、それともずっと打ち解けないのか。そういうことを、プラモデルの汚れをつけるみたいにして膨らませていく。


終戦は青空のイメージと密接につながっている

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――戦後のベルリンという舞台もたまらなく魅力的です

深緑:前にテレビか何かで、会社員や中年の男性たちが列をなしてアメリカ軍のタイムカードを押している、戦後ベルリンの映像を見たんです。並んでいる人たちも、妙に気が抜けたような、自分で自分がおかしいみたいな表情をしていて、それがおもしろかった。戦後の日本にはアメリカしか来なかったけど、ドイツには4か国が来て、しかもその中にソ連がいる。そのあと東西が分断されていく歴史も含めて、すごい街だなと。

――実際にご取材にも行かれたんですよね。現地で印象的だったことはありますか

深緑:とにかく道が広くてまっすぐで、街の見晴らしがいいことですね。建物が大きくてどっしりしてるのに、がらんとしている。ロンドンやNYと違って、華やかな感じがまったくない。あと東側にはソ連がやったことがいまだに残っていて、街の中に自分たちの文化じゃないものが入ってくる感覚は、現地に行くとよくわかりました。

――映画の街・バーベルスベルクは当初からプロットに入っていたのでしょうか?

深緑:そうです。どこかに行かせるならバーベルスベルクだろうなって。ベルリンから道がつながっていて、ポツダム宮殿からも歩いて行ける距離でもあります。戦争の罪責を描く上で「演技をする」とか「装う」メタファーとして使いやすいのがバーベルスベルクでした

――『ベルリンは晴れているか』というタイトルは初期からあったんですか?

深緑:寝起きに思いついたんですよね。最初はもっと重いタイトルをつけようかと言っていて。「魔女の鉄槌」をラテン語で「Malleus maleficarum」というので、それにちなんだものも考えたんですけど、かっこよすぎる。ふっと寝起きに『ベルリンは晴れているか』でいいんじゃないかなって。敗戦の気配が濃くなった頃にヒトラーが言ったとされる「パリは燃えているか」も彷彿とするし。

――要所要所で青空が印象的に描かれる作品なので、最初から決まっていたのかと思いました!

深緑:意識的に晴れさせたのはあります。当時のベルリンの実際の天気はあえて調べていなくて。日本の終戦、敗戦のイメージって「晴れ」ですよね。久世光彦が書いていたんですが、どこの終戦の日を描いたものを読んでも雨のイメージがない。この日は日本全国晴れていたんじゃないか、と。陽性の晴天ではなく、荒廃した街と晴天が醸し出す物悲しさというか、乾いた虚脱感というか。ドイツの話なんですけど、日本人にとって「終戦、敗戦」と「青空」はかなり密接に繋がっている、その感覚はあります。


自分の心の声を信用した方がいい

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――新作が出たての時期なんですが……これから書いていきたいと思う作品はありますか

深緑:いろいろあって、死ぬまでに何本書けるんだろうと思うとちょっと怖いんですけど……。近代の日本も書いてみたいし、中世の写本の話も書いてみたいし、調べるのが大変なので保留し続けているのがいくつかあります。あとタイトルだけ浮かんでて、これからどうするんだ? というのもあったり。基本的に歴史に関わるものが多いのかな。

――群ようこさんがお好きという話がありましたが、短編はいかがでしょう

深緑:「ひとりでご飯を食べること」に特化した短編集を書きたいなと密かに思ってます。
とある版元の編集者さんが中国に留学中、寮の子たちがみんな春節で実家に帰ってしまって、ひとり残った寮で餃子を作って、湯気がワ~と立っている中で年が明けた……という話をツイッターに書いてらして、すごくいい話だなって。そういう「ひとりでご飯を食べるシチュエーション」を掘り下げた話を書いてみたい。30代ぐらいの人が、寝際の何にも読みたくないようなときに読んで、たのしめるものを書きたいなと思ってます。

――アイデアをたくさんお持ちなんですね。スランプになることはありませんか?

深緑:年がら年中スランプというか、できないって思いながらやってます! 1日1回は「私はもうダメだ!」ってベッドに飛び込んで、「自分は何もできない!」とひとしきり叫んでから、よいしょって戻ってまた書き出す
性というか、たぶん話を書いてないと気が済まないんですよね。小説という形じゃなくても、話を思いついてしまうのが癖なんです。ちっちゃい頃からずっとそれだけが自分の頭の中にあったので、転がりながらも次の展開がわーっと出てくるから、「しょうがない、書くか」ってなってしまう。ずっとうまく書けてないんだけど、自転車操業的にやれることをやっています。

――最後に、物書き志望の方に「これだけはやっておいた方がいい」というアドバイスがあればお願いします

深緑:本を読んだり映画を観たりするときに、人から薦められた作品ももちろんいいんだけど、「自分で選ぶ」ことがすごく大事だと思います。「こういう話を書くから参考資料読まないと」とか、「小説家になりたいからこれは読んでおかないと」とかの義務感ではなく、アンテナを高く伸ばして「自分が読みたいもの」とか「自分が見たいもの」を見つけて突き詰めていくと、フッと扉が開く瞬間がある。

――普段からご自身も心掛けていることなんですね

深緑:子どもの頃からずっとやっていることで、結果的に一番、今に繋がっていることですね。自分の心の声を信用した方がいいです。時間はかかるけど、自分だけの感性が育つので。

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(インタビュー・構成:有田真代、写真:鈴木智哉)


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『ベルリンは晴れているか』
1945年7月。ナチス・ドイツが戦争に敗れ米ソ英仏の4ヵ国統治下におかれたベルリン。ソ連と西側諸国が対立しつつある状況下で、ドイツ人少女アウグステの恩人にあたる男が、ソ連領域で米国製の歯磨き粉に含まれた毒により不審な死を遂げる。米国の兵員食堂で働くアウグステは疑いの目を向けられつつ、彼の甥に訃報を伝えるべく旅立つ。しかしなぜか陽気な泥棒を道連れにする羽目になり――ふたりはそれぞれの思惑を胸に、荒廃した街を歩きはじめる。


*本記事は、2018年09月06日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。

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