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「世界との折り合いが悪い人たち」に寄り添う|凪良ゆう インタビュー

 作家の新たな一面に気付かされるような作品に出会うことは、小説を読んでいく中でも特に幸せな体験のひとつだ。それが大好きな作家なら、なおさら。

 今年、書店の新刊台に平積みにされている『流浪の月』を手に取り、凪良ゆうという作家を「再発見」した、あるいはとうとう「出会った」読者は多いだろう。暗色のテーブルに載せられたストロベリーアイスクリームの装丁は、まるで作家が持つ人間洞察の深さと、生活描写の甘やかさそのものだ。

 BL作家としてキャリアをスタートさせ、近年ノベルスや文芸書の分野でも刊行が続いている。最新刊『わたしの美しい庭』を準備中の氏に、紅葉がはじまる前の初秋の京都でお話を聞いた。

「小説でプロになれる」と思ったことがなかった

――小説を書きはじめたときのことから教えてください

凪良:もともとは漫画家になりたかったんです。二次創作のマンガを描いたり、オリジナルでプロをめざして投稿したりしていましたが、夢叶わず……。創作やマンガからは足を洗って、10年くらいオタクの欠片も出さずに普通に生きてたんです。それが、ある日いきなり描きたい気持ちが復活してしまって。でもその頃には、マンガが描けなくなっていたんですね。

――「描けなくなっていた」というのは、技術的な意味で?

凪良:技術がもう、顔が右向きしか描けなくなったとか、そのくらいだめで。創作から足を洗う前に当時ドはまりしていた作品があったんですが、それが10年以上経ってから、たまたまインターネットでその作品の記事を見て、「そういえばわたし、昔大好きだった!」と。でもマンガって、毎日描いてないと描けない。「これはもうむりだな」と思って、でも何かを書きたい。それで「小説ならどうだろう?」と。

――執筆のきっかけは二次創作だったんですね

凪良:そしたら身内から「そんなに一生懸命書くんだったら、二次創作じゃなくてオリジナルを書いて、投稿してプロになったらいいんじゃない?」と言われたんです。マンガは「プロになりたい」と思って投稿してたけど、それまで「小説でプロになろう」とは思ったことがなかった。「なるほど、プロになる手もあったんだ!」と。それで投稿したら受賞して、今に至ります。


プロット=基礎工事がしっかりしてれば、装飾に凝れる

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――小説を書かれるときはどこから着手しますか

凪良:物語とキャラクターは同時進行ですね。話を先に作ってしまうと結局それに合わせたキャラクターになってしまうし、キャラクターを先に作ってしまうとそれに合わせた話になるので、同時進行しながら、併せてやったほうが広がるのかなと思います。

――プロットは作られますか

凪良:かなり細かく出します。プロットは基礎工事みたいなもので、しっかり作っていかないとあとで物語という建物全体が崩れちゃう。マンガ描くときって、まず全体の流れをネームで書くんです。それを小説でやってるのが、わたしのプロットなんだと思います。

――読者さんからもよく「プロット作った方がいいですか?」とご質問いただきます

凪良:「プロットを細かく作ってしまうと、書くときに新鮮味がなくなってしまう」とおっしゃる方もいるので、どちらがいいかはわからないんですが。基礎工事をきっちりやっていくと、装飾に凝れるという利点はあるかもしれません。書いているうちに感情が高ぶりすぎて筆が散らかる人は、一度プロットを細かめに作ってみてはどうでしょう

――感情が迸って、文字数は書けたけど迷子になる……ということは多いですよね

凪良:迸らせてもいい部分は迸ればいいんですけど、小説は8割くらい抑制を効かせてないとダメだと思っています。我慢して我慢して我慢して、バンっと出す。それまでは通奏低音みたいにかすかに、あとに続く予感や期待を漂わせるというか、底のほうで物語を蠢めかせておくというか、そういうさじ加減が大事ですよね。


会話文の日本語は正しくなくていい

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――ネームの感覚でプロットを作られるとのことですが、会話文についてはいかがでしょう

凪良:会話の流れはそんなに直さないですね。会話は生き物なので、正しい日本語じゃなくても、「どれだけ流れがいいか」で決めちゃいます。みんな喋り言葉で正しい日本語なんて話さないじゃないですか? 地の文はそれだと困るんですけど、会話は正しくなくていい

――その方が生き生きとした会話になりますよね

凪良:会話が生き生きするかどうかは、登場人物の作り込みがすべて。会話自体がおもしろくても、その人が言いそうにないことは言わせられない。シーンに合う「このキャラクターならこう言うだろう」という台詞が綺麗にハマると、生き生きするんじゃないかな。

――今おっしゃった作り方は、BL作品でも、BL以外でもあまり変わらない?

凪良:そうですね。ただ作品作りにおける自由度が全然違うので。BLは右手だけで書く、一般文芸は右手も左手も使える感じです。BLは「主人公が男性」と決まっているけど、一般文芸だと女性も主人公にできるので、単純に幅が二倍ある。あと、BLは明確な決着がつく。

――ハッピーエンドであれバッドエンドであれ、何らかの結論には達する

凪良:バッドはほとんどなく、ほぼハッピーエンドです。だからこそ『神さまのビオトープ』は、ラストに決着をつけたくなかったんです。せっかく自由なんだから、いつもとは全然違うことがやりたかった。それでああいう結末になったのかなと思います。


江國香織と大島弓子

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――衣食住のディティールが素敵で、凪良さんのご本を読んでいるとお腹が空きます

凪良:食べ物の描写は自分では下手だと思っていて、ちょっとでもおいしく見えるようにがんばってます。高級な料理は出てこないんですけどね。パンが一枚だけ余って処分に困って、でもお味噌汁も飲みたいしどうしようってときに、バタートーストをお味噌汁に浸したら意外とおいしかったとか、そんな実体験をもとに書いています

――『流浪の月』では、両親と暮らしていた部屋のベランダに鳥かごがあって、陶器の小鳥が線香を咥えている……という描写だったり、ああいったものはどこから出てくるんですか?

凪良:あれは実際には持ってたり見たりとかではないんですが、「こんなのあったらな」って。ほしくないですか? 吊るせる鳥かごの蚊取り線香ってかわいいんじゃないかな? と思って。

――アイテム自体が、大好きだった暮らしの象徴になっていますよね

凪良:ちっちゃいときにおうちにあったものって覚えてますよね。やっぱり、おしゃれな親に育てられた子はおしゃれだし。わたしは江國香織さんが大好きなんですけど、全体を包むセンスと品の良さ。あの空気感は後天的には作れない。

――まさに江國香織さんのことを連想していました。江國さんや川上弘美さんの小説にある「小さな頃の、素敵だった暮らしの匂い」みたいなものが凪良さんの小説にもあるなって

凪良:それはとっても嬉しいです。

――ほかに、好きな作家さんや影響を受けた作家さんはいますか

凪良:小説家だと江國香織さん、山本文緒さん、島本理生さん、漫画家だと圧倒的に大島弓子さん。大島さんのお話はものすごい。「ここに物語が向かっていたんだ」と、バラバラだったものがラストで一か所に集まっていく。しかもその過程が、見たことがないような過程なんですよね。ほんわかした絵柄で描き出される深すぎるテーマ。大島弓子先生は、燦然と輝く唯一無二です。


『わたしの美しい庭』はこれまでの中でも優しめの話

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――近作では一貫して「家族」が重要なモチーフになっています

凪良:そこはあまり意識したことはないですが、言われてみれば、けっこう疑似家族とか家族が出てくるかもしれないですね。

――逆に、ご自身で意識されているテーマなどはありますか?

凪良:書いたものを読み返すと結果的に「世界との折り合いが悪い人たち」がメインとして据えられていることが多いですね。

――特に新刊『わたしの美しい庭』は、折り合いの悪い人たちの書き方がすごく優しいです

凪良:『わたしの美しい庭』は自分が書いた中でも、かなり優しめの話なんですよ。それはたぶん、ポプラ社の編集者・森さんと組んだからだと思うんです。児童文学を出されてる版元さんなので、新刊がすごく優しいと思っていただけるのなら、それはポプラ社さんのカラーだと思います。編集さんは一番最初の読者さんなので、ちょっとでも楽しんでもらいたい。編集さんに寄り添って、話をプレゼンしているような所もあります。

――10代前半の女の子にも読んでほしいですね

凪良:恋人に死なれた女性とか、ゲイの男性とかうつ病の男性とかがメインですが、12・3歳ぐらいの少女や少年が読んでても大丈夫ですかね(笑)。前作の『流浪の月』とは全然雰囲気が違うので、読者さんに受け入れてもらえるか少し不安です。

――「世界との折り合いの悪さ」を感じる人は10歳ぐらいから感じていると思うので、救われる子も多いと思います


「書くことが好き」な気持ちに何も介在させない

――今後はこういうものを書いてみたい、という作品はありますか

凪良:ポプラ社さんの次は中央公論新社さんで、内容的には一番激しい話かも。暴力沙汰も頻繁に出てくる。その次は……がっつり恋愛ものが書きたいですね。BLでずっと恋愛ものを書いてたんですが、男女の恋愛は書いてないなって。『神さまのビオトープ』の鹿野くんとうる波ちゃんは恋愛でしたけど、異種格闘技でもあったので……。今度は現実的な男女の恋愛ものも書いてみたい。

――『わたしの美しい庭』の中だと「あの稲妻」が大人の女性主人公で、大好きなお話です

凪良:わたしもあの話はすごく好きです。一話目「あの稲妻」の桃子と、三話目「兄の恋人」の桃子は同じ桃子ですが人物造形を少し変えています。一冊通してひとりの女性の変化を感じていただけると嬉しいです

――最後に、凪良さんにとって書き続ける原動力ってなんでしょうか

凪良:創作が好きだし、実際これしかできないので。

――デビューしたい人ほど、色々悩んで考えちゃうみたいなのですが、アドバイスがあれば

凪良:ある程度の力があればデビューはできると思うんですけど、そのあとが本当に大変なので、デビューがゴールじゃない。デビューは通過点で第一ハードルなだけです。なので小手先の技術に悩むより、「書くのが好き」という気持ちを大事にするほうがいいんじゃないでしょうか。そこに何も介在させない、純粋な強さというのがあると思います。

(インタビュー・構成:有田真代、撮影協力:インフォトネットワーク)


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『わたしの美しい庭』
小学生の百音と統理はふたり暮らし。朝になると同じマンションに住む路有が遊びにきて、三人でご飯を食べる。百音と統理は血がつながっていない。その生活を“変わっている”という人もいるけれど、日々楽しく過ごしている。
三人が住むマンションの屋上。そこには小さな神社があり、統理が管理をしている。地元の人からは『屋上神社』とか『縁切りさん』と気安く呼ばれていて、断ち物の神さまが祀られている。悪癖、気鬱となる悪いご縁、すべてを断ち切ってくれるといい、“いろんなもの”が心に絡んでしまった人がやってくるが――


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『流浪の月』
あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。
わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。
それでも文、わたしはあなたのそばにいたい――。
再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める。
(装幀:鈴木久美/東京創元社)


*本記事は、2019年12月05日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。

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