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Q.キャラクター文芸ってなんですか?|海猫沢 めろん × キタハラ

今回は「めろんそーだん」特別編の第二弾。海猫沢めろん先生が「monokaki」で以前に連載していた「Web小説定点観測」でめろんさんからアドバイスをもらった作家のキタハラさんが登場。キタハラさんは第4回「カクヨムWeb小説コンテストキャラクター文芸部門大賞」を『熊本くんの本棚』で受賞しデビュー、さらに2020年11月に、エブリスタ掲載作品『京都東山「お悩み相談」人力車』が刊行されました。zoomを使ってめろん先生がキタハラさんの質問にお答えしてくれました。

今月の相談者:キタハラさん
お悩み:僕は昨年、キャラクター文芸の賞をいただきデビューすることができました。
Webに掲載をした当初から、僕の作品は「キャラ文ではない」とよくいわれています。では文芸なのかというと違うらしく、文芸畑の方からすると、「ラノベ寄り」だそうなのです。
今月二作目が発売されます。さて、ではこの作品はいったいキャラ文なのだろうか? それとも文芸なのだろうか? キャラ文の賞でデビューしたので多くの方が「これはキャラ文だ」として読んでくれるのか? どうなんだろう? そんなことを考えてしまいました。
先生、キャラクター文芸とはなんなのでしょうか? もっとジャンルに意識的になるべきなのでしょうか。

新しいジャンルが出てくると、出版社はどう売っていいのかわからない

海猫沢:はじめましてキタハラさん。改めて受賞おめでとうございます。デビュー作『熊本くんの本棚 ゲイ彼と私とカレーライス』(以下『熊本くん』)は、Twitter文学賞や枡野浩一さんのラジオなんかでも話題になりましたけど、書いている時にはジャンルについて考えてなかったんですか?

キタハラ:ほぼ考えてなかったです。『熊本くん』を書く前は「文學界」「群像」「文藝」などの文芸誌の公募に送っていて、大学は純文学系の創作ゼミを取っていました。大学を卒業してからも文芸誌に送ってたんですけど、『熊本くん』を書いた時は数年ジャンルに迷走していて、よくわからないままだった部分があります。

海猫沢:確かにこの作品はジャンル分けが難しいですね。ぼくはジャンルを超えた面白いものが好きなんですが、ジャンルや枠に当てはまらないと、出版社は売り出し方がわからなくなるプロモーションとも連携取らないといけないし、営業を説得しないといけないし、書店の棚のどこに置くのか……という生々しい現実があります。だけど、結果的に読者のほうがジャンルを作っていくこともあります。

「新本格ミステリ」に勢いがあった00年代当時、ジャンルがわからない小説がいっぱい出てきたんです。ミステリーなのこれ? って。代表的なのが清涼院流水さん。ミステリーじゃない! SFだ! ラノベだ! いや、SFじゃない! ……とか色々言われたんですけど、清涼院さんは自分の作品を「流水大説」って名づけてました。その後、清涼院さんの影響で西尾維新さんが出てきて、ファウスト系につながっていく。でも、当時はなにがなんだかわからなかったと思うんです。

出版社はどうしても体制側で会社組織なので、情報が遅いし古いだけど積み重ねられた定番ものについてはデータがあるし、売り方も知っているという印象です

キタハラ:なるほど。

海猫沢: 『熊本くん』はそれほどぶっ飛んだ設定ではないので、ジャンルを定義しなくても受け入れられる気もするんですが。キタハラさんの作品って、『京都東山「お悩み相談」人力車』(以下『京都東山』)もそうなんですけど、セリフのキレが独特なんですよ。これ、ラノベとも違うセリフのセンスですよね。

キタハラ:大学に入る前は演劇をしていて、劇作家になりたかったんです。松尾スズキさんが好きだったので、「大人計画」に入りたかったし、野田秀樹さんの「NODA MAP」に出演したかった。松尾スズキさんと野田秀樹さんの戯曲をずっと読んできました。その後小説の方にシフトチェンジしようと思って、大学に入り直しました。

海猫沢:ああ! 演劇からきていると聞くとすごいしっくりくる(笑)。演劇出身の人は純文学雑誌に小説を発表することが多いんですけど、その中にキタハラさんが入っていても違和感がない。ただ、それがジャンルとして明確に成立していないのが悩みどころですね。


ジャンルではなく物語の「構造」で考えている

――キタハラさんは新刊の『京都東山』でもジャンルについて悩まれましたか?

キタハラ:本当にわからなくなって迷いましたね。カクヨムやエブリスタでキャラ文芸の賞をもらったので、その枠にちゃんと収まっているのだろうかと悩んでいる時期と、二冊目の執筆時期が被ってしまった。読者の方のリアクションであったり、本屋さんの本棚だと『熊本くん』はケータイ小説のコーナーにあったりする。読者の方は大丈夫かな? って気にしたりしてたんです。そういうことは考えても仕方ないなって落ち着いて直すようになったんです。

海猫沢:キタハラさん自身は自分の小説のジャンルをなんだと思って書いてるんですか?

キタハラ:自分の小説ですか。僕の中ではかなりボヤけていて、純文とエンタメの真ん中ぐらいを。今の作家さんだと吉本ばななさん、吉田修一さん、江國香織さんの影響を受けていて好きです。

海猫沢:その作家さんたちは僕も好きです。吉田さんは社会派の物語。ばななさんと江國さんは純文学のなかでも物語と叙情性が強い作家さんですよね。80年代~90年代に比べて、今は純文学のなかで物語性が強い作家さんが減った印象があります。例えば90年代末だと、河出書房新社がポップなストーリーを描く若手の作家たちを「J文学」として売り出した。

キタハラ:「J文学」だと僕は鈴木清剛さんのデビュー作『ラジオデイズ』がすごく好きで。今だに文庫を読み返したりしてます。

海猫沢:『ロックンロールミシン』も良かったですよね。『熊本くん』は現代的なJ文学という気がしました。その路線だと確かにジャンルとしては文学になりますよね。そういえば、「文藝」から出た宇佐美さんの『推し、燃ゆ』はカクヨムにあってもウケそう。純文学のなかでもっと新しいカテゴリをつくるべきなのかも。

あ、そういえば、投稿サイトの「アルファポリス」に新カテゴリーとして「ライト文芸」と「キャラ文芸」というジャンルができたんですけど、ここにあるイメージイラストを見ると、なにが求められているのかすごく良く分かるんです。

――ライト文芸が『君の膵臓を食べたい』や『桜のような僕の恋人』とか、キャラ文芸は『京都寺町三条のホームズ』や『天久鷹央の推理カルテ』とかのイメージでしょうか?

海猫沢:そうですね。「キャラ文芸」は文字通りキャラ主体。マンガみたいな主役キャラがいる。「ライト文芸」は、普通の学生のちょっと不思議な現代青春もの――いわゆるキラキラムービーみたいなイメージですよね。
こうしたジャンル分けが必要かどうかは意見が別れるんですけど、検索のためのタグとしては重要だと思います。
ジャンルで読む人は既存のものを期待しているから、そうじゃないものが出てくると嫌なんでしょうね。頭の中に既存の自分が読んだことのある「キャラ文」のフォーマットがインストールされていて、それと重なるかをチェックしている。それと重なれば「キャラ文芸」だっていうし、重ならなければ「キャラ文芸」じゃないっていう。

キタハラ:フォーマットですか……『熊本くん』は物語の冒頭でみのりが夏目漱石の『こころ』しか読んでいないって言っているんですが、『こころ』の構成にしようと言う風に決めてました。僕はいつも構造からなんです。一応起伏は考えるんですが、どちらかというと既存の作品のこの構造を使うっていうやり方が僕は書きやすかったりしますね。

海猫沢:僕も近い書き方をします。「構造」ってアイデアに近くて、作品全体の輪郭みたいなものですよね。それにはジャンルがないんですよ。

キタハラ:先行作品の構造を研究して、なおかつそれを自分の書きたいものの中に取り入れたり、組み入れたりできないかとずっと考えています。テーマって聞かれると最初はあったはずなんだけど……となってしまいます。

海猫沢:テーマは結局ズレるし、書き終わったら違ってたりするんですが、執筆の指針にはなると思います。迷ったときに思い出せば軌道修正できるキーワードみたいなものです。ただ、テーマよりもなにかフックがないと読まれづらいですよね。


「作家推し」になることで世界を広げていった

――キャラ文やライト文芸もそれ自体がフックというか、お品書きみたいな役割がジャンル名になっていますね

海猫沢:そうですね。「なろう系」は、求められているものが明確だからそうなっていったんでしょうね。「なろう」系作家の人たちはほかでやってもうまくいくと思いますよ。あれだけジャンルのフォーマットに則って書けるのはすごい能力です。たとえばミステリー小説は人が死んで探偵と犯人がいてトリックがあって、推理して――というのはいつも同じです。ジャンル小説に特化している人はある程度研究すれば、他のジャンルでも応用が利くんじゃないかな。

――そういう方が目立ってしまうので、自分もなにかのジャンルに当てはめないといけないって思ってしまう部分がありますよね。それが唯一絶対解でもないはずなのに

海猫沢:キタハラさんはなにかのジャンルにハマったことはないんですか?

キタハラ:作家推しは多いんですが、ジャンル推しはあまりないですね。小学生の頃に手に取ってしまったのが橋本治先生の『ハイスクール八犬伝』でした。すごい好きだったんです。その流れで橋本治さんを読むようになっていったんです。あまりにもお仕事が広すぎるじゃないですか。ジャンルで読むというか作家で読む感じになっていきました。

海猫沢:それはヤバイですね、『ハイスクール八犬伝』は橋本治の鬼子的な作品で、伝奇アクションなんですよ。ラノベブーム黎明期に出た作品なんで、僕も読んでましたが、あれ完結してないですよね。

キタハラ:よかった、『ハイスクール八犬伝』わかってくれる人がいて。わかってくれる人が全然いなくて、どうしても復刊してほしいんですよ、電書でいいので。『ハイスクール八犬伝』から「桃尻娘」シリーズを読むようになったんです。

海猫沢:俺も橋本さんは最初、ラノベ作家だと思ってました。

キタハラ:そこからですね、いろいろディグるというか。橋本治さんから発生していって中野翠さんを読んだり、三島由紀夫や谷崎潤一郎も読み始めました。中学生の時に『ハイスクール八犬伝』を読んでなかったら普通の売れ筋好きな人だったと思います。

海猫沢:そのほうが良かったのかも知れません……(笑)。


みんなが求める「青春」は新海誠作品のようなもの?

海猫沢:編集さんにはジャンルを決めましょうって言われますか?

キタハラ:それを言われたことは一度もないですね。どんなようなものを書かれてますかと聞かれたことがありまして、ぼんやりとした答えしか返せませんでした。青春もので恋愛要素もホラーも、ちょっとミステリーもかじってるかなと言いました。

海猫沢:確かに難しいですよね。「青春」ってけっこう危険なキーワードだと思ってて。というのも、青春小説って一番フックがないと思うんです。というか、みんなが思う青春に幅がありすぎるんですよ。
「青春」で求めているのが新海誠っぽいものなのに、それじゃないものが来た時のがっかり感ときたら……。

キタハラ:それはめろん先生がよくツイッターでおっしゃっていた「感傷マゾ」の話ですよね。朝目が覚めるととりあえず泣いているやつですよね。

海猫沢:「感傷マゾ」はまたちょっと特殊な性癖なんですが……。ジャンルの適応度は、イメージを作ってる最大公約数的作品があって、それに対する要素の近似値で決まっている気がしますね。

キタハラ:ヤバいな、『京都東山』ははるか遠いですね。

海猫沢:いや、そうでもないですよ。『京都東山』を読んで、僕が最初に想起したのは『まほろ駅前多田便利軒』です。つまり三浦しをんさんが描くような王道の人間ドラマです。

キタハラ:実はその通りで三浦先生を意識しました。ある時にエンタメの編集の方とお話をしたことがあったんですよ。僕は構造で書いていると言ったら、三浦しをんさんの『風が強く吹いている』を読んでくださいと言われたんです。
『風が強く吹いている』はダメなメンバーが集まって目標に向かって紆余曲折しながら、最後は全員の想いが大きく動く様が描かれているでしょ、それが正しいエンターテインメントなのでこれをきちんとやってみろと言われました。それで演劇をテーマに書いたことがありました。

海猫沢:え、それ読みたいです(笑)三浦さんもジャンルがなにかって言われると、難しいですよね、おおまかにエンタメ文芸とされていますが。

――ある程度売れたり、なにかを越えていくとその人自体がジャンルになっていく気がしますね。昔でいう中間小説のようになっていく感じがします

海猫沢:そうなんですよね。売れるなり、評価を得るなりして、結果が良ければなにも問題はなく進んでいく。ただ問題は結果に満足できない時の戦い方ですよね。
ジャンルについてもそうだけど、創作で考えることすべてにおいて、読者のことを考えるか自分の事を考えるかのバランスの綱引きだと思ってます。本当に読者の事を考える人は自分は二の次で、みんなが求めているものを書けると思うんです。そうならないのはどっかにそれだけじゃない、自分が書きたいものがあるわけじゃないですか。その綱引きになっているからバランスですよね。


マイナー好きがマイナー好きに向けて書く危険

海猫沢:キタハラさんが想定している読者ってどういう人なんですか?

キタハラ:読者と自分がけっこうイコールになっています。読者は読者でも、僕が一番読者として思っているのは、自分が10代後半とか20代の時に読んで「これめちゃくちゃ面白い」って小説を読み漁っていた頃の自分です。そんな人に届けばいいなと思って書いてます。

海猫沢:共感します。僕も同じように10代の自分に向けて書いてます。ところがこれには問題があって……というのも僕は比較的マイナーな作品が好きだったタイプでして、マイナー好きがマイナー好きに向けて書くからすごい幅が狭いんですよ。
気づいたんですけど、ジャンプ作家とかメジャーな作品描いている人って、ジャンプを読んでジャンプで育ってる人がけっこういる。僕は「ジャンプ」「マガジン」「サンデー」を一度も買ったことがなくて、「コミックコンプ」とかを買ってたタイプで……。

キタハラ:わかります。

海猫沢:それは危険なタイプです(笑)。

キタハラ:だからか直している時にものすごくきつかったんです。

海猫沢:それはメジャーなものが好きな読者に向けているから?

キタハラ:僕の中では文庫を出せるのはすごく嬉しくて、エンタメで勝負しようと思ってたんです。文庫に対して小さい頃から憧れがあったので、文庫オリジナルで出すとなら読者を意識したものを書きたいと思いました。だから、いつもとは違うテンションで書いたというのはありますね。

海猫沢:でも良し悪しの判断基準準が自分のなかにないから難しくないですか? 答え合わせができないじゃないですか。自分が思っている読者と、ほんとうにいる読者は別という問題もある。

キタハラ:すごく悩んで考えたのが、うちの母が読めるかどうかを考えました。うちの母は森博嗣か、内田康夫とかの2時間ものドラマになるようなミステリーものを中心に読んでるんです。うちの母は森博嗣がすごく好きでドラマ化がきっかけで森作品を読み始めて。本好きじゃない人に本を手にしてもらうにはドラマと映画が強いですよね。


何かに迷うと人は理由を求めてしまう

海猫沢:今回の新作『京都東山』の人力車はジャンルわけするとしたら「お仕事小説」ですよね。書いてみてどうでしたか? キタハラさんは、ジャンル逆算で書くとかできると思いますか? しばりがあったほうが楽ですか?

キタハラ:こういうの書きたいなと思ったときのものによるんじゃないでしょうか。ジャンルでって考えてやったことはないです。
いつか全寮制ものをやりたいですね。那州雪絵さんの『ここはグリーン・ウッド』が大好きなんで。それに「花とゆめ」には『ガラスの仮面』という一大演劇漫画がありますね。「花とゆめ」というと『ぼくの地球を守って』とか「久美子と真吾」シリーズとか『赤ちゃんと僕』とか。
キャラ文って少女漫画好きだった人が読んでいるイメージがあったりしますか?

――その感じが多いような印象を受けますね

海猫沢:実際はどうかわからないけど、僕もキャラ文とかライト文芸って、昔だったら「コバルト文庫」に収まるような作品というイメージがあります。

――中間小説を受け入れるレーベルが欲しい所ですね。今日めろんさんとお話をしてみてキタハラさんどうでしたか?

キタハラ:ジャンルについてはわからないことだらけで、自分自身もシステムがわからないので、構造のお話もさせていただいて自分の中ですごくクリアになったというか。ひとまず、キャラクター文芸についてはいっさい気にしないでおこうと思いました

海猫沢:話をするとすごくクリアになる部分ってことはありますよね。

キタハラ:自分が言っていることを聞いていただいて、それってこういうことだよねって解説してもらうことで、自分では当たり前に思っていたことが言語化されて、そういう理屈で自分は小説を書いているんだなとわかりました。ありがとうございます。

海猫沢:今日のジャンルの話をまとめると、ジャンルにせよ何せよ迷うのはなにかがうまくいっていないと感じているせいなんです。ただ、上手く行っていない理由は、単純なことかも知れない。あるいは、理由なんてないかも知れない。悩んでる時、人はなにか理由を求めてしまうんですよ。解決方法は簡単で、努力できるだけ努力して、あとは運に任せる。
ひたすら鍛錬するしかないという……鬼滅の刃みたいな結論になってしまった……。


キタハラさん感想

めろん先生に悩みを聞いていただき、自分がいったいどの部分を気にしていたのか、が明確になりました。
面白い小説を書きたいという初心と、作品を読者に届けるにはどうしたらよいのか? という戦略が自分のなかで混沌としており、まとまっていなかったことがわかりました。
「現代的なJ文学」と評していただいたことは、僕にとっての誇りです。まさにそれが、やりたいことでもあります。
以前『Web小説定点観測』でもカテゴライズできない作品として『熊本くん』を紹介していただきましたが、これからも、自分自身がジャンルになるような作品を書いていきたいと思います。そのためにもより一層鍛錬が必要だ……!ありがとうございました!

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『京都東山「お悩み相談」人力車』
著:キタハラ PHP文庫 PHP
写真家の夢を諦め、人力車の車夫をしているショーケンは、彼女に愛想を尽かされ、面倒な新人の教育係を押し付けられる等、冴えない毎日を送っていた。しかも人力車に乗ってくるお客は、なぜかずっと仏頂面な女子や、人力車デートでの告白をもくろむ女性、忍ぶ恋を抱えた老婦と訳ありの客ばかりで――。
お節介で不器用なショーケンが、自らの将来に迷走しつつも都大路を疾走、彼女たちの悩みを、ちょっと変わった京都案内で解きほぐす!? 

エブリスタで連載され、大人気の青春ストーリー、待望の書籍化。
文庫オリジナル。