これで長編が最後まで書ける!三幕八場構成を学ぶ|monokaki編集部
昨年、フィルムアート社から刊行されている『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』の抄録をmonokakiに特別掲載しました。作家・脚本家の堺三保さんが書く同書の解説に、こんなくだりがあります。
ここ数年、いくつかの講座で小説や脚本の構成について、作家志望の人々に教えている。そこで最も痛切に感じることは、多くの人が「こんな話を書きたい」という語るべき何事かを抱えているにも関わらず、うまくそれを形にすることができずにいるということだ。そういう人たちの場合、登場人物、テーマ、話の発端とエンディングは、おぼろげではあってもすでに心の中で形作られていることがほとんどだ。問題は、それをどうやって映画脚本や小説の形に組み上げていけばいいか、どんなふうに語っていけばいいのかがわからないまま、悩んでいるのだ。
「長編を書きたいけど、どうしても最後まで書ききれない」というのは、monokakiに寄せられる中でも一番多い悩みかもしれません。
今回は、そんな悩みを解決する物語の原則、ハリウッド式「三幕八場構成」の方法を、改めて堺さんに解説していただきます。
主人公は何を求めているのか?
三幕八場構成は南カリフォルニア大学(USC)の映画芸術学部でのみ教えられている脚本の構成方法です。だから、「ハリウッド式」というのは正確ではないのですが、今ハリウッドで働いている同校の多くの卒業生たちが、この手法を用いているのは間違いないところです。これは、2時間の間に「起承転結」を順序良く、なおかつスピーディにバランスよく語っていくためのもので、物語を以下の8つの「場」に分けて考えます。
一幕
一場:状況説明
二場:目的の設定
二幕
三場:一番低い障害
四場:二番目に低い障害
五場:状況の再整備
六場:一番高い障害
三幕
七場:真のクライマックス
八場:すべての結末
USC映画芸術学部では、国も時代も関係なく、よくできている映画は結果的に「三幕八場」になっているのだと教えています。逆に言うと、ハリウッドで作られている大予算映画でも、ダメなものは脚本の構成が破綻していることが多いんです。そういう意味でも、この構成法を「ハリウッド式」と呼ぶのは、実はちょっと違うんですね。
生理的に気持ちのよいリズムで起承転結を作るためには、順番に情報を開示して、物語の起伏を作るのがものすごく大事なんですね。
まず一幕では、「誰が・どこで・いつ・なにをする話」なのかをわかってもらいましょう。一幕の一場で状況説明をして、二場目で「主人公は何が欲しいのか」を提示します。
日本のラノベだと主人公が受け身の作品も多いんですが、アメリカのドラマでは基本的に主人公は何かをものすごく欲しがっていて、困難なことを望んでいるほど、強烈な主人公になる。だから、「主人公が欲しがっているもの」をきちんと決めて、手に入れるまでの障害の強弱と、それによって主人公がどう変化していくのかをちゃんと書きましょうね、というのが「三幕八場」の考え方です。
長編が書けないのは、「障害」を難しくしていけないから
目的を達成するまでには、当然それを妨げる要因がたくさん出てくる。障害をひとつずつ解決して目的に近づいていくのが、本筋である二幕です。三場が「一番低い障害」、四場は「二番目に低い障害」とあるように、障害はだんだん難しくなっていかないとダメなんです。ここをおもしろく書けるかどうかが、プロになれるかなれないかの境目だと僕は思っています。
小説の新人賞への応募作品は、だいたいここがつまらないんですよ。
一番良くないのは、ひとつ出来事があったら、また同じようなことが起こって……と、似たようなエピソードが繰り返されていくパターン。それって連作短編だよね。出来事がエスカレートしていかないと、長編にはならないんです。
お話が書きたい人はみんな、出だしとオチは思い浮かぶんですよ。でも真ん中の二幕が作れない。一番ボリュームがあって、一番おもしろく読んでもらわないといけないけど、一番飽きられてしまうのも二幕です。これはシナリオでも小説でも一緒ですね。
僕がよく例に出すのは『ホット・ロック』という泥棒映画です。宝石泥棒が美術館に忍び込んで大きなダイヤを盗もうとして、いきなり失敗する。失敗して、盗めなかったダイヤを咄嗟に隠す。隠したダイヤを回収したいんだけど、その度にうまくいかなくてダイヤが別のところに行ってしまい、違う場所に何度も何度も泥棒しに行かないといけなくなる物語です。最初は美術館だったのが次は警察の留置場に行かないといけなくなり、最後は銀行の貸金庫へと、どんどん難しくなっちゃう。でもそれがおもしろい。
これを達成するには、「一番難しいことって何だろう?」と最初に考えて、それを六場に持ってくる。その後で三場と四場の「低い障害」を考えるといいです。一番難しいものを先に考えて、簡単なものはあとから考える。
最初の目標は途中で達成される
たいていのドラマや映画は、一幕の二場で設定された「最初の目標」は二幕目で終わらせて、三幕に入る前に新しい目標が設定されます。最初の目標よりも大きな目標を達成するのが本当のクライマックスなんです。シンプルなので、『スター・ウォーズ』の1本目(エピソード4)を例にとって説明します。
一幕
一場:状況説明
帝国軍に追われた共和国軍のレイア姫は、帝国軍のダース・ベイダーにとらわれてしまうが、その前に重要なメッセージをロボットたち(C-3POとR2-D2)に渡して、砂漠の惑星タトゥイーンへと逃がす。
二場:目的の設定
砂漠の惑星タトゥイーンに住む主人公・ルークは「田舎で百姓になるのは嫌だ」と思っている。
若者特有の「何かやりたいんだけど、何をやったらいいのかわからない」状況。(内的な問題)
そんなルークがC-3POとR2-D2とを手に入れ、偶然レイア姫からのメッセージを再生する。
それによってルークは、レイア姫と反乱軍が危機下にあることをR2の前の持ち主であるオビ=ワンに伝え、姫を救出しなければならないということを知る。(外的な問題)
二幕
三場:一番低い障害 《オビ=ワンにメッセージを渡す》
R2-D2はオビ=ワンを探しに山中に入っていく。そのあとを追うルークはオビ=ワンと出会う。
四場:二番目に低い障害 《宇宙へと旅立つ》
タトゥイーンの農場を帝国軍に焼かれてしまい、ルークはオビ=ワンと行動を共にせざるを得なくなる。
帝国軍の追跡。ハン・ソロとチューバッカとの出会い。タトゥイーンからの脱出。
五場:状況の再整備
惑星オルデバランへと向かう旅の途中。オビ=ワンに教えられ、フォースの修行を始めるルーク。
デス・スターに捕まってしまうルークたち。
六場:一番高い障害 《レイア姫を救出する》
レイア姫の救出とデス・スターからの脱出。
三幕
七場:真のクライマックス 《デス・スターを攻略する》
ルークはD2とともにデス・スターの壊滅作戦に参加するが、ベイダーが率いる帝国軍のTIEファイター部隊に、次々と仲間が撃墜されていく。
八場:すべての結末
助けにきたハン=ソロがベイダー機を撃破。(ツイスト)
最後の一機となったルークのフォースの力が覚醒、デス・スター攻略に成功する。
第一幕で設定した「レイア姫を助ける」という目的は二幕目の終わりで達成できるんだけど、その後、結局デス・スターを壊滅させないと、反乱軍が滅ぼされてしまうとわかる。そこで第三幕には、敵の砲火やダース・ベイダーが待ち構えている中でデス・スターを破壊するという、最も困難な「真のクライマックス」が改めて設定されるんです。
物語の中間点である四場と五場の間はポイント・オブ・ノーリターンとも呼ばれます。もうやるしかない、ここから後ろには帰れないと明確にするのがポイント・オブ・ノー・リターン。「主人公が何を欲しがっているか」が固まるのが一幕目の終わりだとしたら、二幕目の真ん中で「これをやり遂げない限りダメ」というところまで主人公を追い込む。この場合だと、ルークは家族も家も失い、お尋ね者になってしまって、もうオビ=ワンたちと一緒に進むしかない。そこまで主人公を追い込んでやることで、後半の展開がよりスリリングになるわけです。
ライバルは中間管理職
あと、主人公のライバルを作ってあげるのも大事です。最近はライバルが出てこない小説も多いんですが、それでは敵の姿が見えない。ライバルは物理的に立ち向かうためのシンボルだから、目に見えないといけない。だから敵のボスじゃなくてもいい。
『スター・ウォーズ』だったら、ダース・ベイダーは現場の中間管理職だから、主人公の目の前に現れますよね。『機動戦士ガンダム』だったら、シャアはボスじゃないでしょ。立ち向かわないといけない外的障害のシンボルがライバルなんです。
お話としては一番重要なのは、七場か八場のどこかで「ツイスト(どんでん返し)」があること。『スター・ウォーズ』だと、仲間たちがどんどんやられていく中で、ルークが持つフォースの力が覚醒して、いなくなっていたハン・ソロが助けに来てくれるのが「ツイスト」。ドーン!とハン・ソロが助けに来たところでみんな「ヒャッホー!」って興奮して、観客も楽しくなる。
もう一つ重要なことは、ドラマが生まれるのは、実は主人公が行動を始める前の「主人公が決断する場面」なんだということですよ。ヒーローものだと、その決断の結果、「ドーン!」と見得を切ってヒーローが現れるところが一番盛り上がる。そこからあとのアクションシーンはかっこいいけど、実はそこは描かなくてもお話としての結論はすでに出てるんですよね。よく打ち切りマンガが「オレたちの戦いはこれからだ!」で終わるのは、そこまで描けば、最低限お話の結論まではたどり着いてるからなんですよ。
つまり、三幕八場で考えると、六場の最後が物語としてのラストで、七場以降はその結論がどう実現されるかを具体的に見せてるだけなんです。だからこそ、そこをきちんと描けば盛り上がるわけですが。この構造は、悲劇、ラブコメ等、どんなジャンルの物語にも当てはまります。
三幕八場構成を小説に置き換えよう
この考え方を長編小説に置き換えると、最初に考えやすいのは一場と八場ですね。最初に話した「出だしとオチ」です。このとき大事なのは「主人公が誰で、何を欲しがっているのか」「そのために何を解決しないといけないのか」をきちんと決めること。他のことはフレーバーなんですよ。主人公の目的を明確にすれば、人に見せたときにわかってもらいやすい。一場から八場までのあらすじを書きだしたら、それが小説のプロットになります。
三幕八場のプロットができたら、書きたい長さに合わせて、単純にページ数を8で割ればいい。例えば400字詰め200枚の長編を書こうと思ったら、一場25枚ずつ、10,000字ずつですね。一場と二場が長くて、いつまで経っても本題に入らない人が多いんですが、説明は二幕で入れていけばいい。八場もつい語りたくなってしまうんですけど、いっそほとんどないくらいでもいい。大事なのは六場と七場だから。
専門学校で教えているときには、「とにかくなるべく早く初稿をオチまで書け」と言っています。最初にプロットを作っても、書いていく内に内容はどうしてもズレてくるものです。だから、絶対に再校することは必要なんですよ。そのためにも、初稿はどんどん書き進めてとにかく最後まで書いてしまう。そして、時間をかけて第二稿へと書き直す。その時に、最初に作った三幕八場構成のプロットを、バランスシート代わりに使って、全体のバランスを取ればいいんです。半分以上直すつもりでね。最初に作ったプロットの通りじゃなくてもいいから、各場のポイントがきちんと押さえられているか、枚数のバランスが取れているかを確認してください。
小説新人賞の応募原稿の内、たいていの場合は2割は全然ダメ。残りの7割はお話はできてるけど二幕目がおもしろくない。キャラとストーリーと構成がちゃんとしていて一次選考を通るのは全体の1割ぐらいです。つまり、三幕八場構成がきちんとできていたら、一次選考はだいたい通るんですよ。
「創作は教えられない」は半分当たり、半分はずれ
物語やキャラクターの基本的な部分にはオリジナリティはなくてもいい。実のところ、物語というものにはそんなに多くのパターンがあるわけじゃないから。特にお話の出だしとオチは、そんなに意外性は出しにくい。大事なのは、自分のやりたいことをいかに魅力的に読者に伝えられるかです。そのためにこそ、第二幕の展開と第三幕のツイストが大事になってくる。
『ラ・ラ・ランド』がまさにそう。女優の卵と売れないピアニストが出会って、結局別れてしまうという、物語の出だしとオチは恋愛ものの典型的なパターンの一つ。二幕目における二人の関係性の変化と三幕目における二人の決断(これがツイストになる)をどう描くかが一番難しいところで、『ラ・ラ・ランド』はこの部分を手を変え品を変えて観客の期待を裏切りつつ、さらにはミュージカルとして過去作品の引用も入れながら見事な映像美で見せきったところがすばらしいんです。
結局二幕目って、自分の中にどれだけストーリーの手札、シチュエーションを持っているかで決まるんです。手札を集めるには、たくさん観たり読んだりするしかない。独創性がある天才なんて何万人に一人しかいなくて、要するにシチュエーションの順列組み合わせなので。小説だったら映画からアイディアを持ってきたりなど、違うジャンルを当てはめることで、新鮮味を出すこともできると思います。
あのピカソにだって、独創的な抽象画の大家となる前の「青の時代」にはデッサンのきちんとした絵をたくさん描いてますよね。最初は、いかに基本に忠実に、きちんと形を作るか。『ストーリー』の冒頭に書いてあるけど、これはあくまで原則であって、ルールではない。原則をわかっていてあえてルールを破るのと、原則をわかってなくて基本から外れたことして「どうしてうまくいかないんだろう?」と思ってるのとでは、全然違うからね。
よく「創作は教えられない」と言いますが、それは半分当たっていて、半分はずれている。「何を書くか」は教えられない個々人の心の中にあるものだけど、「どう書くか」という技術はある程度教えられる。それはまさに絵画と同じこと。講座でもいつも言うんですが、「二幕目をおもしろくできるかどうかは君ら次第だから、自分でがんばれ。悪いけど俺にはどうしてやることもできん」と。ただ、書き方の「原則」は教えられる。だから「アイディアはあるけど書き方がわからない」人には、三幕八場構成は有効性が高い手法だと思います。
(インタビュー・構成:monokaki編集部)
『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』
著:ロバート・マッキー/訳:越前敏弥
フィルムアート社(2018/12/20)
A5判・並製536頁/定価:3,200円+税
ハリウッド関係者が全員読んでいる、ストーリーテリングの必読書。
10万人が熱狂した伝説的シナリオ教室の講師が、あなたの創作人生を変える。
*本記事は、2019年06月20日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。