「ちょっと時代観の遅れた作家」にならないために|July 2018|monokaki編集部
当欄は、編集長の有田が一か月の記事を振り返って綴る、monokakiの編集後記です。
monokakiの中でも屈指の人気連載「おもしろいって何ですか?」を、今月から作家の王谷晶さんにご執筆いただくことになりました。初回となる#7のテーマは「自由って何ですか?」 。この原稿を王谷さんに依頼した頃、Web作家の過去のSNS上でのヘイト発言が問題になり、作品のアニメ化が中止となる事態がありました。同様の事例は最近、ハリウッドでも起こっています。
創作者も人間なので、もちろん学習によって変化・成長する機会は与えられて然るべきで、「過去」の発言をどこまで処罰の対象とするかはまだ議論の残るところですが、昨年から続く#MeToo 運動の盛り上がりなども含め、世界中で急速に新たな種類の「正しさ・公平さ」が整備されつつあるのは事実です。
そして日本国内の言説はそこから大きく遅れているということを、物書きならば認識しておいた方が良さそうです。わたしたちが普段何気なく口にしている自分の言葉、違和感なく受け取っている誰かの態度が、実はすでに「現代において問題のある言葉や態度」でも、無自覚にキャラクターの振る舞いに反映させている可能性があるからです。
それが「ちょっと時代観に遅れたところのあるキャラクター」ならば物語として破綻はないと思いますが、「知的で成熟したキャラクター」だった場合、途端にキャラ設定そのものがブレてしまいます。キャラ設定のブレ程度なら作品のクオリティに大きく影響はない……と思いきや、新人賞選考の場でもその点が見られているとわかるエピソードがありましたので、ひとつご紹介します。
特集「新人賞の懐」でR-18文学賞を運営する新潮社の西山奈々子さんにお話を伺った際に、「読者賞と大賞の違いは?」という質問をしました。答えは、「読者の方は作品を楽しんだかどうか、プロ作家である審査員の方はどういう意識で作品を書かれたかを見ている」というもの。文字数の関係で本文には加えられなかったのですが、西山さんはとある投稿作品に対する、三浦しをんさんの選評に言及されました。少し長いのですが、示唆に富む内容なので以下に引用します。
ただ、結婚、妊娠、性指向など、各個人の生活のなかでの繊細な問題を扱っているわりに、やや無神経ではないかと感じられる描写やセリフが散見され、ちょっと気になった。私が最大に引っかかったのは、「子どもがいたほうがいい理由があるとすれば、(中略)よその子のことまで自分の子のように考えられることじゃないだろうか」という理屈だ。つまり「実体験主義」ということだと思うが、まったく承服しかねる。では、なんのために人間には想像力が備わっているのか、なぜ小説などという噓八百の物語を読んだり書いたりするのか、ということになってしまうからだ。もちろん、作者が作品を通しておっしゃりたいことは、とてもよくわかる。しかし、「世間からはみだしているとされるひとたち」を描いているようでいて、実はそういう人々の心情を渾身で想像してはいないのではないか、と感じられる表現の塩梅になってしまっている箇所があり、惜しいと思った次第だ。 (第17回R-18文学賞 選評「文章の力、小説の醍醐味」)
「自分の知らないこと、嘘八百を並べる」のは、創作の本質です。本質だからこそ、想像力の多寡はそのまま作品の質や広がりに直結します。最近では、芥川賞の候補にまでなった評価の高い震災小説が、表現と剽窃の問題で取り沙汰されることもありました。引用のやり方はまた別レイヤーで物書きが備えるべき礼儀の一つですが、この作品の事例を語る際に前提となったのは、やはり「作品の題材になる側」に対する想像力でした。
「想像力」が及ぶべき場所は「世間からはみだしているとされるひとたち」だけでもかなり広いです。女性について書くとき、外国人について書くとき、性的マイノリティについて書くとき、被災者について書くとき、どの程度セルフチェックを働かせることができるか。編集者や校正者に頼れる機会がほぼないアマチュアの物書きだからこそ、腕が問われる場面です。
「世間からはみだしているとされる人たち」を描く筆致を学ぶ上でぜひ参考にしていただきたいのは、今月の「デビュー作を読む」で取り上げた木皿泉さんです。木村綾子さんの言葉を引くと、「それぞれに悲しみを持ちながら、しかし大げさに同情しあうでもなく、まして、悲しみの度合いに優劣をつけるでもなく、ひとりびとりの持ち物として生き死にを、ただ共にしてゆく姿が描かれていた」。
『昨夜のカレー、明日のパン』は、こんな風に想像力を展開できたら……と思わず願ってしまう、凄まじいまでの優しさに支えられた小説です。未読の方はぜひ、手に取ってみてください。想像力のトレーニングに近道はありませんが、良質な想像力に触れることは少なくとも、その王道ではあるとわかると思います。
*本記事は、2018年07月26日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。