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「推敲」って何ですか?|王谷 晶

本年も残すところあと一ヶ月強となってまいりました。マジで? 王谷晶である。光陰矢の如し、少年老い易く学成り難し、とにかく時間というものは儚い。仕事も学業も何事も一発OKで進めば人生ラクだがそうもいかない。人は間違える。また、気が変わる。何を成しても「やっぱああしときゃよかったな~」と後悔&逡巡を繰り返す生き物である。というわけで今回のお題は「推敲」です。

推敲前のものはお客さんに出せない

推敲というのは「できればやったほうがいいもの」ではなく、これを含めて小説を書くという一連の行動になると私は考えている。推敲前の原稿というのは、味見をしていない料理のようなものだ。同じたこ焼きを三十年焼き続けている職人ならもはや熟練のカンで味見は必要ないかもしれないが、小説は同じものを繰り返し書いたりしない。毎回違う。だから都度味見と調整が必要になる。見直し、考え直し、練り上げるところまでが「小説を書く」という作業で、それを終えて初めてお客さんに出せるものが仕上がる。

小説において推敲の目的はざっくり二つある。まず一つは文章の流れ・文脈が思うように描けているかのチェック、もう一つが物語・キャラクター等内容そのもののチェック。「誤字脱字をチェックする」という作業も含める場合があるが、厳密にはこれは「校正」という作業になり、専門職の方や編集者にチェックしてもらうことができる。

文章の流れ・文脈をチェックするというのは、例えば同じ章の中なのに視点人物が意図せず変わってしまったり、事件Aを踏まえてBという結論を出したかったのにCの方向に話が流れてしまったとか、そういう凡ミスが無いか確かめることだ。こういうのは間違いが見つけやすいし、修正もしやすい。

大変なのはもっとマクロな、物語全体を「これでいーのか?」と精読する作業である。自分の書いたものを他人が書いたもののように読む引いた視線が必要なのだが、これが言うは易しってやつでなかなか難しい。なので書き上げた原稿を一日~数日寝かしておいてから再読し推敲するという人がだいたいだ。脳みそを書き手脳から読み手脳に切り替えるクールダウン期間がいるのである。


死ぬまで修正しても完璧にはならない

一旦書き上げた初稿を心新たにして読み直すというのは、なかなかしんどい作業だ。書き終えた直後は達成感と高揚感で「世紀の傑作をものしてしまったかもしれない……」くらいに思っていた己の原稿のアラばかりが目立って見えてくるからだ。この時点で一切のアラが見えないという諸君は酔っ払ってるか本当の天才かのどちらかなので、酔いをさましてからもう一度精読してほしい。

推敲をするにあたって思い出してほしいのが、本稿第九回の『「構成」って何ですか?』だ。本文を書く前、諸君はプロットと構成を準備していたはずだ。まずそこに立ち返り、最初にやりたかったこと、一番伝えたかったことと眼の前の出来上がった原稿がズレていないかをまずチェックしよう。そこさえちゃんとキマッていれば、他のアラは微調整しとくかくらいの力の入れ加減、誤解を恐れず言うならば若干てきとうな感じで推敲するのがよいと思う。
なぜならば、推敲もやりすぎると「穴」にはまってしまうからである。直しても直しても「正しく」なっていないような気がして、どうしても原稿を完成させられなくなる、魔の推敲ホールに……

推敲は大切な作業だが、やればやるほどいいというものではない。繰り返し繰り返し再読し練りあげあちこち修正したあげく、最初に何を書きたかったのか分からなくなり、永遠に完成させられないか、出来上がっても奇怪なつぎはぎのような作品が出来てしまうことはよくある話だ。いじりまわし過ぎず、ちょうどいい塩梅のところで「ま、このへんでいいか」と切り上げる必要がある。完璧を目指さない、というのも推敲をするにあたって重要なポイントである。死ぬまで推敲し倒しても完璧になんかならないからである。

よいか、この世の誰も完璧な小説など書けない。私にも諸君にも、過去の世界の文豪だってそうだ。だから完璧を目指すなかれ。「いいあんばい」「だいぶイケてる」くらいを到達点とし、原稿を完成させ、そして新しい作品をどんどん作ろう


ダメな推敲の好例『ルビー・スパークス』

ちなみによく聞く誤植の植とはなんぞやというと、「誤った写植」の略である。今はほとんどの小説や雑誌がAdobeのInDesignで組まれていると思うが、大昔は「写植屋さん」が鉛の写植を一文字ずつ拾って版を組んで印刷していた(1985年のアニメ版『銀河鉄道の夜』冒頭にその作業シーンがある)。手作業なのでどうしてもそこで誤字や脱字が出てしまう。

その後も手書き原稿がメインだった時代は小説原稿は一旦「電算写植屋さん」に打ち直してもらって下版を作っていたが、書き文字の読み違え等でやはりここでも誤植が生まれることがあった(電算写植オペレーターが主人公の中島らも著『永遠も半ばを過ぎて』は、ちょっと昔の日本の印刷業界が垣間見られる面白い小説なのでおすすめ)。つまり昔の誤植の責任は写植屋さんの責任とされることが多かったのだが、今は著者がデジタルデータで入稿しそれをそのまま流し込んで版を作るので、作者の責任の方が重くなっている(はず)

今回のおすすめ作品は映画『ルビー・スパークス』。初めて出版した小説がベストセラーになったものの二作目が書けず鬱屈としている若き作家。ある日夢に出てきた女の子・ルビーの話を書き始めたら、なぜか突然現実にルビーが現れ、理想的な恋人になってくれる。しかしだんだん自分の望みどおりの行動をしなくなってきた彼女に恐れを抱いた作家はルビーを「推敲」し、自分の都合のいい存在として書き直し始めてしまう……という、非常にダメなうんこ野郎の物語だ。

しかし、このダメさうんこさは妄想しがちな人間、つまり物を書く人間には多かれ少なかれ備わっているダメさであり、年の瀬を前に己を振り返る意味でもぜひ気軽に鑑賞していただきたい。

(タイトルカット:16号


今月のおもしろい作品:『ルビー・スパークス』

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天才作家として華々しくデビューしながら、その後、極度のスランプに陥っていたカルヴィン。低迷期を抜けるため、理想の女の子“ルビー・スパークス”を主人公にした小説を書き始めた彼の前に、ふいにあらわれたのは現実のルビーだった!
Blu-ray&DVD発売中、 デジタル配信中
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*本記事は、2019年11月14日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。