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Q.執筆に「実体験」はどの程度必要ですか?|海猫沢 めろん

新年明けましておめでとうございます。
今年こそ、8年続いている連載を終わらせる。ただそれだけのために生きたい海猫沢ですが、大晦日3日前くらいに突然、ゲーム実況に覚醒してひたすら毎日ゲーム実況をする意味のわからないおじさんになってしまいました。
新年一発目の相談いかせていただきます。

今月の相談者:須野さん(26歳・販売員)
執筆歴:15年
ご相談内容:子どもの頃、創作コラムで「実体験や日常生活の中での経験によって、作品に深みが出る。多くのことを経験し、そのときの喜びやつらさを鮮明に覚えておくことがいい作品につながるのだ」と読んだことがあります。
それに則って、苦手な人付き合いや接客業、SNSの利用などを続けていたら、段々と心が疲弊してうつになってしまいました。
執筆において、実体験の重要性とはどのくらいなのでしょうか。執筆のために必要な経験や、日常生活の中で意識するべき心の機微とは具体的になんなのか、教えていただきたいです。

きましたか……この相談が。

執筆に「実体験」はどの程度必要ですか?

これには明快な答えがあります。
なぜなら、ぼく自身がこのことにむちゃくちゃとらわれまくった時期があるからです。

 1) 体験した=上手く書ける、ではない
 2) リアル(本物)よりも、リアリティ(本物っぽさ)が大事
 3) 実体験は自信につながる反面、それにとらわれるデメリットもある
 4) 体験する前と後の「変化」こそが大切

という順番で説明していきます。

体験した=上手く書ける、ではない。

作家になろうと決めた10代の頃、ぼくも相談者さんと同じように、誰かの本を読んで「作家は実体験が重要」と思い込み、「誰よりもヤバイ体験をすれば作家になれる!」と勘違いしました
その結果、変な宗教の修行やら、ホストやら、アンダーグランドな仕事やら、わけのわからぬことばかりをやってきました。結果的に文筆業をやっているものの、世間に評価されたデビュー作はゲームのノベライズであり、実体験とは無関係です。

というわけで、実体験は作家になるためにほとんど活かされませんでした。しかし、「やっぱり実体験と創作は無関係なんだな」と思うのは早計です。
実は、デビュー後の作品の多くには実体験が活きています(『全滅脳フューチャー!!!』、『愛についての感じ』『キッズファイヤー・ドットコム』『夏の方舟』など、だいたい実体験が入ってます)。ジャンルの違いもありますが、それよりも、「実体験を作品に活かす方法がなんとなくわかってきた」ということのほうが大きいです。
つまり、体験自体は素材にすぎないので、それを料理する技術やセンスのほうが大切なのです。
では、体験をうまく料理するにはどうすればいいのでしょうか?


リアル(本物)よりも、リアリティ(本物っぽさ)が大事

体験を小説に書くとき、肝に銘じなくてはならないことは「リアル」よりも「リアリティ」です。
リアルとは「本物や現実」のことで、リアリティとは「本物っぽさ」のことです。ちがいを例えるならば……そうですね、高くてまずいカニと、安いカニカマみたいなものです。
「まずいな……でも蟹だからな……一応」と、「うーん、すごい。カニだよな。ぜったいカニだよこれ。でもカニじゃないんだよなー」のどっちがいいですか?
ぼくは後者です。偽物でも美味しいほうがいいです。もっと言えば、黙っていればたぶん誰も気づきません。

小説も同じです。
実体験だからといって、リアルで面白くなるわけではありませんむしろ多くの実体験や現実は、小説よりつまんないです

しかし、なにが「リアル」で、なにが「リアリティ」なのでしょうか? 考えてみると、よくわかりませんね。

ここで「実体験」が必要になってきます。
ある出来事があったとして、それに近い体験や似た体験をしていない限り、その物事にリアリティがあるかないかは、誰も判断できません。共感というのは経験や体験の近似値から導き出されるものです。

体験することでその基準を持つことができる、というのが一番の利点だと思います。そして一度体験すれば、そこから想像力を膨らませて遠くへ行くことも可能です。

とはいえ、実体験でしかありえない描写や、心理の動きなど。殺人事件のルポタージュや、被害者の心情、極限状態の人間の判断などなど……絶対に経験した本人にしか描けないものもあります。

でもぼくらはそれを読んで追体験することはできるんです。優れた小説というのは、完全に体験が無の状態からリアリティを生むものです

ぼく個人としては、小説を書きたいと思うなら、そうした方向を模索したほうが良いと思っています。でなければ、小説ではなく体験記でもいいことになってしまいます。


実体験は自信につながる反面、それにとらわれるデメリットもある

実体験は自信になります。それについて体験している場合、絶対に迷いません。なぜなら自分がやってきたことを書くだけだからです。

しかし、そこに穴があります。
実体験を書くこと=小説としての良さ、ではないんです。
むしろ実体験があるからこそ、それを捨てられない弊害もあります。
「クソリアリズム」問題です。

マンガ家の藤田和日郎さん(『うしおととら』や『からくりサーカス』の作者)が『読者ハ読ムナ(笑)』という本で書かれている問題で、リアリズムにこだわるあまり、マンガが小さくまとまってしまう現象です。
経験をしたり資料を調べると、「実際はこうだ」というこだわりが増えていきます。それが必要な場合もありますが、大抵、それは面白さには無関係です。

フィクションなんだから、つじつまがあってることよりもむちゃくちゃでも面白いほうが大切に決まってます。小説でも同じです。実体験というのは強い力を持っているので、それにひきずられて「クソリアリズム」にならないよう気をつけましょう。
体験や経験を重ねても、それが面白くなければ書かない、あえて嘘をつく、という判断も大切です。


体験する前と後の「変化」こそが大切

最後に具体的な話をしましょう。

執筆のために必要な経験や、日常生活の中で意識するべき心の機微とは具体的になんなのか、教えていただきたいです。

ずばり、体験を小説に活かすとき、最も使える(書くと面白い)のは「体験する前と後の「変化」」です

これはぼく個人の意見ですが、簡単にできる体験ならそれがなんだろうと、さっさとやっちゃったほうがいいです。ただし、やる前の状態を記録しておいて、やった後の状態と比べられるようにしましょう

例えば、タトゥーなんかはみんな怖がって、入れないで資料調べたりするんですが、そこらへんのスタジオにいけばすぐ試せるわけです。数日かかるようなものを入れてみると、「こんな時間かかんのか……」とか、「皮膚薄いところめっちゃいてえ」とか、奥が深いなあ、簡単じゃねーなあ。とかいろいろわかります。

そのときに、一番大切なのは、体験自体の珍しさ――ではなく、体験する前と後の心の状態なんです。
小説内でのキャラクターの「体験」というのは、だいたいにおいて「人が変化する」きっかけです。キャラが、ある体験を経て、変化する。

作者自身が体験を経て変化しなくとも、小説のキャラクターはあなたとは違う人間なんです。体験はあなたのためではありません。あくまで小説のためです。身を切るタイプの作者はこれを忘れないようにしましょう(ぼくはよく忘れます……)。

そうそう、大切なので言っておきますが、体験することの一番の問題は「不可逆」であるということです。してしまうと体験していない状態には戻れないんです。だからこそ「体験していないときの状態」も大切になってきます。
もし、想像でこの二つの落差を面白く描けるなら「体験」しなくてもかまわないと思います。


暗黒騎士でも光の剣を使いこなして、生き延びろ!

以上が創作と体験の話でした。
とはいえ……場合によっては単なる経験をつらつらと書くだけでも成立してしまうことがあります。そうです、なんかわかんないけど才能がある場合、つまんない経験だろうが、なにを書いても面白くなっちゃうんですよ(逆もあって、経験ゼロでリアルに書ける場合も)。
でもそういうのは無視しましょう。
才能を頼りにするのは、だいたいにおいて単なる甘えか、そのジャンルをナメてる証拠です。

あと……

苦手な人付き合いや接客業、SNSの利用などを続けていたら、段々と心が疲弊してうつになってしまいました。

相談者の須野さん……あなたはえらいです。めちゃめちゃ真面目です。小説修行のために、そこまでやるというのは、なかなかできることではありません。
うつというのは、なぜか文筆業と相性が良いらしく、多くの作家がうつになります。ぼくも例外ではありません。

物書きのなかには、「身を切る」「身を削る」というやりかたでしか書けないタイプの人がいますが、それは非常に危険です。
その執筆法は作家の間で「暗黒剣」と呼ばれ、恐れられています。確実にHPが減ります。その技は強い……強いんですが、まずはHPを溜めたり、光の剣も使えるようにしておきましょう。育ってない序盤で使いすぎると、死にます!
手持ちの体験を主人公に投影するくらいのところでとどめて、ものすごい突拍子もない設定で書くことも同時に練習してみてください。
同じ暗黒剣使いとして、心配しております。
お互い死なないように戦っていきましょう!


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『読者ハ読ムナ(笑)いかにして藤田和日郎の新人アシスタントが漫画家になったか』
(C)KAZUHIRO FUJITA/ICHISHI IIDA 小学館(少年サンデーコミックス)
「うしおととら」「からくりサーカス」「月光条例」そして「双亡亭壊すべし」で少年漫画界を熱く走り続ける藤田和日郎。
その仕事場からは数多くの漫画家が巣立った。
今回、藤田和日郎のアシスタントになった架空の新人漫画家が、連載を勝ち取るまでを描く体裁で、藤田氏が自身の漫画創作術、新人漫画家の心構えやコミュニケーション術を語り下ろしました。
藤田和日郎の初代担当者も新人漫画家の担当編集者として登場。


*本記事は、2020年01月21日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。