見出し画像

「時代性」って何ですか?|王谷 晶

♪まわる~ま~わる~よホニャニャ~ホニャニャニャ~~(※著作権対策) というわけで時代は回っているわけだが諸君はどうだろうか。感じているだろうか。時代の回転を。時間の流れだけは万民に平等てなことを申しますが、小説もまた時の流れの中で息づく芸術ゆえ、「時代性」というものを無視することはできない。というわけで今回は小説の時代性について一席ぶっていきたい。

時代性が出る三つの大きなポイント

まず、時代性とはなんぞや? シンプルに言うと「その時代を感じさせるもの」だ。じゃ剣豪小説とかは江戸時代性があるのかというと、そういうもんでもない。小説の評における時代性とは、それが書かれた時代の空気を反映しているかということを注視される。なので現代的な歴史小説というのもあるし、めっちゃ古臭い近未来SFというのも存在する。

フィクションにおいて時代性が云々されるポイントは大きく分けて三つあると私は考えている。すなわち

1・テクノロジー
2・流行、風俗
3・価値観

の三つだ。1は言わずもがな、シェイクスピアの時代にドローンは無かったし、現代のギリシャ人はトーガを巻いて暮らしていない。ただ漫画でも小説でも数十年単位で連載が続いていると、一巻ではパソコンが珍しがられていたのに今年出た最新巻ではキャラクター(一巻の時と年齢は変わらず)が全員しれっとスマホを使っている、みたいな亜空間を舞台にした話にもなってしまうこともあるが、そういうのは不可抗力というか長期連載の宿命なのでしょうがなくはある。

そして2の流行やその時代の風俗、文化などの描写。気をつけたいのが、今現在を描いたつもりで微妙に古くなってしまうパターンだ。2020年のシブヤを舞台にしているのに「ルーズソックスの女子高生がシャ乱Qを聞いている」みたいな描写だと読者総員チョベリバになる。

スマホ普及以降、流行スパンがさらに速く短くなっているので、「最新の何か」を描写したい場合は調べ物・取材は必須だ。知ったかぶりで書くと痛い目にあう。自分にとって身近な場所・時代を舞台にするとき、ついつい知ってるつもりで筆を飛ばしてしまうことがあるが、面倒でも調べよう。特に多くの人が間違えやすいのが異性の文化風習で、これはモロに偏見が露呈するポイントでもあるので男女双方気をつけたい。

そして3の価値観。これは近年ますます重要度が上がっているポイントだと思う。たとえ流行もテクノロジーも無関係な完全オリジナル世界観のファンタジー作品であったとしても、このポイントを無視することはできない(というか無視して書くことそのものは可能だが、それは視野の狭いものになるし、炎上もするやろうし、商業化の道も難しくなる)。

たとえば、かつてこの地球には「よその国を侵略し暴力で人をさらい奴隷にし売買する」がごく普通の何の非もない商売として受け入れられていた時代・場所があった。今はもちろん違う。奴隷・人身売買の問題はまだ世界中に存在するが、それは「よいこと」では絶対にないのを誰もが知っている。人の価値観が変わったのだ。コンプライアンスやポリティカル・コレクトネスという言葉を聞いただけで拒否感を示す人もいるが、これは人類が意識の流れを絶やさず、よりよい個と社会について考え続けてきた知と価値観の集大成だ。どんなに拒否しても、我々の現代的な生活もまたコンプラとPCに支えられているのは間違いない事実である。今の時代の書き手になりたいなら、時代の価値観についても調べよう


同じ時代に生きている読者にウケることを考えよう

「昔のヒット作だけど今読んだり観たりすると価値観的にキッツイ」というものはいっぱいある。何百年も読まれ続けている有名な古典でも、その価値観や風習は現代人では生のままでは飲み込みにくいものはたくさんある。そういう部分を再解釈して翻訳されたり再演される作品も多くある。
そんな現代とは価値観もテクノロジーも何もかも違う古い物語が、なぜ今も読み続けられ、新たなファンを獲得しているのかというと、それはやはり月並みな言葉ではあるが「人間を描いている」からではないだろうか。

狼煙がスマホになっても、人間の持つ感情、喜怒哀楽がまるきり変わったり新しい感情が発明されるということはそうそう無い。愛しい人が死ねば悲しい、うまいもん食っていい暮らしがしたい、仕事や信仰などの道を極めたい、5000兆円欲しい、出世したい、憎いやつをやっつけたい……そういう人の願い、欲望、気持ちのベーシックなところは今も昔もそう変わらない。そこを生き生きと描いた作品は、長く人の心を引きつける

「十年後とか百年後とかに読まれたとき古くなったりダサくなったりしているのが嫌だから、流行ものや時事ネタ、固有名詞や芸能ネタはなるべく取り入れない」という書き手もいる。
一理あると思うが、正直なところ、私は遠い未来の読者のことを考えるより、今このとき、書き手と同じ時代を生きてる読者にどうウケるかを考えたほうがいいんでないの?と思っている。今の読者にウケなきゃどのみち百年後になんか残らない。来るかどうか分からない未来のことを考えるより、腰を据えてナウ・ヒアを見つめよ。よく観察せよ。そこに見えるものは、今しか書けないのだから。


現在の状況と呼応する古典パンデミック小説

今回のオススメ本は各地で売り切れ続出との報が出ているアルベール・カミュの『ペスト』。疫病のパンデミックとそれに翻弄される市民、医師、行政など人々の営みを描き出した古典として注目を浴びている。初版は第二次世界大戦終結直後に刊行されているので、ペストにファシズムの台頭を重ねて描いたという読み方もある
けれどこの本が今また注目され、また長い間出版され続けてきたのは、疫病そのものよりもそれに相対した人々の生々しい姿を描いているからだ。読んでいくと「最近どこかで聞いたような……」という感じがするセリフやエピソードが必ず見つかると思う。ちょっと時代が経ったくらいでは人は大きくは変わらない。
しかし一方、少しずつだが変化している部分もあるその「少し」を見逃さず丁寧にすくいあげ描くのが、時代性のある物書きの条件と言えよう。

(タイトルカット:16号


今月のおもしろい作品:『ペスト』

画像1

著:カミュ 訳:宮崎嶺雄 新潮社(新潮文庫)
アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。