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2010年のウェブ小説書籍化(後編) マジョリティになった「ネット民」と「ネット発の小説が売れる」ようになった背景|飯田一史

↑「2010年のウェブ小説書籍化(前編)」から続いています。

出版社発のウェブ小説の動き――「Webミステリーズ!」「マトグロッソ」

 少し、海の向こうに目を向けてみよう。
 海外SF(主にアメリカ)ジャンルでは、ジョン・スコルジーが1999年に最初のSF長篇"Agent to the Stars"をシェアウェアとしてウェブサイトで公開して2004年までにカンパで4000ドルを稼ぎ、書籍版が2005年に出版され、2002年に第2長篇『老人と宇宙』をサイトで公開するとトー(Tor)の編集者が出版をオファーしてやはり2005年に書籍版が刊行され、ヒューゴー賞最終候補作となった――ローカス誌編集部「インタビュウ ジョン・スコルジー 世界を塗ってごらん」内田昌之訳、「SFマガジン」2012年12月号42p(初出「ローカス」誌2007年8月号)でスコルジーは「ぼくは長篇をオンラインで発表して大手出版社からオファーを受けた最初のSF作家だと思う」と語っている(ただし、真偽は不明)――という先駆があった。

 また、2006年3月からポッドキャスト上で自作の小説を朗読した音声を配信し、2008年に「世界初のポッドキャスト小説」という宣伝文句で書籍化されたスコット・シグラーの"INFECTED"(日本語版は『殺人感染』と題して上下巻で扶桑社ミステリーから2011年に刊行)のような変わり種のウェブ発小説もある
 とはいえ紙メディアからデジタルメディアへのシフトが劇的に起こったのはこの2010年前後からである

 たとえば、2011年2月に発表された2010年度ネビュラ賞最終候補の短篇7編のうち6編がオンライン初出だった。ノヴェラ、ノヴェレット部門も電子版で読める(買える)ものが大半を占めるようになり、2010年9月に発表されたヒューゴー賞のゼミプロジン部門には「クラークス・ワールド」がウェブジンとして初、ファンジン部門では「StarShipSofa」がポッドキャストとして初の受賞をしている。
 また、「ウィアード・テールズ」誌の編集長を2007年から2011年まで務めたアン・ヴァンダーミアが2012年にはウェブサイトTor.comの顧問編集者(コンサルタント・エディター)に就任した。
 こうした動きを早川書房の「SFマガジン」はリアルタイムで紹介していたが、しかし、日本においてはSFに限らず主要な紙の小説誌がオンライン小説誌に移行する動きはほとんど見られなかった(「別冊文藝春秋」が2015年6月号から、「ジャーロ」が2016年から電子書籍のみに移行するなど、限られていた)。
 とはいえ、CGM発のコンテンツの書籍化ではなく、出版社運営のウェブメディアからの書籍化でもこの時期、記述しておくべき動きはある。

 出版社発の小説誌の多くは公式サイトないしはウェブマガジンを運営していたが、ほとんどは出版物のプロモーションや人気作家のエッセイ連載を目的としたもので、小説連載自体が少なく、そこからのヒットとなるとさらに少なかった(近年でも少ない)。
 例外的な事例として、この頃のものでは山本弘の怪獣SF小説『MM9』シリーズがある。『MM9』の第1作は東京創元社の紙の小説誌『ミステリーズ!』2005年8月号から2006年12月号にかけて連載され、2007年に単行本化されたものだ。同作の2010年7月~10月期のテレビドラマ『MM9-MONSTER MAGNITUDE-』放映に合わせて、2010年2月から2011年2月まで、同社のウェブマガジン『Webミステリーズ!』上で本編の続編『MM9―invasion―』が隔月連載され(11年7月書籍化)、さらに2011年4月から2012年8月まで同誌上で『MM9―destruction―』が隔月連載された(13年5月書籍化)。
もともと紙発の作品であり、ドラマ化合わせでウェブ連載が決まったものだから、シリーズとしては「ウェブ発」ではないし、ウェブで隔月連載というペースは「なろう」「エブリスタ」の人気作品と比べると更新頻度は遅く、実際どの程度の読者がウェブ版に付いていたのかは不明だが、一応紹介しておきたい。

 出版社発のウェブ小説誌としてもうひとつ紹介しておくべきは、イースト・プレスがAmazonに企画を持ち込むことで始まった、Amazon.co.jpからのみアクセスできる無料の文芸誌「マトグロッソ」の創刊だ(2010年5月24日から)。これは当初毎週木曜に更新され、森見登美彦の新作小説『熱帯』、国立国会図書館の長尾真館長(当時。2021年5月没)と円城塔の対談、伊坂幸太郎のエッセイ、萩尾望都のSF小説(!)などを掲載。
 Amazonの電子書籍サービスKindleの日本上陸は2012年10月25日であり、それに先行する試みだった。逆に言えばKindleが本格化するとほどなく、2013年の4月に「Amazon.co.jp上にあるWeb文芸誌」としての運営は終わる。以降はイースト・プレスの自社サイト内に移行し、現在はほぼウェブマンガ媒体として存続している。

 イースト・プレスと言えば2000年代後半にレガロシリーズを立ち上げ、『華鬼』や初の異世界転移作品の書籍化と目される『つがいの歯車』などのウェブ小説を書籍化した版元だが、マトグロッソとは読者層も編集者も重なっていない。
 ただ、ポール・オースターがアメリカで実施した「ナショナル・ヒストリー・プロジェクト」の日本版と称して思想家の内田樹と純文学作家の高橋源一郎が選者となって「嘘のような本当の話」を募るという読者投稿企画も実施し、2011年6月に書籍化した点は、CGM発の「ウェブ小説書籍化」と「プロ作家による版元運営のウェブジン掲載小説の書籍化」の中間的な試みとして興味深い。

 あるいは「マトグロッソ」をイースト・プレスのサービスというよりAmazonのサービスとして捉えるならば「投稿プラットフォームとしてのAmazon」をKDP(キンドルの個人向け電子出版サービス、「Kindle Direct Publishing」)に先行して実現していた――KDPが日本でサービスを開始したのも2012年10月のことだった――とも言える
 ただし、投稿作品を「権威」である内田・高橋という「選者」が選ぶスタイルは、2000年代まではケータイ小説の賞でも見られたが、2010年代以降のウェブ小説では減り、読者が直接評価し、それが賞を獲り、書籍化される流れが中心となる。その意味でもウェブ小説書籍化の歴史の流れを鑑みると、折衷的・過渡的な企画だった。


出版社発とCGM発の新人・新作選別のしくみの違い

 ここで改めて、時代の転換の意味を理解するためにも、出版社発の新人作家選別のしくみとウェブ発のCGMによる新人・新作発掘・育成のしくみの違いについて説明しておこう。

 商業出版における文芸の新人発掘・選別のしくみはこうだった。
 新人賞の選考は作家や批評家からなる「権威」が行い、あるいはデビューして以降は出版企画の可否は編集者という「専門家」が判断し、出版されたあとは「マーケット」(一般読者)に商業的にジャッジされる、というものだ。ただし「権威」や「専門家」の評価軸は必ずしも「マーケット」(世の中の読者)の評価と一致しない。これが90年代中盤以降「小説が売れない」と言われる事態を招く一因になってきた。
 それに対してアルファポリスのドリームブッククラブや第二次ケータイ小説ブーム以降、「書籍化の可否自体が読者人気によって決まる」しくみが徐々に普及していった。つまり、最終的に書店でお金を出して買うかどうかを決めるのはジャンルの専門家や先輩作家ではなく無数に存在する一般読者なのだから、出版するかどうかの可否も最初から一般読者の評価(アクセスやブックマーク数など)を参考に決めればいい、という考えだ。これが既成の新人賞システム発の小説よりも高い打率でヒット作を生み、採算分岐割れ作品の比率を下げることに貢献したのは当然といえば当然である。

 もちろん、こうした試みはウェブ小説台頭以前からなかったわけではない。たとえばライトノベル誌「ドラゴンマガジン」では作家に新規企画の短編を競作させ、読者投票によって人気になったものを長編化(書籍化)することが行われていた。
 小説に限らなければ、マンガ雑誌では「増刊に新人作家の読み切りマンガを掲載して読者の反応をテストし、人気になった作品・作家は本誌にステップアップさせる」というやり方が1970年代にはすでに一般化していた。ウェブ小説書籍化は、デジタルメディアを利用して読者と書き手の双方向性を実現し、月刊誌よりも週刊誌よりも作品更新と読者からの反応の速度を早めた点が画期的だった
 ただし、この「人気投票を行ってから次のステップに進む」手法は、最初にジャッジを下す読者の母数があまりにも少なく偏っている場合や、テストマーケティング媒体としてのウェブ上の読者層と書籍化したあとで書店で作品に出会う読者層との嗜好のズレが大きい場合は機能しづらい。
 ウェブ小説書籍化の事例ではないが、たとえば2000年代までは「ネットで褒められているラノベは売れない」と業界関係者の間では言われていた。これはネットでラノベ論壇を形成していた少数の「大人」と、当時ラノベを読むコアターゲットであった多数派である「子ども」との、嗜好のズレを意味していた。ラノベに限らず、かつては「ネットで評価が高い作品と実際に売れている作品は違う」としばしば語られていた


「ネット発の小説が売れる」ようになった背景とウェブ小説書籍化に対する思想の違い

 ところが2000年代後半以降、ネット上で人気の小説を書籍化すると手堅く売れるという現象が広範なジャンルで見られるようになった。これにはどんな背景があるか。
 ひとつは、インターネットとSNSの普及に伴い「ネット民」がマイノリティからマジョリティになり、「ネットの意見」がそのまま「人々の意見」に近づいていったことだ。
 また、「権威」「専門家」としての視点から小説作品を世に送り出すのではなく、読者のニーズを汲むことを第一に置き、欲求に応えるものを提供するスタンスの小説出版社が増え、力を増したこともある。ウェブ小説書籍化に長けた版元には、2000年代からライトノベルを手がけていた会社が少なくない。

 文庫ラノベは一般文芸と比べるとマンガ同様に「売れるものを作ろう」という考えが作家にも編集者にも浸透しており、読者の好みを柔軟に取り入れることで2010年代初頭まで市場規模を拡大してきた。したがって「読者が支持するものを刊行する」というウェブ小説書籍化のしくみにはそもそも思想的に親和的であり、2010年代に既成の文庫ラノベの主要レーベル・主要な版元が軒並み手を出した一因はここにある。
 まだ「人気のあるウェブ小説を本にすると売れる」というコンセンサスがなかった2000年代のうちはウェブ発の小説がラノベとみなされることがほとんどなかったが、2010年代にはウェブ発の小説の多くがラノベとみなされるようになった。これは、ラノベがもともと商業主義的であり、売れるものはなんでも貪欲に取り込んできた――たとえば2000年代にエロゲーがブームだったころには18禁の美少女ゲームのノベライズ(全年齢版)を刊行し、書き手を積極的にリクルーティングしていた――からであり、その流れでこの時期以降、ウェブ小説を積極的に取り込むようになったからだ。

 逆に言えば「マーケット」(市場=一般読者)ではなく「権威」「専門家」が、世に本として送り出す作品を決め、業界内のギルド(作家協会など)で賞に値する評価されるべき作品を選ぶのが当然だという考えが強いジャンル(たとえば純文学など)ほど、ウェブ小説書籍化に対しては、今日に至るまで消極的であるこの態度は「ビジネス」のことだけ考えれば今やもはや非合理的に見えるが、マーケットの力学とは別に設定した基準によって小説を評価するという「思想」を優先させているがためである
 こうした思想に基づいて営まれるジャンルでは(先ほどマトグロッソのところで指摘したように)、たとえウェブから作品を選ぶサービス・プラットフォームを利用した賞を主催したとしても、読者が付けた評価よりも、編集者や目利きである選考委員の評価を優先することが多い。こうした「目利きが選ぶウェブ小説発の新人賞」は、かつて純文学やSF小説の雑誌などで行われていた、有力な文芸同人誌からめぼしい新人を批評家や編集者がピックアップして商業媒体に起用することを思わせる。
 つまり、昔からあるやり方を踏襲しながら――正確に言えば、どこの会社も自前の新人賞を用意するようになって以降は廃れていたやり方を復活させるようにして――新人を探す器を同人誌からウェブ小説プラットフォームに代えたのだ。とはいえ本命は紙の小説雑誌を母体とする従来の小説新人賞であることは変わっていない。

 川上弘美を輩出し、大西巨人が連載したように、純文学ジャンルでは90年代のほうがウェブ発の小説の書籍化が目立っていたのは、90年代におけるインターネット空間がイノベーターやアーリーアダプターのもの、つまり先進的・先鋭的な一部の人間のための文化(それは純文学が自認するイメージと親和的だった)を生み出すための場とみなされていたからだ。
しかし、2000年代半ばに起こった第二次ケータイ小説ブーム以降のウェブ小説は、有象無象の大衆の好悪が左右し、牽引するイメージが強いものになった。それゆえに純文学はウェブ小説に対して、散発的な試みはいくつかあるにせよ、ほとんど消極的な態度を取らざるを得なくなった。
 この見立ての正しさに関しては、2010年代に現れた平野啓一郎『マチネの終わりに』や上田岳弘『キュー』、村上龍『MISSING』といった数少ない純文学とウェブ小説の交錯が-――ウェブ小説自体は、本連載が90年代からの歴史を書いてきたことからわかるように、本質的にはとっくに「枯れた技術」と化しているにもかかわらず――いずれも「先進性」や「新奇性」あるいは「実験性」などといったものを装って起こったことが証左となるだろう。


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