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くだらないなっていう一言を一週間抱えて生きていた|燃え殻 インタビュー

 テレビ美術制作会社で働きながら、日報代わりに書いていたTwitterで日々感じていることを時には自虐的にツイートしていく中で、多くのフォロワーを獲得した。そして、はじめてのウェブ連載となった小説『ボクたちはみんな大人になれなかった』が書籍化されると即重版がかかり、新人作家としては異例の大ヒットとなった。
 SNS時代の書き手の寵児とも言える新しい時代の作家は小説だけではなく、エッセイと意欲的にいろんなジャンルへ挑んでいる。SNSとの向き合い方から小説を書く際に気をつけていること、影響を受けているものについて燃え殻氏に聞いた。

深夜ラジオという「解放区」に救われていた

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――小説を書きはじめたきっかけがありましたらお聞かせください

燃え殻:元々Twitterを通じて声をかけて頂いた、尊敬する作家の樋口毅宏さんに三軒茶屋で飲んでいる時に、急に小説を書けと言われたんです。僕は140字以上書いたことがないって言ったんですが、その夜にはcakesで担当編集者となる中島さんに会わされました。

――樋口さんには小説を書いてみたいとかそういう話を以前にされていたわけではないのですか?

燃え殻:まったくないです。根拠はないけど書けると言って頂いて。その後、半年間ほど中島さんと小説のテーマについてメールのやりとりを始めました。
「人生で戻りたい場所ってありますか?」「後悔はありますか?」「忘れられない人はいますか?」「やり直したいことはありますか?」というものから、『ボクたちはみんな大人になれなかった』の主題となる昔付き合って、ふとしたことでいなくなってしまった彼女へ何本もの線が引かれて、彼女の事を中心に書いてみることに話がまとまりました。

――学生時代には創作活動などはされてなかったんですか?

燃え殻:部活もなにもせず、自分はこんなに凡庸でいいのかと思うほど凡庸でしたね。中学生になったころに深夜ラジオが流行って、中学一年ぐらいからはがきを投稿するようになりました。

――中学生入ってすぐに深夜ラジオに投稿するのってかなり早いですね

燃え殻:『三宅裕司のヤングパラダイス』という番組の最後の方だけど聴き始めて、なんか自分も応募したいなって思って、ネタを書いて週に三枚とか決めて送るみたいな感じでした。全然読まれなかったけど、ある種認めてほしい、おもしろい人間でありたいと思ってました。

――学校の友達には言わずに深夜ラジオにずっと投稿してたんですか?

燃え殻:自意識も渋滞してたし、今で言うところの中二病だったので言ってないです。僕がめちゃくちゃイジメられていた時に学校に登校したら花瓶が机に置かれていたことがあって。僕はその花瓶の意味に気づかなくて、ちょっとズラしてそのまま授業を受けたんです。担任も何も言わないし、みんなも嫌がらせでやってたのに、当の本人は豪華な受付嬢みたいな気持ちで授業を受けてたんですね。
あとあとその意味がわかるんですけど、そのことを、たしか「オールナイトニッポン」に出したら読まれたんです。その時に笑いが起きて、あっ、なるほど、自虐も含めて自分がやっていることを笑いに昇華したり、なにかを書くことによって成仏させることができるんだってわかってからそういう癖がつき始めた。それが今のTwitterのつぶやきには繋がっていると思う。
ほんの少しだけどポツポツと読まれるようになったんです。ただ一回読まれただけでものすごくうれしくて、自意識がすごく満たされ、クラスの中では特殊なポジションでモテも起きなかったけど、ラジオからのこれおもしろいな、くだらないなっていう一言を一週間抱えて生きるっていう感じだった。

――ラジオに投稿していたことが今のTwitterに繋がってもいるし、息苦しい毎日から救われていた

燃え殻:そうですね。深夜ラジオでエッチな話や不道徳な話を平然としている場所があって、「2ちゃんねる」とは言わないですけど、けっこう「解放区」だったんですよ。なんとなく自分も参加しているような雰囲気を感じさせてくれるのが深夜ラジオだった。

――そんな深夜の「解放区」があって、初期の牧歌的なTwitterみたいなものを燃え殻さんが中学高校の時に体験されていた。そういうはがき職人のように投稿以外の活動はされてましたか?

燃え殻:自分のクラスの入口、入ってすぐの掲示板に自作の新聞を貼るようになりました。最初は恥ずかしかったけどやると決めて。

――そのやる理由はなんだったんですか?

燃え殻:その頃はインターネットもなかった。自由に使えるようなFAXも中高生の僕にはなかった。表現欲求と、あとこれ以外選択肢がなかったという。今考えると他にもあっただろうと思うんだけど。発行人のところに自分の名前も書いているからクラスの人間にはわかるようになっていて。

――認められたいという

燃え殻:認めてほしかったんだと思う。完全に間違っていたんですが、これで俺はモテると思っていた。どうだこれが学級新聞版『i-D Japan』だぞ、みたいな誰も知らない達成感。

――それは間違ってますね(笑)

燃え殻:間違ってた(笑)。

――中学高校とラジオへの投稿と新聞を発行していたわけですが、高校卒業後に放送作家になりたいとか、そちら方面に行きたいとは思わなかったんですか?

燃え殻:行けるわけないですよ、常連でもないし。投稿はがきの世界にも、もちろんヒエラルキーはあって、その中で俺は選ばれる方ではないんだって、世の中にはすごいやつがいるんだということを味わっていたんで。


震災後もTwitterの使い方は変えなかった

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――デビュー作『ボクたちはみんな大人になれなかった』では「デイリーan」の文通欄でやりとりした彼女と付き合いだしたという実際に起きたことが書かれていました。
その後、テレビ美術制作のお仕事を始められます。そこからはずっとテレビのお仕事一筋になって、他の表現活動はしてなかったんですか?

燃え殻:仕事が忙しくなって15年以上なんにも表現することもなく、テレビの美術の下請けをずっとやっていたんです。
テレビの美術制作以外の営業をかけたいと会社に言って、動き出したら「ファミ通」をやっているエンターブレインと縁ができました。当時会社で『踊る大捜査線』のエンドロールや美術制作をしていたんですが、たまたま行ったビックサイトのフリマで出会った人が『踊る大捜査線』マニアの方だったんです。

――「カエル急便」とかありましたね

燃え殻:うん、それもうちも含めた何社かで作ってたんですよ。その人が実は「ファミ通.com」の編集長だったのがきっかけで、そこの広告を会社で作るようになって。それでテレビ以外の仕事がはじまりました。その編集長がTwitterの存在を教えてくれたんです。
その頃のエンターブレインはデスクを持たないで、いろんな所にいて、今どこにいるかっていうのをTwitterで社員同士やりとりしてたんです。当時はエンターブレインが半蔵門にあって、僕が行ったら「社内食堂に今います」とか「今近くの喫茶店にいます」とかやっていたから、わー未来って思って。

――まだスマホが一般的になる前ですよね

燃え殻:そう、それで編集長にTwitterをあなたもやりなさいって言われて、お客さんから言われたというのもあって始めました。

――Twitterの使い方は今と違ってましたか?

燃え殻:それまではちょくちょく「つらい」とかつぶやいてたけど、あと営業も兼ねて外に出るようになったので、うちの社長や部下に対して今ここにいますっていう連絡事項としても使ってました。
初期の頃は特にラジオ投稿の場としてもTwitterが使われていたりした。あとは「パスタなう」ですよ。今みたいに政治的イデオロギーがまったくなくて、ラジオの「解放区」のようにみんなゆるやかに繋がっていた
東日本大震災の時に政治等々の思想みたいなものとして使う人間が出てきた。それまでにもちょこちょこではあったとも思うんだけど、完全なる流れができたのは東日本大震災からだと思います。

――その時に燃え殻さんがやったのが不安な人がたくさんいるから、みんなでフィッシュマンズの『ナイトクルージング』を聴こうみたいなことだったんですか?

燃え殻:すごくちゃんと言うと、右と左の人両方とも僕のフォロワーにいたんですよ。その人たちとその話はしたくないわけですよ、他の所では繋がれるじゃんってことで『ナイトクルージング』を聴こうっていうツイートをしました。
もっと言えばTwitterだったらそれでいいから、自分として思想があるとしたら他で言いますよ。Twitterでやると言葉足らずになるか強めになってしまって、あまりいいことは起きない。あんまりそういうことをしないようにはしてるんですね。それでもたまに事故るんですけど。あそこのときに使い方を変えた人がいたとは思う。

――燃え殻さんはTwitterの使い方は変えていない?

燃え殻:もうあそこで変えないぞっていうことを『ナイトクルージング』を含めてやりました。だから、変わってないです。


ウェブの横書きと書籍化の縦書きはまったくの別物

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――小説はcakesで連載するという形になりました。その時にいちばん大変だったことはなんでしたか?

燃え殻:まず、時間がなかった。朝のワイドショーがあって、昼間の仕事もあったから、一般の人が昼休憩というのが睡眠時間になっていたけど、そこの時間で書いていました。
あと僕は小説を読んでこなかったので、どういう状況だったり心情を書くことで、頭の中に絵が浮かぶような構図が出来上がるのかということがまったくわからなかった。
その時に読み返したのが大槻ケンヂさんの『リンダリンダラバーソール』でした。この小説は大槻さんが思い浮かんだ昔のことをどんどん書き綴っていると思ったんです。だからまずそれをやってみようと。忘れているところは自分が補填すればいいそれは大槻さん的な言葉でいうと「希望」で、嘘ではなくこうであったらよかったなという「希望」です

――フィクションと願望がうまく混ざっていくという表現になったわけですね。cakesでは横書きでしたが、書籍化する際には縦書きになりました。ウェブと紙での表現の違いや一番大変だったのはなんでしたか?

燃え殻:最初は横書きで書かれたものをそのまま縦書きにして出版すればいいと思ってました。最初に新潮社の担当だった宮川さんが全部縦書きにしてくれたものを読んで、こんなに稚拙でダメなのかって思って、これは大幅に改稿しないいけないなと。
横書きと縦書きのものっていうのは僕の中ではまったく違うものだった。簡単には言えないけど、ひとつはcakesでは横書きでそれほどの長さではなく原稿用紙三、四枚ぐらいが一回分の長さでした。その中で最初に「つかみはOK!」ってやつでつかみを入れて途中で飽きさせない、最後に次に読ませたいというウェブで読む仕掛けをすごく入れていた。それを縦書きにしてみると仕掛けだらけみたいな感じになってしまった

――物語が展開していないということですか?

燃え殻:そう、うまく展開してなくて。例えば、とにかく悲しいことを起きると、次に楽しいことがあって、というわかりやすい表現をバンバン繰り返している作品があるじゃないですか。ちょっと途切れてくると次につかみとして大事件が起きるっていう、ウェブなら問題ないのに、縦書きにしたらそれがうるせえなって感じになるんです。

――このことをわりとみんな把握していなくて、横書きが縦書きになるということがメディアミックスぐらい別物であるということにみんな少しずつ気がつき始めている気がしています

燃え殻:言われたようにわりとみんなわりとわかってない。結局読んでいて疲れちゃうんだと思う。それって簡単にいうと構成ですよね。構成が失敗している。横書きから縦書きにする際に構成をちゃんとしなかった人たちは失敗している
最初にゆがくっていうか脂どり。とにかくゆがいて脂どりして、ある一定の文章として平坦で間違っていない日本語の読み物にする。その中から転調させたり、ここはサビにしようとかを少しずつ入れていきながら、曲にしていくみたいな作り方をしていった気がします。


ここだけの話ねっていうものを大事にしたい

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――デビュー時と現在とで、執筆方法に変化はありますか

燃え殻:最初の『ボクたちはみんな大人になれなかった』は全部スマホのメモで書いてました。風呂場でも書いてたし、満員電車の中でも。今はスマホとパソコン半々ですね。

――今は最初からスマホで書き始める人もかなりいると思うんです。それもあって縦書きにするときに困るということも出てきているのかもしれません。スマホとパソコンで書くのは違いとか出ますか?

燃え殻:スマホで書いているもののほうが僕は好きなんですよ。この前大槻ケンヂさんとFMで久しぶりにお会いした時に「例えば、とある作家の発表されていなかった原稿よりも隣に座ったOLのLINEのほうが気になるよね」って、俺もそう思いますって言って。
ここだけの話ねっていうものを大切にしたい。これは俺しか読まないのかもしれない、もしくはあと誰か一人しか読まないかもしれないと思うことが大切かもしれないって個人的には思ってます。

――プロットなど作りますか?

燃え殻:全く作ってないです。毎回何枚書くというのがわかっているからその枚数を書いて出す感じですね。

――構成もその時に書きながら考える感じですか?

燃え殻:そうですね。手探りで書きながらコマが揃ってきたから、こういう終わり方はできるかもしれない、と思いながらやってます。でも、できなくなったみたいなことも連発で起きちゃうんですけど、「yom yom」で連載中の『これはただの夏』ではそういうやり方でやってます。
話は少し変わるんですけど、前に『すべて忘れてしまうから』というエッセイを出す時に周りの人たちに、今出してバズらなかったらどうするんですかって言われたんですね。

――バズるとかヒットしないということが怖い?

燃え殻:そうだと思う。僕は本を出させてもらえる喜びがあるから、自分でも売れるようにある程度は努力します。自分ができる範囲で宣伝したり、インタビューで自分はこういう人間ですっていうのを続けながら。
僕は中島らもさんとかがそうだけど、小説も絵本もエッセイも書いて、人生相談もやったりするような人がものを書く人だと思ってるんです。だから、そういうこと言われてもなあって。

――燃え殻さんの文章は何気ない景色でも独自の観点が色濃く出ていて魅力を生んでいると思います。その観点はどのようにして培われたと思いますか?

燃え殻:意識はしてないけれど、これが気持ちいいというのと自分だったらこう書きたかったということなのかな。
受注産業が長いので、自分が書くものに関しては発注してくれた人がなぜ僕に依頼してくれたのかということを考える。こういうことを望んでいるんじゃないかとか。でも、考えているけど時には横道に逸れたり、アクセルを踏みすぎたりとかしますよ。

――それはそれでおもしろかったりするわけじゃないですか

燃え殻:アクセル踏みすぎると怒られたりもしますけどね。でも、なんかそういうような部分は受注産業だぞっていう心構えは常に置いていますね。

――それが他のSNSから出てきた周りの書き手とは違う意識なのかもしれないですね

燃え殻:作家になりたいってTwitterでプロフィールに書く人いるじゃないですか。それって読み手を見失う可能性がかなり高いなって思ってるんですよね。


中島らもが見ていて、ダサいって思われることはしたくない

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――なるほど、それは燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』と『すべて忘れてしまうから』という小説とエッセイにも通じているように感じます。あと影響を受けているのは先ほども名前が出ましたが中島らもさんですよね

燃え殻:そうですね。最初は大槻ケンヂさんのラジオを聴いて、そこから本も読むようになったんです。エッセイ『のほほん雑記帳(のおと)』の最後の方に、これはおもしろいから読んだ方がいいっていうのがざっーと載ってたんですよ。そこに中島らもさんのことが載っていて知りました。

――小説を実際に書き始めて、出版されてから改めて読み直したりしましたか?

燃え殻:何冊かはして、今はらもさんの『ロカ』を読んでます。

――自分が小説を書く前からとでは全然感じ方が違ったりはしましたか?

燃え殻:らもさんは52歳で亡くなっているので、そう考えると今47歳だから、『ガダラの豚』書いたのってとか、それぞれの作品を書いた年齢のことも考えるし、らもさんは塀の中にも入ってたけど、それでもいろんなジャンルのものをたくさん書かれていて、さらには演劇もやってたんだなと思うと尊敬の念がすごい。エッセイも30代で書いているから、今読み返すと不思議な感じもします。

――それもあるから燃え殻さんもエッセイを書きたいというのはあったんですか

燃え殻:そう。今月出た『相談の森』も『中島らもの明るい悩み相談室』を参考にしていて、だって俺はらもさんがやっていたことをやりたいだけだもん。

――自分が好きな作家とか憧れていた人がやっていたことをやりたいっていうのはありますよね

燃え殻:だって、ほんとそうなんですよ。ただ、それもらもさんの匂いを追ってるというか。

――らもさんが目標なんですね

燃え殻:もちろん。らもさんが見ていたらそれはダサいだろってことやりたくない。らもさんの小説や人生相談とかってある種の恥ずかしさを持ちながらも、やりたいことがあって、無理して一生懸命頑張るんだけどダサくない感じで耐久性のあるものを書いていた気がするんです。
無頼に憧れるんだけど、無頼をやりきれない女々しさみたいなものがらもさんにはありますね。


現代の人たちが興味あることにコミットしていく

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――これから書きたいと思っている作品、テーマにはどんなものがありますか?

燃え殻:ひとつは僕がそうだったように、文学なんて立派なものじゃない建てつけで接してくれて、敷居を低くして受け入れてくれた中島らもさんみたいなことを僕もやれればいいと思ってます。
ウェブ界隈から出てきた人は売れないとかバズらないというのを異常に怖がってしまうけど、失敗してもいいじゃん、下手打っていこうよって思っている。らもさんみたいに階段から落ちろよ、と。

――らもさんそれが原因で死んじゃったんですけどね

燃え殻:そっか、死んじゃうか。死んじゃったらダメだ。でも、ほんとうにウェブ界隈のそれがイヤだったんですよ。

――燃え殻さんが言っていることはTwitterもそうですが、SNSの時代になって失敗したら人生は終わりみたいになってることに対してですよね?

燃え殻:そう、ほんとそれ。でも、それがものを書いている多くの人に伝播してるから、俺が壮絶にみんなの前でずっこけますよ。

――最後に、プロをめざす書き手に向けてのメッセージがあればお願いします

燃え殻:意識することはNetflixにYouTube、Amazonプライムに地上波、そういったものに対抗する文学ってなんだろう? ものを書くってなんだろうという思考が必要だと思います。

――深夜ラジオで燃え殻さんがはがきを読まれた時、その一言を抱えて生きていたという部分と繋がっているように思えるのですが、そのためには具体的にはどうしたらいいでしょうか?

燃え殻:それらを好きな人たちを含めて、その人たちが一行二行読んでもいいかなって思うものを必ず最初に、冒頭に入れる
結局は時間の奪い合いだと思うんですよ、それが今とくに激しいし、速度が速い。そうなった時に文学というよりもエンターテインメントとはみたいな考え方が必要だと思う
みんなが使える時間、余暇とかで本読んでもいいし、Netflixを見てもいいって言った時に本を読む時間を選んでもらうにはどうしたらいいのかを真剣に考えた方がいい。

――尚且つ自分の作品を仕上げていく意識も大事になってきますね。小説からさらに広がっていくものも作品には必要になっていくというか

燃え殻:そうだと思います。森山未來さん主演で『ボクたちはみんな大人になれなかった』が映画化されて来年Netflixで配信されるんです。ずっと監督さんとプロデューサーさんとやりとりしながら進めてきました。
小説を書くのとは違う経験ですが自分が書いたものがNetflixでもやる。そんな風に漫画にもなったり、YouTubeとも連動するみたいなこととかをしていって、今現代の人たちが興味あることにちゃんとコミットしていく。それが悪手だっていう人もいるだろうけど、僕はそういうことをやるということも必要だと思います。

――エンターテインメントとしていろんなジャンルへメディアミックスできるものになっていないと戦えないということでしょうか?

燃え殻:そうじゃないって言う人もいてもいいけど、僕は個人的にはそう思う。その作品に触れて読んだり、観たりしてくれた人たちが次をたのしみにしてくれる
僕が深夜ラジオでおもしろいな、くだらないなってのを抱えて、生き延びさせてもらっていたあの感じに似たものを作っていきたいですね。

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(インタビュー:碇本学、構成:monokaki編集部、写真:三田村亮、撮影協力:二コラ)


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『ボクたちはみんな大人になれなかった』
著:燃え殻 新潮社文庫 新潮社
それは人生でたった一人、ボクが自分より好きになったひとの名前だ。気が付けば親指は友達リクエストを送信していて、90年代の渋谷でふたりぼっち、世界の終わりへのカウントダウンを聴いた日々が甦る。彼女だけがボクのことを認めてくれた。本当に大好きだった。過去と現在をSNSがつなぐ、切なさ新時代の大人泣きラブ・ストーリー。あいみょん、相澤いくえによるエッセイ&漫画を収録。


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『相談の森』
著:燃え殻 
画:久保田寛子 装丁:熊谷菜生 ネコノス合同会社
文春オンラインの人気連載「燃え殻さんに聞いてみた。」を待望の書籍化。家族との関係に、職場での振る舞いに、恋に将来に過去の失敗に。生きている限り、人はいつだって悩んでいる。そんな悩みの一つ一つに、自身も迷いながら答える燃え殻の「人生をなんとか乗りこなす方法」を大公開。ずばり解決策が示されるわけじゃないのに、なぜかホッとする回答の数々。61篇のQ&Aを収録予定。

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