見出し画像

いいキャラクターは「書かれるべき物語」を呼ぶ|monokaki編集部

 「第3回yomyom短編小説コンテスト」の結果が本日発表されました!実用度◎な、「yom yom」編集長・西村博一さんによる一問一答シリーズ傑作選も3回目です。
 今回は、皆が頭を悩ませる永遠のテーマ、「魅力的なキャラの作り方」についてです。ラップバトルやバディヒーローがお好きな方には特に分かりやすく!?解説いただきました。

▼過去の記事はこちら
シナリオを小説にリライトするときに気をつけること
純文学はWebにアップするべき?老舗新人賞に送るべき?

「先行作品の合成物」にならないために

【質問】
はじめまして。質問させていただきます。キャラの魅力が引き出せません。キャラ設定を書いてみてますが、まだ足りないような気もします。どうしたらいいでしょうか?

 この「キャラの魅力」問題、皆さんにとって本当に切実な問題なのだろうと拝察します。もうほんと、このような機会があるといつでも必ず聞かれますし。

 基本的には、「キャラの“変さ”とか“ギャップ”の背景として密接に関わってくるドラマがあってこそ、キャラは立つ」というところに尽きると思うのですが、“密接に関わってくるドラマ”ってどうやって発見すればいいのか……という部分を、もう少し語らないといけないのでしょうね、私は。

 まず最初に前提にしておいていただきたいのは、「魅力的なキャラ」とは「かっこいいキャラ」とは限らないということです。もう死ぬほど嫌なヤツだって、二度と視界に入れたくないようなヤツだって、それが強烈な存在感を持っていれば読者は目を離せない「魅力的なキャラ」なのです。どんなブサメンだっていいのです。顔だの身長だの足の長さだのがなんだ、そんなの人間の実存には何の関係もない!(と、なぜ興奮するのか自分)

 そう、「こういう人間は確かにいる」「人間には確かにそういうところがある」という存在感なんだと思うのですよ、大事なことは。

 ですので、身長とか体重とか髪の色とか、あるいは少し猫背だぱっちりした二重だオッドアイだ……みたいなそれっぽいスペックをキャラ設定の中にどれだけ積み重ねても、人間像を結ぶには足りませんし、それはつまり先行作品の登場人物の細かな合成にしかならないのだろうとも思います。


「キャラクターのいる風景」をイメージする

 あるいは、よく言われる「ギャップ」というもの。ホストなんだけど、実は極度の女性恐怖症で……みたいな設定ですね。それ自体ダメということではないのですが(「誰かの“実は……”に触れてみたい」という欲望は、「その人を深く知りたい」という思いに他ならないので、とても大切なものだと思います)、それだけでも足りないと思うのですね。

 闇雲にギャップを詰め込んだところで、それはなんというか現実味の薄さの塗り重ねですので、「いやー、いないでしょそんな人」と、読者の視線がどんどん冷たくなっていくことにもなりかねない。繰り返しますが、大切なのは「いる! 確かにいるよ、そういう人」という存在感なのです。

 では、その存在感ってどこから生まれてくるのかと言えば、それはもうヒントにして答えみたいになってしまうのですが、「その人を物語の風景の中でイメージできるかどうか」なのではないでしょうか。

 『ヒプノシスマイク』の麻天狼の伊弉冉一二三はですよ、チャラいホストだけど実は女性恐怖症ですよ。だけどそれを“克服するためにホストになり“、努力して”スーツを着ると女好き”に変貌するに至ったわけですよね。ほら、ここには何か書いてみたくなる物語性、キャラの来し方行く末があるでしょう? 
 たとえば、一日の仕事を終えてため息とともにスーツを脱いだ伊弉冉一二三がふと我に返り、「心の中にあの女の笑顔がまだ浮かんで来るのはなぜなんだ……」なんて自問自答し、自分の中の未知の感情に戸惑う物語とか読んでみたいですよ。


小さな物語を量産して遊ぼう

 あるいは、『TIGER & BUNNY』の次回予告で、虎徹とバーナビ-のミニ設定が毎回繰り出されてきましたよね。「ハァイ! TIGER&BUNNYのティッシュペーパーは2枚重ねて使う方、バーナビーです!」みたいなのです。

 “ティッシュを二枚重ねて使う”という設定からは、まあバーナビ-の育ちのよさとか、几帳面さとか、そんな感じが滲んできて、そういうの気にしない虎徹に「無駄使いだろ」とかいじられたバーナビーが冷たく虎徹を無視する……みたいな物語と、その風景が浮かんできません?

 で、その雑な感じに振る舞っている虎徹が実は“いつも深爪ぎみ”だったりするわけで、そうするとさらに「虎徹って本当は繊細なところがあるんだけど、そんな自分が嫌で自分自身で隠しているのかも?」みたいな興味も湧いてきて、「そうだとしたら、なんで『隠さなきゃいけない』と思っているんだろう、そのきっかけになったエピソードとかあるのかな……」みたいな、ほらここにも触れてみたい物語が生まれてくるでしょう?

 さらにはバーナビーは虎徹のその繊細さを信じているからこそ、バディを組む安心を得ているかも……みたいなことを想像してもいいわけでしょう?

 ほら、キャラ設定はすでに設定された時点で、書かれるべき物語を呼んでいる部分がありますでしょう?

 だから、「魅力的なキャラクターとは何か」みたいなハウツー的定義は話半分で眺めておき、自分の生み出したキャラの小さな物語をいくつも想像して書いて遊んでみたらよいのではないかと思うのです。私がしばしば作家さんに、「どんなシーンが浮かんでますか?」と聞くのは、キャラ設定がどうやって作中人物の人間像に結びついているのかな、ということが知りたいからなのです。

 キャラは設定だけで魅力があるとかないとか言えるものではない気がします。書き手自身がキャラクターをリアルな手触りのある人間として実感できてこそ、そのキャラならではのオリジナルなドラマが生まれてくるのではないでしょうか。


*本記事は、2019年05月17日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。