Q.「本当に好きなこと」が何かわからなくなりました|海猫沢 めろん
みなさんお久しぶりです。
先日とある学校に呼ばれて、生徒、PTA、先生と読書についてディスカッションしてきました。
「読書をするとヤバいやつになっていくぞ!」
「政府や社会の嘘に気づいてしまうんだ!」
などと熱弁し、読書のヤバさを身を以て体現してしまい、中学生のみなさんの冷たい視線を浴びましたがぼくは元気です。
さて、今月の相談にいってみましょう。
海外ではよく知られている「ライターズブロック」という症状
今月の相談者:霜月平和さん(22歳・学生)
執筆歴:5か月(投稿歴4か月)
ご相談内容:いつも読者ウケするような面白いネタを見つけて、その中で書きたいことを表現するようにしていたのですが、本当にそれでいいのか、悩んでしまいました。
売れる為のキャラ、売れる為のあらすじ、売れる為の世界観。これを使って書いた作品は本当に「自分の作品」なのか?
そして、もはや「自分が本当に好きなこと」の定義もよく分かりません。「本当に好きな作品を書く」とはどういうことですか?
霜月さんの気持ちの変化を順番に読んでいくと、
読者ウケを狙って楽しく書いていた
↓
なんだかわからなくなってきた……好きなもので自分ウケを狙おう
↓
自分にウケるもの・自分が好きなものもわからなくなってきた……。
↓
どうすればいいのかわからない!
というふうな流れですが、これは本当につらい……つらいです。ぼくも正直、これに関しては人一倍悩んでおります。いわゆる「ライターズブロック」とよばれる状態ですね。日本では耳慣れない言葉ですが、海外ではよく知られています。
この症状に対する対処法はいろいろと研究されているので、最後に紹介するとして、このサイトでも、以前このような記事が書かれています。
「読者受け」って何ですか?
このリンク先の王谷先生の答えは、
まず自分にウケることを考えよう。自分が楽しければ、アイデアも湧いてくるし文章も出てくる
これはひとつの真実です。
とはいえ、ぼくの体験も参考になればと思うので、少し話しましょう。
真の文学とは? と考え出すとヤバい
ぼくのデビュー作は、まさに自分が好きで楽しいものを書きました(同時にその苦しさとか憎しみも書いたんですけど)。
結果的にはわりと話題になりましたが、売れたか?というと疑問です。
※ちなみに、ここでは単純に「売れる=重版がかかる」ということにしましょう。本というのは最初に5000部くらいつくって、それを売り、足りなくなると「重版」します。
次のオリジナル作はSFで、ものすごい力を入れました。これ書いてる途中にお金がなくなってホームレスになるくらいマジでした。さらに、ほぼ自分の体験を描いた小説なんかも書きます。いずれも売れたかというと……微妙です。
そのあと、文芸誌で純文学方向にシフトするわけですが、純文学って作品主義なんですよ。セールスよりも良い作品を、という傾向が強い。ここで天の邪鬼なぼくは、「売れないというなら逆に売れてみよう」と決めます。
「まずは多くの人が興味を持つ社会的な問題なんかをテーマにしようじゃないか」と、初めて社会派っぽいエンタメと純文学の中間みたいなものを書いてみました。
そうすると運良くテレビでとりあげられて、ちょっとだけ売れました。
「なるほど、やはりみんなが興味を持っているテーマというのは話題になりやすいんだなあ」
と思い、ひとつの指針にはなりました……が、しかし、本心ではあまり嬉しくはなかったんです。
自分の作品なので、もちろん誇りをもって世に問うています。だけど、どこかでなにかがひっかかっていたのも事実です。本当にこれでいいのだろうか……と、霜月さんと同じような悩みに入ったわけです。
「ぼくは世の中には迎合せず、自分がいいと思う仕事を続けているだけです」
とかいう作家像ってみんな好きじゃないですか?
だから逆になんか自分を曲げたみたいで嫌だったんです。
結局、ぼくは本当に好きで書きたいものを書こうと思いました。
だけどここでも問題が出てきます。
「好きなもの、書きたいものが書けるのは当たり前。書きたくない、という感情を乗り越えて書いてこそ、真の文学では?」
という心の葛藤です。
人生にあるいつくかの「セーブポイント」から始める
「信念を曲げないのが偉い」という作家像と、「信念と折り合いをつけつつ複雑な現実を描く作家も偉い」という作家像、このふたつの矛盾する作家像に板挟みになったんです。
これは常にアクセルとブレーキを全力で同時に踏んでいるような状態なので、完全にライターズブロックに入りました。まったく書けないし、何を書いていいのかわからない。そもそも書く意欲もない、という最悪の状態です。
なんとかリハビリを繰り返して、結果的にストレスが爆発して「俺の小説でみんな殺してやる!」とばかりに書いたのが「ディスクロニアの鳩時計」という作品で、いまだに連載しています。7年間続いて、まだ終わっていません。千枚近くなる長編です。
同時に『キッズファイヤー・ドットコム』という作品も書きました。これはそうした複雑な感情のバランスをとりつつ、エンタメ的な面白さも目指したものです。ちょっと売れて賞もいただきました。
未だにぼくもなにが正解かわからず、毎回絶望しつつ苦しみながら書いていますが、ただ、ひとつだけわかることがあります。
「嫌なことは続けられない」
これだけは真実です。
しかし、最初から嫌なことならともかく、霜月さんのように、途中で嫌になってしまうパターンもあります。この場合は、もう一度「楽しかったところ」からやりなおしてみてはいかがでしょう? 楽しかったところというのは人生における「セーブポイント」です。時間は巻き戻せませんが、そのときの記憶はセーブされているので、そこからまたはじめられます。
ここでさらなる問題があります。
「他者の評価」です。
マグマのような自分でも理解できない衝動に従う
霜月さんは、最初から読者ウケを狙って創作していたそうですが、そうなると、
「ウケない小説に意味があるのだろうか……」
などと考えてしまいますよね。
外を気にして書いていて、立ち止まってみたら、自分が表現したいことなどなにもなく、からっぽな気分なんじゃないでしょうか?
そうだとすれば、あなたは小説書きに向いています。
わからなくなってしまうくらい悩めるというのはある種の才能なのです。
そして、この状態こそ小説家の多くが陥る「ライターズブロック」という現象です。
ぼくは20代のころにライターズブロックになった別の作家と一緒に、この状態から抜け出す方法を試行錯誤しました。
その結果、ライターズブロックの処方箋ともいえる一冊の本があることを知りました。
これです、
『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』ジュリア・キャメロン (著), 菅 靖彦 (翻訳)
この本は長い間読みつがれているベストセラーで、ライターズブロックになった友人の作家もこれを実践することで復帰しました。
かくいうぼくも、不調の時はこの本を読み返してエクササイズを実践します。
この本で行われるのは毎日のエクササイズと自己分析です。
ライターズブロックはいわゆるトラウマと同じで、執筆上の嫌なことや、失敗の記憶がこびりついて、なにかが抑圧されている状態です。だからその抑圧や壁を薄くしていくための訓練を自分でやるのです。
ちょっとスピっぽいので若干胡散臭いですが、書いてあることはかなり実践的です。
良かったら読んでみてください。
なんにせよ、人は嫌いなことはできません。逆説的に言えば「嫌いになれないもの」こそが「本当に好きなもの」だと言うこともできそうです。
最後に「本当に好きな作品を書くというのはどういうことですか?」ですが、これは簡単なようで難しい質問です。
なぜなら、「本当の好き」は無意識の深い場所に存在し、複数重なり合っているからです。
これを意識化すると、必ず少しズレます。
霜月さんもそれを感じているのではないでしょうか?
ぼくにとって「本当に好きな作品を書く」というのは、自分でも理解できない衝動に従うことです。
そこには「好き」や「嫌い」だけではない「喜怒哀楽」を含んだ、マグマのようなものが存在しています。それを感じているときにだけ生きている気がするのです。
いろいろ書きましたが、なにかのヒントになればと思います。
*
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『キッズファイヤー・ドットコム』2巻
原作:海猫沢めろん 漫画・漫画原作:川口幸範 講談社(ヤンマガKCスペシャル)
新宿歌舞伎町『BLUE†BLOOD』二代目店長・白鳥神威は自他ともに認める歌舞伎町NO.1カリスマホスト。
誰かに託された見知らぬ赤ちゃんを育て始めた神威は、赤ちゃんトラブルにもカリスマホストらしく華麗に対応していく。しかし、慣れない子育てとホストの両立に神威の身体はしだいに悲鳴をあげ始め‥‥。歌舞伎町カリスマ育児ロード、超展開の第2巻!
『新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。』
著者:ジュリア・キャメロン 訳者:菅靖彦 サンマーク出版
本書は、わたしたちの内側に秘められた「創造的な子ども」を見出し、育て、「ずっとやりたかったこと」をやって創造的に生きるための具体的方法論です。
ミリオンセラー作家、画家、有名俳優、映画『タクシードライバー』の監督マーティン・スコセッシなども実践する本書のメソッドは、いわゆる「アーティスト」はもちろん、毎日をもっと創造的に生きたいすべての人に役立ちます。
*本記事は、2019年11月19日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。