大ヒット作品の秘伝のタレ? 「貴種流離譚」と「英雄神話構造」を学べる作品|隆慶一郎『吉原御免状』|monokaki編集部
こんにちは。「monokaki」編集部の碇本です。
新学期&新年度が始まって二週間、新しい環境になった人もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
今まで違う日常は希望と不安を共に連れてくると思いますが、執筆の時間を確保するのも難しくなっている人もいるかもしれません。
もし、無理だと思ったら思い切って執筆を休んでみるのも大事なことかもしれません。そして、書きたいという気持ちが昂ってきたら、またあなたの小説を書けばいいと思います。
大事なのはあなたがしっかり作品に向き合える時間と体力と集中力を持つことだと思います。
今回は隆慶一郎『吉原御免状』を取り上げます。
隆慶一郎氏はもともと脚本家として著名な人でした。『水戸黄門』『鬼平犯科帳』『大忠臣蔵』『ご存知遠山の金さん』などの時代劇の脚本を手掛けています。
小説家になったのはなんと還暦をすぎたあとの61歳になってからとかなり遅いものでした。そのデビュー作が今回取り上げる『吉原御免状』です。隆慶一郎氏は1989年に亡くなってしまったため、小説家としての作家活動期間はわずか5年という短いものでした。
なぜ、今回『吉原御免状』を取り上げるのかというと、この時代小説はエンタテインメント作品として、時代小説をまったく読んでいなくても楽しめるものであり、物語の王道である「貴種流離譚」と「英雄神話構造」を持つからです。
「貴種流離譚」と「英雄神話構造」とは、多くの人気作品に内包されている物語構造です。「貴種流離譚」は、例えば、主人公は高貴な身分の出身だが、とある理由で両親に捨てられている。「英雄神話構造」では、主人公は一度死ぬこと(本当に死んでしまったり、象徴的に死ぬ形であったり)であの世(彼岸、物語論では「鯨の胎内」と言われることがあります」)に行って、そこで新たな能力を得て、この世(此岸)に戻ってくる、などがあります。
身近な「貴種流離譚」と「英雄神話構造」の例では大ヒット作『鬼滅の刃』があります。漫画を読みながら、どちらの要素や構造が使われているか考えるのも創作の練習になるのではないでしょうか。
これ以降、作品ネタバレを含みます。ネタバレされたくない方はお気をつけください。
4月1日(木):日本堤 - 皇子暗殺
物語はこんな風に始まります。肥後の山中で育った松永誠一郎は江戸の色街である吉原にやってきます。それも亡き師匠であり育ての親だった宮本武蔵からの言いつけであり、彼の出自を巡る旅への召喚でもありました。
棄て子だった誠一郎の親とは誰なのか? といきなり冒頭から読者は謎を突き付けられて、ワクワクしながらページがどんどんと進んでいきます。同時に初めて山を下りて街に、そして吉原にやってきた誠一郎には見るものすべてが新鮮であり、「花魁(おいらん)」という存在すら知りません。誠一郎を気に入った白髪の老人・幻斎と出会うことになります。
師匠である宮本武蔵がかつて吉原(江戸に移転する前の吉原)から島原のいくさへ出陣していったという話と、武蔵が「雲井」という花魁のもとによく通っていたことを幻斎から聞かされて誠一郎は知ります。
また、幻斎が誠一郎に吉原における常識やしきたりを丁寧に教えていってくれるので、ちょっとした「吉原あるある」のようなものを覚えるのにも役に立ちます。そして、女を知らない初心な誠一郎に幻斎は吉原にいる花魁たちの業の深さについて教えていきます。そして、酒を飲み酌み交わしていくことで、父のような武蔵を失った誠一郎にとって吉原の父的な存在となり、未来へと導く役割をしていきます。
『スター・ウォーズ』におけるルークが誠一郎、ヨーダが幻斎と言えるかもしれません。ちなみに『スター・ウォーズ』も「貴種流離譚」や「英雄神話構造」のパターンをなぞっています。詳しく知りたい人は神話学のジョーゼフ・キャンベルの著書『千の顔をもつ英雄』を読んでみてください。『スター・ウォーズ』の監督であるジョージ・ルーカスもこの本を参考にして、『スター・ウォーズ』を作ったことは有名な話です。
隆慶一郎氏が『千の顔をもつ英雄』を読んで参考にしたのかはわかりませんが、世界中の神話や物語に出てくる王道パターンなので、知らずとこの構造を使ったのかもしれません。
吉原に来てそうそう誠一郎はある武士たちと関わったことで、生まれて初めて人を斬って殺めてしまいます。その相手は柳生一門のものでしたが、実は誠一郎が生まれた時から柳生一門と因縁があったことも徐々に判明していきます。
そして、吉原という男にも女にも極楽にも地獄にもなる場所で過ごしていくことで、山にいた時には感じなかった哀感のようなものを感じ始めます。剣の腕は一流だが、人間としてはまだ世間知らずの誠一郎を通して、人間の業や喜怒哀楽を隆慶一郎は描こうとしたのではないでしょうか。
長い引用ですが、花魁の勝山と不思議な少女のおしゃぶ。この二人の女性が誠一郎の運命に大きく関わることになっていきます。おしゃぶはちょっと巫女やシャーマンぽい能力を持っている存在であり、この引用のあとには勝山が誠一郎の害を成す存在だと告げます。また、幼い少女は誠一郎と将来は結ばれるという未来も見えていたりと重要なキャラであることがわかります。
柳生一門をまとめる柳生宗冬との面会に望む誠一郎。彼が巻き込まれた戦いにおいて、『神君御免状』という奇怪な言葉を聞いており、そのことについて宗冬に聞こうと思っていたのです。しかし、柳生家には兄の宗冬がまとめる「表」の柳生と、宗冬の弟である烈堂こと義仙が率いる裏柳生が存在していました。誠一郎と戦ったものたちはその裏柳生のものたちだったのです。
話し合いがもたれていたところに、幻斎が三浦屋四郎座衛門という吉原の者を柳生の屋敷によこして、宗冬にある文を届けさせます。
松永誠一郎はなんと法皇のかくし子だったのです。そして、後水尾院のおつきのものたちは徳川家からは邪魔な存在となって、柳生一門によって皆殺しされていました。その時に宮本武蔵に彼らの手の届かないところで育ててほしいと、赤子だった誠一郎と鬼切の太刀をおつきのものたち託されていたことが判明します。このことは誠一郎にはすぐには伝えられませんが、柳生一門の党首である宗冬がその25年前のことを思い出す形で読者には誠一郎の正体がわかるという展開になっていきます。
4月5日(金): 首代 - 裏
この宗冬の決意が物語を大きく動かす要因となります。この時点で読者には表柳生と裏柳生があり、その柳生一門によって誠一郎は両親やその身の回りの世話をしていた者たちが皆殺しされたことを知っています。そして、誠一郎の正体を表柳生の党首である宗冬は知ることになりました。
これから誠一郎の敵になるであろうとわかる裏柳生の党首であり、宗冬の弟の義仙の存在も出てきました。皆さんだったら今後の展開はどうしますか?
物語の王道パターンの構造を持っているこの作品では、皆さんが今まで読んできた作品と結び付けて考えることができる展開となっています。
宗冬の決意とはなにか? 誠一郎に柳生一門の剣術の技術を教えるということです。つまり、本来は敵であり、彼に恨まれて当然の柳生家のトップである宗冬がその技術を伝えることになります。それはなぜか? 彼の弟である義仙と裏柳生が誠一郎を殺すために動き出すのが身内である彼にはわかっているからです。そのために誠一郎に柳生の剣術を教えることで義仙と裏柳生と戦える状態にしようとします。
誠一郎は幻斎から「敵娼(あいかた)」が決まったと言われますが、武蔵と山奥に住んでいて女っ気のなかった彼にとっては自分の相手をする花魁と言われても、ウブというか女性慣れしていないせいもあって拒みます。しかし、「神君御免状」のことを知りたいのであれば、女を知らねばならぬと言われます。
ちなみに高尾太夫というのは落語にも出てきたりする有名な太夫ですが、実はひとりではありません。大三浦屋抱えの花魁によって、代々襲名された名前です。誠一郎の相手となるのはのちに仙台藩主伊達綱宗に見受けされることとなる仙台高尾という女性でした。
誠一郎の高貴な出自ですから、超一流の仙台高尾を幻斎がセッティングしたのはわからなくもないのですが、しかし、幻斎はなぜここまで誠一郎と吉原の関係性を深めようとしているのか。ここまで読んでいると幻斎の過去や吉原の成り立ちと「神君御免状」がこの物語の重要なキーだと思えてきます。
そして、誠一郎の敵娼をすることになる仙台高尾にあの不思議な少女のおしゃぶが話かけるシーンがあります。
おしゃぶのこの発言によって、読者はこれから展開されるはずの誠一郎と仙台太夫の関係性がうまくいったとしても、このように未来のことを知ってしまったため、二人の関係性がより深くなっていくと同時にどこか悲しみを感じてしまいます。また、仙台太夫だけではなく、冒頭から登場している勝山が死ぬこともここで予言されていると言えるでしょう。
このあと、勝山は裏柳生のくノ一であることが読者にはわかります。ここで勝山と誠一郎は敵対する関係ですが、勝山は誠一郎を男としてみており、仙台太夫に嫉妬をするようになっていきます。ここでも男女関係が発生し、裏柳生の者である勝山は自らの使命と自分の思いに引き裂かれていく悲劇の女性となっていきます。
宮本武蔵の弟子であり、凄腕の剣客である松永誠一郎は法皇の血を引く皇子であり、そして徳川家の指南役である柳生家の技術も伝授されていきます。彼の出自と裏柳生との因縁によって、もうそこには死闘しかないのだろうなと思えてきます。
4月7日(水):大和笠置山 - 柴垣節
裏柳生の党首である義仙が吉原にやってきて尾張屋の二階座敷で踊っている幻斎の姿を見かけます。そして、柳生一族における剣の天才だった兄の十兵衛についての回想が始まるのですが、その兄である十兵衛を倒した相手がその小躍りをしていた若き日の幻斎だったのです。
幻斎と誠一郎は殺気を感じて、日本堤に出てそこから西方寺に出向きます。そこの和尚から預けていた長短二振りの唐剣を幻斎は受け取り、日本語ではない言葉でひとを斬る許しを神に願います。
そして、追ってきた義仙は十兵衛が死んだ日の事を尋ねると、幻斎はとぼけるようにして茶化しますが、戦いが始まると裏柳生のものが一瞬のうちに九人死体になってしまいます。
誠一郎は剣術の腕はあり、柳生の剣術を宗冬に教わり始めているとしても幻斎が強すぎてチートです。吉原を形成している人たちは幻斎のような武術を持ったものたちによって作られた場所だったということが明かされます。しかし、なぜ吉原はそんな強力な戦闘集団を作らねばならかったのか、という新たな疑問が出てきます。
この大御所御免状とは「神君御免状」のことです。御免状とは許可状のことであり、「神君」とは徳川家康のことなので、家康から何者かに与えられた許可状という意味になります。つまり、吉原を成立させている「神君御免状」とは徳川幕府の初代である家康が吉原という場所を作ってよいと許可を出したものだったのです。
幻斎の口からこの御免状は家康が死去の三日前に書いたものだということがわかるのですが、なぜもう亡くなるというときに家康はこの許可状を出したのか、それがこの物語の後半の大きな謎となっていきます。
そして、徳川幕府を家康の時代から支えた天海僧正という人物について幻斎は自分と同じように「死人」だと言い出します。幻斎は一度死んだことにして、違う人として生きていることを誠一郎に以前に伝えていたのですが、天海僧正の正体を明智光秀だとはっきり告げます。「本能寺の変」を起こしてすぐに殺されてしまったはずの、天下の謀反人である明智光秀です。
天海=明智光秀説は昔からあったものですが、この小説の中でもそれが取り入れられています。松永誠一郎は法皇の子であり、天皇家の血を引く高貴な出自だったわけですが、その対となるものこそが徳川幕府を開いて天下人となった徳川家康として物語では描かれていくことになります。
つまり、この作品において徳川家康は本物ではないという予感をこの時点で読者にさせているんですね。小出しに情報を出していくことで惹きつけていきます。
宗冬に剣術を教わる中で、誠一郎は自分の出自をとうとう知ることになります。その後、誠一郎と仙台太夫が「馴染」になる日が訪れます。「馴染」というのは夫婦になるということで、初めて寝所を客と太夫が共にすることになることをいいます。つまり、誠一郎はこれで男になります。昔の作品ですし、江戸時代を舞台にしているので、男が一人前になるというある種の「通過儀礼」として「初体験」が書かれています。
ここでも「貴種流離譚」と「英雄神話構造」という王道パターンが活きています。一度異界に行って帰ってくることで主人公が成長する。剣術の凄腕であっても世間知らずの誠一郎が「吉原」という異界(あの世のメタファ)でいろんなことを体験することで大人(人間として成長)になっていくわけですね。だから、シンプルな展開と言えばシンプルです。しかし、ここからはもう一人の主人公ともいえる徳川家康の物語も展開してくるという二重構造になっていきます。実はここからがめちゃくちゃおもしろいんです。
4月10日(土):八百比丘尼 - 歳の市
『吉原御免状』は宮本武蔵に育てられた松永誠一郎という天涯孤独の青年を主人公にした物語です。彼の出自がわかることが中盤までの大きな謎でした。彼が吉原にやってきてすぐに耳にした『神君御免状』という謎も同時に展開していました。そこから吉原がいかにできたのか、吉原者とは何者かという謎が明かされていきます。そして、『神君御免状』を出した徳川家康に影武者がいたという謎が後半には出てきます。
「monokaki」で以前に取り上げた「三幕八場構成」でも「出来事がエスカレートしていかないと、長編にならない」という話がありました。また、最初は「低い障害」があり、物語が進むとその障害がどんどん大きくなると物語はより面白くなるということも「三幕八場構成」を解説してくださった作家・脚本家の堺三保さんがおっしゃられていました。
この作品は「障害」というよりは「謎」がどんどん大きくなっていくことで、読者に先を読ませる求心力を持っているものだと思います。
甚内(ある事件で若き幻斎は「庄司甚左衛門」と新しい名前を名乗り始めます)は再び鷹狩りにやってきていた家康に吉原の許可を得るために殺される覚悟で出向きます。家康の護衛には裏柳生のものがいましたが、簡単に倒してしまい、家康に直訴します。そこには天海僧正も同席していたのです。
ここで家康と天海僧正の正体もはっきりと明かされます。彼らの正体を甚内が知ることで新「吉原」が建設された理由なども判明していきます。
「吉原」という場所がどうして作られたのか、なぜ家康が許可を出し、裏柳生からずっと監視され狙われているのかというこの物語の大きな仕掛けであり謎が読者にもわかります。この想像力と歴史上の人物たちをうまく組み合わせて物語ってどんどん読者を惹きつけていく筆力は素晴らしいです。
こういう作品を読んだ時には、作品の力によってジャンルを飛び越えることができるのだとわかってうれしいです。
最後には誠一郎と裏柳生のラストバトルがあります。そして、自らの出自を認めてもらう必要がある誠一郎はひとりで京に向かうため、吉原を出ていきます。そうやって物語は「行って帰ってくる」の構造のように、「吉原」にやってきた始まりから円環するように「吉原」を出ていくことで終わっていきます。
魅力的なキャラクターと出自などの謎だけではなく、「吉原」という場所を丁寧に描いたことで、一見突飛に見える世界観がより身近にリアリティを感じさせてくれる作品でした。
江戸時代を舞台にしていますが、物語の筋としては王道パターンが軸にあり、あなたが書くならどんな時代や場所にするかと考えながら読むとあなたが書きたい物語を書くきっかけになるのではないでしょうか。
というわけで、「名作読書日記」でした。
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