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小説というジャンルに、皆が託そうとしているもの|monokaki編集部

人気文芸誌「yom yom」に、あなたの小説を掲載する方法があるのをご存知だろうか? 名だたるプロ作家の原稿と並んで、手元の一編がyomyom読者に届く。それが「yom yom短編小説コンテスト」だ。
今年で3回目の開催、応募はエブリスタから手軽にできる。誰もが知るエンタメ文芸の雄が、あえて投稿サイトと組む理由とはなにか? 編集長の西村博一氏に聞いた。

折しもインタビューを行った週は、「新潮45」に掲載された特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」がネット上で物議を醸し、各出版社や著者がTwitterで異を唱えている最中。
Webと紙とがまじり合い、現代的な価値観が旧来の言説とぶつかり合い、相互に侵食するようにして新たな物語が生まれ続ける今日、物書きが持つべき「畏怖」とは? たっぷり5,000字超でお届けしたい。

いろんなフェーズで今を切り取る

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――「yomyom」エブリスタのコンテスト、今年で早くも3回目の開催になります。一昨年・昨年と応募作を読んできての印象などありましたら教えてください

西村:2016年に開催した第1回目は、エブリスタさんのサイト内の人気作品をまっすぐ投げていただいた感じがしました。嬉しかったのは、翌年は「『yomyom』に向けてどういう作品を投げるか」の工夫が感じられたことです。コンテストの傾向と対策に作品を合わせるのはあんまりいいことではないですが、新しくチャンレジしようとするのはいいこと。そもそも一般の文芸誌が小説投稿サイトさんと組ませてもらうのは、新しい化学変化が起こったらいいなと期待するからです。その試みが感じられて嬉しかった。

――「yomyom」は2006年末に読み切り誌として創刊されています。リニューアルも経ながら現在の形になっていますが、一般の文芸誌の中でも、特に「『yomyom』らしさ」はどういった部分だとお考えですか

西村:創刊編集長の木村由花さん(故人)は、文芸×ライフスタイル誌みたいな作り方を念頭に置いていたのではないかと思います。それはまさに80年代~90年代の雑誌カルチャーが一番豊かだった時代を通ってきた木村さんならではの、彼女にしかできない誌面作りでした。ただ、僕にはちょっと真似のできない部分もありまして。
僕が編集長になった2012年5月からは、小説というジャンルに皆が託そうとしているものを一番早く掬いとって、変わっていくことができる雑誌でありたいと思っています。若年層をターゲットに置いているので、一番新しい感覚や価値観や楽しみ方に寄り添って、向き合う形で変化していくのが「yomyom」かなと。

――最近では、AIやeスポーツの特集を組まれていますね

西村:小説だけではなく、僕たちの日常生活やその中で考えていることを全体的に見ていきたいという思いがあります。現代の発想や価値観のベースに、ゲームカルチャーの影響力はものすごく大きいと感じます。そこから派生した問題意識を特集記事にしたり、あるいはもっと日常の生活風景にひきつけるエッセイや、オピニオンで表現していく。いろんなフェーズで「今」を切り取っていくことができたらいいなと。


社会の動きに対して自分自身がどう感じるか

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――西村さんが最近気になるトピックやテーマはありますか

西村:フェミニズムとマイノリティの問題はやらなきゃいけないと思っています。文芸の感情の機微、「誰かに伝えたい」という大事な思いは、抑圧や差別と切り離せないものです。それはマイノリティの問題だったり、女性の問題だったりする。そういう問題に一番敏感じゃないといけない。

――小説は最強の「チート表現」だからこそ責任も問われると、王谷晶さんにも以前書いていただきました。無意識に書いてしまった表現が「遅れたもの」にならないように、気を付ける必要性が増しています

西村:皆の発想のベースに何があるのかを、総体的に掬い取っていけるのは小説だけだと思っています。ロジックとロジックの対立構造だけではなかなか気付かないところに、文芸の果たしてきた役割がある。同時にノンフィクションの形で追いかけていくのも重要なので、総合誌として、一つの発想をいろんな形で伸ばして検証していくことをできたらいいなと。

――ネット上での話題の消費のサイクルはどんどん早くなっているので、月刊誌や隔月誌でそういった事象を都度取り上げる意義は深いなと感じます

西村:9月21日発売号の「世界のαに関するカルチャー時評」では、「ロックTシャツを叩いて気持ちいい?」と題して、トミヤマユキコさんが「OTONA SALONE」の炎上記事1)と杉田水脈問題のつながりを書いています。『新潮45』読者は「OTONA SALONE」を見ていないかもしれないけど、根っこにある捉え方、誰かからのお下げ渡しの論理に自分から追従していってしまうような感覚はつながっている。

――フェミニズムの問題や、同時代に何が起きているかは、やはり物書きであれば意識した方がいいでしょうか?

西村:自作の題材に取った方がいいかというと難しいところですが、自分を取り巻く時代がどうなっているか、社会がどんな動きをしているのか、その中で自分がどこに立っているのかには敏感であるべきです。あくまでも「自分自身の感じ方」がベースにあってこそ小説ができていく。一番大事なのは、「自分が今なにを考えているのか」を問い続けることだと思いますその人の目の付け所がその人そのもので、そこに創作のヒントがある


物語に対する「畏怖」の気持ち

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――「自分自身の感じ方」って、簡単なようで意外と言語化できていなかったり、整理できていなかったり、違う人の意見に動かされたりしてしまって、難しいですよね

西村:「無意識を言語化しましょう」という話ですからね。難しいと思います。「自分はこの問題がずっと気になっている」というものを重い言葉に変えると、「観念」とか「情念」というようなものになると思うんです。たとえばそれは世の中で起きている事件や出来事かもしれない。姫野カオルコさんは東大生の強制猥褻事件がどうしても気になって、『彼女は頭が悪いから』を書かれた。加害者の男の子たちが考えていた、あるいは考えることをやめてしまったことから、物語が湧いてくる。

――「yomyom」連載中のふみふみこさん『愛と呪い』も、かなりショッキングなテーマを描いている一方、「どうしてもこれを描かないといけなかったんだな」と伝わるマンガですよね

西村:ふみさんも、自分の作品がこういう形になっていくとは思ってなかったと思うんです。だけど、書き始めたらいろんな感情が引き出されていった。それはふみさん自身も計算していなかったし、雑誌を手にした読者も意図してなかったことだと思う。物語は常に、書き出す前に想定されるより大きなものを、どこかから引き出してくる。物語や、他者の情念に対する畏怖の念は大事にしたいと思います。それは、「こういう物語は売れ筋だから書いておく」という思考とは真逆のものです。

――アマチュアの方だと「情念」があってもそれを書いていいと思っていなかったり、創作の題材だと思っていなかったりするパターンもありますよね。「こんなちっちゃいことを書いていいのかな?」というのもあるでしょうし

西村:あります、あります。それ、よくわかります。「何かに引っかかる」ことがすごく大事なので、必ずしも社会的なことではなくてもいいんです。「自分の隣の席に座っている人はどうしてあの表情なんだろう」というところから始まる物語もあるかもしれない。


Web小説の「お作法」を突破してほしい

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――前回の「yomyom短編小説コンテスト」で大賞を受賞した『毛っこん』は、夫の毛が部屋に落ちていることがどうしても気になる主婦の話でした

西村:夫は野良犬が近所をうろついていることがすごく気になるのに、自分の抜け毛についてはまったく気にしない。主人公がその歪さを感じとっていくなかで、「自分の夫はこういう人なんだな」と知り直していく。「こういう小説がいいですよ」という一般的な規範からはだいぶ逸脱しているけど、おもしろいんですよね。

――「いかにもWeb小説らしいものでもなく、かと言って『yomyom』に載っているようなものでもない、ハイブリッドな作品を期待している」と、前にお話いただいたことがあります

西村:Web小説って媒体としては新しいような印象もありますが、携帯小説の時代から考えたらもう20年ぐらい経っているわけです。Web小説にはWeb小説のお作法みたいなものがあって、内輪の言説になってきているところがある

――たしかに、「なろう」さんだったら「なろう」さんの、「カクヨム」さんには「カクヨム」さんの、「エブリスタ」には「エブリスタ」のお作法が別個にあったりもします

西村:「お作法」には、「なぜそれがおもしろいのか」というベースの感性がある。それを別のジャンルの読者に届けるためにはどういう工夫が必要か、考えてみてほしいと思います
たとえば木原音瀬さんは、BLにおける人間関係の捉え方、その根底にある情念や悲しみや喜びを、一般文芸の読者に伝えていくにはどうしたらいいかを工夫されていると思う。いま自分が所属しているクラスタの外を常に見てほしいなと思います。

――「クラスタの外を見る」って難しいですよね。Twitterひとつとっても、私のタイムラインには『新潮45』に激怒している人しかいませんが、世界はそうではない

西村:マイノリティに関する議論でも、政治の言葉として「わかりあえなくても存在しあえる社会を作る」というのは正しいし、そうでなければいけないでも、文学の言葉は「どこかわかりあえるかもしれない」「ここが繋がるんじゃないか」を追い求めていくものであってほしい。ジャンルや読者の階層の外に向かって伝えたいという思いは、すべての物語の根底にあってほしいんです。


書ききれなくてもダメと決めつけないで、何度もトライしよう

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――どうすれば「外」の読者に届くものが書けるでしょうか

西村:「皆が何をおもしろいと思うのか」を、すごく考えるってことじゃないですか。もちろん「自分がおもしろいと思う」が出発点なんですが、その感性がどこから来て、どこに行くのかを考える。するとその外側にある感性の出発点も見えてくると思います。特に初めて小説を書く方は意識してほしいですね。2作目以降は、「自分はこういうことを書いていく人なんだ」と、ちょっと客観視できると思います。1作目がいちばん大変だし大事。

――「1作目がなかなか最後まで書ききれない」という方もたくさんいらっしゃると思います。最後まで書ききるにはどうすればいいでしょうか

西村:物語の角度や設定や登場人物を変えて、何度も何度もトライしてみればいいと思う。自分がどうしてもひっかかる問題は、いろんなパターンや角度で書いていけばいい。それはけして無駄ではなく、すごく大事な原石や宝石みたいなものが中にはある。ダメだと決めつけないで、何度も何度もトライしてみたほうがいいと思います。

――つい、「常に違うものや新しいものを書いていかないといけない」と思いがちですが、そうではない?

西村:一人の人間が「おもしろい」と思ったり、伝えたいことのバリエーションは、そんなにないのではないでしょうか。松本清張の作品だって、同じモチーフに別の短篇で何度も何度も挑戦しているように思うんです。たとえば過去を消して生き延びる、みたいなものですとかね。でも、その挑戦それぞれが全部おもしろいし、一作ごとに深まっていくし。「自己模倣になりたくない」という気持ちもわからなくはないんですが、あまり「同じことを二度やっちゃいけない」と思わない方がいいですね


本を読む、SNSを見る、周りを知る

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西村:自分では気付かなかった点を、読者が発見してくれることもあります。投稿サイトのいいところは、読者の声としてリアルタイムにそういうヒントがたくさん届くこと。「根っこで伝えたいことが読者にはこう伝わるんだな」あるいは「うまく伝わらないんだな」とわかるのは、すごくいい仕組みだと思います。

――寄せられるコメントや感想は、一旦受け止めた方がいいでしょうか?

西村:そうですね、受け止めた方がいい。世の中にはいろんな人がいますからね。ブンブン振り回されると書けなくなってしまいますが、「こういうサービスを入れてみよう」とか、「こういうところでみんな飽きてくるから盛り上がりをつけてみよう」とか、テクニカルなことを考えるきっかけになると思います。

――ほかに、物書きをめざす人に、「これだけはやっておいた方がいい」というアドバイスがありましたらお願いします

西村:本はいっぱい読んだ方がいいです。自分が考えていることを客観的に見るためには、自分以外の人が何を考えているかを知ることがすごく大事です。「人間のこんな感情を発見してしまった、誰も今まで書いていないはずだ、未知の感情だ!」と思ったら、「200年前にすでに書いてあるじゃん」みたいな(笑)。その繰り返しで人の思索って深まっていくものだと思います。ごく稀に、「ほかの作家さんが書いているものを一切読まない」という書き手もいますが、やっぱり読んだ方がいいと思う。

――それは0.1%ぐらいの天才の話であって、たいていの人は99.9%側に入りますもんね

西村:SNSも、見ると嫌な気分になることも多いし、すごく時間を使うけど、やっぱり見た方がいい。「みんながこんなことに怒ってるんだ」「こんなことを感じているんだ」というのは、書く上で知っておいたほうがいい。あるいは自然に発想していた言動なり、ものの考え方なりが差別的な構造を孕んでいるんだなと知ることも大事。とにかく周りを見ることをおすすめしたいです。

(インタビュー・構成:monokaki編集部、写真:三田村亮)


1. ↑ 2018年8月掲載「40代が似合わないTシャツはコレ! 失敗しがちな真夏の痛カジュアル5選」にて、40代女性はバントTシャツを部屋着やパジャマとしても着るべきではないと指南、批判の声が広がった。


*本記事は、2018年11月02日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。

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