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「心に埋めたものが流れ出す」小説だからできること|翻訳家 斎藤真理子

3月3日に発表された第9回Twitter文学賞海外部門 、ベスト5の内訳は、アメリカ文学1作品、オーストラリア文学1作品、台湾文学1作品、そして韓国文学2作品だった。2位『82年生まれ、キム・ジヨン』(チョ・ナムジュ)と5位『フィフティ・ピープル』(チョン・セラン)は、ともに同じ翻訳家による仕事だ。

訳者の名前は斎藤真理子。今回、20位までに訳書が7冊、ランクインしている。ここ数年書店の棚でもよく見かけるようになった、韓国文学の日本での主たる紹介者ともいえる。韓国の女性が置かれた状況をクールに活写した『82年生まれ、キム・ジヨン』(以下『キム・ジヨン』)は韓国内で100万部を突破しており、日本国内でも8万部と快進撃が続く。同書を中心に、韓国文学の現在、翻訳の苦労と喜び、創作とフェミニズムの関係についても聞いた。

少しずつ積み上げた末の開花

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――まずは、斎藤さんが翻訳者になられたきっかけから教えてください

斎藤:翻訳者への道は英語圏とそれ以外でかなり違うと思いますが、私の場合、編集者をやっていてそこから横滑りという形です。1980年から韓国語をやっているんですが、最初の文芸翻訳は2014年刊行のパク・ミンギュさんの『カステラ』(クレイン)という小説でした。

――『カステラ』はヒョン・ジェフンさんと共訳という形でクレジットされていますね

斎藤:「すでに原稿がある韓国の小説をひとつ出したいんだけど、もう少しリーダブルにしたいので、韓国語ができて編集者のあなたの目線で協力してほしい」と言われ、共訳という形で取り組みました。小説を全体的に俯瞰するように見て、ブラッシュアップしていく作業ですね。本の一部は新訳をしてほしいと言われたので、一編は私ひとりでやりました。それが最初の翻訳の仕事ですね。刊行翌年の2015年に、第1回日本翻訳大賞を受賞しました。

――それもあってというか、以降の4~5年で、韓国文学の翻訳が増えているなと感じます

斎藤:書店でも目立つようになってきましたね。2011年にクオンという出版社が「新しい韓国の文学」シリーズ を立ち上げてから、着々と進んでいます。やはりシリーズで出すと書店で棚が取れますので、少しずつ存在感を出していきました。このシリーズの第一作目がハン・ガンの『菜食主義者』(きむ ふな訳)という小説でした。

――私も、生まれて初めて読んだ韓国の小説は『菜食主義者』でした

斎藤:2016年に『菜食主義者』がマン・ブッカー賞の国際賞を受賞したとき、日本ではほとんどの人が「ハン・ガンって誰?」って知らなかったと思うんですけど、クオンさんがすでに出版してくれていたおかげで、日本語で読むことができたわけです。そうやって地道に積み上げてきたものがあって、この4~5年ぐらいでかなり開花してきたということじゃないですかね。


最初はK-POPファンから火がついた

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――『82年生まれ、キム・ジヨン』も、出版社から斎藤さんへお話があったんでしょうか

斎藤:これは私の方からですね。韓国小説に関しては、できるだけ多様なものを紹介したいと思っています。『キム・ジヨン』という小説は今の韓国の主流ではないのですが、変わり種でありながらすごく売れた作品です。文芸であると同時にフェミニズムの見本書として適切なので、とても変わった立ち位置の本だと言えると思います。

――出版にあたって、日本でも広く読まれるだろうと想定されていましたか?

斎藤:ほんとうに未知数だったので、こんな風になるとは予想してなかったです。K-POPファンがこの作品に注目していたこともあって、Amazonでもかなり早く売り切れちゃったんです。Red Velvetのメンバーであるアイリーンがこれを読んだと発言して、韓国ですごいバッシングを受けたというニュースがありました。それで彼女のファンたちが「アイリーンが読んだ本を読んでみたい」と、待っていてくれた

――最初に火がついたのは、K-POPファンからだったんですね

斎藤:訳している途中で、「K-POPファンの人たちも読むのかもしれない」と思って、少し表現を柔らかくしたりしました。普段本をあまり読まないような人が読んでくれる可能性があると思ったんです。実際に「本なんかめったに買わない」という人が買ってくださって。

――そういった接点で若い読者に小説が届くのはすばらしいですね

斎藤:韓国のタレントはすごく倫理・道徳を大事にしていて、寄付もたくさんするし、本もたくさん読んでいます。BTSも一度歌詞を批判されたことがありましたが、それから歌詞のフェミコードをきちんと勉強したそうです。それに彼らのファンもついていく。今回もそういった、出版界からだけではわからない動きが根底にあったと思います。

――いま10代や20代前半の彼女たちが読んで感じることと、もう少し年を重ねてから「あの時『キム・ジヨン』って本を読んだな」と振り返って思うことは違うかもしれないですね

斎藤:『キム・ジヨン』は男女問わず、読んだ人が他の人に読ませたくなったり、読んだ話をしたくなる力があって、「本の広がり方というのはこういうものなのか」と目の当たりにできておもしろかったですね。有名無名問わず、女性の発言が非常に温度が高かった。この本が出るや否や、自分のお母さんとおばあさんに話を聞いてnoteに投稿してくださった方もいました。


日本語に訳すのが難しいのは罵倒語

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――この作品を翻訳される際に、特に気をつけられた点はありますか?

斎藤:文章としては非常に淡々としているので、その分会話文がいきいきするように……というのを一番気をつけました。キム・ジヨンはわりと内気で、言いたいことも言わないでがまんしてしまうような性格です。その彼女が就職試験の面接でセクハラを受けて怒り、自宅でどなるときの台詞とか、夫との会話で自己主張するときの台詞などは、すっと読んでぐっと心に刺さるように何度も推敲しましたし、読者の皆さんにも印象深く伝わったようです。

――翻訳は、著者ともコミュニケーションを取りながら進められたんでしょうか?

斎藤:取ります。著者に聞く際にはかなり核心に迫る質問になってきます。「この台詞は二通りに読めるんだけど、どちらに近いのか」という感じで。こちらが二通りの訳を出すと「こちらに7割近いですね」と言われたり、いろんな答え方をされる人がいらっしゃいますね。

――はっきり「こちらだ」というより、「ニュアンスが近い」という答え方なんですね

斎藤:言葉の解釈のほかに、このような発想のもとになったのは何かとか、あなたの他の作品のこの部分との関連性はあるかとか、突っ込んだ疑問が生じる場合もあります。そうしたことは、直接訳文を作るときより、作品全体を理解したり解説を書くときに非常に役立ちます。でも何から何まで聞いてたらきりがないので、どうしても聞きたいことだけ質問して、「ここから先は著者にお目にかかる機会があったら聞こう」と思ったりします。

――翻訳をされる上で苦労される点などはありますか

斎藤:韓国語の翻訳で苦労するのは罵倒語です。英語圏の翻訳をされる方も同じことを感じるようですが、日本語はどうも罵倒語が貧困で、「畜生」「バカヤロー」ぐらいしかない。あとは、お笑いの方向に行ってしまうことが多い。致命的な、相手を立ち上がれなくするような豊かな罵倒語のバリエーションが少ないので困りますね。


文体を知るには2回、音読をする

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――逆に翻訳していて一番の喜びはどういった部分でしょう

斎藤:翻訳は原書が目の前にあるんだから、作業をしさえすればいつか必ず出口がある。こんなに素晴らしいことはないです(笑)。編集や原稿執筆だと、入り口はあるけど、出口がないことがありますから。

――翻訳作業をされていく中で、出口がわからなくなることはないのでしょうか?

斎藤:推敲は何度もするんですが、推敲という作業はいつか終わることなので、迷いはありますけど出口がないことはないですね。その過程でいろんな人に意見を聞いて、考えて、最後は自分で決断するスタイルです。決定することが非常に多いので疲れはしますが、迷路に入ってしまうことはないと思います。

――決定をされる際に指針となるものは? 原書を読まれた印象であったり、著者のお話だったりするのでしょうか

斎藤:「文体」と「内容」という、二つの側面があります。
文体については、音やリズムをつかむために、最初に2回音読します。文章のさまざまな癖、意図的にやっていることかどうかなども、音として読むとつかめる場合があるので。作品によってはまず手書きで訳すこともあるんですが、音読も手書きもある意味、身体を使っていますよね。目だけで訳すのではなく身体の他の部分を使うことが、私の場合はリズムをつかむために役立っているようです。校正が出て仕上げる際にも、音読でリズムを確かめながら直します。

――「目だけではなく身体の他の部分を使う」というのは、実作にも応用できそうなテクニックですね。内容に関してはいかがでしょう

斎藤:この小説の中心は何で、それを際立たせたり理解を助けるためには何をしたらいいかを、読みながら考えていきます。翻訳上の注意に加えて、注釈や解説に関する編集的なことも同時に考えて、出版社の担当の方とよく相談します。私はふだん、解説には非常に力を入れますが、『キム・ジヨン』の場合は、現地に長く住んで現地の空気を知り抜いているジャーナリストの伊東順子さんに解説を書いてもらうのが最適と思ったので、そのようにお願いしました。

――作品の文化的な役割については、翻訳する際に意識されますか? 現実的に韓国と日本の間では様々な問題もありますが、いまこの作品が広く読まれているのは、フィクションの力だとも感じます

斎藤:訳すときは「おもしろいかどうか」が中心になりますが、この『キム・ジヨン』の場合、本を通じた女性同士の交流が始まるかもしれないとは感じています。日本で売れていることを韓国の読者も喜んでいて、増刷がかかったら韓国のTwitterでも話題になります。もともと支持していていた人はものすごく喜んでいて、もともと支持していないアンチの人からは「日本、終わったな」みたいな反応もある。韓国での消費の仕方とまったく同じなんですよ。


「フェミニストは何でも男女の差に歪曲する」

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――アンチの人は、『キム・ジヨン』に対してなぜ批判的なのでしょう?

斎藤:韓国では「フェミニスト」という言葉の印象がすごく悪い。「しなくてもいい男女間の葛藤を煽る人」という叩かれ方をします。アンチの主張としては、「フェミニストは男女の違いではない問題にも『男女の差』という視点を持ち込むのがいけない」と。

――それはフェミニズムをやっていると、常についてまわる種類の言説ですね。

斎藤:たとえば、タクシーの運転手がキム・ジヨンさんに「ふだんは最初の客に女は乗せないんだけどね、ぱっと見て面接だなと思ったから、乗せてやったんだよ」と言うシーンがあります。アンチの彼らからすると、「そのタクシー運転手の人格が劣っているからで、男だからこう言うわけじゃないだろう」「男だからこういうことをすると書くのは、歪曲であり誇張である」という言い分ですよね。

――女性にとっては「あるある」な出来事なんだけど、それを体験していない男性からは個別の出来事に見えるんでしょうね。日本の女性が共感を寄せているのも、そういった細かい描写に対してだと思います

斎藤:日本の読者には、「自分は女性差別をされていないと思っていたけど、『キム・ジヨン』を読んで、あれは差別だったんだと気づいた」という人が非常に多いです。そのときも実は悔しかったんだけど、忘れようとしたり、自分の解釈を変えることで心の中に埋めていた。それがこの本を読むとぶり返してきて、涙が流れてきてしまったという方もすごく多かった。ちょっと想像を越えていましたね。小説を通してそういう反応が起きたことが、現象として興味深かったです。

――女性差別に関するニュースなどを見ただけでは、出てこない反応かもしれませんね

斎藤:日本の場合、伊藤詩織さんや東京医大の事件のニュースを見て、「ひどいな」とは思っても、自分がダイレクトに行動するという反応には結びつきにくいですよね。まず「自分は医大生じゃないし」と思ってしまったり、どこかで距離がある。でも広告の炎上も短期間にいろいろ起きて、日本でも皆さんどんどん発言するようになってきましたね。なにがきっかけだったと思います?

――そもそも「怒ってもいいんだ」と皆が気づいたのがこの1・2年なんじゃないでしょうか。嫌なことを言われても、防御反応もあってとっさに怒れないし、へらへらしちゃうじゃないですか。でもあまりに多くの問題が起きて「これってキレていい場面だよな」となった。積もり積もったものが爆発したときに、ちょうど発売されたのが『キム・ジヨン』だったのかなと


徴兵制が家父長制を強化する

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斎藤:これ一冊読み通すと男の人は気づくことがいっぱいあるみたいで、「これぐらいのことも気がついてなかったのか」と、男女がお互いを知らなすぎることにもビックリしました。痴漢やストーカーはいるし、それで被害に遭ったら被害者である女の子の方が叱られるけど、日常において男女でそういう話をしないじゃないですか。

――「今日タクシーの運転手にこういうことを言われて嫌な思いをした」とか、逐一異性に報告しないですもんね。同性になら愚痴るかもしれない

斎藤:読み終わって「今まで知らずに女性の友達や同僚を傷つけてきたんじゃないかと、申し訳なくなって泣きたくなった」という男性や、「何でこんな社会になってしまったんだろう」と書かれている年配の人もいました。「これは全男性が読むべきだ」と言っている男性読者がとても多いんです。日本の男性は優しいですね。やっぱり軍隊がないことが決定的だと思います。

――やっぱり、日韓の大きな違いはそこなんでしょうか

斎藤:韓国の場合は全男性が兵役にいきます。一番若くて元気な時間を投げうって、ものすごく過酷な訓練を受けて兵士になります。「全男性が全女子どもを守る」という大きな物語によって何十年も社会が成り立ってきたわけですよね。男性本人だけではなく、彼らを送り出すお母さんたちにも「男の子は苦労しているんだから」という意識が生まれるでしょうし。
韓国でも若い人たちは非正規雇用が多くてチャンスがないので、そうすると「軍隊にも行っていない女どもが勝手なことを言っている」と、女性が憎しみの対象になってしまうんです。

――誰でも、自分の体験を否定されるようなことは受け入れがたいし、それを前提として物事を考えてしまいますもんね

斎藤:韓国ではそんな男女間の対立や葛藤が根底にあります。だからといって普段から憎しみ合っているわけもなく、みんな恋愛して結婚します。でも、そこにメスを入れると非常に居心地が悪くなってしまう。『キム・ジヨン』はそんなに過激な内容ではないじゃないですか。

――とくべつ、男性嫌悪的な内容でもないです

斎藤:出てくる男の人たちも、ほとんどがいい人でしょ。盗撮カメラを仕掛ける奴らとか、ジヨンが高校生の時にストーカーまがいなことをしてくる人とか、そのぐらいでしょうか。露出狂もいますが、女子高生に捕まえられちゃうぐらいだしね。内容としては穏やかな話なんですけど、それでもすごくバッシングされたというのが、いまの韓国の現実なんだと思います


自分の小説でベクデル・テストをしてみよう

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――3月8日は国際女性デーです。「10年前だったら問題なかったが、いまはアウト」な表現も増えています。物を書きたい人は、どうジェンダーバイアスに取り組めばいいでしょうか

斎藤:やっぱり書いたものを読んでもらう、そしていろんな作品を読むしかないんじゃないでしょうか。「どうしてもそれをこの小説の中で書かないといけないのか」を考えて書いて、それを読んでもらう……という繰り返ししかないと思う。映画だと、ベクデル・テストなんかがありますよね。それを小説に当てはめるトレーニングも、一つの体験としてやってみたらいいのではと思います。

ベクデル・テスト:フィクション作品が男女同権的に描かれているかどうかを問う、3つの条件からなるテストのこと。 

 1.名前のついた女性が2名以上登場する
 2.その女性同士が会話をするシーンがある
 3.その会話の内容が、男性にまつわることではない

――ベクデル・テストは客観的な指標なのでわかりやすいですよね

斎藤:ベクデル・テストの男女を逆にして『キム・ジヨン』をジャッジすると、もうアウトなんです。まず、名前がある男性が1人しかいませんし。でも韓国の名前で進む物語だから、日本語で読むと、男性の名前が出てこないことにも気がつかないんですよね。1982年生まれの女性で一番多い名前が「キム・ジヨン」ですが、日本だったら「佐藤裕子」になります。主人公が佐藤裕子、お姉さんが佐藤由美子 、お母さんが佐藤幸子、ときて、父は名前がなくて「父」とだけ書かれてたらどうでしょう。

――そのローカライズ版で読んでみたい気もしますね、『82年生まれ、佐藤裕子』

斎藤:女性の登場人物はほんのちょっと出てくる人でも名前があるのに、「弟」は「弟」でしかない。その不均等は日本名だったらすぐに気がつくはずです。男性は正視できないというか、嫌な気持ちになると思う。女性も複雑な気持ちになるんじゃないかな。やっぱりね、外国語で書かれるとファンタジーになるんですよ

――先に、日本では韓国のように苛烈な反応はない、というお話がありましたが、それは日本の男性の優しさによる部分もありつつ、単に無自覚だったり、気づいてないからというのもあると思います

斎藤:それはまだ名付けようがないけど、あとの時代になったら名付けられる問題なのかもしれない。気づきの第一歩に、アジアの、隣の国の小説が来たっていうのはおもしろいですよね。最近日本で、フェミニズムの入門書的な本というと欧米のものが多かったと思いますが、自分にぐっと引き付けて読める点では、家族の在り方が同じであるアジアの本は本当に身近だと思います。


日本文学からの影響と、まったく違うもの

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――近くて遠い、微妙な文化の違いがある中で、逆に日本の小説は韓国でどのように受容されているのでしょうか?

斎藤:村上春樹さんをはじめ有名どころの作家はほとんど翻訳されてよく売れていますし、いま一番売れているのは東野圭吾さんだそうです。韓国だと、エンタメ小説は純文学よりちょっと一段低く見られる。日本のエンタメ小説があまりにも読まれていて売れるので、需要が満たされてしまって国内のエンタメ小説が育たなかったと言われたりもするようです。最近は韓国のホラーやサスペンス小説も翻訳されて日本でも読めるようになってきたり、少しずつ変わってきてはいますが、ベースが真面目なんです。そこはちょっと文化が違うんでしょうね。

――斎藤さんが訳されたパク・ミンギュ『ピンポン』を読んで、初期の高橋源一郎作品に似たものを感じました

斎藤:『ピンポン』は純文学ですが、SFとして読んでもエンタメとして読んでもYAとして読んでもいいですよね。パク・ミンギュさんは日本の小説を読んできた世代で、高橋源一郎、村上龍などに影響を受けたと自分でも言っておられましたよ。

――日本の小説を読んできた世代が書くことで、日本の読者にとって手に取りやすい作品が増えている面もあるのでしょうか

斎藤:これはとても面白い話なんですが、村上春樹作品や吉本ばなな作品が入ってきたときに、韓国でバカ売れしたんです。文体もポップだし、村上春樹作品の「私小説ではない僕語り」の形式が非常に新鮮で、受けたんでしょう。私はそれらをリアルタイムで見ていないのですが、韓国に長年住んでいた人によれば、その際、日本語の直訳に近い文体で出版されることが多かったんだそうです。そして、気がついたら日本語の直訳調の文体を書く韓国人が増えていたっていうんですね。とても興味深いので、どなたかに分析してほしいところです。

――意図しない部分で伝わった文体でもあったのかもしれませんね

斎藤:日本の小説の影響をダイレクトに受けながら、同時に韓国の小説は非常に社会性が強い。表層の部分で日本の小説から受け入れたものと、根っこの部分で韓国ならではのまったく違うものがミックスされた結果、日本の小説にはないものを持ち合わせた小説が書かれるようになったから、受容されやすかった可能性もありますね。
まだ韓国小説への批評が日本では足りていないので、これからもっと増えてくるといいなと思います。

(インタビュー・構成:monokaki編集部、写真:三田村亮


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『82年生まれ、キム・ジヨン』
キム・ジヨン氏は今年で三十三歳になる。
三年前に結婚し、去年、女の子を出産した。
ある日突然、自分の母親や友人の人格が憑依したかのようなキム・ジヨン。
誕生から学生時代、受験、就職、結婚、育児……
彼女の人生を克明に振り返る中で、女性の人生に立ちはだかるものが浮かびあがる。


*本記事は、2019年03月08日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。

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