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読者のためではなく、自分のために書く小説|海猫沢めろん

狂気の夏が終わりやっと秋めいた気配を感じる今日このごろ。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
平成最後のぼくの夏はエロゲの夏でした。ひたすら過去の未プレイゲームや最新作をプレイしていました。
エロゲをやっていると現実が色あせたものに見え、虚構のほうが素晴らしく感じられてきます。
実際そうでしょう
現実より虚構のほうがいいに決まっています。まわりには美少女しかいないし、どの選択肢を選んでもだいたい誰かとうまくいって楽しいシナリオが展開するし、風景も綺麗だし、永遠に夏だし、なによりエアコンの効いた部屋でプレイしているから涼しい。
どうしてわざわざつらい現実を見る必要があるのでしょうか。
ない
まったくない
俺は現実を見ない。断じて見ない
あああああ!!!!
しかし、現実を見ないと生きられない!死にたい!!!!あああああ!!!現実を直視したくない!!
でも見ないといけないのか!

どうせなら小説のなかの現実を見たい

というわけで、今回のテーマは現実を描いた「純文学」ということでいろいろと探してみました……が。
そもそも「純文学」とはなんぞや?
日本では、「純文学雑誌に掲載された小説が純文学」ということになっていますが、それでは何も説明されていません。
一番シンプルに説明するなら、純文学というのは文章表現にこだわりのある作品、と言えるでしょう。

しかし、ネットでは物語として気持ちいいものが正義なので、純文学は比較的マイナージャンルです。
そんななかで、「お!これはちょっと文学寄りなのでは?」と思わされた作品をチョイスしてみました。

まずは一本目。

場面×心理×テーマの重なり

作品名:氷海鳴き
作者:かるり(藤華るり)

オホーツク海に面した流氷のまち。おじさんが撮影した流氷は素晴らしいものだった。観光ポスターに採用された写真だったが、祖母は流氷を『浮気者』と嫌った。
幼い私は従兄と共に成長するうちに、流氷が浮気者である理由に近づいていく。

シブい。
そして不穏。
田辺聖子とか、群ようことか、そういう女性作家の描くちょっと毒のある短編のおもむきがあります。
この小説は文章がとてもストイックです。

 遥か遠くに浮かぶ流氷は近づいたり離れたりを繰り返しながら、じりじりとこちらへやってくる。ほっそりとした白線は次第に太くなり、やがて海の青を覆う。厳冬期と活気を乗せた白い塊に、海が支配されるのだ。
 その凍てつく風や騒がしさ。耳を澄ませば聞こえてくる流氷たちの擦れる音。ぎしぎし、とすり潰すように響く流氷鳴きだ。

こういう場面の描写は比喩を使いたくなるものですが、かなりドライに描かれています。
風景に個人的な情感を投影しないあたりが、大人っぽい印象を受けました
小説は、場面と心理とテーマが重なり合うと構造的に美しく見えるのですが、ここでは流氷と秘密と主人公の気持ちが重なり、とても綺麗に仕上がっています。

次行きましょう。


「書きたいもの」は類型を超える

作品名:神様、生きていても良いですか?
作者:大和撫子☆体調不良につきゆっくり更新中☆さん

西崎朱音(にしざきあかね)は3つ年上の姉・琴美と大の仲良しだった。
姉は容姿も頭脳もスポーツも何でも出来た。
憧れと羨望の気持ちの相反する気持ちを持ちつつも、
姉の事が大好きだった。
ある日、二人はある事故で…。

優秀な姉と、姉ばかり可愛がり、ことあるごとに比べられる妹。
しかし、姉は突然帰らぬ人に。毒母、次々と主人公を襲う不幸。そんななかにほのかな救い。
一作目の紹介した「氷海鳴き」とは違い、こちらは比喩が多く使われています。

真っ白な肌はキメ細かくて、
マシュマロみたいにふわふわで美味しそう。
艶々した茶色い髪は、見事なストレートで腰の下迄伸ばされている。
上品な三日月眉は勿論天然ものだ。
高くて上品な鼻、小さな野イチゴみたいな赤い唇。
長い長い茶色の睫毛は、大きな目をバッチリと取り囲んで。
その瞳はどこまでも澄みきった明るい茶色だった。
まるでお星様みたいにキラキラしていて、宝石みたいだった。

暗い境遇と明るい思い出、このコントラストによって互いの要素が際立ちます。
優秀な姉と、平凡な妹、人物配置は類型的ですが、少なくともぼくはこれを読んで、作者の本当の気持ちが描かれている気配を感じました。
そういう意味では次の作品も同様です。

作品名:愛の手前
作者:甘栗

心に傷を負った、中学生になったばかりの及川真規。
忘れられない悲しみを抱えながら
家族が本当の愛に手が届くまで、あと、一歩手前。

父と娘そして母。
機能不全な家族を描いた作品ですが、ここでも作品に込められた本当の気持ちを感じました。
主人公は親に疎まれていたと思い込み、心に深い傷を負っていますが、それでも力強く生きています。
こうした主人公の造形をありきたりということは容易いですが、それでも書くのは作者になにか書きたい理由があるからでしょう
そうした気持ちが物語にでも反映されています。


誰かのために書かなくてもいい

ところで、小説には、

・人間関係が変化する、事件がおきる、どこかへ移動する

という、要素のローテーションが基本構造としてあります。
しかし、描く世界が狭いと、

・人間関係が変化しない、事件が起きない、移動しない

というふうになり、どうしても読者の興味を惹かない作品になりがちです。
今回紹介した作品がそうなっているというわけではありません。ぼくが言いたいのは、読者のためではなく自分のために書く小説というのも世の中には存在するということです。
小説には、誰かのために書かなくてはいけないという決まりはありません。
書く理由や、読んでほしい人、それぞれの理由があっていいと思います。

今回の3作を読んで感じたのは、他の「なろう」などのネット小説とは違う、生々しい情念のようなものでした。
それこそ「文学」の核となりうるものではないでしょうか。


あなたのWeb小説を大募集! #めろん先生読んで

というわけで、このコーナーではこれまで、

・書籍化されていない
・とにかくなんだか気になる
・これは来そう/絶対来ない、けどヤバい

そんなWeb小説を紹介してきたわけですが……次回からちょっと変わります!
「自分の小説を読んでほしい!めろん先生の感想がほしい!」という、自薦作品を取り上げていきたいと思っています。

応募方法は簡単。monokaki の公式Twitterをフォローの上、ハッシュタグ #Web小説定点観測 をつけて、自作のURLをツイートしてください。

記念すべき初回のテーマは、「陰キャ」。
ただし、NO!! ファッション陰キャ!!!!

・生きてるのがつらい
・大人はクソだ
・出てくるキャラがメンヘラ

……こんな言葉にひっかかる、覚えがある、誰にも負けない!という、あなたの作品を募集しています。
採用者には、事前にmonokaki からDMで連絡しますので、よろしくお願いします。

「Web小説定点観測」は毎月第3火曜日に更新です。
ではまた。


*本記事は、2018年09月18日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。