飯田一史×編集マツダ特別対談〔前編〕 「Web小説で食っていく」は可能か?小説と作家の未来|編集マツダ
「Web小説の森」では、短編小説ブームなど「ネット上では盛り上がっているが世間的な認知が追いついていない事象」、および占いツクールや食べログ文学など「世間的にはWeb小説と見做されていないが、創作的な意図を含み、その物語的おもしろさが消費されているもの」に着目し、全10回にわたって取り上げてきました。
今月は連載を締めくくるフィナーレとして、ライターの飯田一史さんがスペシャルゲストに登場!
著書『ウェブ小説の衝撃──ネット発ヒットコンテンツのしくみ』の刊行から2年半以上経ったいま、飯田さんの目に、日々進化するWeb小説の森はどう映っているのか? 「monokaki」編集部と編集マツダが聞きました。
「ヒロアカ」「FGO」の二次創作から生まれるもの
――ほぼ一年近く連載された「Web小説の森」、飯田さんが気になるトピックはありましたか
飯田:トピックというか、連載自体がおもしろかったです。『日本SFこてん古典』という横田順彌先生が書かれた本があります。日本のSFの歴史を語るときには戦後の『宇宙塵』という同人誌の存在や、小松左京がデビューしたくらいから、あるいは戦前と言っても藤子不二雄などにも影響を与えたことで知られる海野十三あたりまで遡って語られることが比較的多いと思いますが、横田順彌先生は、さらに遡って明治大正昭和初期の冒険小説や有象無象のおもしろい作品を取り上げた。
純文学や、すでに十分に確立されたSFやミステリー、ホラーのようなジャンル小説の歴史や評論はよく書かれます。でも横順先生が取り上げた、「SF」とくくられる以前のSF的なものは、主流文学からもジャンル小説の枠組みや評価軸からもこぼれるような作品です。でもそういうものも世の中にはある。後世には残らず、今では誰も知らないけれども、リアルタイムでは夏目漱石よりはるかに読まれた作品だってあるわけです。その現代版の代表的なものがウェブ小説だと思っていまして、そういうものの文脈を紹介していく仕事は非常に大事だと思っています。
マツダ:私もこの連載を書いていく中で、「当事者にとっては自明なのに、書かれていないこと」って結構あるんだなというのが発見でしたね。私よりも深くWeb小説についてご存知の方はたくさんいらっしゃると思うのですが、調べようとしても、なかなか体系的にまとまっていない。
Togetterや個人ブログなど、断片的にしか残っていないのがよくわかりました。
飯田:横田順彌先生もそうだし、笠井潔さんも本格ミステリはじめ、いわゆる主流文学ではないジャンル小説の評論をされています。僕は笠井さんの評論では『物語のウロボロス』や『物語の世紀末』から特に影響を受けています。それから、世代的に大塚英志さんからの影響もあります。大塚さんのキャラクター小説論をはじめとする仕事を素直に継承すると、Web小説を取り上げるのは当然の流れだと思っています。世の中でたくさん読まれているエンタメ小説が、評論では論じられない、言葉に残っていかない。それっておかしいよね、ということが常に問題意識としてあるので、こういう試みはもっと増えてほしいと思います。
――マツダさんが書き手として印象的だったものは?
マツダ:「占いツクール」の回です。「占いツクールは10代の文化だから大人はそっとしといてね」と書いたら、書き手と読み手、それぞれの大人の方から激怒のコメントをいただきました……。10代に限らず、ユーザーさんがめちゃくちゃ熱いのは、占いツクールの生態系がしっかりあるからだと実感しました。
――「占ツク」はきっと、運営も意図しなかった方向に発展していったサービスですよね
マツダ:そもそも表記が「占い風小説」と「小説風占い」と揺れていて、ユーザーの動きを運営が後追いしている様子が見てとれます。「これぞWeb!」と言える現象です。いま占いツクールで「ヒロアカ」の夢小説を書いたり、スマホのメモ帳に「FGO」の二次創作を書いてスクショをTwitterで上げてるような方たちの中から、作家になる人が現れると思います。彼女らが書く小説はよりインタラクティブで、キャラクター性の強いものになっていくんじゃないかなとの期待があります。そういう作家さんたちが出てくるのが楽しみ。
KDP、note、エブリスタ、pixivFANBOX
マツダ:逆に、Web小説でも「傾向と対策」で人気作を作ろうとすると早々に行き詰まるし、タコツボ化して新しい爆発力がなくなってしまうというのが、『Web小説の森』の連載を通して書いていたことです。
――タコツボを突破しそうなサービスや、ジャンルは何かありますか?
マツダ:エブリスタだと、ノンフィクションに「素で書かれた」すごい作品が多いです。あとはBL。商業BL小説は読者の年齢層も上がっていて、パターンを崩さない様式美の世界になってきています。WebBL小説はその定石を崩しておもしろい形になっているので、紙よりWebの方が元気なジャンルかもしれません。作家さん同士の読み合いもとても盛んですね。
飯田:誰でもかれでもタコツボ突破をめざした方が良いとは僕は思っていなくて、そこにたしかにタコツボがあるとわかってよかった、というのも大事なことだと思うんですね。たとえば、キンドル・ダイレクト・パブリッシング(KDP)では、ときどき百合小説が新着ランキングの上位に入っているのを見かけます。商業でもライトノベルを書いているみかみてれんさんが「みかみてれん文庫」から出版されていたり。今の商業ラノベで百合小説を書きたいと思っても「マーケットあるの?」と言われて企画が通りにくいのではと思いますが、商業ラノベの部数より少ないかもしれないけれども、KDPを見る限り需要はある。もちろん儲かったら嬉しいですけど、そうでなくても、書きたいものの発表媒体があり、読んでくれる読者がそこにいることがわかる、というのは、書き手にとっては嬉しいことだと思うんです。
――有料販売や個別課金の動きについてはどう見られていますか?
飯田:中国と韓国と比べても、日本のWeb小説は有料課金部分が弱い。マンガではアプリ内課金が当たり前になったのに、謎ですね。あとは作品自体に対する課金以外にも、「pixivFANBOX」みたいに、作家に対してプラスオンで払える仕組みがもっと普及すればいいのにと思います。
マツダ:投げ銭システムを設置するコストが投げ銭での収入より大きいこともありえるでしょうし、各社模索中なところがありますね。エブリスタにも有料販売機能はありますが、電子で売れる作品と紙で売れる作品はちょっと違います。恋愛小説よりもちょっとアダルトな恋愛ものが電子では売れますが、それが紙でも大きく売れるかというとまた違う部分もあります。
――プロ作家がKDPやnote、エブリスタでダイレクトに読者を獲得していく事例も、予想よりは増えていないと感じます
飯田:それも、課金できるプラットフォームが一般化すれば状況はまた違うと思います。プラットフォーム側で「有料課金サービスの立ち上げ初期の一定期間内は原稿料を払います、一定期間経ったらそれ以降は課金で回収してください」とすれば、書く人はいると思います。プラットフォーム運営側の資金的には体力がいることではありますが。
マツダ:6・7年前、エブリスタでもプロ作家の作品を積極的に掲載していた時代があったんです。PVを増やす効果はあったんですが、やっぱりより多く読まれるのはWeb最適な小説なんです。プロの作家さんでも読まれるためには「Webで読んでおもしろい文章」にチューニングしないといけないので、既に紙で商業出版されている方ほど難しいのかもしれないです。
Web小説→紙の書籍はメディアミックスに等しい
飯田:2013年に「なろう」の梅崎祐輔代表にインタビューしたとき、「Web小説を紙の小説にするのもメディアミックスのひとつですよね」と言われて、衝撃を受けました。紙の小説を原作にしたアニメやマンガに触れることと、原作小説を読むこととはメディア体験として別なように、Webで読むのと紙の本で読むのはメディア体験として別物である、と。たしかに、読者の立場からしてみても、紙の本を読む気分とWebで見る気分はまったく違いますよね。読みたくなるタイミングややめどきも違うので、一日の中で気分によってメディアを切り替える人もいると思います。
マツダ:すごいですね。「音楽を聴きたいとき」と「映画を観たいとき」と「映画のサントラを聴きたいとき」が別の気分なのと一緒、ということですよね。その考えがもっと浸透していってほしいです。逆に、Web小説が下位で、紙の書籍化が上位という概念も早々に崩していきたいです。
飯田:梅崎社長はまさにWebと紙を完全に別物ととらえていて、書籍化されたテキストが完成品であるとか上位のものとは思っていない。「ウェブに載っててタダで読めるのとだいたい同じ内容なのに、なんで紙の本とか電子書籍になったらお金を払わないといけないの?」と言う人がいますが、「別の体験だから、体験の種類に応じて値段は変わる」としか言えない。出版関係者は紙の本で儲けているし、書き手にも書籍化をめざす人が多いから「紙が上」という通念がまだまだ残っているけれども、読む側からすれば、別に「紙の方が上」とは限らない。「無料で観られるTVとお金を払って観る映画、どっちが上?」と言ってもしょうがないのと同じです。
マツダ:ただ、書き手側からすると紙の本の価値はコンテンツや読書体験の価値だけではないんです。「書籍化が決まったから親に言えます」という人は多いんですよ。親世代はパソコンやネットのことがよくわからないから、Webでどれだけ人気でも伝わらないけど、本が出たら親にも「作家」だと言える、というご意見は聞きます。「お父さんに本を持っていったら喜んでくれました」とか。
――やっぱり「自分の本が本屋さんに並ぶ」のはかなり嬉しいと思うんですけど、書店の数も減っている中、たとえば本屋さんの数がいまの1/10になっても「紙で書籍化する嬉しさ」は変わらないのでしょうか
飯田:取次も大手書店も物流も「このままだと厳しい」と自己申告している会社は少なくありません。決してそれを望んでいるわけではありませんが、このままいって出版流通にガラガラポンが起きたら、そのときやっと日本で電子書籍やWeb小説が中心になり、紙は副次的なものだと人々が認める日が来るかもしれません。紙の本の刊行や入手が難しくなれば、人はもっとWebや電子に流れます。
たとえば中国でWeb小説がたいへん盛んな理由の一つは、紙の本の出版が許認可制で、内容の事前検閲があり、各社年間の刊行点数にも制限があるからです。そうすると売れるか売れないかわからない新人の作品は非常に出しにくいですよね。最近ではWeb小説も事後の検閲があるそうですが、それでも小説を書きたい若い人はWebでならすぐ書けるし、課金機能もあるからそっちで十分に稼げる。紙の本が上位という概念がない。
雑誌に代わる定期課金システム
――日本の出版社の多くは、依然として電子化にそこまで積極的ではない印象があります
飯田:出版社の文芸の方に「紙の小説雑誌やめて、全部Webにしちゃえばいいじゃないですか」と言うと「歴史ある媒体を自分の代で止めるのは、汚名を残すことになるのでできない」みたいなことを返してくる人もいます。でも、人類の文学の歴史の中で小説が文学の中心になったのは近代以降の短い期間で、それまでは長らく演劇と詩が中心にあったわけです。テリー・イーグルトンの『文学とは何か』なんかを読めばわかりますけど、小説って近代の英国で流行した当初は今のウェブ小説に対して文壇側が向けているのと同じように「こんな低俗なものは文学じゃない」みたいなことを言われまくっていた。「十八世紀の段階では小説という新参の成り上がりものの形式を文学として認定すること自体疑問視されていた」ってはっきり書いてありますよ(注1)。
日本の小説雑誌の歴史といっても長くて100年と少しぐらいのものじゃないですか。「長い歴史がある」とか「この形態、こういう内容のものが絶対である」と思っていること自体が歴史的に言って間違いなんですよ。文学史、あるいは人類史から見れば「紙の小説」側の人間が「ウェブ小説」を見下すこと自体が目くそ鼻くそを笑う類いの行為です。
マツダ:出版社は「媒体機能(=雑誌)」と「コンテンツ生産機能」の両方を持っているから強かったんですね。雑誌が減ることで媒体が弱体化している中、コンテンツ生産機能だけでやっていると一時的な収益は改善されますが、媒体がないと新人を宣伝する場所がないんです。今は投稿サイトやSNSに新人宣伝の場が移ってきていますね。
飯田:「媒体機能」には作品、作家のプロモーション機能という面だけでなく、「作品の発表媒体を用意して買いてもらうことによって、作家にコンスタントに日銭を稼ぐ(渡す)場所を用意する」という面があると思うんですね。
マツダ:出版社も作家を確保しておきたかったら、何らかの形で雑誌に代わる定期課金システムを作っておかないといけなかったんですよね。
飯田:出版社が作家に対して払いが渋くなるとどうなるかというと、違う業界に才能が流れるんですよ。スマホ向けのゲームってシナリオとか設定、いわゆるフレーバーテキスト等々の量が大変なことになっていて、いま、ラノベ作家は大量にゲーム業界に駆り出されています。ただ、それでシナリオがおもしろかったりキャラが魅力的なゲームができてしまうと、当然、ユーザーのラノベを読む時間を奪うことにもなる。「FGO」や「グラブル」をまじめに周回したら一日一時間ぐらい平気で使いますから。
別にゲームより小説の方が偉いとも思いませんが、出版業界の懐事情が悪くなった結果、書き手の才能は流出し、読み手の読書時間を奪うことにもつながった、ということは言っておきたい。
――コンテストで「この人書けるな」と思う人は高確率でスマホゲームのシナリオを書いていて、いま日本では有史以来最も「シナリオライター」の肩書きを持つ人が増えているのでは、と……
飯田:小説からゲームに流れるパターンはいろいろありますが、一例として挙げると、「なろう」や「エブリスタ」を活動の基盤にしていたのではない、ラノベ新人賞からデビューした組が、編集者と一対一で企画から吟味されて、何度もダメ出しされて、めんどくさくなったりやる気をなくしたりしたタイミングで「書けるんでしょ? 手伝ってよ」と同じような流れでゲームのシナリオに行き着いた先輩作家とかから声をかけられ、ますます本が出なくなる、とかですね。
主要なウェブ小説サイトの課金機能がもっと充実し、ユーザーの課金習慣が当たり前になれば、そういう書き手をまだ小説の側につなぎ止めておける可能性が高まると思うんですが……。
マツダ:印税以外で作家を食わせる機能も、かつては雑誌が担っていた部分ですね。これからの世代の編集者は、そこの機能が変化しているのをどうするかが大きな課題だと思います。コミック市場のことを考えると、まだ参照できる部分はあると思います
〔後編につづく〕
1. ↑ 『文学とは何か 上』岩波文庫
*本記事は、2018年11月22日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。