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飯田一史×編集マツダ特別対談〔後編〕 「読み専」がWeb小説の世界を変える|編集マツダ

Web小説と作家の未来について、編集マツダと飯田一史さんが語る特別対談。前編では、いまのWeb小説から生まれそうな新しい流れと、その中で作家が食べていく仕組みをどう整備していくかがテーマになりました。
後編となる本記事では、Web小説をより盛り上げるためのファクターとして、作品の読者、発掘者=スコッパー、そして評論家に焦点を当てて語ります。

Web小説にはインフルエンサーがいない

マツダ:Web小説と、紙をはじめとした従来のメディア業界は非常に分断されています。Webから吸い上げられた作品や作家が一度花開いてヒットし、スポットライトが当たるものの、そのスポットライトが持続しない。たとえば『DEEP LOVE』に始まったケータイ小説、『電車男』などの2ちゃんねる書籍化、なろう小説など、どれも持続性のある動きにもかかわらず、メディアに取り上げられる際には一過性のブームとして扱われてしまう。通路がシュンと開いてはまた閉じるのが繰り返されているように見えます。なぜこのゲートが開いたり閉じたりしてしまうのでしょうか。飯田さんから見えている景色があったらお聞きしたいです。

飯田:紙を中心とした既成の小説メディアの問題のひとつは「本になったものしか書評で取り上げない」ことです。本になる時点でWeb上での流行からワンテンポ遅れているわけで、ネットで一番盛り上がっているそのときにリアルタイムで動向をレポートする場を増やせば、もう少し見通しがよくなるはず。「パッケージ化(書籍化)されていないと取り上げない」という謎のローカルルールがよくない。
もうひとつはWeb小説側の問題です。僕の本(『ウェブ小説の衝撃』)を読んだ中国や韓国の人から、「日本の動向を知りたいから、Web小説に影響力のあるインフルエンサーやオピニオンリーダーを教えてほしい」と何度か言われたんですが、全然思い浮かばない

――逆に、中国や韓国にはそういうWeb小説のインフルエンサーがいるということですか?

飯田:いるらしいです。いわゆる「まとめサイト」もWeb小説ジャンルは強くないですよね。一部ありますが、それがWeb小説界隈に大きな影響力があるわけではない。だから、Web小説に関してちょっとずつ守備範囲が違うインフルエンサーなりレビュアーが数人~20人ぐらいいて、内外に向けて文脈や流行を伝えてくれたら、新規の読者や書き手にも「こういう作品があるんだな」と伝わると思うんです。

――monokakiで「Web小説定点観測」を始めたのも同じ問題意識からです。ジャンルの多様性なども含め、紙の小説を読んでいる人たちから見て「おもしろいもの」が、各サイトのランキング上位作を読んでいるだけでは十分に発見できない

飯田:その昔、あかほりさとる先生が「SFマガジンのラノベ書評欄で取り上げられたラノベは売れない」と言われていて。「SF読み的におもしろいラノベ」と「世の中の中高生が好きなラノベ」は一部重なるものの、基本的には違う。どっちが偉いという話でなくて、「SFファンにとってはこういうものが面白い」という評価軸もあれば「ラノベ好きにとってはこれが良い」という評価軸もある。問題なのは、Web小説に関しては「SFマガジンのラノベ書評欄」にあたる場所、書籍化されたWeb小説を取り上げる書評欄すら圧倒的に少ないことです。だけど「文芸側から見ておもしろいWeb小説」を紹介する媒体が増えれば、文芸サイドの編集者や作家はその作品をチェックするでしょうから、少しは架橋できるのでは。

マツダ:「読み手が読みたいもの」と「書き手が書きたいもの」がズレるのは当たり前なので、そこを繋いであげる役割も足りていないのかもしれません。飯田さんは「伊藤計劃は『SFとしてすごいから売れた』わけではない」で、「伊藤計劃の本が売れたのは冒険小説的な文脈で読まれたからだ」と書かれていましたよね。それと似た現象です。
エブリスタから出ている「5分シリーズ」も一緒で、たとえば『5分後に涙のラスト』に書いている著者は「泣ける小説を書こう」と思って作品を書いているわけではない。コンテストに投稿されたものを、「これは泣ける物語です」「これは後味が悪いです」と、読者の感情にフォーカスしてピックアップしたのが「5分シリーズ」です。おもしろいものを、紹介の仕方や編集で架橋していくことは続けたいですね。

飯田:あとは、普通に評価されるようになるためには「時間の問題」もあるでしょう。ラノベが業界の「外側」から注目されるようになったのは、2003年に乙一の『GOTH』が本格ミステリ大賞を受賞し、冲方丁の『マルドゥック・スクランブル』が刊行され、2004年に日経BPからムック『ライトノベル完全読本』が刊行されたあたりからだと思います。その頃から乙一、冲方丁両氏をはじめ、今で言う「キャラ文芸」的なもの、ラノベと文芸の中間的なものがあってしかるべきだという話があった。「SFマガジン」にラノベ出身の秋山瑞人が書いたり、ミステリー界隈でも同じような動きがありました。でも今のようにキャラ文芸的なものが「当たり前にあるもの」として根付くまでには、まあまあ時間がかかった。
Web小説もあと5年か遅くとも10年くらいして中高年からしても「物珍しく奇異なもの」ではなく「当たり前にあるもの」になれば、あるいは中高生のときに『Re:ゼロ』や『京都寺町三条のホームズ』を読んでいた世代が社会人になって出版界に入り、それなりに権限を持つ30代になれば、自然と「何で取り上げないんですか?」となっていくでしょう。


「バックボーンが見える書き手」であることが大事

――投稿サービスやプラットフォームで、最近注目している動きはありますか?

飯田:ブロックチェーン技術を使った「ALIS」に注目しています。ALISは質の高い記事の「発見」に焦点をあてた記事プラットフォームで、記事の投稿者だけでなく、いわゆる「スコッパー」も評価される仕組みになっています。
Web小説に置き換えると、のちの大人気作品を初期から見つけて読んでいる人や、最初に日間ランキング一位に押し上げた人は、ものすごく作品に貢献している。でも、人目に触れるところに押し上げてくれた初期の評価者には、その後、なんの還元もないわけです。だけど評価する側にもリワードがあって、作品が大きくなったときに報われる仕組みがあれば、読む側ももっとがんばって評価してくれるのではと。残念ながらALIS自体は小説投稿サイトではないのですが、試みがうまくいけば他のプラットフォームにも仕組みが波及するでしょうから、注視しています。

マツダ:いわゆる「読み専」の人たちにも利益が還元されるのはおもしろいですね。それはいまのWeb小説にすっぽり抜けているものかもしれません。すごくおもしろいのに知られてないものが、スコッパーによって可視化されていくといいですよね。もしかしたら彼らは注目されることを望んでいないのかもしれないけど、でももっとスポットが当たってほしい存在です。

飯田:スコッパーも評価される仕組みができれば、評価する側のキャラも立ってきて、多様な評価軸が可視化されてくると思うんです。適切な文脈で発見・評価される可能性を上げるという意味では、Web小説を書く側も、「自分の読書のバックボーンはこうで、こういう人間です」というところをもっとオープンにしてほしいですね。現状、なかなかそこが見えないので、タイトルとあらすじだけで「はいはい、なろう系ね」みたいに、いっしょくたにされがちになっている気がします。

マツダ:早川書房から『JK ハルは異世界で娼婦になった』が出た途端に異世界シャワー問題が出てきて、これだけ隆盛している「異世界もの」もSF読者にはまだ発見されていなかったんだなと実感しました。別ジャンルの読み手に「なろう小説」を読んでもらうためには、剥き出しで渡しても通じません。どのような流れで、何に影響を受けて、どの文脈を引き継いで書かれたものなのかを解説する必要性を感じました。その意味で作家さんはこれまで何を読んできたかを開示してほしいし、評論する側も断絶を埋める言説を丁寧にしていかないといけないですね。

飯田:Web小説にはそれぞれのプラットフォームの書き手と読み手が時間をかけて形成してきた「Web小説独自の価値・評価軸」があり、その流れ、文脈を積極的に語っていく必要がありますね。と同時に、既成のジャンル小説なり、ファンタジーならこれまでのファンタジーの歴史と、Web上のファンタジー小説を接続することも必要だと思います。
その昔、奈須きのこの『空の境界』は講談社ノベルスから出るときに笠井潔が書いた、国枝史郎以来の日本の伝奇小説の歴史から紐解いた、かなり力業の評論が巻末に付いていて、TYPE-MOONのファンからは不評だったんだけど、でも奈須さんだっていきなり出てきたわけじゃない。ジャンルの蓄積があった上で出てきたことが、笠井さんの解説があるからこそわかった。ああいう試みがWeb小説でも多少なりともあれば、レガシー側も歩み寄ってくれると思う。

――レガシー側も、単にWeb小説というものがわからない、計りかねるから取り上げられない部分もありそうです

飯田:Web小説がまともに評価・評論されるようにするには、「Web小説ならではの価値を語る」ことと「他ジャンルの歴史・価値観への接続」の両方があった方がよい。片方だけでは異世界シャワー問題のようなことが起きますから。前者を立ち上げるには『SFハンドブック』『ミステリハンドブック』的な「簡単な通史」+「オールタイムベスト100」付きのガイドを用意するといいのでは。歴史とカノン(正典)を作ると、外側からも参照しやすくなるし、書き手も読み手も入り口がわかるようになる。

マツダ:「基礎教養としてこれだけは読んでおけ」という読み方でないと、吸収できないものはありますね。夏目漱石を単品で読んで理解できることと、近代の思想史の中で彼の作品を捉えることは大きく異なります。BL小説だってそうです。今現在のBLだけ読んでいても理解できない部分に対しては、竹宮惠子、栗本薫、秋月こお……と幾度かの革命を経て現在の形になっていることを説明すべきなんです。そのように解説すれば、単品ではのめり込んで読めないという人にも作品の魅力が伝えやすいですね。


新しい表現を叩く側にはなりたくない

飯田:さきほど奈須さんに言及しましたが、奈須さんや虚淵玄さんには、菊地秀行先生や夢枕獏先生など、80年代に大流行した伝奇小説の影響があります。でも、「80年代伝奇論」って一冊も出ていない。ある時代にめちゃくちゃ売れて、その影響を受けた人が後の時代にやはり第一線で活躍している人がいるのに、評論なりノンフィクションとしてまとまっていない。僕は高校のときに「ブギーポップ」が始まったという世代ですけど、菊地秀行作品にそっくりな攻撃方法が使われていることをあとから知った。「元ネタ、これか」と。

――わたしも飯田さんとほぼ同世代です「ブギーポップ」を読んでいましたが、まったく知りませんでした……

飯田:上遠野浩平さんと同世代の人はリアルタイムで皆わかっていて、「そこから持ってくるのか」と思いながら読んでいたはず。でも、下の世代は言われないと知らないし、ともすれば「ここから始まった」と思ってしまう。僕が伊藤計劃をSFからではなく冒険小説文脈で論じたのは、北上次郎はじめ1980年代にはさかんに書かれ、しかし2000年代以降はあまり更新されていない冒険小説論をアップデートする、という意図もありました。もしいま冒険小説論を書くなら虚淵玄、伊藤計劃、月村了衛等々が当然入ってくるけど、20代以下の読者にはそこからの流れが見えづらくなっている。そういう現象がたくさんあるんですけどまずくないですか、というか、不毛な感じがするので、Web小説に関してはそうならないようにしたい。

マツダ:大ヒット作はジャンルとジャンルの結節点から爆発しているように見えます。「ブギーポップ」もいきなり出てきたように見えて、伝奇小説×学園ものというのが新しかった。「涼宮ハルヒ」は、ラノベにSF畑の平行世界概念やギャルゲー的な文脈を足して人気が爆発した。過去の流れを参照しつつも新しいものを取り入れていく流れが、「なろう」系の次に起こると面白いですよね。その参照のためにも評論は絶対必要なのですが最近は見えづらいですね。評論家を育てるシステムがなかったのでしょうか。

飯田:評論の新人賞や批評家を育てる仕組みはあるにはありますが、既成ジャンルを論じる人を増やすだけでは、あまり意味はないと個人的に思います。たとえば文芸誌では2010年代に入ってなお小林秀雄が論じられ続けていましたけど、その作業をして誰が嬉しいのか、何の必要があるのか、正直よくわからなかった。
ただ、僕も書いていて思いますが、誰も論じていないような新しいジャンルについて書いても、芳しい評価を受けたり、評判になることは非常に少ないし、そもそも書く媒体が限られている。純文学やSF、ミステリーのようなすでに確立されたジャンルについて書き、評価の定まった書き手を褒めている方がよほど業界ウケはいいし、書く場所もある。これで新奇な作品や現象について論じる人間を増やそうと言っても、反応がつらすぎる……。

――フィクションと同じで、読み手がつかないと書き手も継続していけないですよね

飯田:僕が学生のころに佐藤友哉や西尾維新がデビューしたんですけど、本格ミステリの評論家からかなり叩かれたんですね。「なぜ我々は楽しく読んでいるのに、この作家はこんなに叩かれるんだろう?」と思いました。その評価の落差にはジェネレーションギャップもあったし、ジャンルによる評価軸の違いもあったと思います。そりゃあ京極夏彦の『姑獲鳥の夏』とポール・オースターの『幽霊たち』をまんま合体させた佐藤友哉の『クリスマス・テロル』はひどい。でもひどさの中に切実さがあって、僕らはそこにシンパシーを感じていた。
少し調べたらすぐわかったのは、そのとき叩いた側の新本格の人たちも、出てきた当初は、そのさらに前の世代や違うジャンルの人間から「人間が描けていない」などと叩かれていた、ということです。
そういう無理解の再生産って不毛だな、と思って、僕は「新しい小説が出てきたとき、叩く側にはなるまい」と決めた。そういう経験が、僕の中でWeb小説を外側に紹介する内的必然性になっている。
自分には良さがわからないのに売れていたり話題になっているものは、作品がダメなのではなくて、自分がその文脈を知らないだけのことも多いんですよね。どっぷり浸かって文脈がわかれば、たとえ好きになれなくても「なるほど、ここが面白いと思っているのか」ということはわかる。
で、そういう視点で新奇なコンテンツを紹介すれば、「わからん」と思っている人にも理解できるものになるかな、と思って僕は書いています。

マツダ:竜騎士07さんも、エヴァをきっかけに「議論を呼ぶような作品を作りたい」と思うようになったと話されていました。いまの30代半ば~40代はそういう人は多いのではないでしょうか。エヴァや新本格の議論をきっかけに評論に興味を持つように、今のWeb媒体に合わせた評論の在り方がまだ確立しきってないのかもしれません。評論めいたワンツイートがバズるのはよく見ますよね。そんなカジュアルな入り口がいっぱい出てきてもいいのかな、と思います。われわれがやるべきなのかな。

飯田:僕が好きな江戸川乱歩の随筆に「一人の芭蕉の問題」というものがあります。トリック重視ではなく文学的な探偵小説を目指すべきだ、と論陣を張った木々高太郎に対し、いやいや、探偵小説らしさと文学性は二律背反ではないのだから両立させるべきで、それを両立させる人間(「一人の芭蕉」)の登場が待たれるのだ、と乱歩は言いました。Web小説の書き手にも論じ手にも、「Web小説固有のおもしろさ」と「先行ジャンルからの継承」を両立させ、新たなスタイルで書ける人が現れる、あるいは増えてくれればなと切に願います。

――エブリスタの作家さんでも、幾人か名前が浮かぶ方はいます。群として出てくるとより良いですね

マツダ:書き手、読み手、そして論じ手の三者が揃ってこそ、これからのWeb小説がより豊かになるだろうということですね。 「自分はWeb小説の歴史に詳しいかもしれないぞ」と思う人は臆さずにぜひ書いたり論じたりしてほしいです。それが新しい書き手への刺激になったり、新しい読み手を増やすことにも繋がっていくと思います。

飯田:それと、ゲームや漫画を皮切りに、これから東アジア圏ではコンテンツの相互流入がますます増えていくと思いますが、お互いどこが同じでどこが違うのか、それぞれどういう来歴でそこに至ったのかを語り、媒介する人間が必要になります。たとえば中国や韓国のWeb小説でも日本同様に「異世界転生」「異世界転移」は定番の設定になっています。相互に直接的な影響関係があったとは思えないのに、東アジアでは同時多発的な流行になっている。これはどういうことなんだろう? とかですね、そういうグローバルな視点で語れる人も出てきてほしいです。


*本記事は、2018年11月27日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。

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