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Q. 自分でダメ出ししてしまいます|海猫沢めろん

みなさんこんにちは。
ついに2020年も終盤ですがいかがお過ごしでしょうか?
ぼくは今、引退の危機にあります。
というのも、「今年書き終えられなければ小説やめる宣言」した8年ごしの超絶メタフィクションSFミステリ長編『ディスクロニアの鳩時計』がまだ終わっていないのです。これは非常にヤバイです。というか、マジでヤバイです。めちゃくちゃ焦っています。
実際これを書いている時点でリアルに残りは30日ちょっとです。
命を削ってでも終わらせるしかないというのに、12月にはぼくのバンド「エリーツ」(メンバーは佐藤友哉、滝本竜彦、Pha、ロベス) のライブが控えていたりして本気でヤバイ……。
今回の悩み相談はそんなぼくにも関わることです。

執筆のモチベーションがコントロールできません

今月の相談者:篠田恵(24歳) 
執筆歴:10年
お悩み:執筆のモチベーションがコントロールできません。
今年に入ってから、書こうとしても数日経つと筆が止まってしまう→またしばらくしてチャレンジするけど数日経つと書かなくなる……ということを繰り返しています。
原因は複数あるように思えるのですがあまり判然としません。
・人生の他のことを悩んでいて気が散ってしまう
・去年までの『たくさん書けていた自分』と比較して今の自分はダメだと自責してしまう=自分に対する要求レベルが高すぎる
・さらに『どうせ書いても意味ない』とか勝手にネガティブになる
・作品に対する熱が入らない気がする
など、改善したいのになかなか改善できません。
自分で立てた〆切を自分で破りまくる状態になっていて、焦っています。
作品作りの技術的な面ではあまり悩んでいなくて、モチベーションを保つことだけが難しいです。 
自分で立てた〆切を自分で破りまくる状態になっていて、焦っています。

これはまさに今ぼくが陥っている状況です……。


モチベーションという悪魔

モチベーションの持続は本当に難しいですよね。特に、依頼もなく書いている場合はなおさらです。ここは思い切って、ライターズブロックが来る前に休んでみるのはどうでしょうか。
書けないときには書かなくていいです休みましょう

創作は
・手段自体が楽しい、ただそれが楽しい
・目的がある、達成することで何か得られる

だいたいこの2つが混じり合っています。書き始めた最初は楽しかった。目的をある程度達成できた。そうすると技術も頭打ちになり、次の段階に強い目標がない場合は迷いが発生します。多くの人はここで「プロになる」という目標を立てます。

しかし、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。あなたの創作のモチベーションは何だったんでしょうか
今、創作のモチベーションが低下しているということは、最初にあったなにかが失われているのでは? 次の目標を立てるよりも、その根源的なところに立ち返ってみてはどうでしょうか?


こころの底をみつめる

「本当に書きたい小説ってなんだろう?」「本当はもう書きたくないんじゃないだろうか?」「惰性で書いてるだけじゃないか?」「最初のころの新鮮さがない」
そうした本音が出てきたとしても否定せずに見つめましょう。それでもやっぱりもやもやと「……でもなんか書きたいんだよな……」という気持ちが少しでもあるなら、その気持ちを掘り進めてください。
小説を書き始めたころの気持ちを思いだして、すごく好きだった本を読んだり、音楽を聴いたり、感情を動かすものにふれ、それをお守りにしてください
それから、創作からすこし距離をおいて基礎技術を磨いてみましょう。”作品作りの技術的な面では悩んでいない”ということですが、それでもプロの野球選手が素振りをするように、基礎的なことをもう一度やってみると発見があるものです

ちなみに、ぼくのモチベーション維持方法です。

・無理矢理自分をピンチに追い込む(今年できなかったら小説やめます)
・書かない日をつくらないために毎日日記を書く(惰性でも一行はかきます)
・お守りを用意しておく(参考になる音楽や本や映画)

このように外的要因と毎日のルーティンでなんとかギリギリ自転車をこいでいる状態です。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ……。さすがにこれはおすすめできませんが……。
お互い頑張りましょう。


何を書いても綺麗事になってしまい悩んでいます

今月の相談者:ゆう(18歳)
執筆歴:3年
お悩み:何を書いても綺麗事になってしまい悩んでいます。
青春小説を書くにあたって、等身大の泥臭いキャラクターたちを描きたいのに、どうしても自分の中の規範が邪魔をして、結局ありがちな綺麗事だらけのストーリーになってしまいます。読者にぐっと刺さるようなストーリー作り、キャラ立ちのヒントがあれば教えてください。

”ありがちな綺麗事だらけのストーリー”になるということですが、それは悪いことではありません。「現実が大変なのに小説のなかでまで苦労したくない」とか、むしろ綺麗事を読みたい読者もけっこう多く存在しています


自分のなかで矛盾をかかえる

とはいえ、”規範がじゃまをして”という相談の一文から予想すると、ゆうさんは自分の規範が”ありがちな綺麗事”なのが気になっているのでは? 
でもその規範が自覚できているなら曲げる必要はまったくありません。むしろそれが輝く場面を考えてはどうでしょうか。

例えば、こないだ読んだ漫画のなかでこんな綺麗事を言うシーンがありました。

敵「剣術が人を活かす術、など綺麗事! 剣術は殺人術!」
主人公「確かにそれは甘っちょろい戯れ言でござる。けれども拙者はそんな真実よりも甘っちょろい戯れ言のほうが好きでござるよ」

この漫画(『るろうに剣心』)の主人公はかつて人斬りで、綺麗事の世界で生きられなかった過去があります。だからこそこの台詞が活きていると感じました。
作者の規範はどうやっても作品に現れますが、問題はその規範を肯定するキャラクターばかり出てくるような作品です。それでは単に自分の考えを強化しているだけです。
ではどうすればいいのでしょう?

試しに自分の持っている規範をぐらぐら揺らがせるようなキャラクターと、自分の規範を強化したようなキャラを対立させてみてはどうでしょうか? それでも自分の規範は揺るがないのか? 
小説のキャラクターは自分の分身ですが、自分も知らない自分を教えてくれます作者が深い葛藤をしているとき、キャラクターにもその葛藤が備わります

自分のなかにある矛盾に答えを出さないまま、その宙吊りに耐え続けながら思考を深めていくような小説そういう本当の悩みが投影されている作品ほど味わい深いのです


最後に

以上、2本の相談にお答えしました。
さて、突然ですがこの「めろんそーだん」、今回で最終回になります。
ちょっと長くなりますがみなさんにメッセージを。

monokaki」というサイトが生まれてから形は変われど連載を続けさせていただき、気づけばこの悩み相談コーナーは3年近く続きました。
毎月一回、できる限り全力で答えさせていただきました。直接会ってお話できればもっといろいろなことが伝えられるのにな……と毎回もどかしい気持ちでいっぱいでした。
自分自身がこの数年、まとまった小説を発表できていないため、小説について語るのは非常に心苦しかったのですが、それでも人より失敗してきたぶん、書けない人の気持ちはわかるつもりです。

情報があふれている今、悩みは検索すればどこかに回答がでてきます。だけど情報の浸透圧――ことばの届きやすさは対話が一番です。だからぼくは毎回相談者と対話しているつもりで、ひとりひとりが心の創造性の火を見つけられるよう、気をつけて回答してきました。
創造性は形をかえることはあれど、消えることはありません。どうかみなさん、それを大切にしてください。

最後になりましたが、これまで相談してくれたみなさん、読者のみなさん、編集のみなさんありがとうございました。

ぼくはこれより、冒頭で書いた通り、最後になるかもしれない作品「ディスクロニアの鳩時計」に注力します。万人向けの作品ではないのですが、それでも書いているあいだは間違いなく自分の最高傑作だと自負しています。もし「ディスクロニアの鳩時計」が完結したら、応援する意味でも読んでいただければと思います。
それでは!


『ディスクロニアの鳩時計』特設サイト


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