最終話|この物語の作者は、私。|梶原 りさ
前回までのあらすじ:
内緒で作家デビューをしていたことが夫にバレてしまった。叱られるかと思いきや、反応は鈍い。「妻が作家になるなんて、俺の人生で考えられないんだよ」そう呟いた夫の真意は?
りさの本が駅前にたくさん並んでた
朝の片付けが終わった10時は私の執筆のメイン時間だ。
前回の打ち合わせを思い出しながら、物語を組み立てていたその時、玄関から物音がした。
この時間にやってくる来客は、なんらかの勧誘や営業が多い。宅配待ちの荷物はないから、私はその物音を無視することに決めた。
と、予想に反して、玄関の鍵が開く。夫が帰ってきた。なぜ?
「りさの本が駅前にたくさん並んでた」
地元紙が、『ファミレスの安楽椅子探偵』がこの地域のファミレスを舞台にしていると聞きつけたらしく、小さな記事になった。そこから広がって、駅前の書店にはサイン本が置かれ、大きく展開してもらっている。
「褒める言葉がたくさん書いてあって、記事も貼ってあって、みんな第2作を待ってるらしい」
「舞台が地元だから、優遇されてるだけだよ、東京の書店だったら、ぜんぜん展開されてないだろうし……」
話の着地が見つからないまま、私は会話をついだ。
「次回作、書くのか?」
「出版社さんは勧めてくれてる。私も書きたいと思ってる」
もう、夫に出版していいかなんてお伺いは立てない。
俺は、仕事がずっとつらい
「今も書いてたのか?」
「書いてたというか、書くことを決めていたというか、構想中というか……」
人から見たら、ただ主婦がダイニングテーブルでスマホを眺めている図だろう。
夫は、地元書店の袋をダイニングテーブルに置いた。
「駅前にたくさん置いてあるから、つい買ってしまって、通勤電車の中で読もうとしたけど、読めなくて」
夫は、ダイニングの椅子に座りテーブルに突っ伏した。
「りさは小説を書くのが楽しいのか」
「書き進まないときとか、つらいこともあるけど、でも、楽しい」
「俺は、仕事がずっとつらい」
初めて聞く吐露だった。
「仕事をやめてもらって妻子を連れて地方に来たのに、思うように仕事はうまくいかなくて。でも、俺が稼ぐしかないからって毎日働いてたのに、りさは知らない間に楽しく俺より稼いでて、もうどうやって働いていけばいいかわからない……」
「いや、あの振り込みのときは額が多かったかもしれないけど、お金が入ってくるのは不定期だし、ぜんぜん年収にならすとかなわないよ! そもそも、一冊書くのに何ヶ月もかかってるし」
「俺が稼いでくる。お前は家事やって、俺を支えて、家を守ってくれる。そういうもんだろ。それが当たり前だろ。それを疑ったことなんてなかったよ。妻が作家先生になるなんて、俺の人生で考えられないんだよ」
話を継ぎながら、私はふと気づいた。
私、「夫に仕事をやめてもらっちゃ困る」と思ってる。
生活のベースのお金を稼いでもらって、私は育児・家事と執筆をして。
そういう生活を望んでいて、夫には仕事をやめてほしくない。私は、夫が会社員じゃなくなるなんて、私の人生で考えてきただろうか……?
私の人生、夫の人生
「考えよう」
私は、ダイニングに顔を伏せたままの夫に声をかけた。
「2人の収入と、貯金はどれくらいあるのか。今仕事をやめたらいつまで食べていけるのか。家はどうするのか。転職するなら、どういう職場がいいのか」
結婚してからの私たちは、世間に対してまったく説明がいらないぐらいメジャーな役割分担をしてやってきた。妻が家事育児、夫が会社員。でも、それは私たちが話し合って決めたことではなかった。会社の辞令があって、出産のタイミングがあって、カリンの幼稚園入園があって。さまざまな外の要素から導き出された生活だ。
「正直、私がすぐに家計を支えるのは現実的じゃないけど、あなたが全部荷を負うことはないと思う。ちゃんと家族で相談して、計画を立てよう」
私は我慢していた。
夫も我慢していた。
いつからか、私は、自分が脇役だと思っていた。
まぶしい子どもの成長を寂しいと感じて、○○ちゃんママと呼ばれることを悲しんで。
でも、もうやめて、もう一度自分の人生の舵を取り戻そう。
それは、自分のためでもあるし、今目の前にいる家族のためでもある。
いくつかのお話を作った。きっと、家族の最適な形も試行錯誤で作っていけるだろう。
物語はいつもそこに
最初は、たわいもない妄想だった。
変えられない生活のなかで、唯一変えられる、作品世界。
作品を書くことで、変化のないように思えていた日常も、彩りを豊かにしていった。
「カリンちゃんのお母さんの連絡帳って、いっつも面白いですよね〜! 毎日楽しみにしてるんですよ!」
「あなたの中に、物語は眠っているはず。それを信じて」
結婚して、子どもを育てて、仕事をやめて。
物語にもならないようなありふれた自分が創作を始めたことで、世界はどんどん変わっていった。
日々の家事、幼稚園の連絡ノート、ファミレスから見る景色。
私が気づいていなかっただけで、物語はいつもそこにあった。
そして、私の一番近くにいた家族にも。
「はんだづけはパパがするからね」
夫は残業を減らし、週に何度かは定時で帰ってくるようになった。
その分、あいた時間は趣味の電子工作に使っているようで、家の中には夫が作った工作作品が増えた。カリンも物珍しそうに、夫との時間を過ごしている。
「カリンここ光らせたい! 青に!」
「簡単に言うけどけっこう難しいぞそれ!」
夫は、学生時代、電子工作が好きで現在のメーカーに入社したものの、
周囲の理系大学出身エンジニアたちとのレベルの差にコンプレックスを抱き、趣味をやめていたらしい。
ある日、『ファミレスのママ友探偵美月』の続編を必死で書いている私をぼんやり眺めていたかと思うと、次の日いきなりキットを一揃い買ってきて、作り始めたのだ。
仕事を調整し、趣味の時間を作ったことで、また仕事の楽しみを見出せたようで、
最近は穏やかな家族の時間をもてるようになった。
これから続いていく、家族のストーリーは、幸せなことばかりではないだろう。
でも、一つだけわかっていることがある。
この物語の作者は、私。
そして、夫にも、カリンにも、それぞれの物語がある。
今日も物語を進めていこう。
今度書きたいのは、少しフィクションを交えたノンフィクション。いま過ごしているこの日々を、オールスターの仲間たちに伝えたい。
私はスマホを手にとって、次に執筆する作品のタイトルを打ち込んだ。
「主婦作家 桐生なぎのインディペンデンス・デイ」
~~Fin~~