第四回氷室冴子青春文学賞スピーチ|monokaki編集部
第五回「氷室冴子青春文学賞」の募集が開始された。次回の応募を考えている人、氷室冴子青春文学賞に興味のある人に、ぜひ読んでもらいたい記事をお届けする。
以前にも第二回受賞者たちの授賞式スピーチをご紹介したが、今回の記事では選考委員である久美沙織さんと柚木麻子さんと朝倉かすみさんの感想と受賞者さんへのコメント、そして第四回の大賞受賞者である平戸萌さんのスピーチを掲載。受賞者の小説へかける想いがつまった授賞式の臨場感を味わってほしい。
審査員の感想と平戸さんへ一言<選考委員:久美沙織さん>
久美:平戸萌さんおめでとうございます。とても素敵な作品でした。タイトルを拝見した時からなにかすごくおもしろそうな予感がしていました。読み始めるとどんどん中に引き込まれて主人公の中学生の女の子の気持ちと一緒になった感じで、とてもおもしろく読みました。
平戸さんの『私が鳥のときは』は、気持ちをガッと入れることができる作品でした。
私自身がいいなと思ったのは、しんどいことやかなしいことをかなしいかなしいと書くのではなくて、ちょっとおもしろく書く。たのしい語り口調で書いているのが素晴らしかったと思います。
氷室冴子さんとは私、某コバルトってところでご一緒だったことがあるんですけど、以前氷室さんに叱られたことがあるんです。私は目先の利益とかウケを考えてしまう人間で氷室さんから、「少女小説っていうのは今だけじゃないんだ。来年だけじゃないんだ。五年後十年後に残っていくもの、五年後十年後の少女に届くものを書かないといけないんだよ」と怒られました。
今回の平戸さんの作品を含めて、氷室冴子青春文学賞を受賞して本になった作品はまさに五年後十年後の少女にも、もしかしたら世界中のいろんな少女にもちゃんと伝わるものなんじゃないかなと思います。
ここでゴールではなく、あくまでスタートなのでこれからもっともっと素敵な作品をたくさん書いてください。応募していただいてありがとうございました。
審査員の感想と平戸さんへ一言<選考委員:柚木麻子さん>
柚木:平戸さん今回はご受賞おめでとうございます。私は氷室冴子青春文学賞の選考委員を務めてまだ三年目なんですけど、この賞はまだまだ世間には知られていないこれからの賞だと思います。この『私が鳥のときは』で氷室冴子青春文学賞は一気に有名な、行く行くは名門の賞になっていくんだなと確信しました。平戸さんが出た賞だって言われるような賞になると思います。
私はこの作品を読んだときに氷室冴子さんが書いてきた小説の歴史というものについても考えました。日本の文学史というものはそもそも非常に恵まれた男性の悩みを聞くということが永らく文学でした。
少女が搾取されない、少女が命を全うする。なにか理不尽な理由で死んでしまった少女の視野に苦労などが美しく昇華されない小説というものを、村岡花子や吉屋信子といった日本の少女小説を作ってきた人たちが欧米の少女小説から持ってきて、流れがどんどん変わっていきました。
氷室冴子さんはその流れの中にいて、欧米でやっている少女小説を北海道というヨーロッパの香りがする場所でやってくれたという歴史を変えてくれた素晴らしい功績者だと思っているんです。
この小説はまさにその系譜の中にいる作品だと思っています。主人公の蒼子さんは必要以上に責任を負わされない子供として生きていて、バナミさん(『私が鳥のときは』の登場人物)との関係もあくまでも大人と子供です。そしてバナミさんの死を彼女は最後まで見届けないというところもいいなと思いました。バナミさんのその後はなんとなく聞いている。そんなに一人の少女に責任なり成長を負わせないで、人間の生と終わりを書いているものを私は知らないですね。
同居ものっていうジャンルは珍しくはないですけど、バナミさんの生命力の描き方というものも私は非常に好きですし、そして彼女がいることによって家が非常に狭く感じられる、居心地が悪くなるということをすごく誠実に書いている。
個人的なことなんですが、私は家の空間の認識能力が文章から組み立てるのが非常に下手なんですが、この作品からは部屋の間取りまでちゃんとわかって、天井の高さまで伝わってくる筆力が本当にすごいなと思いました。
蒼子は学校でいろいろと嫌な目にあっているんですが、バナミさんは家族制度のことから出ている存在ではあるけど、彼女を守るために息子に言うべきことを言う。自分が死ぬことがわかっていて、そして親子の情愛ではどうにもならない問題もあり、人としてしっかり言う。これまでの家父長というものを強化していくために少女がアイテムとして利用されるっていう文学史を塗り替えていく、とても画期的で誠実で今の世の中にとても必要な試みではないかなと思いました。
たぶん、どなたが読んでもいい話だな、おもしろいって思う物語だろうと思います。今すぐにでも私はこの作品を読んでもらいたいです。この一年、二年で終わらないでずっと読まれていく物語だと思います。このような素晴らしい作品を氷室冴子青春文学賞に出していただいたことを心よりお礼を申し上げます。この度はおめでとうございました。
審査員の感想と平戸さんへ一言<選考委員:朝倉かすみさん>
朝倉:平戸さんおめでとうございます。候補作品を読むときにはほかの方も全部そうなんですけどペンネームしかわからないんです。男性か女性かはもちろん、どこに住んでいるかなにをしている人なのか、どういう理由で応募してきたのかなにもわからないんです。
そうやって送られてきたものを読むんですけど、今回は読んだときになんだろう、残酷だなって思ったんですね。ひとりだけ抜けている状態っていうのは、ちょっと残酷な感じがしました。だけど、やっぱり残酷な世界だと思う、こういう表現の世界というのは。
平戸さんはずっと書いていかれると思うんだけど、もっと残酷な世界に入っていかないといけない。そこで泳いでいくためにはたった一つのことでいいと私は思っている。それはね、自分にしか書けないものを自分にしか書けない書き方で書くことなの。それだけやっていれば、大丈夫。絶対に大丈夫。だから忘れないでほしいの、目移りしたり追っかけたり焦ったりしないでほしいの。自分にしか書けないことを自分にしか書けないやり方でずっと書いていってほしいと思います。
これは平戸さんだけではなく、今回最終候補に残って残念だった人たちも応募してくれた人たちもみんなに言えること。私は本当にみんな自分にしか書けないことをずっと書いていってほしいなって思います。
いろんな人がこれから平戸さんの前に現れて、そして嫌なことやいいことを言ったりして立ち去っていくということがあるんでしょうけれども、何年か経ったとき、ふっとこの授賞式のことを思い出すと、私はこんなあったかい授賞式をやってもらったんだというのはね、心の宝物になると思います。
本当にがんばって、私もがんばるのでどこかいいところで会えればと思います。本当におめでとうございます。
受賞者スピーチ<大賞受賞者:平戸萌さん>
平戸:『私が鳥のときは』という作品で大賞をいただきました平戸萌と申します。ちょっと私あがり症なので、紙を書いてきたのでこちらを読ませていただきます。
氷室冴子さんというと「少女小説の神様」みたいな方で、私の世代ではレジェンドとして図書館の決まった棚にあるという感じのイメージです。こういった形で今回お名前を冠した文学賞を受賞することができましてとても光栄に思っております。
読んでくださった皆様、選んでくださった皆様に心より感謝申し上げます。正直なところ、私自身がうれしいというよりも、作品中の少女たちのがんばりが少し報われたのかな、という気持ちがすごく強くて、よかったなとちょっと他人事のような心持ちでいます。
主人公の少女たちとかバナミさんたちのような少女の心を持つ大人たち、彼女たちがそれぞれの青春を生き切った証拠のようなものとして、今回いただいた大賞を大切にしたいと思います。
昨日、岩見沢をご案内いただいたのですが、とても素晴らしいところだと思いました。氷室冴子さんの『いもうと物語』という作品が私はすごく大好きなんですが、そこに描かれていた生活の場所、その舞台になったところを目の当たりにして、いち読者として大変感動する経験をさせていただきました。
このような美しさや冷涼な空気とか自然の厳しさや恵み、そういったようなものの中で自然と共に生きていく環境であったり、途方もない空や大地の広さだったり、つまりそれは人生においては特に少女は壮大な余白とよんでしまうような気もしますけれど、そういう環境の中で氷室さんの作品中の多くの少女たちも心の中で研ぎ澄まされていったものがあったのではないかなと感じました。
心の中で研ぎ澄まされていったものを持ったまま、作品中の少女たちはいろんな世界へ飛び立っていくことになったと思うんです。けれども彼女たちはどこに行っても少女の心と共に心の中に閉じ込めた故郷の空気というか、そういったものを終生大事に持ち続けるものだと思っています。
この土地の皆様が作者である氷室冴子さんや作中の少女たちを故郷の仲間として家族のように愛しているっていうことはすごく心強く、素敵なことだなと思っております。
数ある文学賞の中でもこうやって地元の方に故郷であるという感じで愛されているような賞はやはり特別なものだと思います。今回受賞することができてご縁をいただいて、岩見沢が私の故郷にもなってくれたらとうれしいなと思います。
今回応募しました『私が鳥のときは』というお話なんですが、ここに出てくる少女たちはやっぱり幸せ不幸せという単純な次元ではなくて、客観的にはシビアな現実を生きています。しかし、彼女たちもまたバナミさんとの出会いと別れといった自分の少女時代、青春時代を故郷のように心に持ち続けて大人の世界へ飛び立っていくことになると思います。
理不尽なことに抗ったり、思うような自分にはなれないことに悩んだりといった少女的な心は、大人になってからは未熟な精神であるとして胸の奥にしまわれてしまうと思うんですけど、その少女的な心というものはずっと胸の中で小さな灯火みたいに生き続けて、なにかのタイミングで生きる指針みたいなものになったりすると思います。
誰もが異なった人生を歩んでいくと思いますけれど、それぞれの短い青春時代というのはそれぞれに美しくて尊いものだと思っています。さきほど朝倉かすみ先生にすごく勇気づけていただいたんですけど、そういったものを私は勇気を出してこれからも書いていきたいなと思ってます。
そして、この氷室冴子青春文学賞ですが、次回もその次もこの文学賞の応募作の中でキラキラしたもの、それぞれの輝きみたいなものに出会えることをたのしみにしております。今回はどうもありがとうございました。
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