第9話|それでも書籍化に挑戦したい|梶原 りさ
前回までのあらすじ:
応募したオールスター小説大賞では受賞できなかったなぎ。しかし、数日後、運営から『ファミレスのママ友探偵観月 地域の謎は私におまかせ』の書籍化の打診について連絡がくる。夫に相談するが、なんと理解が得られず...。
私の夢が消えてしまう
夫に反対されてしまった。つまり書籍化を承諾できないということだ。なるべく早くオールスターの運営さんに伝えなきゃいけない。
わかっていながらも、私はなかなか連絡ができずにいた。
この連絡をしないでいる間だけは、まだ私の未来はなくなっていない。そう思うことでなんとか自分を持ちこたえさせていた。そんなことをしても意味がないのに。
1週間前に戻りたいとすら思っていた。書籍化連絡が来る前。小説を書いて、サイト上で交流して、夫や娘が帰ってきたらサイトを閉じて。それで十分楽しかったはずなのに。書籍化のためだけに書いてきたわけじゃないし、楽しめるならそれでいいでしょ? 何度も自分に言い聞かせるけれど、気持ちがおさまらない。この先があるなら見てみたい。たとえ力不足でも、失敗してしまうとしても、挑戦したい。
「その後、いかがでしょうか?」と確認の連絡がきたのは話し合いから3日後だった。私は、「ご相談したいことがあるのでお電話させてもらえないでしょうか」と返事をした。
こういうことってよくあるんですか?
カリンが幼稚園に行っている平日昼間のわずかな自由時間。
「…………なるほど、ご家族に反対されているのですね」
電話なので、表情は見えない。でも、オールスター運営の梅田さんの声にはかすかにくやしさがにじんでいるような気がした。
「もしかして、こういうことってよくあるんですか?」
私は尋ねた。
「ご家族の反対がきっかけで書籍化そのほかの展開が難しくなるというのは、何度か経験しています。小説投稿サイトは、誰でもどこでも投稿でき、発信することができる性格上、さまざまな属性の方が執筆をされています。もちろん、その中にはすばらしい作品を仕上げられる方もたくさんいます」
すばらしい作品。私に言われたわけではないのに、ふわっと心が高揚した。
私の他にも同じところでつまずいている人はいるんだ。
「私は、どうすればいいでしょうか?」
すがるような気持ちで聞く。
「そうですね……。私は『ファミレスのママ友探偵』を書籍化したいと思っています。ですが、桐生さんのご家庭のご事情については、私ではわからないので、ご無理を申し上げられる立場ではありません……」
その答えに瞬間的にがっかりしてしまった。次にそんな自分が恥ずかしくなった。私、梅田さんに背中を押してほしくなってる。
「すみません。私が自分で決めなきゃいけないことですよね」
「いえいえ、謝らないでください。難しい状況ですから、悩まれるのは当たり前です。まずは、私から書籍化の際の工程についてお話しますので、判断の材料にされてみてはどうでしょうか?」
夫に秘密の作家デビュー
「書籍化の際の工程は、大きく分けて3つ。
・執筆、改稿(編集者と打ち合わせをしながら、原稿を最終形態にもっていく)
・入稿、校正、校了(出来上がった原稿を書籍の体裁に流し込み、誤脱字の修正をおこなう)
・プロモーション(出来上がった本を売るための取材対応、書店への挨拶回りなど。出版社の方針によっては行わない場合もある)
出版社や編集部ごとに多少違いはあれど、基本的にはこの工程で行われます。
今回の桐生さんの書籍化の場合、執筆については済んでいますね。
なので、これから編集者と打ち合わせをし、改稿を進めていくことになります」
「あ、私、変えたい箇所けっこうあって。それも書籍化のときは変えられるんですね」
「編集担当と話し合って、よりよい形に変えていくことができます」
編集のプロの人と、私の作品について話し合えるんだ……。
「どこに一番時間がかかるか、というのは個人差があるのですが、基本的には著者さんのスケジュールに合わせて締め切りを決めていきます。働きながら執筆をされている方も多いんですよ」
「私が使える時間は、娘を幼稚園に送って、家事を終わらせたあとの1時間ぐらい、ですかね……」
「出版社さんにその旨お伝えしてからご紹介できます。なので、そのペースで可能な締め切りを相談して設定することになりますね」
書籍化というと、時間がたくさんかかって今のままではできないような気がしてたけど、こう聞くとできるかもしれない。
「ありがとうございます。それなら、家事育児に支障なく進められますし、主人を説得できるかも!」
「あー……」梅田さんが曖昧な返事をした。「ご主人が反対されるのは、桐生さんの家事育児に支障が出そうだからなんですか?」
そうなんです、と返事をした直後、はっと気付いた。
『やらなくていいよ』
『俺の収入が足りないっていうの?』
『パートの方が気楽でいいと思うよ』
『そんな遊びの延長で本なんて出せるわけないんだよ』
夫は別に、家事育児のことを心配していたわけじゃ、なかったかもしれない……。
だいたい普段の家事育児を私がどんな時間配分で行っているかなんて、彼はほとんど知らないじゃないか。
彼は、私の作品の書籍化が、ただ気に入らないだけ……?
そう思い当たると、ムカムカと怒りがこみ上げてきた。同時にある考えが浮かぶ。
「ちなみに、印税ってどれくらいいただけるのでしょうか?」
「本の価格と部数が最終的に決定するまで正確にはわからないのですが、このレーベルの場合だと、相場としては……」
梅田さんが言った金額は、出版という華やかな世界から想像されるよりもずっと少なかった。けれど、私には朗報だった。
「あ、それぐらいなんですね」
そう言った声が弾んでいたからか、梅田さんは私が何を考えているかわかったようで、少し焦った声で付け加えた。
「ただ、売れると重版がかかって、追加でお金が入ってくる場合があります。重版がかかるタイトルは多くはないですが。それと電子書籍版ですね。この2つについては、どれくらい入ってくるかは未知数です」
「ありがとうございます」
夫に言っても、理解されることはないだろう。家事育児に影響がないと言っても、信じようとしないだろう。
ただひとつ気になっていたのは、税金。夫が年末調整の書類を書くときに、私の収入が多いと記入の必要が出てくる。でも、この金額なら大丈夫そうだ。
もう、私は決めた。
「私の作品、ぜひ書籍化させてください」
夫に内緒にしよう。
夫に言わずに、小説を書き、改稿し、出版するんだ。
豆知識:小説投稿サイトからの書籍化
小説家デビューといえば、一昔前は出版社主催の賞に応募してデビューするのが一般的だったが、現在は小説投稿サイトから出版社の編集者や、投稿サイトの運営が作品を発掘し、書籍化する場合も多い。気軽に趣味のつもりで小説をアップしていたら、ある日スカウトのメールが来るようなシンデレラストーリーも決して夢物語ではないのだ。
次回へ続く