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読者の顔を思い浮かべる……どうやって?|Winter 2020|monokaki編集部

当欄は、最近の記事を編集長の有田が振り返って語る、monokakiの「編集後記」です。
今月、Twitterで興味深い議論を見つけました。

「花水木の道があれより長くても短くても愛を告げられなかった」(『青蝉』吉川宏志)をめぐって
https://togetter.com/li/1453202

花水木の 道があれより長くても 短くても愛を 告げられなかった

この短歌には、二通りの解釈があり得ます。

花水木の 道があれより長くても 短くても愛を 告げられなかった(……だろうけど、幸運なことにあの長さだった。結果的に愛を告げることができた)
花水木の 道があれより長くても 短くても愛を 告げられなかった(……から、道の長さの問題ではない。どちらにせよ愛は告げられなかった)

という二通りですね。ひとつの作品から、まったく逆の世界観が立ち上がる。そして、どちらを想起するかは、読み手のこれまでの経験や感受性に依存するのでしょう。

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「読者」というのは不思議な存在だと、最近改めて思います。「読者を意識して書きましょう」とは作家志望者によくかけられる言葉ですが、読者とて一枚岩の存在ではないわけで、一体どんな読者を想定するべきなのか? 投稿サイトを使って創作をしている人にとって、レビューやページコメントが何より嬉しいのは、画面の向こうの読者の顔がちらりと見えるからでしょう。

プロをめざしたいならば余計に、「おもしろい作品を作る」だけではだめで、「おもしろさが読者に届くように作る」必要があります。「作者の考えるおもしろさがうまく読者に伝わっていない作品」が一番もったいないですよね。そして、届くか/届かないかというのは、案外、細かいテクニックの積み重ねで決まるのです。

逢坂千紘さんの「カタカナ語は時代を反映する諸刃の剣」では、カタカナの使い方が読者に対してどのようなアピールをするかが、丁寧に説明されています。「うちら」と書くか「ウチら」と書くかでも、読者との距離感は変わってくる。カタカナ語は著者の年齢感も出やすい表現なので、改めて使い方を見直すと、おもしろい発見がたくさんありそうです。

「『一人称/三人称』って何ですか?」では、誰しも身に覚えのある「一人称で書くか、三人称で書くか」という悩みに、やはり「読者との距離感」をキーワード」に王谷晶さんが答えます。物語が「オッス! オラ悟空!」と始まるか、「一九九×年、世界は核の炎につつまれた!」で始まるか。読者に対して「この作品はこういうノリでいきますから、そこのところよろしくお願いしますね」という自己紹介を兼ねているんですね。そして、一度設定した「ノリ」がぶれない小説は、読者からしても読みやすいものになるでしょう。

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読者目線はもちろん大事ですが、ハマりすぎると書くこと自体が苦しくなってしまい、前提となる「おもしろさ」が損なわれてしまいます。海猫沢めろんさんによる「Q.『本当に好きなこと』が何かわからなくなりました」では、そういった場合の対処法についても書かれているので、「もう読者ウケばっかり考えすぎてつかれた。。。」と燃え尽き気味のときに読んでみてください。

「どんな読者に向けて書くか」を定義する一番大きな括りは、ジャンルを何にするか/どのレーベルに応募するか、だと思います。自分の書いている小説や持っている才能が、実はめざしている地点とずれている。もっと合う「市場」があるのにそれに気付いていない……というパターンも多々あります。今月から始まった飯田一史さんの新連載「ジュニア文庫を書こう」の初回では、タイトルずばり「作家志望にジュニアノベル(児童文庫)も視野に入れてほしい理由」が書かれています。
私たち大人の目からはなかなか気付けない大ヒットを連発しているレーベルに、毎月話を聞きにいきます。第二回以降にもご期待ください。


*本記事は、2020年01月31日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。

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エブリスタが運営する物書きのためのメディア「monokaki」です。 頭の中でくしゃくしゃになった原稿用紙をふたたび開き、物語の「つづき」に取り組みたくなるような記事を提供していきます。 毎週火曜・木曜更新です。 https://estar.jp/

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