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チート・バディもの・謎解き・あやかし、全部盛りの元祖和風ファンタジー|夢枕獏『陰陽師』|monokaki編集部

こんにちは。「monokaki」編集部の碇本です。
1月と2月はすぐに去っていきますね。もう3月に入ってしまいました。
私が今年になって一番最初に見たテレビ番組はNHKで放送している『100 de 名著』の特別版『100 de 萩尾望都』でした。萩尾望都さんと言えば、「花の24年組」と呼ばれた少女漫画家の一群においても飛びぬけた才能を持ち、少女漫画だけではなく、のちの創作者たちに多大な影響を与え続けている天才漫画家です。

萩尾さんの代表作である「ポーの一族」シリーズの主人公であるエドガーとアランは14歳の時に「バンパネラ」(吸血鬼)になってしまい、彼らは14歳の身体から成長できなくなりました。「エヴァの呪縛」によって14歳の身体から成長ができなくなってしまった『新世紀エヴァンゲリオン』のエヴァパイロットであるシンジたちと重なる部分がありますよね。

『100 de 萩尾望都』は25分ずつ、萩尾望都作品について出演者四人が取り上げた4作品について意見を言い合い、萩尾作品の本質に迫っていくというものでした。最後は2016年に連載終了から40年ぶりに復活した「ポーの一族」シリーズについて語られました。
「ポーの一族」のエドガーとアランは姿かたちを変えませんが、彼らが出会った人は当然ながら老いていきます。かつて若い頃に二人に出会った作家のオービン卿はずっと二人を探し続けていました。

「オービンは俺だ!と思っている。オービンって作家でしょ。興味ある美しいものを見ちゃった時に、だって自分の好きな女性捨てて走り出して、エドガー探しに行っちゃうやつですよ。こいつは何になるかって言ったら作家になるわけですよ。俺だと思って、そん時に。やっぱりそういうものを見ちゃったというか、そういうものに憧れちゃったらもう書くしかないでしょ、このオービンは」

と熱弁していたのが小説家の夢枕獏さんでした。
今では和風ファンタジーが一大ジャンルとして定番となっていますが、その源流のひとつは夢枕獏さんの小説だったような気がするな、と思ったのが今年の正月でした。

と前置きが長くなってしまいましたが、今回は夢枕獏『陰陽師』を取り上げます。
最初の単行本は1988年に発売され、現在もなお続く人気シリーズです。岡野玲子さんにより漫画化され、ドラマ化や映画化とメディアミックスされているので知っている人も多いのではないでしょうか。

3月2日(火):玄象といふ琵琶鬼のために盗らるること

最初の一編は冒頭から「奇妙な男の話をする」という一行から始まり、語り部(作者)の存在を感じさせます。まず、語られるのは主人公である「陰陽師」の安倍晴明です。この短編が最初に書かれて発表されたのは1987年であり、この頃は多くの人が「陰陽師」と言ってもなんのことだか、わからなかったはずです。そのため、夢枕獏氏は自身を語り部のようなポジションに置いて、自分がこれから語ろうとする世界観や登場人物について、説明する必要があったでしょう。
冒頭10ページほどで、安倍晴明が幼少期からどんな麒麟児であったのか、そして周囲の大人や地位の高いものたちにも目をかけられていたことのかがわかるエピソードが語られます。

 ここから先は想像になるが、この安倍晴明という男が、宮仕えをしていながら、どこかいいかげんで、かなり下世話のことにも通じていたのではないか。
 長身で、色白く、眼元の涼しい秀麗な美男子であったろう。
 雅ななりをしてそぞろ歩けば、宮中の女共がそれを眺めて噂しあったことだろう。
 やんごとない筋の女から、色っぽい歌を記した文のひとつふたつはもらっていたに違いない。 
 上の者には如才がなく、かと思えば、ふいにぶっきらぼうな口をきく。
「おい」
 と、うっかり天皇に声をかけてしまったことくらいはありそうである。

「陰陽師」は朝廷につかえる役職であり、大内裏の中には陰陽寮が設けられていました。そして晴明自身は、朝廷から従四位下という位を授かっていました。
一位が太政大臣、二位が左右の内大臣、三位が大納言、中納言となっており、安倍晴明は朝廷でも発言力のある位だったことも示されます。『陰陽師』における安倍晴明というキャラはいまでいうと「チート能力」を持っていたと言えるかもしれないですね。

そして、「陰陽師」である主人公の安倍晴明を貴族で楽人の源博雅という人物が尋ねてくることで物語が始まります。この二人は以前にこの連載で取り上げたコナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』におけるホームズとワトスンをベースにしたかのようなバディ関係です。
物語は人も、鬼も、もののけも、同じ都の暗がりの中に息をひそめて一緒に棲んでいた時代に起きる死霊や生霊、鬼などの妖しのものを相手に、晴明と博雅が不可思議な難事件を解決していくというものです。

魅力的なキャラクターのコンビと設定ができれば、連続ものとして続けていける可能性があります。また、バディもののミステリーものはエンタメのど真ん中という感じもあって、王道という気もします。
魅力的なキャラクターとバディものについては以前「文春文庫×エブリスタ バディ小説大賞」で編集者さんにお話を伺っているので、こちらも読んでみてください。

ワトスン役である博雅が都で起きた事件をどう思うかと尋ねてやってきます。晴明の家で「陰陽師」としては当然である事柄も、彼が読者と変わらない視線で問うことで、晴明が答えていく。その繰り返しによって、読者はこの世界観の中に違和感なく入っていけます。
この一作がのちに二十数年も続く作品になると作者の夢枕獏氏も思っていなかったと思いますが、一作目ということもあり、かなり丁寧にわかりやすくするために博雅と晴明にやりとりをさせているようにも感じます。

初回は「呪い」に関してのものでした。晴明と博雅が酒を飲みながら、こんなやりとりを前半でしています。

「たとえばだ。この世で一番短い呪とは何だろうな」
「一番短い呪?」
 わずかに考えて。
「俺に考えさせるなよ、晴明。教えてくれ」
「うむ。この世で一番短い呪とは、名だ」
「名?」
「うん」
 晴明がうなずいた。
「おまえの晴明とか、おれの博雅とかの名か」
「そうだ、山とか。海とか、樹とか、草とか、虫とか、そういう名も呪のひとつだな」
「わからぬ」
「呪とはな、ようするに、ものを縛ることよ」
「―――」
「ものの根本的な有様を縛るというのは、名だぞ」
「―――」
「この世に名づけられぬものがるとすれば、それは何ものでもないということだ。存在しないと言ってもよかろうな」
「むずかしいことを言う」

その後、平兼盛に歌合わせで負けてしまい、それを苦にして舌を噛みきり死んでしまった壬生忠見の怨霊が清涼殿に出ると博雅が晴明に話し始めます。ここから事件解決へ二人が乗り出すことになるという展開です。
「名が呪いになる」という部分がこの短編で事件を解く鍵になります。

小説を書く人、創作をする人は自分の作品にタイトルをつけます。
登場人物や町に名前をつけると思います。「名前をつける」ことは「呪い」になり、そのものを縛るのかもしれませんしかし、同様に「呪い」は反転すれば、「祝い」に「祝福」になります。自身の作品を祝えるようにするには、書き始めたら最後まで書き上げることなのかもしれません。
以前に「おもしろいって何ですか?」の中で王谷晶さんに「「ネーミング」って何ですか?」を書いてもらいました。こちらも読んでみてください。


3月5日(金):梔子の女/黒川主

東日本大震災から10年、小説家の古川日出男さんが去年の夏に福島県を通る国道4号線と6号線、晩秋の阿武隈川を歩いていろんな方に話を伺って、思考したルポルタージュ『ゼロエフ』が発売になりました。前日に早めに書店に置かれているのを見てGETし、この日に読み終わりました。

実はわたし「碇本」はこの6号線と阿武隈川の歩行に同行しており、『ゼロエフ』の作中人物として登場します。フィクションではないルポルタージュなので、実際に自分が言ったことや行動が書かれているのですが、なんだか自分の存在がフィクションになったような気が少ししました。もしかしたら、小説や創作内のキャラクターたちは生み出した作者をそんな風に感じているのかもしれませんね。

『梔子の女』では、前回と同じように語り部がいるのが感じられるものの、説明はかなり少なく感じられます。そして、源博雅が安倍晴明宅を訪ねるところから物語は始まりますこれもやはりワトスンを彷彿させますね。
探偵がいるから事件が起きてしまうのか、事件が起きるから探偵は存在するのか、という話がありますが、ワトスンや博雅がホームズや晴明を尋ねなければ物語は展開しようがないんですよね。別にふたりが事件を起こしているわけではありませんが。

タイトルが『梔子の女』ということもあるでしょう、博雅が晴明宅を訪ねた描写このようになっています。

 水干を着ている。
 小袴の裾に、さらさらと草の葉先が触れてゆく。
 腰に差した朱鞘の太刀の先が、草の中をゆく獣の尾のように、後方に反りあがっている。
 いつもの年であれば、もう、梅雨に入っている頃であったが、まだその気配はない。
 草の匂いに混じって、甘みのある花の匂いが、博雅の鼻をついた。
 梔子の花の匂いだ。
 すでに、この屋敷のどこかで、梔子が花を咲かせているらしい。

この短編はある「女」を巡る事件となっていくのですが、最後には梅雨が始まって終わります。ひとつの短編の中で季節が変わり、事件が解決したということが読者にわかります。そのためか読んでいて流れがすごく自然でした。

『黒川主』の冒頭ももうお決まりです。最初は源博雅が登場し、星を見ています。実は一緒に星を見ながら酒を飲んでいた安倍晴明が登場します。
『陰陽師』と『シャーロック・ホームズ』が違うのは、相棒役のワトスンは作品における語り部、実は事件について自分で作品として書いていたのに対して、源博雅は相棒役でしかなく語り部でないということです。そのため、源博雅は内面を自ら語ることはできないこともあってか、素直に気持ちを晴明に話すこと(セリフ)で表現されています。
この『黒川主』は人と人ではないものの交わりについての話ですが、晴明はやはり冷静に対処しており、感情的には動きません。源博雅も驚きはしますが、起きた出来事が信じられないようで最後の方は言葉が少なくなっていました。


3月10日(水):蟇/鬼のみちゆき

この日は仕事が終わってから1年7ヶ月ぶりに髪を切りに行きました。コロナが始まる前にギリギリ結べるぐらいの長さにカットしてもらっていたのですが、これだけ切っていないと結んで1回転くるんとやっても、毛先がじゃれてくる犬のしっぽぐらいの感じで首元にまとわりつきます。ああ、もう切りてえ!となったのでした。なんか予定してないけど、衝動で決めることはいいか悪いかではなく、成功しようが失敗しようが時には必要なのかもしれません。

冒頭はいつもどおりのパターンで、二人が酒を飲んでいるところから『蟇』は始まります。もはや、二人が酒を飲んで酩酊して見ている夢なんじゃないかという気すらしてきます。
今回は源博雅の琵琶の師匠ともいうべき盲目の琵琶法師・蝉丸が出てきます。ここで音のイメージが出てくると雅な平安時代の雰囲気が読者にも伝わってきます

 博雅は、前の簾をあげて、外を見た。
 青い、熟れた樹々の葉の匂いが、夜気に溶けて、車の中に入り込んできた。
 黒々と盛り上がった牛の背が、ぼんやりと見えている。
 その先の闇の中を、唐衣装を着た女が、先導してゆく。女の身体が、ふわふわと宙に浮いているように見える。
 風のようにたよりない。
 闇の中に、女の唐衣装が、燐光を焚き込んだように、朧に光って見えている。
 美しい幽鬼のようであった。

「物語は人も、鬼も、もののけも、同じ都の暗がりの中に息をひそめて一緒に棲んでいた時代」と最初に語り部が語っていました。
現在のように街灯もなにもなく、闇しかない夜だからこそ、このような表現をすることで、より妖しい雰囲気が醸し出されています。色彩の対象さを描写することで物語に深い陰影をつけることもできる見本になるのではないでしょうか。

『鬼のみちゆき』ではなんと源博雅からの登場ではありません。出てくるのは「赤髪の犬麻呂」と呼ばれる盗人です。盗みに入って人を殺して逃げていた犬麻呂は「ぼうっと燃える鬼火」を見ることになります。そして、現れたのは牛車であり、その中には十二単衣をもとっている女が乗っており、女は内裏へ行くと告げて男の横を通り過ぎると消えていく。その時、犬麻呂は腐臭を感じたのだった。

とプロローグが終わると、博雅が登場し晴明の家を訪ねるところからいつもの展開になっていきます。毎回同じパターンを繰り返すというのはどこか「儀式」のようにも思えます。
博雅は「赤髪の犬麻呂」だけではなく、彼の知人である成平が見たものを再現するように晴明に伝えます。

「内裏までゆこうと思うています」
 おんなの、ふっくらとした唇が言った。
 成平の鼻に、甘い香の匂いが届いてきた。
 あでやかな、唐衣装を、女は身につけていた。
 それが、雨の中で燃え上がった車の炎で見えている。
 それでも、成平は動けない。
 動こうとして成平は、その時、軛に縛られているものを、見てしまったのだ。
 黒々とした、女の長い髪。それが、ひと房、軛に縛りつけてあるのである。
 それを眼にして、成平の腰が、もう一度抜けたのだった。
「な、なんと」
 声に出したが、恐怖のあまり、成平には、もう何が何だかわからない。女が美しくて、静かに話という、それがますます怖ろしい。
「七日かかって参上する途中でございます」

この成平の目撃談はすぐに帝に話すことができないので、困っていると博雅が晴明に話します。なんと帝から歌読みに誘われていた成平が実は女との逢瀬のために、帝に嘘をついて出かけた際にこの燃える牛車を見ていたからでした。これはかなりめんどくさい展開です。しかし、物語は女の正体を晴明が暴くことになりますが、悲恋が生んだものだったということがわかります。
「名づけることが呪い」になるように、「だれかを想う」ことがこのような事件を起こしたのだと思うと、人間がいちばん怖しいもののように思えてきます。


3月15日(月):白比丘尼

三月も半分終わってしまいました。もう二週間もすると新学期や新年度になって、今までと違う生活や環境になる人もいらっしゃるのではないでしょうか? 
環境が変わるといつもと同じように執筆ができなくなることもあるかもしれません。しかし、生活の中に執筆や読書の時間をうまく作ってほしいです。

個人的には、「わかりやすさ」と「役に立つ」ということによって、損なわれていくものの多くに人間らしさとかがあるのではないかと思っています。ひとつのことについてじっくり考えたいという人は小説を書くのに向いているはずです。

そんな風に村上春樹著『職業としての小説家』を取り上げた際に書きました。小説を書くことはすごく時間のかかる行為です。焦らずに、少しずつ少しずつ進めていきましょう。

『陰陽師』収録の最後の短編は『白比丘尼』です。前回の冒頭がイレギュラーだったのでしょう、今回はいつも通り二人が対面している場面が始まります。そして、毎回安倍晴明の姿の描写はされていたのですが、今回はそちらも引用してみます。

 博雅と向かいあっているのは、武士ではなかった。
 座っていてさえ、そうとわかる、長身の男だ。
 青みがかった、茶色の眼をした男であった。
 髪が黒く、肌が白い。
 内側の血の色が透けて見えているのかと思えるほど、紅い唇をしていた。鼻筋が取っていて、どこか異国人の風貌を思わせる。
 陰陽師――安倍晴明である。
 冬だというのに、晴明は、夏と同じ、白い狩衣を、無造作に身につけているだけであった。

もしかすると、著者である夢枕獏氏はこのように毎回、安倍晴明について描写で伝えることで、当時はあまり認知度のなかった「陰陽師」の安倍晴明というキャラクターを読者の中に魅力的な人物として根付かせようとしていたのかもしれません。
その結果、シリーズは現在まで続くことになり、ドラマ化や映画化というメディアミックスもされたのではないでしょうか。その際に、安倍晴明を演じるのはやはり精悍な顔立ちの人だったので、よりそのイメージは広がったとも思います。

『白比丘尼』においては源博雅を安倍晴明が呼んだという形で、今までの逆になっています。そして、呼んでおいて、晴明は今夜のことは見ない方がいいかもしれない、とすら言います。でも、本当は人とほとんど交わることもなく、友達も博雅ぐらいしかいない晴明は孤独ではあったのでしょう。だからこそ、ある儀式のためにやってきた「白比丘尼」とのやりとりを彼に見てもらいたかったのだと読んでいて思いました。

「白比丘尼」や「八百比丘尼」という言葉を聞いたことがある人だと、この短編における「白比丘尼」がどういう存在か予想できるかもしれません。人魚の肉など特別なものを食べたことで不老不死になった比丘尼を「白比丘尼」「八百比丘尼」と言います。
つまり、彼女は死ねない身体を持っています。その解毒的な行為を晴明はすることになりますが、「陰陽師」として特別な能力のある安倍晴明と言えど人間です。そう、いつかは死んでしまう存在です。だからこそ、「白比丘尼」と晴明と博雅の関わりによって、永遠と一瞬のような時間の幅が描かれています。そのことに私は感動し、物語としてとてもおもしろいと感じました。

*

 ずっと以前から、書きたくて書きたくてたまらなかったのが、平安時代の話である。
 闇の話を書きたかったのだ。
 鬼の話を書きたかったのだ。
 その頃には、まだ、闇も鬼も、人の居る空間に残っていたからである。
 そして、安倍晴明という男の話を書きたかったのである。

『陰陽師』は短編としてもまとまっており、キャラクターがきちんと立っているお手本にできる作品だと思います。上記の引用は文庫版のあとがきからです。
あなたにはこんな風にどうしても書きたいと思う主題やキャラクターや物語がありますか? あるのであれば、書き始めて終わりまでゆっくりと進んでいきましょう。
というわけで、「名作読書日記」でした。


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『陰陽師』 文春文庫 文藝春秋
著者:夢枕獏 
死霊、生霊、鬼などが人々の身近で跋扈した平安時代。陰陽師安倍晴明は従四位下ながら天皇の信任は厚い。親友の源博雅と組み、幻術を駆使して挑むこの世ならぬ難事件の数々。

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