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ラストシーンから始まったSFクロニクル小説|新井素子『チグリスとユーフラテス』|monokaki編集部

こんにちは。「monokaki」編集部の碇本です。

あっという間に今年も半分近くが過ぎてしまいました。この二年ほどはそれまでとはまったく違う世界、違う時間軸のようにも感じられます。

それでもふと思うのですが、前世紀には世界大戦が二度もあり、何十年に一度かはそれまでの常識が覆ったり、当たり前だった日常は形を変えていました。私たちの祖父母や曾祖父母は当たり前ではない「非日常」を過ごしてきたんだなとこの頃考えることが増えてきました。

物書きはそんな非日常になった現実を「私小説」だったり「フィクション」にして残してきました。リアルタイムで書く人もいますし、何年かあとに過ぎ去ったからこそ書ける人もいます。こういう時は執筆の時間を確保するのも難しくなっている人もいるでしょう。
もし、無理だと思ったら思い切って執筆を休んでみるのも大事なことかもしれません。そして、書きたいという気持ちが昂ってきたら、またあなたが書きたいと願っている小説を書けばいいと思います。大事なのはあなたがしっかり作品に向き合える時間と体力と集中力を持つことです。

目標があれば、書く意欲が沸くという人もいるかと思います。そんな方はぜひ「Webから応募できる小説新人賞まとめ」を参考にしてください。

今回は新井素子『チグリスとユーフラテス』を取り上げます。
新井素子さんは「ライトノベル」の歴史を語る上で最初期に出てくる小説家のひとりです
高校二年生でデビューした直後のインタビューで「マンガ『ルパン三世』の活字版を書きたかったんです」と答えており、彼女の書いた小説は新しい世代の言語感覚による「文章で書いた漫画」と評されました。その文体がのちのライトノベル文体に影響を与えたとされており、ライトノベルの元祖や雛型的存在と言われています。
『チグリスとユーフラテス』は1999年に第20回SF小説大賞を受賞したSF超大作です。文庫版は上下巻となっていて、下巻の解説は今月の「小説の書き方本を読む」で取り上げた大沢在昌さんです。
約20年前に書かれた「SF的な想像力」はコロナ禍の私たちにどんなことを問いかけてくれるのでしょうか?

これ以降、作品ネタバレを含みます。ネタバレされたくない方はお気をつけください。

6月1日(火):マリア・D

遠い未来。惑星ナインへ移住した人類は、人工子宮を活用し、世界に繁栄をもたらした。だが、やがてなんらかの要因で生殖能力を欠く者が増加し、ついに<最後の子供>ルナが誕生してしまう。滅びゆく惑星にひとり取り残されたルナは、コールド・スリープについていた人々を順に起こし始める。時を越え目覚めた者たちによって語られる年代記。
『チグリスとユーフラテス』上巻
惑星ナインの<最後の子供>ルナは、ついに<ナインの創始者>レイディ・アカリのコールド・スリープを解いてしまう。四世紀にわたる眠りから目覚めた彼女に、ルナは問う。最後の子供になると知りながら、なぜ母親は自分を産んだのかと。だが、覚醒したアカリがとった行動は、ルナが全く想像していなかったもので……。
『チグリスとユーフラテス』下巻

これらは文庫版の裏表紙に書かれている作品紹介文です。<最後の子供>であるルナが「コールド・スリープ」で眠っていた人々を起こすことで、この惑星になにがあったのかがその起きた人々によって語られます。最後は、創始者であり、惑星では女神として敬われているレイディ・アカリの語りとなっており、すべての「終わり」とすべての「始まり」が繋がっていくことで物語が「円環」するような構造になっているとも言えます。

上巻では「マリア・D」「ダイアナ・B・ナイン」「関口朋美(トモミ・S・ナイン)」の3つの章、下巻では「レイディ・アカリ」のみの章が描かれます。
「コールド・スリープ」といえば、この連載で以前取り扱った『夏の扉』にも出てきており、時間を越えるためのアイテムとしてこの「コールド・スリープ」はよく使われていました。
「時間を越える」というものであれば、『時空のゆりかご』についてのエッセイや「絶望感が最大の燃料になる 時を越えるファンタジー」の記事も読んでみてください。

 移民船が地球を出た当時。
 地球は、技術力の問題でか、経済的な問題でか、エネルギー資源の問題でか、それとも、今のあたしには想像できないまったく別の何らかの問題故にかーーある程度以上、大きな船を作れなかったのだ。一万人、十万人単位の人間をのせることができる船を、作れなかったのだ。
 ナインに向かう移民船には、地球出発当時、わずか三十七名の人間しか、乗っていなかったのだ。キャプテン・リュウイチと、レイディ・アカリ、そして、三十五人のクルー達。
 だが。いくら移民開始当時のナインが小さな世界だったとはいえ、たかが三十七人の人間では、一つの世界を作ることはできない。
 そこで、当時の移民船には、百基の人工子宮、数万のさまざまな遺伝子を持った凍結受精卵とその保存容器が積み込まれたのだ。そして、移民船ナインの中で、地球を出た瞬間から、船内スペース、酸素、食料の残量、その他もろもろを計算しつつ、人工子宮の中で、積み込まれた受精卵が解凍され、子供として育まれ……。
(中略)
 特別世代と呼ばれる、クルー間の自然結婚、自然妊娠、自然出産で生まれた子供が、二十九歳から幼児まで含めて、二十五人。
 第一世代と呼ばれる、人工子宮で生まれ、船内で育ち、ナインにつく前に一人前になり、教育も完了していて、ただちに惑星開発業務につける人間が、三百二十一人。
 第二世代と呼ばれる、当時はまだ教育を受けている最中だった、ゼロ歳児から十六歳までの子供が、七百十八人。
(中略)
 宇宙歴四年のナインの総人口、千九十七人。
 五年。千三百二人。
 六年。千七百十五人。
 七年。二千九百四人。
 八年。四千とんで二人。
 ……そして。
 おそらくは、この時期に、カタストロフィの種がまかれたのだ。
 あまりに繰り返し酷使された人工子宮。ろくな精密工場もないのに急造、それも大量生産された、新しい人工子宮。とてつもなく日常茶飯事となり、管理に手落ちがあったのかも知れない、凍結受精卵の扱い。

冒頭で<最後の子供>となったルナの衝撃のビジュアルも描かれます。彼女は老婆(70歳)でありながら、三つ編みで幼女のものとしかないドレス、山のようなフリルとリボン、抱えたローズと名付けられたぬいぐるみを抱いているという異常な姿でした。

宇宙歴四百三十年前後に「コールド・スリープ」からルナによって起こされたマリア・Dは、これから先「コールド・スリープ」で眠っている人が起きた際にこの世界がどうなっているのかを伝えるため手記を書き始めます。読者はそれを読む形でこの移民惑星の歴史や成り立ち、そしてどうして<最後の子供>が生まれたのかというマリアの考察とこの惑星での特別な出産のルールについて知っていきます。手記として書かれることはある意味では状況説明であり、世界観を読者に伝える効果を持っています

上記で引用した惑星ナインの人口増加の経緯をあえて書いていくことで、もう二人しかいない世界との対比となって、読者にその理由を知りたいと思わせる効果もあるはずです。その後、マリアが生まれた頃には人口が三十万を割っており、生殖機能がある人間は「有資格者」として特別なクラスであったことが明かされます。

 マリア・D。“D”というミドルネームを持つあたし。母系からD血統をひくあたし。そして、数ある有資格者の血統の中でも、D血統、そして、E血統とY血統は、特別なのだ。
 子供は、有資格者同士の婚姻によってしか生まれない。だが、そんな、有資格者同士を掛け合わせてできた子供達も、生まれながらの不妊率がどんどん上がっているのが現状で……そんな中で。
 D血統の女性は、群を抜いて(統計的にみて有意としか思えない率で)、有資格者の子供を産む確立が高いのだ。それは、これまた、統計的にみて有意に確率が高い、第二位のY血統の、二倍にあたる。

マリアは「コールド・スリープ」に入る前に起こした事件で治せない怪我をしており、ルナしかいないことがわかった時点で数か月以内に自分が死んでしまうということがわかってしまいます。だからこそ、まだ「コールド・スリープ」で起きてくる人がいるかもしれない可能性を考えて手記を書き残そうとします。
かつてマリアを慕っていた年下のイヴ・Eという少女との思い出が語られますが、どうやら年齢的に考えるとルナの母親はイヴであるということがわかってきます。

子供を産めることが特権階級であり、仕事もせずに一生食うに困らないほどのお金が与えられます。子供達も勉強や習い事など超一流のものが無料で与えられる世界です。「子供」ができるかどうかで圧倒的な格差がある社会で、妊娠出産という問題をSF的な想像力で描いています。
子供を産んで育てるということについては、マリアとイヴの会話にこんなものがあります。

妊娠は、女のあたしだけの問題じゃない、夫のゼウスの問題でもあるのにーー妻のあたしがこれだけ苦しんでいるのにーー、一人、超然としている様が、あたしには、許せなかった。あたしは、怒り、心の底からゼウスを憎いと思い……あまりに怒りが強すぎて、罵倒の言葉すら満足にでてきてくれなくなる。

夫のゼウスと結婚して二年経ったが子供ができないことで、全能感すらあったマリアは「妊娠」することしか考えられなくなり、ノイローゼに近い状態になっていきます。

この作品は「出産」をSF的な状況下で描いていますが、例えば近年では女性だけで出産が可能になった世界を描いた小説を見かけるようになってきました。「Web時代の作家たち」に登場してもらった小野美由紀さんは『ピュア』で女性が男性を食べないと妊娠できない物語を書かれています。
その後マリアが「コールド・スリープ」に入ることになった理由が明かされ、ルナと過ごすうちに自分がほんとうに大事にしなければいけなかった存在は「まだ見ぬ我が子」ではなく、一緒にいたゼウスであったことを改めて認識しながら、彼への想いを吐き出すシーンでマリアの章は終わります。


6月4日(金):ダイアナ・B・ナイン

『マリア・D文書』のおかげで、かなりのことは判った。惑星ナインが今、どのような状況にあるのか、何故、ここにルナという老婆がいるのか、ルナはナインにとってどのような存在なのか、私が覚醒したのは何故なのか。
『マリア・D文書』は、この文書の末尾に添付する予定であるので、将来この文書を読む人は、能率的な事態把握の為に、まず、『マリア・D文書』を参照されたい。
 私は、この文書を残してくれたという点について、マリア・Dなる人物に、感謝する。
 彼女の文書は、ある意味で主観的すぎ、また、情緒的すぎて、事実が判りにくく、処々、読み進む時に精神的な苦痛を感じてしまうという問題点を内包してはいるが、それでも、あの文書の存在は、私の混乱を、かなりの部分、正してくれた。
 そしてまた、『マリア・D文書』の内容と、マリア・Dの死後、私がコールド・スリープからルナによって覚醒させられたという事実を考えあわせると、これから先も、おそらくは、このような文書を必要とする人間が出てくる可能性は高い。

前章のマリア同様ルナによって強引に覚醒させられたダイアナは、マリアの残した文書を読み、この惑星ナインに何が起きたのかを知ります。
例えば、マリアの文書がなければ、ダイアナはこの世界がなぜこんなことになっているのかわかりません。
主人公が知らないことを読者は基本的には知ることができないわけですが、話を連続させるためにはこのようなアイテムを使い、前回でわかったことを省き、話を引き継いでいきます
連作短編集などではよくある手法です。脇役のキャラがすべての短編に出ていることで世界観を接続させたり、あるアイテムが出てくることで世界観を共有していることが読者にわかるようにするというのは、長編を練習するよい手段かもしれません。

ダイアナは惑星ナインの「惑星管理局」で働いていた人物でした。マリアたちの世代は子供を作れるかどうかで特権階級となっていましたが、それ以前のダイアナの世代では「惑星管理局員」というのは実力で選ばれたエリートだったことが明かされます。ダイアナは、仕事をやっていたときのくせのようなもので、死にゆく惑星とルナについてメモを作りはじめます。そこに「基本目標」として「ナインにおける、人類の繁栄と永続」「ルナの個人的な幸福追求」を書き出します。そこにはルナをどうすべきかといういくつかの選択肢が書かれます。
この場合、選択肢を読者に提示することで、「おそらくここで書かれていないことが起きるだろう」という予感を感じさせます。そう展開させることで読者の興味を先へ連れ出して途中で飽きさせないことが可能になっています。

ダイアナとルナが宇宙船の中を探索して、地球の生き物(動物や昆虫など)や植物の種子が保存されていることを知ります。大きな象や虎を解き放とうするルナをなんとか説得しますが、おもしろくないルナは害を及ぼさない昆虫を眠りから解き放ちます。

「チグリスくんと、ユーフラテスちゃん」
 そして。
 蛍の前で。
 ルナは、こう言ったのだ。
「うん、この子達の名前は、オスがチグリスくんで、メスがユーフラテスちゃん。それに、決まり」

この物語のタイトルはこの二匹の蛍の名前のようです。この後、ダイアナは体調が急変し、死の間際でルナとこんなやりとりをします。

「マリア姉さまは、子供を作ることが人生の目的だと思っていた。ダイアナ姉さまは、ナインを維持することが、人生の目的だと思っていた。……でも、それは、最終的には、ルナちゃんを作ることだったの」
「……」
 とん。ルナ、軽くダイアナの横たわっているベッドを叩く。スプリングが軋んで、ダイアナの体も揺れる。それは、ルナが非力なせいか、言葉と、それに込められた感情に較べると、驚く程僅かな揺れだった。
「ルナちゃん、幸せ? これが幸せだと思う? この人生は、ママの、パパの、マリア姉さまの、ダイアナ姉さまのせいよ? 姉さま、この人生に責任をとってくれる? くれないわよね。そう、つけはみいんな、ルナちゃんの処に来るの。責任の所在がルナちゃんになくても」
「……」
「だから、見せつけてやりたかった。ルナちゃんの不幸を。見せつけてやりたかった。姉さま達の間違いを」

ここでルナは、狂っていたわけでもなく、老人性痴呆になっていたわけでもなく、正常なままで今までの行動を起こしていたことがわかります。すべて<最後の子供>として産み落とされて一人ぼっちにされた「復讐」だったのです。
ダイアナは亡くなる前にルナの名前を呼びます。宙港にやってきたルナは、天空をよぎる光の点を見つけます。あの解き放った蛍の光を見て笑いながら頬に涙が出てくるのでした。マリアとダイアナに復讐をしたものの、人と触れ合うことで彼女のなかになにかが芽生え始めたようです。そして、ルナは次のいけにえとして関口朋美を「コールド・スリープ」から覚醒させるのでした。


6月6日(月):関口朋美(トモミ・S・ナイン)

 初めての日記帳。
 真っ白なノート。
 ここに、わたしは、この文章を書き出す。白いノートに、鉛筆で。
 自分の意思で、他人が間違っても容喙しようのない文章を。
 これは、わたし、関口朋美の、利き腕ある右手を使って、書かれたものだ。ちゃんとわたしの筆跡で。画家であるが故に、わたしが鉛筆という筆記用具に慣れていたのは、これは僥倖ってものだろうか。
 だから、この文章には、他人の手がはいる余地がない。
 言い換えれば。
『マリア・D文書』。『ダイアナ・B・ナイン文書』。あの二つの文書には……他人の手がはいる余地がある。

目覚めた朋美は、自分よりも先に覚醒したふたりが残した文書を読むことで現在の「惑星ナイン」の状況を知ることになりますが、ここで彼女はその文書が「改ざん」されていないものかどうか怪しいと疑っています。そう、ルナという存在がいるからです。
ここまで読むと文書がこの「惑星ナイン」の歴史であり、彼女たちの思いや真実を書き残してきたものだと思っていた読者は、「あれ? もしかして」と疑いの目を向け始めます。これは小説や映画などで物語を進める手法の一つ(叙述トリック)の「信用できない語り手」だと思われます。受け手をミスリードする手法です。これを行うとそれまでの事柄がすべて疑わしくなってきます。読者もなにが真実なのかわからなくなっていき、物語に緊張感と新しい謎をもたらします。その謎こそがページを進めさせる原動力にもなります。

以前に作家・脚本家の堺三保さんにハリウッド式「三幕八場構成」について解説をしてもらった際に、長編の書き方でこういうことを教えてもらいました。

目的を達成するまでには、当然それを妨げる要因がたくさん出てくる。障害をひとつずつ解決して目的に近づいていくのが、本筋である二幕です。三場が「一番低い障害」、四場は「二番目に低い障害」とあるように、障害はだんだん難しくなっていかないとダメなんです。ここをおもしろく書けるかどうかが、プロになれるかなれないかの境目だと僕は思っています。

上記のように出来事がエスカレートしていき、障害が大きくなったり難しくなってこないと長編は成り立ちにくいものです。この作品では覚醒させられた女性たちが抱えている悩みやその時代の背景がわかってくることで、ある意味で段階的に問題が大きくなっていっていると言えるのではないでしょうか。

 トモミ・S・ナイン。またの名を(というか、彼女にとって真実の名を)、関口朋美、彼女は、宇宙歴八十年前後における、ナインの特権階級だった。
 特権階級。
 のち、ナインが様々な歴史的変遷をたどるにつれ、特権階級は様々な階層へと変遷していったのだけど、ある意味で、彼女の属している特権階級は、とても判りやすい、そして、最後のーー”貴族階級”とでも呼ぶべきものだった。宇宙歴元年には、母星の地球でも、すでに絶えて久しくなっていた、それこそ、歴史にしか出てこない正統的貴族階級、その、新たな、そして最後の末裔が、彼女だった。
 そう、だって、彼女は、”地球を継ぐ者”なのだから。

目覚めた朋美はルナを徹底的に無視します。彼女が特権階級の人間であることも影響していましたが、ルナを<最後の子供>として認めないという強烈な意思表示でした。
朋美は「コールド・スリープ」に入る前は画家であり、ルナをずっと無視して絵を描いていました。ルナにとっては他人の怒りや絶望、他者のマイナス感情だけが生きるために必要な原動力だったため、朋美の残した美術館に残されていた絵がすべて腐敗し見る影もなくなっていることを伝えることで彼女の内面をゆさぶっていきます。

「いや、ずるい。……パパの言うことを信じるんだろ? この先の人生で、朋美は、自分にそんなつもりがまったくなくても、そんなのどんなに嫌だと思っていても、貴族階級に生まれついたせいで、絶対、贔屓されてしまう。普通の人から見て、ずるい境遇に陥ってしまう」
 こう言った時の。明人の目が、恐ろしい程真剣なものだったので、朋美、もう何も言えなくなる。
「けど、それは、朋美のせいじゃ、ないんだ」
 高らかに、宣言するように、明人はこう言う。こう言ってくれる。
「一般人は、貴族階級がずるいって、いつも言う。だが……生まれつき、ずるい境遇であることを規定された人間がどれ程辛いか、それが、場合によっては、どれだけの苦痛になるのか、一般人は、終生、判らない。自分に能力がないのにあきらかに贔屓されるのは辛い。自分に能力があっても、それを”贔屓”の一言で片付けられてしまうのは、もっと辛い場合がある」

これまでルナが覚醒させてきた女性たちはみな、その時代における「特権階級」の人達でした。読んでいくと社会における「差別」と「構造」をSFというガジェットを使いながら書いているのでは?と思えてきます。

この作品における一番の被害者はもちろんルナです。彼女が復讐として眠っていた人たちを覚醒させてしまえば、もうルナしかいない世界で彼女たちの病は治すことができません。朋美との別れでも、ルナはまたひとつ人間らしさを取り戻すのですが、それでも彼女は「建国の母」であるレイディ・アカリの「コールド・スリープ」を解こうとして、この上巻は終わります。

上巻の最後には新井さんのあとがきがあります(下巻にもあります)。

 このお話は、実は、ラストシーンが一番最初にあって(というか、ラストシーンの夢をみて)、それで書いたものなんです。
 ラストシーンには、蛍が何匹かでてきまして、その、蛍のとんでいる情景の夢をみた訳ですね、私。(中略)
 だから、このお話の第一話『マリア・D』を書き出した時には、まったくの見切り発車でした。蛍なんてみたこともないのに、蛍が主人公(タイトルになっているんだから、そう言ってもいいんじゃないかなあ。しかも、実際に書き出すまで、ルナちゃんだのマリアさんだのってキャラクターは、全然私の頭の中にはいてくれず、いたのは蛍のチグリスとユーフラテスだけだったんだから)のお話を書き出す。

ラストシーンの夢をみたことがこの大長編の始まりだったようです。
皆さんの中でもラストシーンに向かって書くタイプの人と、ラストシーンを決めないで書く人とタイプはわかれると思いますが、なんとか最後まで書ききって物語をしっかりと終わらせていきましょう。長さも大事ですが、物語にエンドマークをつけていくことが一番の力になるはずです


6月11日(金):レイディ・アカリ

 灯の手の中、バスケットの中の仔猫もまた、おのおの勝手なことをしている。満腹になって満足したのか、バスケットの中で眠りこむ奴、何とかバスケットから飛び出し、ひたすら灯の膝にまとわりつこうとする奴、バスケットから脱出に成功するとわき目もふらずに成猫の方へ駆けてゆく奴……。
 目が覚め、灯の不在に気がついたルナが、メイン・コンピュータ・ルームでみつけた、分裂する赤い点の正体は、この、灯と、成猫達、灯の腕の中のバスケット、その中から出てくる仔猫たちであるーー。
”信じられないかも知れないけど、ペットっていう、とんでもない悪徳が、普通の事だった時代があったんだよ。そして、人間は、ペットなんていう、とんでもない悪徳に、なぐさめられていたんだよ”
 もっと、はっきりと、言ってしまえば。
 所詮、”最後の子供達”っていうのは、惑星規模での、ナインの人々の、ペットだったから。
 大人は必ず先に死んでしまう。
 とても無責任。
 必要もないのに飼われている。
”最後の子供”って、つまり、そんな存在なのだ。
 惑星規模での、人々の、ペット。愛玩動物。
(中略)
 愛らしく、可愛がられる存在。ただ、それだけの存在。
 何かをなし遂げたり、先に進むことのない存在。そんなこと、最初っから期待されていない存在。

下巻の「レイディ・アカリ」は「ナイン」、「灯」、「ルナ」という章を繰り返しながら展開していきます。ルナによって覚醒させられたアカリは自分よりも前に覚醒させられて死んでしまった三人の文書を読み、同時にルナの存在を知ることで、この惑星への自分たちの移民が失敗に終わったことを知ります。

「コールド・スリープ」の最初の被験者がアカリであったことや、それを第二代大統領となった明が頼んだことも明らかにされていきます。惑星ナインの女神であり、母であるレイディ・アカリという存在に死なれてはこまるという理由からでした。惑星ナインの繁栄の供儀として、生きたまま神さまにされてしまったと言えるでしょう。

アカリは惑星移民の成功のシンボルとして、その「コールド・スリープ」に入ることを受け入れたのです。しかし、無理やり覚醒させられた世界で見たのは、ルナという最後の子供と惑星ナインのなれの果てでした。だからこそ、アカリはもはや「終末」としか思えない世界をどうひっくり返そうかとずっと考えています。
そして、<最後の子供>となってしまったルナとのやりとりの中で、アカリはCMC(セントラル・メディカル・センター。人工子宮装置や「コールド・スリープ」を完備していた惑星ナインの中心となった場所。ルナが最後の子供として生まれ、残った子供たちが老人になる前には全員がここに集められて共同生活をしていた。)の外で自然繁殖していた猫を捕まえて、成猫と仔猫を合わせた17匹の猫たちをCMCに持ち込みます。ルナの時代にはペットという考えがすでにタブーなものになっていたのですが、アカリにはある考えがありました。

 惑星ナインをルナの子供にする。
 言い換えれば、ルナを、惑星ナインの母にする。
 覚醒し、事情を知った灯の脳裏に浮かんのはーーこんな言葉だった。
(中略)
 ルナが、惑星ナインの母になる。これこそが、おそらく唯一の、”隘路”だって。
 今、灯がやらなければいけないのは、”惑星間移民”という言葉の定義を変えることだ。『ナイン移民というのは、そもそも人間の為に興された事業ではない、人間はあくまで、動植物が定着するまでの介添え役で、龍一は、犬を、杉を、檜を、ゴキブリを、蚊を、たんぽぽを、セイタカアワダチソウを、鮭を、鰯を、地球からナインという星まで運んだのだ。何故なら、牛や、馬や、柊や、松や、だんご虫や、みみずや、さくら草や、はこべや、秋刀魚や、鰺には、星の海を渡る手段がなかったから。それこそが、龍一の使命であり、龍一はそれをやりとげたのだ』、こんな具合に。
 そしてその為には。ルナは、”最後の子供”であってはいけない。ルナがなるべきものはーー”最初の母”だ。
「マリア・Dは、”繁殖”。彼女の人生は”子供を産む為”の人生であって……だから、”子供が産めない”って判った時、彼女の人生は破綻した」
「…………」
「ダイアナ・B・ナインは、”生存”。彼女は実際、”生き残る為に何をしたらいいか、何ができるか”、それしか考えていなかったと思う」
「…………」
「関口朋美が”芸術”であるのは、もう、論をまたないでしょ? ……そんでもって……あたしが、”仕事”、あるいは、”生き甲斐”よ」
「…………」
「そして」
 ごくん。
 唾を呑み込んだ灯は、まっすぐ、ルナのことを見つめる。
「そして、ルナちゃん、あなたは、そのすべてを否定してのけたのよ。ルナちゃんは、ただ”起こす”って行動だけで、惑星ナインは滅びの一歩前にいるんだよってことを示すだけで、『早い話、人生にはまるで意味なんてないんだ』ってことを、百万言費やすのより、くっきりと、見せつけてくれた訳よ」
(中略)
「あたしは、最初っから、人生の意義なんて信じちゃいなかった。そりゃ、人生に意味があればいいなーとは思っていた。あるのが理想だとも思っていた。けど……意味のまったくない人生だって、充分ありだって、知っていた」
「……あの……もっと訳が判らなくなったんだけど……」
「”人生に、意味なんてない”。あたしは、それを、知っている。最初から、知っていた。でも、あたしは、生きてきたし、生きているし、これからも、生きてゆく。……これは、そういう話なのよ」

この物語では、ルナが「コールド・スリープ」から次々と眠っていた人を覚醒させ、その人たちにとっての「生き甲斐」を、ひとりぼっちで生きている自分を見せつけることで否定していきました。それが彼女のなりの「復讐」でした。その仄暗い悪意こそが彼女の「生き甲斐」にすらなっていたわけですが、レイディ・アカリはなんとかルナの「絶望」を反転させて「希望」に向かえるように彼女を導いていきます。

ルナはレイディ・アカリによって与えられた仔猫を育ててることで自分を必要としてくれる存在にはじめて出会い、また、畑の手入れをすることを教えられたことでそれまでなにもなかった日課、自分がすべきことを見つけました。
下巻にあたるレイディ・アカリの章は上巻における事柄への解答にもなっているように感じられます。著者の新井さんは「なぜ、人は生きるのか」ということを自問自答しながら、この小説を書き進められていったのでしょう。

上巻のあとがきにあったように、最初はほとんど考えていなかった登場人物たちをラストシーンにむけて書き始めたことで、この壮大な物語が書かれたわけですから、「想像力」というものの力強さと可能性を見せてもらったような気もします。また、最後にはこの「想像力」についてアカリの口から言及されますが、新井さんの思いが登場人物を使って形になっているようにも思えます。そこはぜひ文庫を読んで確かめてみてください。

クロニクル(年代記)のような長大な作品を書きたいと思っている方はぜひ、『チグリスとユーフラテス』を読んでみてはどうでしょうか? 歴史を描くとき、そこで生きていた人たちの思いや生き様があるかないかでまったく違う感触になります。あなたの「想像力」の可能性を信じさせてくれる一冊かもしれません。
というわけで「いまさら読む名作読書日記」でした。


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『チグリスとユーフラテス 上』 集英社文庫 集英社
著者:新井素子 
遠い未来。地球からの移民政策が失敗した惑星ナインに、たった一人取り残された「最後の子供」ルナが問いかける、生の意味。絶望の向こうに、真実の希望を見出すSF超大作。

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『チグリスとユーフラテス 下』 集英社文庫 集英社
著者:新井素子 
遠い未来。地球からの移民政策が失敗した惑星ナインに、たった一人取り残された「最後の子供」ルナが問いかける、生の意味。絶望の向こうに、真実の希望を見出すSF超大作。

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