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創作へのパッションと俯瞰のバランス|Sep. 2018|monokaki編集部

 当欄は、編集長の有田が1か月の記事を振り返って綴る、monokakiの編集後記です。

 9月一番の人気記事は、新しく「平成小説クロニクル」の執筆陣に加わった前島賢さんによる「テーブルトークRPGリプレイと『なろう』小説」「ファンタジーからファンタジーへ」の前後編でした。平成の日本のライトノベルの歴史を、特にゲームとの関係を中心に紐解く本論は、長くて内容も濃いので、読むのに時間がかかるかもしれませんが、特にファンタジーやライトノベルを読んだり書いたりされる方には、ぜひ読んでいただきたい記事です。「平成小説クロニクル」の連載が開始したときに、Editor’s Letterではその目的を、以下のように記述しました。

若い作家に対して、「先行作をもっと勉強しろ」としかつめらしく説くのは簡単ですが、カルチャー誌や紙の文芸情報誌が絶滅しつつあるいま、「先行作とはこれのことですよ」という提示自体が、そもそもされていないのではないか。そんな問題意識から、平成という時代の流れに沿ったブックガイドを、特に若い作家志望者に向けて提供する目的で始めました。

 川原礫『ソードアート・オンライン』を単独で読むのと、水野良『ロードス島戦記』とを併読するのでは、後者の方がきっと刺激的な読書体験になると思います。また、小説はそれ単独で成立するメディアではなく、常に同時代のほかのジャンルとのつながりの中で表現を先鋭化させていったことを考えると、エブリスタの編集マツダによる「2ちゃんねるという大河、その土壌・前編」も、併せて読んでほしいテーマです。

 「平成小説クロニクル」は今後、仲俣暁生さんによる純文学編と前島さんによるライトノベル編を往来しながら進んでいく予定です。翻って仲俣さんの最新回「地方を舞台とした『アンチ東京小説』のリアリティ」もまた、現代日本を舞台に小説を書かれている方には、大きな参考になるでしょう。

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 これはまったくの偶然なのですが、今月のmonokaki には「歴史/文化の流れの中での小説」を俯瞰する記事と、「作家の内的動機に支えられた小説」を称揚する記事との、両方が掲載されています。後者こそが純文学の神髄だと書くのは海猫沢めろんさんによる、タイトルずばり「読者のためではなく、自分のために書く小説」。印象的だった一節を引用させてください。

ぼくが言いたいのは、読者のためではなく自分のために書く小説というのも世の中には存在するということです。
小説には、誰かのために書かなくてはいけないという決まりはありません。
書く理由や、読んでほしい人、それぞれの理由があっていいと思います。

 「小説というジャンルには、こんな先行作があって、それはこういう影響下にあるもので、今の時代とはこう違うから、なら自分はこう書こう」という視点ももちろん大切ですが、それ以上に「自分がこれは好き!」という内的動機こそが、創作に最も重要なのもまた事実です。結果的にそれが、「他作品との差別化」にも繋がってくることは、特集で深緑野分さんも仰っていました。

 特にWeb小説は、どんなに小さいものでも、誰かの心の中に浮かんだ「好き」や「衝動」、忘れたくないけど、ダイレクトに人に伝えたいわけではない……そんな「もやもやとした気持ち」の集積でできているものです。

 新連載「桐生なぎのインディペンデンス・デイ」では、そんな「Web作家」誕生の瞬間から、彼女が読者を得、書き手のコミュニティでの交流を楽しみ、執筆のおもしろさにどんどん目覚め、やがて書籍化デビューするまでの軌跡をモキュメンタリー風に追いかけます。
 書籍化の経験がある作家さんしか知らない、リアルな運営とのやりとりなども活写していきますので、乞うご期待。


*本記事は、2018年07月26日に「monokaki」に掲載された記事の再録です。