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あなたに「アイディア」の見つけ方を教えてくれる本|パトリシア・ハイスミス著『サスペンス小説の書き方 パトリシア・ハイスミスの創作講座』|monokaki編集部

こんにちは、「monokaki」編集部の碇本です。

「小説の書き方本を読む」の第十回です。前回の保坂和志著『書きあぐねている人のための小説入門』では小説を書くということ、人間を書くということ、そしてストーリーとは何かを考えている人には参考になったのではないでしょうか。

この連載は取り上げた書籍の一部を紹介する形になっています。そこでなにか引っかかる部分や、自分に響いたという箇所があれば、ぜひ記事を読むだけではなく、書籍を手に取ってもらえればと考えています。

第十回はパトリシア・ハイスミス著『サスペンス小説の書き方 パトリシア・ハイスミスの創作講座』についてです。ライター社から初版が刊行されたのは1966年でした。のちに増補改訂版が1982年に再版され、現在まで英米を中心に版を重ねてきた一冊です。
パトリシア・ハイスミスはデビュー作『見知らぬ乗客』がアルフレッド・ヒッチコック監督によって映画化、三作目『太陽がいっぱい』がアラン・ドロン主演で映画化されたこともあり、人気作家の仲間入りをしました。
当時は高名な二作品の原作者として知られていたのですが、日本での翻訳は映画公開より十年以上遅れたようです。著者の晩年から人気に火が付いたことで、未翻訳作品が翻訳されて全体像が知られるようになりました。
また、デビュー前にクレア・モーガン名義で書いた人妻と女性店員の恋愛を描いた『The Price of Salt』(1952年刊行)は同性愛者の人気を呼び、百万部を超えるベストセラーとなっています。この作品は2015年に『キャロル』(ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラ主演)というタイトルで映画化されており、そちらを知っている人も多いかもしません。

『サスペンス小説の書き方』は、若くて経験の浅い作家たちに向けて、土台作りから説明している。もちろん、熟年の初心者も作家としては若いのだし、地を耕す仕事は誰にとっても同じだ。すべての駆け出しの書き手が、すでに作家であることを保証しよう。良かれ悪しかれ、みな自分の感情と、気まぐれと、人生に対する姿勢を、世間の目にさらすリスクを取ろうとしているのだから。
 そうした理由で、私は物語のきっかけになるような日々の出来事からこの本を始めている。作家はそこから進んでいくーーまず作家が、次に読者が動き出す。芸術はいつでも、おもしろいことや、数分ないし数時間を費やす価値があると思えることを語って、読者の気を惹けるかどうかの問題なのである。

【本文8Pより】

 本書が年月を経ても古びない最大の理由は、ハイスミス自身が序文で宣言しているように、この本がいわゆる「ハウツー本」ではないからである。ただしそれは、実用性がないという意味では決してない。目次を見るとわかる通り、「アイディアの芽」、「第一稿」、「行き詰まり」、「第二稿」など、実際の小説執筆の過程に合わせた章構成になっていて、作家がアイディアをどのように発展させ、プロットをどのように組み立てていくのか、それぞれの段階にどのような困難があるのかを、自身の作品や経験を事例にしながら懇切丁寧に説明してくれているのだから、すぐれて実践的なガイドブックなのである。

【本文P201 訳者解説より】

今回取り上げる『サスペンス小説の書き方』はタイトルからすると、サスペンスやミステリーを書きたい人に向けたように感じます。しかし、著者が若い作家へ向けたアドバイスや自身の失敗談などを織り交ぜて小説を書くことについて書かれた一冊になっているので、どんなジャンルを書いている人にもオススメできるものです。

「第1章 アイディアの芽」「第2章 主に経験を用いることについて」

「第1章 アイディアの芽」

 アイディアが欠如する別の原因は、作家の周りにいる間違った種類の人びとにある。時にはどんな種類の人もこれに該当する。もちろん他人は刺激を与えてくれるし、偶然の発言や物語の断片が作家の想像力を動かす場合もある。しかしたいてい、社交の飛行機は創造の飛行機ではなく、創造的アイディアを飛躍させてくれる機体にはならないのだ。集団と過ごしている時、あるいは誰かひとりといる時であってもーーその方が楽なのだがーー自分自身の無意識を認識したり受け入れたりするのは難しい。これは興味深いことで、時として、私たちが惹きつけられる人たちこそが、あるいは恋に落ちている相手こそが、絶縁体のゴムのごとくインスピレーションの火花をすっかり消してしまうのである。創造のプロセスを説明するのに、植物から電気に比喩が切り替わっていることは許していただきたい。描写しづらいプロセスなのだ。それからもうひとつ、他人が作家にもたらす影響について、神秘的に感じさせることは避けたいのだが、時にはもっとも意外な、あらゆる面で鈍くて怠惰で凡庸であるような人間が、説明のつかない理由で想像力を刺激してくれるケースもある。私はそういう人とたくさん知り合ってきた。できるなら、こうした人びとと時々は会ったり話したりしたい。「一体XやYのどこがいいの?」と聞かれたって全然かまわない。

【本文26Pより】

第一章は「アイディアの芽」についてです。作家が一人でいるとき、あるいは誰かや集団でいるときに想像力が刺激されるのかどうか、ということについてハイスミスは自身の経験から丁寧に書いています。
この箇所を読みながら、この「小説の書き方本を読む」でも取り上げたジュリア・キャメロン『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』のことが浮かびました。こちらでは「ひとりになる時間をつくろう」とジュリア・キャメロンは提案していました。
人との会話や一緒に行動をしたことがなんらかのアイディアの種になったり物語を生み出すきっかけにもなります。同時にひとりでいるときにそれらのものが膨れ上がったり、より輪郭を強めるということもあるはずです。
書き手の方々それぞれにアイディアが浮かびやすい、イメージできる瞬間やタイミングがあるはずです。まずそれを見つけてみましょう。

 作家にはノートを持つことを強くおすすめする。一日中仕事で外に出ているなら小さなノートを、家にいるゆとりがあるなら大きなノートを持つといい。たとえ三語か四語であっても、それが思考やアイディアやムードを喚起するならメモしておく価値がある。不作の時期には、ノートをざっと読み返すべきである。いくつかのアイディアが突然動き始めるかもしれない。ふたつのアイディアが結びつくかもしれない。もしかすると、そもそもそのふたつは結びつけられる定めだったかもしれないのである。

【本文30Pより】

現在ではスマホに何かメモ的に書き残したり、あるいはボイス機能を使ってアイディアを吹き込むことでメモ代わりにしている人もいます。どうしても自分の手でノートに書くほうがいいという人もいるのではないでしょうか。
私は打ち合わせの時にはノートに自分でメモを取ってから、その後にスマホのカメラ機能でメモを撮影します。Googleフォトの「画像からテキストをコピー」するという機能を使い、メモを改めてまとめるというやり方をしています。これだと自分の手で書いたことによる記憶との結びつきがあり、テキストをコピーしたものを再度見直す際にメモの内容がどういうものだったのか再確認もできてあとから検索も可能になります。もし、ノートに書くという人はこのやり方も試してみてください。


「第2章 主に経験を用いることについて」

 本を執筆して成功させるということは、その本が完了するまで継続するだけの、適切な勢いと推進力と確信を得ることである。全体の四分の三あたりで出てくる劇的な場面から書き始める作家もいるという。それが間違ったおこないであるなどと、私に言う権利があるはずもない。
 本というものは詩のように一息で書けるものではなく、時間と労力のかかる長期的なものであり、同時に技術も要するため、最初の努力の結晶や、二番目の作品に買い手がつくとは限らない。そのような場合にも、自分が悪いとか望みが潰えたなどと思うべきではないし、もちろん真の推進力を持った作家たちはそのように考えない。あらゆる失敗が何かを教えてくれる。

【本文33Pより】

 必要な勢い、すなわち本を終わらせるための着実な力を得るには、物語が溢れ出すまで待つべきである。それは展開とプロットに取り組む過程でゆっくりとやってくるものであって、急いで済ませられるものではない。感情的なプロセスであり、感情的に終われると感じるものなのだ。ある日、自分自身に「本当にすばらしい物語だから、語らずにいられない!」と言いたくなるような感覚が訪れる。それから書き始めればいい。

【本文34Pより】

小説は冒頭から書き始めないといけないというルールはありません。一番書きたいシーンやラストシーンを書いてから始める人など書き手それぞれのやり方があります。
また、同じ書き手でも作品によって書き方を変えることもあります。このハイスミスの著書は彼女がやってきた書き方や考え方が書かれているので参考になる人もいると思いますし、自分とはまるで違うやりかただと思うひともいるはずです。
もし、今書き進めることに悩んでいたり、ずっと書けないという状況になっている人は今までと違うやり方があるということを知ってもらえるといいです。
また、プロットに関しても同様です。

――小説を書かれるときはどこから着手しますか

凪良:
物語とキャラクターは同時進行ですね。話を先に作ってしまうと結局それに合わせたキャラクターになってしまうし、キャラクターを先に作ってしまうとそれに合わせた話になるので、同時進行しながら、併せてやったほうが広がるのかなと思います。

――プロットは作られますか

凪良:
かなり細かく出します。プロットは基礎工事みたいなもので、しっかり作っていかないとあとで物語という建物全体が崩れちゃう。マンガ描くときって、まず全体の流れをネームで書くんです。それを小説でやってるのが、わたしのプロットなんだと思います。

――読者さんからもよく「プロット作った方がいいですか?」とご質問いただきます

凪良:
「プロットを細かく作ってしまうと、書くときに新鮮味がなくなってしまう」とおっしゃる方もいるので、どちらがいいかはわからないんですが。基礎工事をきっちりやっていくと、装飾に凝れるという利点はあるかもしれません。書いているうちに感情が高ぶりすぎて筆が散らかる人は、一度プロットを細かめに作ってみてはどうでしょう

――感情が迸って、文字数は書けたけど迷子になる……ということは多いですよね

凪良:
迸らせてもいい部分は迸ればいいんですけど、小説は8割くらい抑制を効かせてないとダメだと思っています。我慢して我慢して我慢して、バンっと出す。それまでは通奏低音みたいにかすかに、あとに続く予感や期待を漂わせるというか、底のほうで物語を蠢めかせておくというか、そういうさじ加減が大事ですよね。

「世界との折り合いが悪い人たち」に寄り添う|凪良ゆう インタビュー

上記の引用は小説家の凪良ゆうさんのインタビューからです。
ハイスミスが書いている「「本当にすばらしい物語だから、語らずにいられない!」と言いたくなるような感覚が訪れる。それから書き始めればいい」という気持ちの後には凪良さんが言われるようなやり方も試してみるのもいいかもしれません。
感情が迸りすぎる人は細かくプロットを作ってみることで冷静に、客観的な視線で物語を書くことができそうです。


「第3章 サスペンス短編小説」「第4章 発展させること」

「第3章 サスペンス短編小説」

 小説家(の大半)は、短くてスケールの小さいアイディア、一冊の本にはなれないし、すべきでもないアイディアをたくさん抱えている。それらのアイディアは良い短編、あるいはとんでもなく良い短編になるかもしれない。タイムマシーンが登場する超自然的なアイディアもある。百四十ページのファンタジーでは、自分自身も読者も楽しませられないだろうが、十ページであれば誰もが喜ぶかもしれない。短編のアイディアをどんどん捨ててしまって、メモさえ取らない作家もいる。私が思うに、サスペンス作家はその点あまり偏屈ではないし、純文学作家に比べて柔軟な想像力に富んでいる。
 こうしたすべてのスリムなアイディアを書き取っておくべきである。何度、ノートに書き留めたひとつのセンテンスがすぐさま二文目につながったことだろうか。メモを取っている間にプロットは発展していくのだ。ノートを閉じて数日それについて考えているとーーどうだろうか。もう短編を書く準備は整っている。

【本文57-58Pより】

この部分を読んでいて「monokaki」の中で「短編」について海猫沢めろんさんと王谷晶さんに執筆してもらった記事のことを思い出しました。

書き終わったものが短い場合、なぜか「これをもう少し長くしなくては」と、長く書くことが「手段」ではなく「目的」にすり替わってしまいがちです。
確かに原稿の加筆修正は大事です。しかしそれは必要最低限でいいのです。作品は生き物であり、その作品自体の適切な枚数というものが存在します。「作品が面白くなる/良くなる」方向に伸ばす、という目的だけは忘れてはいけません。

Q.思うように文字数が増やせません|海猫沢 めろん

短編のアイディアがたくさんあるからといって、それらを繋げていってもうまく長編にはならないことが多いはずです。
めろんさんが書かれているように作品には「適切な枚数」というものがあります。それを知るためには他の人が書いている長編や短編を読むのが一番いいのではないでしょうか。
例えば、同じ作家でも長編小説と短編集などがあるので、それを読んでみるとその「適切な枚数」というものが肌感覚でわかります。
ひとりだけではなく何人かの作家でそれを試してみましょう。もちろん、短編小説だったものが長編小説にバージョンアップすることもあります。

あなたの「執筆欲」を昂らせてくれる本」で取り上げた小説家の村上春樹さんの代表作のひとつ『ねじまき鳥クロニクル』は単行本と文庫共に三巻の大長編作品ですが、もともとは短編小説集『パン屋再襲撃』収録の『ねじまき鳥と火曜日の女たち』という短編を元に第一部の冒頭の章が書かれています。
あなたの短編のアイディアはそのまま短編になるかもしれませんし、月日が経つと長編の種になるかもしれません。そのためにはアイディアは捨てずに書き取っておきましょう

一方短編。名の通り短い小説である。定義は明確ではないが、おおむね数文字~4万字(原稿用紙100枚分)以内くらいの小説を指す。長編に比べると格段に口説ける時間が短い。チャンスが数分しかないのに、物陰からじっと見つめたり友達にそれとなくいい感じの噂を広めてもらったりというロングスパンな手段を取っていては、求愛は成功しない。読者は通り過ぎていってしまう。目が合ったら即「好きです! 付き合ってください!!」と本題をかましていかないと、こちらの気持ちは理解してもらえない

長編のアプローチタイムが3ページだとしたら、短編は最初の3行くらいでグッと気を引かないと最後まで読んでもらえないくらいに考えたほうがよい。導入はソリッドに、前置きをできるだけはぶいて、特に出だしの一行のインパクトを際立たせ、誰が何をするどんな話なのかをスパッと見せよう。

「短編/長編」って何ですか?|王谷 晶

王谷さんは、「短編」は最初の三行で気を引かないとダメだとアドバイスしてくれています。
短編は短いからこそインパクトが大事です。また、ワンアイディアで一気に最後まで読ませることができるという側面もあります。そのために説明文や前置きは冒頭で長々と書かないように気を付けましょう。


「第4章 発展させること」

 アイディアはキャラクターによって、状況の設定によって、雰囲気によって、肉付けされなければならない。登場人物たちがどんな見た目か、どんな服を着てどんな風に話すのかを知らなければならないし、子供時代についても知るべきだーー本の中に必ずしも子供時代が書き込まれないとしてもである。これらはみな、最初の言葉を書き出す前に一定期間、登場人物たちと一緒に暮らしてみるということなのである。状況と人間は、写真のようにはっきり見えなければならない。一点の曇りもあってはだめだ。この大変な任務に加えて、アクションの主題と筋道も熟考し、調整し、最大限の力を引き出せるように結合させる必要がある。

【本文60Pより】

マンガなどの表現では「シルエットを一目見ただけで、どのキャラクターかわかるくらいじゃないといけない!」という考え方があります。見た目がそのキャラクターの個性を表現しているというものです。
『仮面ライダー』や『キカイダー』など特撮ものの原作マンガを多く手掛けた石ノ森章太郎作品では、デザインがそのキャラクターの背景や心情を表わしている素晴らしいものが多いです。しかし、小説は文字だけでキャラクターを読者に伝える表現です
だからこそ、そのキャラクターがどんな人生を生きてきたのか、どんな人たちと過ごしてきたのか、どんな口調なのか、ある場面ではどういう行動を取るのか、などを著者がしっかり把握しておくことがより大事になってきます。それらが考えられていない作品は書き進めているうちにどうしてもキャラクターがブレてきます。
物語においてなにか出来事や成長があって、キャラクターが変化するのは問題ありませんが、このキャラクターはさっきまで言っていたこととまったく違う行動や発言をしていると読者に思われると没入感も失われてしまいます。もちろん、それがのちに意味のある展開なら問題はありません。

 プロットとは結局、作家が作品に取り掛かる時に、厳格なものとして頭に置くべきものではない。私はこの考えをさらに一歩推し進めて、プロットは完了させるべきではないとさえ信じている。自分自身の楽しみについても考えるべきである。私は驚かされることが好きだ。もし何が起きるかすべてわかっていたら、書くことはそれほど楽しくない。そしてより重要なのは、柔軟なプロットの流れによって、登場人物たちが生きた人間のように動いたり決断したり、実人生で人びとがするように、話し合ったり選択したり他人に選択させたりできるようになることだ。厳格なプロットは、たとえ完璧であっても、配役を自動人形にさせてしまう。

【本文69Pより】

さきほどの凪良さんのプロットに関する部分と真逆のようなことをハイスミスは書いています。どちらも正しく、どちらのやりかたも有効だと思います。あなたが自分に合う方法を探すしかありません。
自分なりのもっとも冴えたやりかたを見つけることが小説を書くということなのでしょう。「小説の書き方本を読む」というこのシリーズで取り上げてきた書籍では、通じる内容もありますが、著者それぞれのやりかたがあり、はっきりとした書き方の「答え」はないようです。
書き始めた頃には「答え」があると考えがちですが、書き続けていくと「答え」がないことに気づきます。そして、他の作家さんたちも工夫しながら自分に合うやりかたを模索していることを知っていきます。この書籍もそうですが、こういうやり方もあるんだなと知るきっかけになればうれしいです。


「第5章 プロットを立てる」「第6章 第一稿」

「第5章 プロットを立てる」

 駆け出しの作家であれば、章ごとにアウトラインを作ってみるのは(各章のメモは簡素なものだとしても)大変いいことだと思う。若い作家の方がいっそう道を逸れがちだからである。章のアウトラインの開始地点は、自らへの問いかけであるべきだ。「この章はどんな風に物語を前進させるのか?」。もしもその章に関して頭にあるアイディアがとりとめなく、ぼんやりしていて装飾過剰だったとしたら、かなり警戒が必要だ。ひとつかふたつポイントになるようなことがないならば、そのアイディアは捨てた方がいいかもしれない。だが、もしその章のアイディアが物語を前進させると感じたならば、章の中で明確にしたいポイントをリストにすべきである。(中略)二十冊近くの本を書いてきた今でさえ、私はときどきポイントを書き留めている。もし初めからそうしていたら、長編『見知らぬ乗客』にかかったかなりの作業量を省けたはずだ。どれだけ熟達した書き手になったとしても、その先の作業について明確な感覚を得られるのだから、つねに書き留めておいて困ることはない。

【本文81-82Pより】

アウトラインという意味では「三幕八場構成」についての記事も参考になるかもしれません。

目的を達成するまでには、当然それを妨げる要因がたくさん出てくる。障害をひとつずつ解決して目的に近づいていくのが、本筋である二幕です。三場が「一番低い障害」、四場は「二番目に低い障害」とあるように、障害はだんだん難しくなっていかないとダメなんです。ここをおもしろく書けるかどうかが、プロになれるかなれないかの境目だと僕は思っています。

小説の新人賞への応募作品は、だいたいここがつまらないんですよ。
一番良くないのは、ひとつ出来事があったら、また同じようなことが起こって……と、似たようなエピソードが繰り返されていくパターン。それって連作短編だよね。出来事がエスカレートしていかないと、長編にはならないんです。

これで長編が最後まで書ける!三幕八場構成を学ぶ

上記は「三幕八場構成」について解説をしてもらった作家・脚本家の堺三保さんのものです。章の中で明確にしたいポイントをリストにして、一番難しいものを最後の六場に持ってくることで主人公への試練や謎をエスカレートさせていく。同じようなものが毎回続くと読者に飽きられてしまうとも言われていました。


「第6章 第一稿」

 第一稿で簡潔に書き過ぎてしまう作家もいる。そういう作家にひとり会ったことがある。そのひとりは例外として、たくさん書きすぎてしまう作家ならば無数にいる。描写が過剰になり、説明まで過剰になりがちである。たとえば部屋を描写する時、蜘蛛の巣とウェディングケーキなど、興味深く不釣り合いなもので部屋がいっぱいという場合は別にして、そこにあるすべてのものを描く必要はない。通常、ひとつかふたつ示せば十分に、その部屋を豊かにも貧しくも清潔にも乱雑にも神経質にも男性的にも女性的にも描写できる。
 会話でも同様に、初心者はすべての言葉を書き込んでしまいがちである。四十行の会話の要点は、多くの場合三行の文章で伝えられる。対話は劇的であり、控えめに使った方がいい。効果が劇的になりすぎるからだ。
(中略)
 第一稿を書く際に心に留めておくべきなのは、全体としての本、つまりはバランスである。(中略)ある日、気づいたら三百六十五ページあって、まだ物語の半分も書けていなかった。目の前の作業にのめり込みすぎて、もはや本を全体として見ていなかったのだ。小さな問題を細かく書くあまり、いつしか均整が取れなくなっていた。

【本文103-104Pより】

これは見覚えのある人がたくさんいるのではないでしょうか? 
描写を細かく書いていくことで枚数はどんどん増えていくのに物語はほとんど進まない。もし、一度書き終えたあとに読み返して過剰だと思うのであれば、せっかく書いたとしても削ってみましょう。

”公式”が教えてくれたのは、短篇であれ長編であれ、小説はある程度までコンパクト化が可能だということである。基本的なストーリーと味わいを損なうことなく十パーセントの削減ができないとしたら、努力が足りないということになる。思慮深い削減の効果はてきめんで、驚くほどと言っていい。それは小説のバイアグラだ。あなたにも効くし、”理想の読者”にも効く。

あなたの「原動力」を再認識させてくれる本|スティーヴン・キング著『書くことについて』

上記の引用は「あなたの「原動力」を再認識させてくれる本」からです。ホラーの帝王といわれるスティーヴン・キングも「二次稿=一次稿マイナス10%」と自著の中で語っています
こだわりたい部分を書くのはとても楽しく素晴らしい時間だと思います。しかし、冗長になりすぎてしまうと読者には退屈な時間になってしまう可能性が高いものです。
自分で読んで判断する自信のない人は近い人や知り合いに読んでもらって意見を聞いてみてもいいですし、ウェブにアップして読者から感想を聞くことで客観的に自分の作品について見ることも大事です。


「第7章 行き詰まり」「第8章 第二稿」

「第7章 行き詰まり」

 作家が物語中に生じさせる物事は、作り出したい効果と関係しているーー悲劇、喜劇、メランコリー、それ以外のどのようなものでも。その本に取り掛かる前に、作り出したい効果をよく意識すべきである。ここでこの点を繰り返すのは、行き詰まった時にそれが役立つからだ。意図していた効果へと立ち返ることで、出来事やプロットの変化が容易にひらめくのである。

【本文120Pより】

 プロット作りや執筆に関して無頓着に思われようとも、私は今書いている章の次の章を見通すという作業に重きを置いている。それは通常の執筆において、一日で済ませられるような仕事ではない。時間をかけず一気呵成に二百ページを埋めてしまう駆け出しの作家もいるが、編集者は大半の時間、作家のために働いていて、つじつまの合わない箇所や登場人物にそぐわない行動を指摘してくれる。だからそのように書いてしまうのは、怠惰でもあり無神経でもある。作家はつねに、自分が紙の上に作り出す効果、自分が書いている内容の真実味に敏感であるべきだ。機械工がエンジンの異音を聞き分けるようにすばやく、何かが変だと感じ取らなければならないし、さらに悪くなる前に修正しておかなければならない。

【本文121Pより】

これからどんな作品を書こうと思っているのか、あるいはこういう作品みたいなものを書いてみたいと書き始める前にはいろいろと想像すると思います。それが一番楽しいという人も多いのではないでしょうか。実際に書き始める前に作り出したい効果について考えておくことは作品の軸をしっかり立てることにつながるはずです。
書き始めたら憧れている作品やこういう物語が理想だという書籍などを目に見えるところに置いておくというのも効果があります。もちろんパクりなどはダメですが、こういう物語にしたいという意識がしやすい執筆環境にしておくのも大切です。

 作家はあらゆる機会を駆使して、他の人びとの職業について学ぶべきだーー作業場はどのような様子か、その人たちはどんな会話をしているのか。三、四冊の本を書き、知っている職業を使い果たした作家にとって、物語に登場する人物の職業に変化をつけるのは、もっとも難しい課題のひとつである。ひとたびフルタイムの作家になってしまうと、新しい仕事の工程を学べる機会はなかなかない。

【本文134Pより】

ご自身の仕事が専門的なものであれば、それが作品に活きて個性にもなりますが、何冊か書いていくとネタが尽きるということもあるはずです。かといって取材がてら実際に働くのもなかなか難しいものです。
いろんな職業の人がそこで働かないと見えない景色や状況について書いている書籍を読んでみましょう。小説だけでなく、エッセイなども参考になります。もちろん、そのまま使うのはダメですが、そこをきっかけや入り口にするのがよいのではないでしょうか。
あと友人や知人などに専門的な仕事ではなくても、働いている立場からの話をしっかり聞かせてもらうなども作家としてはよい情報源になります。


「第8章 第二稿」

 第二稿を始めるにあたって最初にすべきなのは、その本を初めて見る読者になったつもりで、第一稿を通して読むことである。初読の状態になりきるのは難しいが、最善を尽くそう。形容詞や動詞を細かく弄り回そうとするのではなく、すばやく読んで出来事のペースを確認し、弛緩している箇所を見つけ、不明瞭な部分や、ある登場人物もしくは人物たちの変化と感情に隔たりがないか意識した方がよい。(中略)最初に読み直しているこの段階で、不必要あるいは冗長に思える文があったら、ただちに線を引いて削除してよいーーどうせ後から消すことになるのだから。クレヨンで線を引くのに長い時間はかからないし、その行為によって自分の文章に適度に横柄な態度が取れるようになる。神聖視すべきではないのだ。

【本文138-139Pより】

第一稿を書いてから読み直す際には冷却期間として少し時間を空けるのがいい。先ほども取り上げた村上春樹『職業としての小説家』の中でも「作品をじっくりと寝かせたあとで、再び細かい部分の徹底的な書き直しに入っていきます。しっかり寝かせたあとの作品は、前とはかなり違った印象を僕に与えてくれます」と書かれています。
第一稿を書きあげたらすぐに読み返して、第二稿という風には進まずに一旦作品を寝かせてみましょう。


「第9章 改稿」「第10章 長編小説の事例ーー『ガラスの独房』」「第11章 サスペンスについての一般的な事柄」

「第9章 改稿」

 経験の浅い作家には難しい典型的な改稿は、原稿から特定の登場人物を完全に取り除いてほしいという編集者の要求に応えることだーーふたりの登場人物を取り除く場合さえある。削除を求められるのは決まってマイナーな登場人物だが、たいていは作家のお気に入りでもあり、その人物の描写に惜しみなく力を注ぎ、アクションとリアクションに何ページも割いている。彼らの問題は、プロットを推進させていないことかもしれない。そのキャラクターが物語のペースに変化を与えていると作家は感じているだろうが、サスペンス小説にはそうした登場人物を含める余裕はほとんどないのである。登場人物を取り除くことは同時に、その人物に関する作中すべての言及も注意深く取り除くことを意味する。
 どんなに削除をおこなっても、たいてい終わりは訪れない。削除はどんどん苦しくなり、どんどん難しくなる。最終的には削れるところのある文がひとつも見当たらなくなり、それからさらに「あと丸ごと四ページ分取り除かなければ」と口にして、一ページ目からもう一度、数え直しが簡単になるように違う色の鉛筆かクレヨンを手にして取り組み始める。積み込みすぎの飛行機から、余分な荷物や燃料まで投げ捨ててしまうのと同じぐらい、容赦なくやらねばならない。

【本文150-151Pより】

編集者の要望に応えて、特定の登場人物を削除することは書き手としてはかなりきびしいものがあります。実際に自分ではない他者が読んだ際に、そのキャラクターが意図することが伝わらない、あるいは物語にとっていなくても問題がないと思われているということです。
さきほどの、部屋の中などを細かく描写すると物語がほとんど進まないのに枚数だけが増えていくということに通じています。

また、「終わりは訪れない」という言葉にはどこか絶望的なニュアンスがあります。「「推敲」って何ですか?」の中でも「完璧を目指さない、というのも推敲をするにあたって重要なポイントである」という言葉がありました。
商業出版するさいにも個人的に執筆するさいにも完璧は目指したいものですが、ずっと同じ作品に捉われ続けてしまうよりは、納得できるところでエンドマークを打ち、次へ進むべきだと思います。どんどん書く以外に成長はないと思います。


「第10章 長編小説の事例ーー『ガラスの独房』」

こちらの章に関しては『ガラスの独房』という小説を使ってハイスミスが経験談を語っているものとなっています。「アイディアの芽」「発展させること」「プロットを立てる」「第一稿」「行き詰まり」「第二稿」「改稿」「出版後」と自作の流れをこの著書における順番通りに詳しく書かれています。
ここでハイスミスが実際にどういうきっかけで作品を書こうと思ったのか、そこからどういうきっかけでアイディアが膨らんでいき、プロットを立てたのかなどがよくわかる部分となっています。興味がある人はぜひ実際に読んでください。


「第11章 サスペンスについての一般的な事柄」

 作家が持っている主題やパターンが、複数の小説で何度も使われているということがしばしばある。その事実を意識したうえで、やめようとするのではなく適切に活用し、意識的である限りにおいて反復すべきである。探求のテーマを用いる作家もいるだろうーー会ったことのない父親を探したり、途方もない大金を追い求めたり。苦境に陥った少女のモチーフを何度も用いる作家もいるだろうーーそこがプロットの開始地点となり、それなしでは滑らかに書くことができないというような。他に頻繁に使われる主題として、絶望的な愛あるいは絶望的な結婚がある。
 私が自分の小説の中でくり返し使ってきた主題は、男性ふたりの関係性である。たいてい気質はまるで異なっていて、ときどきは善と悪の明らかな対照をなし、時には単なる不釣り合いな友人となる。

【本文189-190Pより】

一人の作家の小説をデビュー作から最新作まで年代順に全て読んでみる、という読書をしたことのある人はどのくらいいるでしょうか?
私も何人かの作家でデビュー作から最新作まで読んだことがありますが、出版順に読んでいくとその作家の軸となっている主題やパターンが自ずとわかってきます。数冊出版している作家でもそうですが、何十冊と書き続けているベテラン作家になるとよりわかりやすかった印象があります。
つまり作家は、その人にとって考えることがやめられない、あるいは無意識の中にあるものについてずっと書き続けているとも言えるのです。
好きな小説家や興味のある小説家がいるのであれば、デビュー作から最新作まで通して読んでみてください。なぜ自分がそれに惹かれているのかを考えることで自分の主題も意識的に考えられるようになるかもしれません。

 作家の存在の不安定さと孤立は、幸運が少しばかり顔をもたげた時には逆の側面を魅せる。(中略)経済状況はたいてい大きな問題になるし、いつでも気を取られてしまうが、それもゲームの一部なのだ。ゲームにはルールがある。大多数の作家や芸術家は、若いうちにふたつの仕事を持たなければならないーー金を稼ぐための仕事と、自分の執筆をする仕事である。(中略)それでも覚えていくと良いのは、カタツムリやシーラカンスや、不変の形態を持つ他の有機体生命体と同じように、政府が夢想されるよりはるか以前から、芸術家は存在し、生き残り続けているということだ。

【本文197-198Pより】

商業デビューを目指している人、趣味として小説を書いている人、目的は違ってもずっと書き続けることはとても大変なことです。
小説投稿サイトは自分の作品を読んだ読者からの直接的な反応があったりします。それによって歓喜したり、落ち込んだりもしますが、一緒に書いている仲間がいると感じやすい部分はあるはずです。〇〇さんが書いているからわたしも新作を書こうという気持ちになった人もたくさんいるのではないでしょうか。
書くことがしんどくなったら書かないという選択をするのもなんら問題ありません。その時メモ程度に書いていたことがのちの執筆に役立つこともあるでしょう。また書こうと思える時が来たら書けばいいのです。誰かと自分をどうしても比べてしまうことも多いですし、投稿サイト自身がそういう側面を持っているのも事実ですが、あなたなりのペースであなたが書きたいものを書いていってほしいと思います。小説を読んで書いていきましょう。

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