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あなたに「著者の読み方」をおしえてくれる本|根本昌夫著『[実践]小説教室 伝える、揺さぶる基本メソッド 』|monokaki編集部

こんにちは、「monokaki」編集部の碇本です。

「小説の書き方本を読む」の第十二回目です。
前回のアーシュラ・K・ル=グウィン著『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』は実践的な内容だったので、小説を書いていて壁にぶつかっている人やこの先に行きたい人にとってかなり有効だったのではないでしょうか。

この連載は取り上げた書籍の一部を紹介する形になっています。そこでなにか引っかかる部分や、自分に響いたという箇所があれば、ぜひ記事を読むだけではなく、書籍を手に取ってもらえればと考えています。

第十二回は根本昌夫著『[実践]小説教室 伝える、揺さぶる基本メソッド』についてです。根本さんについてはこの書籍の冒頭「はじめに 書きたいときが、始めどき」に書かれている文章がわかりやすいので引用します。

 人はなぜ小説を書くのでしょう?
 私が小説にかかわるようになってから、既に半世紀近くになろうとしています。 
 初めは、早稲田大学在学中に早稲田文学編集室のスタッフとして、次に「海燕」の前身である文芸雑誌「作品」の編集者として、のちには、「海燕」や「野性時代」で、編集長も務めました。
 「海燕」では島田雅彦さん、吉本ばななさんや小川洋子さん、角田光代さんの、そして「野性時代」では、瀬名秀明さんら、多くの作家のデビューに立ち会いました。
 編集者を辞めた二〇〇二年からは、カルチャーセンターや大学などで教えるようになり、現在では十一の講座で、学生や一般の方々に、小説についてレクチャーをしています。
 今までに小説講座から、新人賞を受賞する人たちも多数出ていましたが、今年は、受講生だった石井遊佳さんと若竹千佐子さんの二人がともに、第百五十八回芥川賞を受賞。
 編集者時代には、担当者として十作が芥川賞候補作になったのですが、受賞はありませんでしたので、本当に教師冥利につきるダブル受賞でした。

【本文P1-2より】

錚々たる書き手の名前が並んでいます。
新装版の帯には上記にも名前がある若竹千佐子さんと石井遊佳さん以外にも高山羽根子さんと高瀬隼子さんという根本さんの小説講座を受けてデビューし、芥川賞作家になった人たちの名前も並んでいます。
実はこの書籍は2013年に一度刊行されていたのですが、2018年に若竹さんの芥川賞受賞作を刊行した河出書房新社から単行本として出版されました。さらに2024年には「新装版」としてリイシューされました。この新しいバージョンでは高山羽根子さんによる特別寄稿が追加収録されています。

『[実践]小説教室 伝える、揺さぶる基本メソッド』は、根本さんの小説講座では主に作家や受講生の創作を読み、合評することを中心に捉えていることを踏まえて、“紙上小説講座”として三部構成になっています。
「1――小説とは何ですか?」「2――書いてみよう」「3――読んで深く味わおう」とあり、今回は「1」「2」をメインに取り上げます。「3」は本書を手に取ってもらって深く味わってもらうのが一番だと思います。
この一冊を読み終わってみるともっと書きたいという気持ち、もっと知らない作品も読んでみたいという気持ちがあなたの中に芽生えるはずです。


「1――小説とはなんですか?」

①小説は「お話」ではない

 山田詠美さんが佐伯一麦さんとの対談で小説を「内面のノンフィクション」と言っています。フィクションの形をとっていても、そこに「真実」があるのが小説なのです。その真実の重みを考えると、小説とは「もう一つの可能世界である」ともいえるでしょう。
 この「真実」は、「哲学」とも「科学」とも言い換えることができます。哲学と言っても難しいことではなく、「自分とは何か」「人はどこから来てどこへ行くのか」「人はいかに生きるべきか」など、誰もが一度は考えたことがあるようなことです。また、科学といっても数式が出てくるわけではありません。物理学や化学や数学といった自然科学のほか、政治学や経済学といった社会科学、文学や歴史学といった人文科学、こうした論理性を持った叡智といった意味の科学と考えてください。
 小説とは哲学であり、科学でもあるのです。
 小説は哲学や科学とは無縁のものだと思われがちです。しかしその起源にさかのぼると、小説がもともと哲学であり、科学であったことがよくわかります。

【本文P18-19より】

「処女作にはその作家のすべてが詰まっている」という言葉を聞いたことはありますか? 創作において有名な言葉ですが、例えば小説家としてプロデビューするとなると早い人では10代の終わりという早熟な人もいますが、いろんな年代で世に出ていきます。
処女作というのはそれまでその作家が生きてきた時間が詰め込まれており、その人なりの「真実」や「自分とは何か」「人はどこから来てどこへ行くのか」「人はいかに生きるべきか」という問いをはらむことにもなります。そう考えると自分の書こうとしている物語がより自分の人生とは無関係ではないと気づくことにもなります。

 哲学の比率がより高いのが純文学です。物語性を多少犠牲にしても、「私とは何か」「人はいかに生きるべきか」といったことを強く追求するのが純文学なのです。
 物語の比率のほうがより高いのが、エンターテインメント小説です。物語としての面白さを追求するのが、エンターテインメント小説なのです。
 エンターテインメント小説が読者を楽しませてくれる存在なのに対し、純文学は、読む側にも「考える」という作業を要求します。もちろんエンターテインメント小説を読むときも、推理などの思考はしますが、哲学的思考はあまりしません。物語の世界にひたすら没頭できるのが、エンターテインメント小説なのです。

【本文P23より】

つい先日X(Twitter)で「本を全く読まない友人が「芥川賞だから面白いだろう」と選んだ作品を理解できず、読書からさらに遠ざかってしまったのを思い出しました……。」という話題があったのを思い出しました。
芥川賞候補になるには純文学を扱っている五大文芸誌(『文學界』『新潮』『群像』『すばる』『文藝』プラスα)に掲載される必要があります。
「私とは何か」「人はいかに生きるべきか」という問いには答えは出しにくいですし、考え続けていくうちに新たな問いが出てくる。純文学にはそういうものは多いと思います。
反対にエンターテイメント小説はそういう作品もゼロではありませんが、ミステリーなら犯人がわかったり、事件が解決するという答えが提示されるものという考え方もできます。


②小説家に向く人、不向きな人

 小説家になるには、きわだった才能や個性が必要だと考えられています。特に、飛び抜けた想像力・創造力がなくてはならないのではないか、というふうに。
 私が思うに、小説を書くのに必要な想像力・創造力というのは、そう特別なものではありません。奇想天外な絵空事を想像できなくてもいいのです。
 たとえば、「今の自分の背丈よりも一〇センチ高かったら、世界がどういうふうに見えるんだろう」と想像してみる。男性なら「自分がもし女性だったら」、女性ならその逆を想像してみる。それだけで書く風景は違ってくるはずで、その想像力があれば十分なのです。

【本文P36より】

ここで書かれているような自分ではない他者の視線で世界を見ようとする想像力、これに関してはノンフィクション作品を読んでみたり、普段読まないジャンルの小説を読んでみることで養うことや気付けることは多いはずです。
小説のために勉強という気持ちだとしんどいかもしれませんが、息抜きがてら普段接しないものに触れてみると意外な発見もあるのではないでしょうか。

 これから小説を書こうと思っている人には、まず多くの小説を読むことをお勧めします。最近は、小説を書きたいと言いながら、ほとんど小説を読んでいない人があまりにも多いと感じます。
 若い人たちは、一般の社会勉強をすること、基礎教養を身につけることも大事にしてください。自覚的、意識的なものの見方をし、自分の意見を言えることも必要です。自分という人間は何が好きで何が嫌いなのか。何がしたくて何ができるのか。自分に深く問い詰める習慣を持ってください。まわりに流されているだけでは小説は書けません。
 多様な対人関係の経験もちゃんと積んでいたほうがいいでしょう。自分と似たような気安い仲間だけではなく、先輩、後輩、上司、教官といった人たちとも人間関係を築くという経験が、小説を書くことに生かされるのです。

【本文P45より】

「monokaki」は小説を書きたい人はもっと小説を読んでほしいと今までにも書いてきました。実際にプロデビューした小説家さんにお話を聞くと作品を次々と書いている人ほど読んでいることがわかります。
読まずに書けている人がいるとしたら天才かもしれません。ただ、同時代の新作を集中的に読めばいいというわけでなく、古典など興味が赴くまま読みたいものを読んでいる人が書きたいという意欲とモチベーションを保っていると感じます。
あとは人に勧められたものは興味がなかったり、好きでないジャンルのものでも読むという習慣をつけるといいかもしれません。


③小説家を目指すには

 小説家や作家のことを「印税生活を送っている優雅な人たち」というイメージで見ている人は多いようです。
 しかしそれは、みんなが名前を知っているような作家にしかあてはまらない事実だと肝に銘じておきましょう。
 今の世の中では、小説は昔ほど読まれなくなったという現実も知らなければなりませ ん。メディアの主流が大きく変わったことで、ある程度の名前がある作家でさえ、なかなか本を出せない時代になったのです。
 新人賞受賞で高額の賞金をもらった人も、うらやましく見えるかもしれません。しかしよく考えればうらやましいとも言い切れません。
 私の生徒で、賞金一〇〇〇万円公募の文学賞を受賞した男性がいました。
 彼は二十五歳のときから会社勤務のかたわら書き続けてきた人でした。なかなか芽が出なかったのですが、私の教室に通い始めて二年目に、「これは絶対に賞を取れる」と思える歴史小説を書きました。そして、見事に賞を射止めたのです。
「おおっ、いいじゃない」と私が言うと、彼はこう答えました。
「いえ先生、ぼくは二十年以上書いてきましたから、それで一〇〇〇万じゃあ、本当は安いんです」
 なるほど、その間に犠牲にしたものを考えると、そうなのかもしれません。実感のこもった言葉でした。

【本文P60-61より】

monokakiで海猫沢めろんさんに執筆してもらった連載「生き延びるためのめろんそーだん」の中に「Q.作家志望にとってベストな仕事はなんでしょうか?」というものがありました。
近年では作家デビューして専業作家として食べていけるようになる人はかなり少ないのが現状です。今は出版社からデビューせずに、自主出版して文学フリマなどで売っていくスタイルもありますし、またそういうところからプロデビューする人もいます。
また、本業として仕事を持ち、副業として作家を続けている人もいます。monokakiでは半年に一回「webから応募できる新人賞まとめ」という記事も出しています。専業作家を目指す人も副業として稼ごうという人もぜひ目標を立てて応募してみてください。


エブリスタ便り10月号「小説を書きながら収益を得られる新機能「スターギフト」とは?」では 2024年7月から開始された創作支援プログラム「スターギフト」について書きました。こちらはいわゆる「投げ銭型」の収益化機能です。他の小説投稿サイトでも様々な収益化システムがあり、生活はできないけど、お小遣い程度には稼ぐこともできるようになってきています。
多くの人に読まれて収益がでれば、それだけで生活ができるようになるかもしれません。現在は様々なことが過渡期になっていて、どれがいいか悪いかはわかりません。ただ、あなたが無理しなくてもいいシステムがあったらそれを試してみるのもいいと思います。そうして書き続ける理由ができるだけでも私たちはうれしく思います。


「2――書いてみよう」①②

①小説を書くということ

 あなたの書きたいこと、伝えたいこと、思っていることを、一〇〇%正確に、過不足なく再現しつくせる言葉があるならば、こんなに便利なことはありません。
 残念ながら、それはありえません。原物を言葉と完全に一致させようとしても、無理が出てくるのです。
 小説を書くときは、言葉の持つそのような限界をわきまえて書くしかないのでしょう。
 いい小説を書くには、言葉の組み合わせから作る描写、叙述、文脈の中で、あなたが表現したい原物を、ほんの感触でもいいからつかまえて書くよう務めることです。あなたが操る言葉と、あなたの内面的真実の距離を、文脈の中でどうにかこうにか近づけていくのです。
 それが小説を書くという営みであって、それをやりおおせたときに初めて、納得できる作品が生まれるのです。

【本文P71より】

 作家の仕事は、その作為が自然に見えるように書くことです。するとそこにリアリティが生まれます。作為を自然に見せることこそ、小説に求められる技であり、言葉の技なのです。
 このことは、役者と演技の関係によく似ています。役者は演技を、演技に見えないほど自然に行わなければなりません。それができたときに初めて、観る人はリアリティを感じます。小説も同じです。

【本文P74より】

以前、小説家の久美沙織さんに高校生向けに開催したワークショップの講師を務めてもらったことがありました。その中で、久美さんが

「アニメやゲームなど、圧倒的な情報量をもつメディアと小説が戦おうと思ったら、ゆっくりゆっくり読ませること、何度も読んでもらうことでしか、勝ちようがないんです」
 目で見て、一目瞭然でわかることを文字にして伝えるのはとても難しいことです。「それをわざわざ文章でやろうとするのは、本当に言葉の力を信じてないとできないし、上手く言葉だけで説明しきれるようにしなければなりません

と言われていたのを思い出しました。

ある小説家の人は休みの日には外に出かけていき、目に入ったものを固有名詞を使わずに描写していくという訓練をしていると聞いたこともあります。
誰かに伝えることは難しいことです。そして、小説は言葉しか扱えません。その限界を知りながらも、その組み合わせからあなたが表現したいものへ少しでも近づけるために何ができるのか考えていきましょう。


②テーマを決めよう

 時代小説は、なにしろ読むべき資料が膨大です。また、歴史上の著名な人物の履歴をものすごい想像力で埋めなければなりません。まして架空の人物をスターに仕立て上げるとなれば恐るべき想像力が必要です。
 SFを書くにも、卓抜したアイディアと天才的な発想で、架空の世界を創り上げなければなりません。
 警察小説は、トリックやアリバイ崩し以前に、警察組織の詳細や捜査方法の手順など の基礎的なことを調査・取材して頭に入れておかなければなりません。
 そして既に書いたように、エンターテインメント小説を書くには、「物語を作る」という天賦の才能が必要です。
 生徒たちの作品を見ていて思うのは、エンターテインメント小説を書くと、純文学以上に書き手の教養や感性、考え方が作品に出るということです。
 エンターテインメント志望の生徒は、純文学だと私小説のようになって恥ずかしいから、自分とは関係のない物語を書こうと思うようですが、私に言わせれば逆です。エンターテインメント小説のほうこそ、その人自身の教養も思想も露わにしてしまうのです。 ともあれ初めはあまりジャンルを気にしなくてもいいでしょう。まずは書きたい世界を書くことに専念すればいいと思います。
 ジャンルよりも大事なのは、「いい小説」を書くことなのですから。

【本文P77-78より】

monokakiでは、連載「おもしろいって何ですか?」でも「エンタメ/純文」について小説家の王谷晶さんに書いてもらったことがありました。

強いて強いてエンタメ小説と純文学の違いを言うなら、エンタメには明確なオチが求められる、くらいだろうか。それだって100%そうとは言い切れない。人生の苦悩と深淵をラノベ的アプローチで書くことは可能だし、異世界転生ダンジョン攻略物語を純文学的アプローチで書くことも可能だ。そして小説は生き物なので、時代によってジャンルの定義も内包するものもどんどん変化していく。今のエンタメ、今の純文学がどういうものか知りたかったら、書店にダッシュして手当たり次第いろんな本を読んで、自分なりの解釈を構築するしかないのだ

長年、純文学の新人賞に応募していた人が、エンタメの新人賞に応募したら大賞を受賞したということを聞いたことはありませんか。
もしかすると根本さんが書かれているように「エンターテインメント小説のほうこそ、その人自身の教養も思想も露わにしてしまう」という部分で純文学を書いたり読んでいる人はトライしがいがあるのかもしれません。

 小説には、長編小説と短編小説があります。何枚までが短編で、何枚以上が長編という決まりはありませんが、どちらを書くかで書き方は違ってきます。
 また、初心者にどちらが向いているかは、人にもよるしジャンルにもよるでしょう。
 ただ一つ言えるのは、短編小説を書くにはものすごいエネルギーが要るということです。短編小説を書くには、いわば一瞬を切り取る力のようなものが必要です。それには相当なエネルギーがなければいけません。短編小説のすぐれた作品に、小説家が若いときに書いたものが多いのはそのためです。
 逆に長編は、年齢を重ねてからのほうが、書くのに向いています。小説家の多くが、落ち着いた年齢になってから長編を書いています。今までに積んできた経験、教養をもとに、じっくり構想を練り、穏やかなペースで書いていくのは、圧倒的に年長者向きなのです。長編小説のほうが体力が要ると思われがちですが、意外にも逆なのです。

【本文P78より】

上記の引用と同様に連載「おもしろいって何ですか?」でも「短編/長編」について書いてもらっています。

なんなら長編でも短編でも、一旦書き上げた原稿のアタマ10%くらいをまるっとカットするくらいの勇気を出そう。もしカットしても話が混乱しないようだったら、それは最初から余計なアタマだったのだ。恋は素早く。とにかく読者には迅速に気持ちを伝えるのが肝心。てれんてれんした叙情的な書き出しは売れっ子作家になってからいくらでもできる。キャリア若造のうちは出し惜しみしない。モジモジしない。この小説がどれだけアナタを楽しませるのか今ここでお伝えしますからちょっとお時間いいですか? ね? ちょっっとだけ! 1分でいいから! いやいやいや30秒! くらいの気持ちで、とにかくスピーディに、勢いよく、真剣に口説いていこう。

根本さんとは違うアプローチですが、大事な冒頭の書き出しは長々と説明しないようにすることが読者を作品の世界に引き込むには大切なことです。

 資料や日記より、実際に体験した誰かに「生の声」を聞くほうが、取材としてより価値があると思うかもしれませんが、そうとも限りません。直接聞く話にも話し手自身のバイアスがかかりますし、その意味では資料や日記と変わらないのです。
 直接取材することにこだわらなくても、資料や日記で十分だという気がします。今は、調べようと思えば、専門的な資料でも手に入ります。また、あなたが小説に書きたいと思うほどの対象については、あなたは既にほかの人より詳しいはずです。何をどう調べたらいいのかの見当も、あらかたつくことでしょう。
 どういう取材をするかより、取材で得た内容をどう扱うか、どういう言葉で表現するかのほうが大事です。

【本文P86より】

取材に関しては小説家の秀島迅さんのインタビュー「「語彙力」を高める最高の勉強法はジャンルを超えた読書」でも近いことを言われていました。

秀島:じつは僕はあまり取材はお勧めしない派です。
書く時は取材なしで、自分のなかに構築されているイメージや想像力を最大限にフル活用し、まずは書いてみることをお勧めします。そして、書き終わってから、確認作業のために取材してみる癖をつけるべきだと思っています。
(中略)
一方、書いた後に事実確認のため取材に行ったとして、すべてを正確に事実通りに修正描写すべきではありません。不必要な部分は極力省略し、ストーリーに大きく影響する部分だけをかいつまんで抜粋しましょう。「曖昧に濁す」という技巧も書き手には必要です

この辺りは実際に起きていることをそのまま書いても小説のリアリティにはならないという難しいバランスを感じます。


「2――書いてみよう」③−1

③書き方あれこれ

このパートの前半は大まかにこの四つのパートに分かれており、作品の肝となる部分について説明されています。

①簡単な設計図(構成)を書いてみよう
②登場人物のプロフィールを書く
③「これ以外にない」というタイトルを
④書き出しは小説全体の縮図

 小説を書き始めるときに、ストーリーを最後まできちっと考えてから書き始めるか、 漠然とだけ考えてとりあえず書き始めるかは、小説家のタイプやジャンルによって違うようです。考えてから書く場合も、頭で考えておくだけの人と、メモ書きをしておく人 など、いろいろのようです。
 どんな形にせよ、あらかじめ描いておくストーリーを、ここでは「設計図」と呼ぶことにしましょう。
 私は原稿用紙三〇〇枚以上になるような小説には、ある程度の設計図を書いておく必要があると考えています。設計図なしに書き始めると、長い小説ほどだらだらとした、しまりのないものになってしまうからです。どんどん脇道にそれ、枝葉が増えていくと、結局何を書きたかったのか見失ってしまうことにもなりかねません。

【本文P88より】

原稿用紙が300枚(※120,000字)を越えるのであれば長編小説といっても問題はないと思います。ここで言われている設計図ですが、「これで長編が最後まで書ける!三幕八場構成を学ぶ」という記事が参考になると思います。

 エンターテインメント小説の世界は、最近は特にキャラクターが重要視されます。いかに魅力的なキャラクターを生み出すか。ここで小説の評価が半分以上決まってしまうといっても言い過ぎではありません。現実にはいそうにない強烈なキャラクターでもその作品世界の中でリアリティを確保していれば、読者は自然に受け入れてくれます。
 私はよくこんなふうに言います。「自分が作った登場人物は最後まで面倒をみて、小説を書き終えてからも『今ごろ何をしているんだろう』と考えるくらい、大切にするんですよ」と。

【本文P93より】

小説や映画作品で何年か経っても覚えている作品には、「あいつらどうしてるかな?」と思えるキャラクターがいることが多くないでしょうか? 私は自分にとっていい作品は「あいつらにまた会いたいな」と思えるキャラクターが出てくるものだと思っています。
今、あなたが思いついた「また会いたい」と思えるキャラクターはあなたの作品が必要としている存在かもしれません。

 小説には、ぜひいいタイトルをつけてください。
 いいタイトルとは何かを説明するのは難しいのですが、その小説に関して「ああ、このタイトル以外にない」というものを思いついたら、それが唯一無二のベストなタイトルだと思っていいでしょう。
『キッチン』は誰が何といおうと『キッチン』で、おそらくほかのタイトルはありえません。
 同様に『ノルウェイの森』は『ノルウェイの森』、『abさんご』は『abさんご』でしかありえないのです。
 タイトルには、いろいろなケースがあります。テーマとの関連、作品世界の場所、登場人物との関連、作品の中で鍵となる物品、作品全体のイメージ、ラストシーンや冒頭 のイメージの利用…………。またユーモラスな効果を狙う場合、リリカルな響きを持たせる場合、素っ気なくして逆に気にさせる場合等など様々なケースがあり、こうすればいい タイトルができるという方程式のようなものはありません。

【本文P96より】

では〝売れる正攻法タイトル〟とは何かといえば、「耳に残るフレーズ」であること。とにかく、これに尽きます。最初は難しい理論や理屈を抜きにし、この基本を忠実に守ってタイトル案を考え出すよう心掛けてください。

「空想世界で息づく者たちに名前という生命を吹き込む「名付けの技法書」」

小説を書く人、創作をする人は自分の作品にタイトルをつけます。
登場人物や町に名前をつけると思います。「名前をつける」ことは「呪い」になり、そのものを縛るのかもしれません。しかし、同様に「呪い」は反転すれば、「祝い」に「祝福」になります

「チート・バディもの・謎解き・あやかし、全部盛りの元祖和風ファンタジー」

タイトルに関しても以前にこのような記事を書いています。ある直木賞作家さんは作品が書き終わってからもずっとタイトルについて考え続けるそうです。そこを諦めると届けるべき読者には届かないと言われていました。

 書き出しの一行というのは大切です。一番大切と言ってもいいかもしれません。小説家の人たちはよく、「最初の一行目が決まらなければ書けない」と言っています。

【本文P97より】

 私が多くの小説を読んできて実感しているのは、「いい作品の書き出しはいい」ということです。書き出しだけよくて、あとが悪い作品はありません。書き出しは悪いけれど、あとは名作という作品もないのです。
 それだけに作家たちは、おそらく相当考えて書き出しの一文を書いていると思います。 ぱっと思いつくこともあるかもしれませんが、多くの場合、最初の一文が決まるまで何度も何度も書き直しているのではないでしょうか。「初めの一文が出てこないと続きが書けない」とは、多くの作家が語っていることです。

【本文P110より】

 意識したほうがいいのは、読者を日常から脱出させる書き出しになっているかどうかということです。いきなり物語世界に飛び込ませるのは、「その世界が以前から続いていることの暗示」や「空間的な移動の示唆」だということが先人たちのすぐれた冒頭から見えてきたのではないでしょうか。
 また「閉じた世界を示唆しない」「モノローグに陥らない」のも大切なことです。公募型の新人賞では、「主人公が自室で目覚めたところから始まる小説は無条件に落とされる」とさえいわれています。開かれた世界を冒頭で暗示できていないような作品のあとは推して知るべしということなのでしょう。

【本文P112より】

「読者を日常から脱出させる書き出し」という部分に皆さんなにか身に覚えはありませんか?
書店で手に取って冒頭をパラパラと読み出して、書かれた世界に引き寄せられるような体験はないでしょうか? 私はそういう感覚になるとその作品に呼ばれていると思って購入します。
長く読まれている作品やヒットしているものの冒頭だけを読んで書き写してみるのもいい練習になるかもしれません。その中にも自分の好きな書き出しがあるのではないでしょうか。好きな書き出しの作家さんの小説を全部読んでみるというのもいい経験や勉強になるはずです。


「2――書いてみよう」③−2

このパートの後半は大まかにこの四つのパートに分かれており、ストーリーの書き方と書き続けてスランプになった場合について触れられています。

①実体験をもとに書くときの注意
②エンターテイメント小説のポイント
③書く手が止まってしまったら
④壁にぶつからない人はいない

 遠藤周作は、柴田錬三郎の『眠狂四郎無頼控』(一)の解説の中で、大衆小説の本質的な条件として、「『宝物探し』の要素があること。」と書いています。この「宝物探し」というのは、言い換えれば、「謎解き」ということと同じです。読者はストーリーの先に隠された「宝物」を目の色を変えて探そうとして、小説の世界に拉致されるわけですが、 この「宝物」は、「謎を解く鍵」もしくは「謎の解答」ということです。
 つまり、いい小説には、「謎が必要」といっているのに等しいのです。
 冒頭付近に、謎を仕掛け、結末付近で解決する。これがエンターテインメント小説の基本構造です。謎というとミステリの専売特許のように思えますが、「誰が犯人なのか」 というような狭義の「謎」ではなく、「この恋は成就するのだろうか」「この主人公は追っ手から逃げ切ることができるのだろうか」といったことも立派な「謎」です。

【本文P123-124より】

ここで触れられている「謎」ですが、大沢在昌著『小説講座 売れる作家の全技術 デビューだけで満足してはいけない』を取り上げた際にこのような引用をしました。

 人が読んで面白いと思う小説の条件は、大雑把に分けて「変化を読ませる」か「謎を解き明かす」か、この二つなんです。理想とするのは、変化を読ませていって最後に謎が解ける、つまりAプラスBという形ですが、もちろん、Aだけでもいいし、Bだけでもいい。
 大事なのは、純文学でもエンターテインメントでも、優れた面白い小説には必ず謎があるということです。その謎は、登場人物の生き方や行動、思想であり、またそれらと密接につながっているものです。「人間こそが謎である。だからミステリーを書く」という作家はたくさんいます。この「謎」というものをどういうふうに物語の中に置いていくのかが、プロット作りの大きなカギとなります

どちらも言っていることはほぼ同じです。
問題は書き手である作者が「自分が書いている謎は何なのか」をはっきり自覚する必要があるということです。
作者が「謎」について自覚しないまま書き続け、そのまま袋小路に迷い込んでしまったら「謎」はわからずじまい。読者も何が起きているのかわからなくなってしまいます。つまり、おもしろくありません。特にエンターテイメント小説を書く際には「謎」を意識したほうが読者も楽しめるはずですし、新人賞でもそのことは評価の一つになってきます。

 小説家を目指すなら、とにかく手を動かしてたくさん書いてください。忙しい日も、小説について一時間は考える。これを休みなく続けることが何よりも大切です。
「スランプに陥ってしまったのですが、どうしたらいいですか?」という質問をよく受けます。厳しい言い方になりますが、「スランプ」という言葉は、野球の世界でも三割打者にしか使いません。その前の段階で「どうしても書けません」と言われても、やはり「とにかく書きなさい」としか言いようがないのです。
 そして必ず最後まで書く習慣をつけてください。途中で終わる作品を十書くよりは、一つでいいから最後まで書き上げること。うまく書けていなくても、満足なものになっていなくても、途中で放り出さず、とにかく最後のピリオドを打つまで書くのです。そのほうがずっといい訓練になりますし、書くことに自信もつき、必ず次につながっていきます。どうしても書く手が止まってしまうときのために、「順番に書かなくてもいい」 ということを覚えておいてください。
 一章の次に二章、その次に三章・・・・・・というふうに順序正しく書ければ一番いいのですが、絶対にそうしなければいけないわけでもありません。なぜ書けないのだろうと苦しむ必要はなく、そこはとりあえず放っておき、ほかの部分を先に書いてかまわないのです。そして最後にまた書けなかった部分に戻ってくれば、前とは違った発想が芽生えていて、意外とすらすら書けるものです。

【本文P128-129より】

ど直球な正論です。言葉というのは知らぬ間に意味が変わってしまうこともありますが、和製英語のように本来の英語の意味とはズレて日本で使われていることがあります。
この場合の「スランプ」も一つも形になっていない、結果を出していない人が使っているのを聞いたり、自分でも言ってしまったことのある人もいるでしょう。「スランプ」に関しては根本さんがいうように「必ず最後まで書く習慣」をつけましょう。一つでも多くの作品のエンドマークを打つことが書き手である自分を成長させる確実な方法です。

 小説を書く修業というのは、みんなで同じグラウンドをぐるぐる回っているようなものです。誰がトップを走っているのか、誰がビリなのか、意外とわからないのが小説なのです。一周も二周も遅れていると思っていた人が、いつのまにかトップにいたということも、しばしば起こります。
 そういうものですから、自分では壁にぶち当たってしまったと思える時期がしばしば訪れるのは、むしろ自然なことです。それなのに、いくら書いてもうまくなれない、自分には才能がないと落ち込んで、書くことに見切りをつけたくなるのは、決まってそんなときなのです。
 どうかそこで焦らないでください。小説家としてデビューできた人や、デビューはまだでも非常にいいものを書けるようになった人は、何度も壁にぶち当たりながらも、あきらめずに書き続けてきた人なのです。 壁にぶつからない人は一人もいません。でも書き続けてさえいれば、必ずまたぐんと伸びる時期が来て、いつかは会心の作を書けるようになるのです。

【本文P130より】

新人賞やコンテストなどの公募で自分も知っている人の名前があったりすると負けていると思ったり、自分の作品が一次選考も通過できないということがあると思います。そういう状況が続いているうちに書くのを諦めてしまう人もいます。

小説家という職業は限られた椅子を争う椅子取りゲームではありません。すでにある椅子を取りに行くのではなく、あなただけが座れるオリジナルな椅子が置かれている場所を目指す、あるいはその椅子を作ることが必要になります。

村上春樹著『職業としての小説家』を取り上げた際に私はこう書きました。もちろんライバル関係や仲間と切磋琢磨することでモチベーションを保ったり、長年書き続けている人もいます。その関係性はすばらしいものです。
しかし、あなたにはあなたにしか書けない小説があり、他の誰もあなたと同じ小説は書けません。その時点で誰もが唯一無二の作家です。あまり周りばかり見ていると自分の持ち味や座るべき椅子の場所を忘れてしまうかもしれません。


「3――読んで深く味わおう」

①小説の読み方

「いい小説を書けるようになるには、どうしたらいいでしょうか」
 この問いに対して私はとにかく「たくさん書くこと」と「たくさん読むこと」、「よく考えること」だと答えます。
「読むときは、とにかく間口を広げなさい。でも書くときは、自分の知っていることしか書いてはいけませんよ」と。つまりインプットは広く、アウトプットは狭くということです。
 書くときには、「自分は何を本当に知っていて、何が書けるか」を考えるところから始めます。知っていることを軸にして、広げていくのです。自分の知っていることには、実際に体験したことだけでなく、本などから得た知識も含めていいでしょう。それさえない世界のことを書こうとしても薄っぺらなものにしかなりません。間口を広げようとすればするほど、内容が一般化されてしまうのです。
 知識を増やすためにも役に立つのが読書です。読書は知識と視野を広げ、文章のセンスも磨きます。どんな本でもかまいません。ただ作家を目指すなら、小説は当然たくさん読むべきでしょう。特定のジャンルに偏ることなく、幅広く読んでください。純文学を目指す人は、純文学には既に親しんでいると思うので、エンターテインメント小説を意識的に読みましょう。エンターテインメント小説を目指す人は、逆に純文学を努めて読むようにしましょう。

【本文P168-169より】

「たくさん書くこと」と「たくさん読むこと」またそれかよ、という声が聞こえてきますが、さらに「よく考えること」も大事だと根本さんは書かれています
編集者として小説講座の先生として、多くの作家志望者をプロの作家として世に送り出してきた人の言葉だからこそより沁みてきませんか?
仕事が大変で何とか書く時間を作ってるのに、読むことなんか無理だよという人もいるかもしれません。

去年大ヒットした『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』という新書があります。そういう人はぜひそちらも読んでみてください。著者の三宅香帆さんには以前「monokaki」で『新時代のヒロイン図鑑』を連載してもらっていました。

 小説の読み方には四種類あると私は考えています。著者の読み方、自分の読み方、マーケットの読み方、そして賞の読み方です。
 一つめの読み方は、「著者の読み方」です。著者はどういう狙いでこれを書いたのか。何を訴えたくて書いたのか。そういうことを考えながら、著者の立場に立って作品を読むのです。
 自分の読みが正解かどうかはわかりません。でも、「著者はきっとこういうことを書きたかったのだろう」「ここではこういうことが言いたかったようだけど、あまりうまく書けていないな。自分ならこう書くだろう」などと考えながら読書するのは、自分が小説を書く上でも、大変いい勉強になります。
(中略)
 作家を目指すみなさんにとって一番必要なのは「著者の読み方」です。自分にとって面白いか、つまらないかではなく、その小説を書いた作家の立場になって読むのです。作者はなぜここでこの一行を書いたのか。なぜこういうタイトルにしたのか。書き出しをこのようにした意味はと、作家側に立ってじっくり想像してみる。すると作品の内側に入れて、作品と対話ができるようになります。読む側にばかり立っていると、作品はいつまでも他人事のままですし、小説を書く営みの真髄にも近づいていけません。

【本文P170-171より】

「著者の読み方」「自分の読み方」「マーケットの読み方」「賞の読み」という四種類の読み方に関して、今回は重要な「著者の読み方」を取り上げました。まず大事なのは著者の立場に立って読むことでしょう。
ただ読むのではなく、読み方も四種類あると思うと今までとは違う読書が広がっていく気がしませんか?

②作品解説1|小川洋子|『博士の愛した数式』
③作品解説2|山本周五郎|『城中の霜』
④作品解説3|村上春樹|『海辺のカフカ』
⑤作品解説4|綿矢りさ|『蹴りたい背中』『かわいそうだね?』
⑥作品解説5|町田康|『くっすん大黒』
「3――読んで深く味わおう」は②以降は五人の作家を取り上げて作品解説をしています。ここはやはり書籍を手に取ってもらって読んでほしい箇所です。できれば、それぞれの小説も読んでみてほしいです。


「おわりに 人はなぜ小説を書くのか」

 小説にも同じことがいえます。みんながみんな、プロの小説家になれるわけではありません。厳しい現実をいえば、プロの小説家になれる人はほんの一握りですし、まして小説だけで一生暮らしていける人など、かぞえるほどしかいません。
 でも、小説を書きたい人の全員がプロになる必要もないのです。大事なのは、自分で手を動かし、心を自由に羽ばたかせて、小説を書いてみること。すると書けば書くほど面白くなってきますし、読むときも、より深く小説を味わえるようになります。
 それだけではありません。ものの見方、考え方に深みが出てきて、生きていること自体が楽しくなってくるのです。

【本文P223より】

 私たちはみな、ふだんは約束事の中で生きています。社会的な現実も、日常的な現実も、すべて約束事で成り立っています。
 その約束事は実は恣意的に作られた社会のとりきめ事なのですが、私たちはそれを当たり前のものとしているため、ほとんど意識することはありません。自分が恣意的な世界にいるという事実は、ふだんいる世界の外側に立ってみないとわからないのです。
 小説を書くことや読むことは、その「ふだんいる世界の外に立つ」という経験です。「外に立つって、どうやって?」と思うかもしれません。でも、おそらくあなたにも覚えがあるでしょう。本当にいい小説を読んだあと、今まで自分が見ていた景色が一変したような、不思議な感覚に。

【本文P225より】

これを読んでいる人の中には絶対にデビューしてプロの小説家として食っていくんだ、という人だけでなく、プロ作家という夢は抱かず趣味として書き続けていきたいという人もいるでしょう。
「monokaki」だけでなく、エブリスタとしても、私たちは小説を書いて読み続ける人を応援していきたいという気持ちがあり、どちらの立場の人にも読んで何かを感じてもらえるような記事を作っていきたいと思っています。
根本さんは「スランプ」の時には書き続けるしかないと書かれていました。それでも、どうしてもしんどくなったら書くのも読むのも一旦休止してもいいと私は思います。何年か経ってからまた再開するのも本人の環境や気持ち次第です。
そういう時に帰って来れる場所としてエブリスタがあるといいなと思っています。
『[実践]小説教室 伝える、揺さぶる基本メソッド』を読んでみるとあなたにとって「小説」とは何なのか考えるきっかけになるはずです。小説を読んで書いていきましょう。

「monokaki」は、エブリスタが運営する「物書きのためのメディア」です。