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あなたの作家としての「生存率」を上げてくれる本|冲方丁著『生き残る作家、生き残れない作家 冲方塾・創作講座』|monokaki編集部

こんにちは、「monokaki」編集部の碇本です。

「小説の書き方本を読む」の第七回です。前回の大沢在昌著『小説講座 売れる作家の全技術 デビューだけで満足してはいけない』では、作家とは「持続」していくことという長期的な視野が必要であり、同時に毎年一定のレベルのもの出し続けていく大変な仕事であるということを取り上げました。シビアですがそれが現実である以上、作家志望者が目を背けられない問題です。

この連載は取り上げた書籍の一部を紹介する形になっています。そこでなにか引っかかる部分や、自分に響いたという箇所があれば、ぜひ記事を読むだけではなく、書籍を手に取ってもらえればと考えています。

第七回は冲方丁『生き残る作家、生き残れない作家 冲方塾・創作講座』についてです。冲方さんは大学在学中に角川スニーカー大賞金賞を受賞し小説家デビュー。代表作には「マルドゥックシリーズ」や『天地明察』等があります。

 また本書を書き下ろす際、テーマとして設定されたのが、「生き残る」ということ。
 思えば、それこそ私の長年の命題でした。「お前のような作家が生き残れるわけがない」という数々の反論をひたすら乗り越えながら今に至った、という実感があるのです。
 こうしてデビューから二十五年を経た今、次の二十五年も作家として生き抜くには、何が必要なのか? これまでの経験をあらかた見つめ直すことで、いくつかの答えは明らかになったと思います。
【本文P152より】

こちらの文章は書籍のあとがきに書かれているものですが、本書は「作家として生き残る」ためのスキルや考え方についてになります。前回の大沢さんの書籍と繋がっているように思えます。

『生き残る作家、生き残れない作家』は、序章と第五章で構成されており、作家として生き残るために必要なものを冲方さんが伝授してくれる内容となっています。その中から私が読んで気になった部分をピックアップしていきます。講座に参加している気持ちで読んでもらえればと思います。

新人賞を受賞することを小説を書く目的にしてはいけない理由

「はじめに」

 どれほど努力をしても作家になれない人がいます。
 その一方で、優れた作家であったにもかかわらず、ふいに書かなくなる、あるいは書けなくなってしまう人がいます。
 なぜそうなってしまうのでしょうか?
(中略)
 そうして、かれこれ二十五年ほど作家として考え詰めて得た答えの一つは、作家になるために必要な「何か」こそ、作家でい続けるために必要な「何か」でもあるということ。
 その「何か」が失われれば、どんな作家も、「どれほど努力しても作家になれない人」になってしまうのです。
 そして、今ではそれが、文筆家という意味での作家に限らず、何かを創造し続ける人々に必須の「何か」である、ということもわかっています。
 逆に、その「何か」を大切にし、精進に努めれば、来たるべき「書けなくなる日」を回避し、死ぬまで執筆三昧をまっとうできる。
 そしてその「何か」を示すことが、これから作家になろうとする人々に「生き残るすべ」を与えることになる、というのが私の考えです。
(中略)
 書き続けることができる者と、できない者の違いに着目し、できる者は何を備えているのか、できない者は何を持たず、あるいは失ったのか、一つずつ思案してゆきたいと思います。
【本文P7~P9より】

これからデビューを目指す人は作家になるために、すでにデビューしたり書き続けてきたのに書けなくなってきた人が失ってしまった「何か」とは一体どんなものでしょう?
この部分を読んで思い出したのは「新人賞の懐」の第一回でお話を聞かせてもらった「オール讀物」 の大沼貴之さんの言葉でした。編集者である大沼さんと作家である冲方さんとでは作家になるために必要な「何か」が違うのかどうかも気になります。

「序章 WHYを知る者は生き残る」

実は上記の早川書房のNoteのページではさきほどの「はじめに」とこの「序章」部分が読むことができます。私も最初にこの書籍に興味を持ったのは、このNoteをページを読んだのがきっかけでした。
ここで書かれている「WHYを知る者は生き残る。」という部分は「ゴールデンサークル」というビジネス上の「ものの考え方」を使って説明されています。図もNoteページにあるので見てみてください。

 作家活動において、このゴールデンサークルの中心に「WHAT」を据える人は、いずれ必ず書けなくなります。
 なぜなら、あるモノのために書くのであれば、それが手に入った瞬間、書く理由がなくなるからです。なぜ書くのか・書かないのかと自分に問うのも億劫になります。
 現実問題、ひとたび成功すると書けなくなる人はしばしばいます。
 自分の作品が大ヒットしてほしい、映像化されてほしい、有名な賞をとりたい、といったモチベーションは、満たされると持続しません。得た時点で目的が消えます。
 これは新人にもベテランにもいえることです。新人にも、新人賞をとったことで満足して書けなくなる人がいます。自分自身が書く目的を、あまりに「賞の獲得」に据えてしまったせいで、それがスタートラインに過ぎないという現実が失われてしまうのです。
【本文P16~P17より】

賞を取ってデビューすることに書くことの重点をおいてしまうのではなく、その先にある作家としてどんなものが書きたいのか、書いていきたいのかということを日頃から考えて、執筆をしていきましょう
デビューに関しては「Web時代の作家たち」に登場してもらった望月麻衣さんもこんなことをおっしゃっていました。

デビューしてもずっと書き続けないといけない仕事なので、その訓練になると思います。人によっては本を出すことイコール「ゴール」になってる。それもいいと思うんですけど、次の作品その次の作品となったときに書けませんってなってしまうかもしれない。直接親しくなったクリエイターに相談されると「毎日更新は必須」と伝えています

冲方さんは「WHY」についで、「HOW」を中心に据えることで長く生き残れるタイプの作家もいると書かれています。
SFやミステリーなどのジャンル作家にこのタイプは多いそうです。ただ、「HOW」のタイプの作家は収入にならないことを続けてしまうリスクもある。好きなことをひたすら深堀してしまうので金銭的にはなかなかプラスにはなりにくい。そのことも含めて、「WHY」を中心に据える作家タイプが書き続けることができ、経済的なリスクも少ないとこの部分を締めています。

 執筆は私にとって、表現であり経済活動であり学習であり生きがいです。題材はおのずと無数に生じるため、とても自分の一生では全て書き尽くせそうにありません。どうせ道半ばでこの世を去ることになるのですから、最後の日をなるべく先延ばしにしながら、最も効率よく全力疾走を続けるのみです。
 これが、「WHY」を中心とする作家の強みです。
【本文P18より】

趣味で書き続けるのであれば問題ではありませんが、職業として作家になるのであれば、金銭的な部分もデビュー前から考えておきたいです。
一気に一年で百万部売れるよりも、毎年十万部ずつ十年売れ続ける方が生活面で有利になり、経済なリスクが低減します。この辺りは自分でコントロールできるのかが疑問ですが、税金などに関してもデビュー前に知っておいて損はありません。


地元の特産品を売り出すように自分の個性を見つけよう

「第一章 言葉の三つの特質を知る者は生き残る」

 人間と社会に最も影響を与えるのは、「発見を伝える力」、「継承する力」、「法則を抽出する力」の三つです。
【本文P28より】
 まず、「発見を発見する」ことから始めねばなりません。あることがらが、発見と呼ぶに値するかどうかを決めねば、伝えるべきかどうかわからないからです。
 たとえば、地方経済の活況をはかるため特産物を売り出すことになったとき、最初に「何が特産物か」を決めねばならないのと一緒です。自分の周囲にはあって当然でも、他の地域にはあまり存在しないものを一つずつ確認することから始まります。
 この特産物の選択と同じように、作家も自分が伝えるにふさわしい何かを見つけねばなりません。自分にとっては当たり前のことでも、大勢の人にとってはそうではない何かがあるかもしれません。逆に、自分には異様で不安を催されるものごとなのに、自分以外の大勢にとってはそうではない何か、といったことも考えられます。
 輸出入の原則と同じです。何かが売れるのは、相手が持っていないからです。
 これを、自分の内側や周辺から見つけ出すのが上手な人ほど、作家として生き残ります。
 逆に、「みんなと同じ」になりたがるあまり、自分にしかないものを提示するのが下手な人は、作家には向いていません。
【本文P31~P32より】

作家の誰かに憧れたり影響された作品があって書き始めたとしても、書き続けていくと次第に自分の価値観や人生観や好きなものが作品にあふれ出てきます。その中で他の誰かは持っていないないものや、自分の個性となるようなものを見つけて育てたり、磨いていくことが必要になってきます。
その時に重要になってくるのはやはり小説家になるのであれば、たくさん小説を読むことでしょう。こんな作品は世の中にはないだろう、と思ってもほとんどの事は書かれています。その中で時代を越えても残っているものを知っておくことは武器になります。

以前「Editor’s Letter」の「アマチュア作家にいちばん足りないもの」という記事でもインプットの必要性について書いているので読んでみてください。

読んでいない人は書けません。たとえ何作か書けたとしてもそのうち書けなくなります。そのためにも小説だけでなく、いろんな創作に興味を持ってほしいと思っています。その興味や好きだという気持ちがあなただけのオリジナルをより輝かせてくれるはずです。

 過去に見出された、人と社会を融和させる物語や、世界に異議を唱える物語といったものを、常に新しい時代へと運び続け、そして翻訳し続けているのです。
 ディズニー映画が、もととなった物語から大きく改変されたシナリオを採用するのも、より現代にふさわしいものにするためです。
 過去の物語を、作られたときの意図通り理解することは、現代の私たちにはできません。
 過去と今の間には、常識の違いという大きな壁がそびえ立っているからです。必然的に、過去の物語は新たな常識に照らされ、現在の物語へと生まれ変わることになります。
 また歴史的なできごとを物語として継承するには、大きな課題に取り組まねばなりません。歴史上の人物が、「なぜ」そうしたのかを解き明かすということです。
 つまり、ここでもまた「WHY」が重要となります。
【本文P35より】

昔は許されたものも現代では許されなくなったものはたくさんあります。流行だけではなく常識もインターネットの普及によって、そのスピードも以前よりも早くなってきました。
確かに「古き良き」ものもあります。同時に時代の変化を知っているからこそ「古き良き」ものをアップデートしたり、残せる可能性もあるのではないでしょうか。

王谷晶さん連載「おもしろいって何ですか?」での「「時代性」って何ですか?」や下記に引用した特集「新人賞の懐」での「文藝賞」インタビューも参考になります。

矢島:あとは、ミランダ・ジュライやアディーチェやハン・ガンなど、多様な背景を生きる海外の作家の作品を読んでみるとか。映画にも今だからこその問題意識が反映された作品がたくさんありますね。現代的なテーマを、小説を書くために都合よく用いてしまっているのか、しっかり向き合って必然として書いているのかは、すぐにわかります。一ページ目でわかる……というと大袈裟ですけど、不思議なほど伝わってきますね。


サーカスの演目の順序=エンターテインメントの基本

「第二章 文章を知る者は生き残る」

 文章の巧者は、あるものごとを伝える際、相手の意表を衝く、常に興味を刺激する、面白おかしい気分にさせる、厳粛な気分にさせる、といった目的意識を持って書くわけです。
 特定の情報を伝えるだけでなく、相手の感性を揺さぶり、注目を持続させ、そして最終的なゴールへと導く。
 こうした目的意識にもとづいて構成された文章を、人は「巧みである」とみなします。読者は、自分が読む文章を操作できません。書き手の誘導に従うばかりです。
【本文P47より】

読者は作家が運転する車の助手席に乗っているようなものです。だからこそ、その運転手のドライビングテクニックが上手であれば心地好さを感じるでしょうし、運転しながら軽やかなトークをされれば楽しい気持ちにもなります。あるいは車内から見える景色が絶景であれば、それだけでうれしい気持ちになります。
自分が運転手になった気持ちで読者をどこに連れていきたいのか、なにを見せたいのかを考えることが途中で車から降りてもらわないために必要なことでしょう。

 サーカスは演目の順序が命といわれています。最初は、舞台の平べったさを意識させる動きを見せます。空間の土台となる「地面」を意識させるわけです。それから上下の動きを見せます。「地面」から離れた「空中」の存在を意識させるためです。
 上下の動きと左右の動きを、交互に見せます。どちらか片方ばかり見せ続けると、観客の目が慣れてきて、すごいものを見ているのだという気分が薄れるからです。
 空間を最大限意識させ、多彩な動きで観客を十分に感動させたところで、ピエロを登場させます。観客を舞台に引っ張り上げて、芸をしようとして失敗したりする。これは、興奮で麻痺しかけた観客をクールダウンさせるとともに、舞台上で繰り広げられる芸が超絶技巧であることを改めて印象づけるためです。
 盛り上げとクールダウンを適切に行い、段階的にフィナーレへと観客を導きます。
 こうして、あらゆる「部分」が一体的に計算されて一つの文脈をかたちづくることで「サーカス体験」が成り立つわけです。
 文章も同じです。読者のある感情を刺激したら、別の感情を刺激する。刺激し続けたら休ませる。休ませている間に、あらかじめ次の主題への興味を喚起させておく。
 文章の「全体」と「部分」を同時に見渡すことで、こういった順番の設計ができるようになります。
【本文P50~P51より】

このわかりやすさ素晴らしくないですか。構成やストーリーの起伏を作れないというお悩みを持っている物書き志望の方は必読です。
小説だけではなく物語、創作の多くもこのサーカスの演目の順序を意識すれば多くの人がたのしめるエンターテインメントになっていくはずです。

 実のところ、推敲と呼ぶべき行為は、五つしかありません。
 
 増やす。言葉を増やし、表現をより多彩にし、説明を付け加えます。
 減らす。余計と思われる言葉や文脈を削ります。
 入れ替える。別の言葉に置き換えたり、文章の順番を替えたりします。
 統合する。複数の文章を一つにまとめ、様々な要素を統合させます。
 分割する。一つの文章を複数に分け、様々な要素に分割させます。
【本文P54より】
 今ある文章と、推敲されてのちの文章の両方のイメージを正しくもち、比較検討することができなければ、推敲はできません。
【本文P57より】

小説を最後まで書き終えてもそれはまだ完成したとは言えません。エンドマークを打つことは大事なことですが、推敲をせずに新人賞に応募したり、他者に読んでもらうというのは料理を作って味見をせずに出すということに似ています。しかし、推敲を始めてしまうと永遠に終わらないという問題もでてきます。

「推敲」って何ですか?」をぜひ参考にしてみてください。
推敲で大事なのは最初に自分がどんなものを書こうとしていたのか、伝えたかったことはできているのかを確認することです。どこかで区切りをつけて次の作品に進みましょう。

また、推敲をする前にはしばらく作品を置いておく、寝かせるということが小説を完成形に仕上げる際に大事なことだと村上春樹さんも著書で書かれています。そのことも考慮すると新人賞など〆切があるものに向けて書く際には少し前には書き終えれるようにしておきましょう
Webから応募できる小説新人賞まとめ」を参考にして執筆スケジュールをしっかり立てみてください。


ホラー小説や古典を読んで「描写力」を磨く

「第三章 描写ができる者は生き残る」

 作家にとって描写の力は大変重要です。
 あるものごとを言葉で表現し、あたかも現実に存在するかのように読者に感じさせたり、まったく未知の何かにふれているような気分にさせる。それができる者とできない者の差は歴然で、作家として生き残れるかどうかの分岐点の一つといえるでしょう。
 ではそもそも、描写とは何を書くことをいうのでしょうか?
 まず人が備える「五感」と対象が存在する「空間」、人の「感情」と「肉体」、そこに流れる「時間」、そして対象の「価値」です。
【本文P61より】
 聴覚 最も遠いものの接近や遠ざかりを感じ取る。
 視覚 行動すれば手が届くものを感じ取る。(光線は嗅覚よりも早く届く)
 嗅覚 すぐ近くにあるものを感じ取る。(安全か危険かを嗅ぎ取る)
 触覚 皮膚による接触を感じ取る。(安全か危険かの最終判断)
 味覚 皮膚よりも内側、最も体内に近い場所で感じ取る。(安全なものだけ口にする)
【本文P62より】
 ホラーなど、危険な何かが接近してくる描写は、必ずこの順番で描写されます。なぜなら人が対象の接近を認識するのが、この順番だからです。五感が、天敵や獲物の存在を察知し、逃走か、捕獲を目的とした攻撃かを選択する基準として発達したことによります。
【本文P63より】

ホラー作品はこう考えると描写力を鍛えるにはもってこいのジャンルなのかもしれません。「monokaki」でも過去に「「ホラー」って何ですか?」や鈴木光司さんの『リング』を取り上げた「最恐キャラクター「貞子」を生み出したホラー小説」という記事があります。描写力が気になるという人はホラー小説をたくさん読んでみてはいかがでしょうか?

 人やものごとを描写する際は、価値のサイクルを念頭に置き、そこにある価値が今どのような状態へ移行しようとしているかをイメージすることが重要です。
 この「価値」を、「五感」「空間」「感情」「肉体」「時間」とともに描写できる作家ほど、真に価値ある文章を作り出すことができるのです。当然ながら、これら全てを余さずとらえる作家は、迫真の描写力という何にも優る武器によって生き残ることができます。
【本文P78より】

このように「五感」「空間」「感情」「肉体」「時間」「価値」が魅力的に描かれていれば、その作品には引き込まれる要素があるということです。例えば、自分の作品を読んでもらって、この中のどこかを評価してもらったり、おもしろがってもらえるのであればそこを伸ばしていくというのも自分の個性を磨くことに繋がっていきます。

最後には「描写」の例としてレイモンド・チャンドラー/村上春樹訳『ロング・グッドバイ』やジョン・スタインベック/大浦暁生訳『ハツカネズミと人間』などの海外作品や、『平家物語』や『枕草子』などの過去の名文や名作から具体例を挙げています。

古典作品から得るものはたくさんあります。いつから読んでも遅くはないので大丈夫です。興味を持った時が本を読む最高のタイミングです。
何を読んだらいいのかわからないという方は好きな作家さんが影響を受けた作品などで挙げているものをまずは読んでいってみるのが一番いいと思います。

途中で諦めず、最後までしっかりと物語る

「第四章 物語るものは生き残る」

 接触するつもりのなかった人にあえて話しかける。行くと思っていなかった場所に行く。手にするはずのないものを手にする。それまでとまったく異なる原理で行動する。普段は寝ているはずの時間に活動する。未知の方法を取り入れる。
 こうした、人、場所、モノ、理由、時間、方法の全てが、逸脱の契機となります。
 逸脱が意外であるかどうか、自然か不自然か、故意か偶発的かも、当然ながら規定のようなものは一切ありません。宗教的、政治的、経済的な拘束といったものがない限り、人はどのように物語を想像してもいいのです。
 ともかくは、逸脱であるとはっきりわかるできごとが起こる。それが物語の始まりとなります。
【本文P92より】

冲方さんはこのように連想と逸脱の無限のバリエーションをイメージし続けて、自分や世界にとってその時最も書くべきものを抽出できる作家が「ストーリー・テラー」として生き残ることができると続けて言われています。

ここで書かれている逸脱でわかりやすいものは最初に死体が見つかるところから始まるミステリーの冒頭でしょう。
物語の冒頭でなにかが起きているというのはすでに普段の日常から逸脱している(変化が起きた)ということです。また、最初に謎があることで読者の興味を惹きつけることもできます。

「新人賞の懐」で「メフィスト賞」についてお話を伺った際に「どうすれば冒頭をキャッチ―に書くことができるか?」という問いに対しての返答が下記のものでした。

都丸:「何かが起きている途中」から始めるのがコツです。「こんなことがあります、だから次にこういうことが起きます」と書くのは丁寧なんですけど、前提の「こんなことがあります」の時点で退屈してしまうかもしれない。だったら「今まさにこういうことが起きてしまってるんですよ!」から始めてしまう。「それはこんな理由で起きたんです」の説明は後からでもいいんです。

主人公になにも起きていない状況から始めて、徐々に主人公や周りに変化が起きていくという物語もスタンダードなものですが、立ち読みをする際には冒頭数ページぐらいしか読まれません。その意味でも、冒頭ではここで書かれている「逸脱」している出来事を描いた方が読者に興味を持ってもらえることに繋がります。

 連想から逸脱し、反論を乗り越えた登場人物は、何を得るのでしょうか?
 それは書き手の裁量次第で、結局は何も得ることがなかった、という物語ももちろんあります。それどころか何もかも失って、逸脱すべきではなかったという結論に至るかもしれません。
 とはいえそれは物語の結末に過ぎず、読者は物語を通して登場人物とはまた異なるものを得ることとなります。
 とりわけ、正反合の「合」に至る物語は、たとえ登場人物が悲劇に見舞われて終わったとしても。読者にはなんらかの「解決」が示されることとなります。
【本文P98~P99より】

ここで書かれている「解決」とは物語の終盤で主人公が得たものや結果のことです。ハッピーエンドであろうがバッドエンドであろうが問題はありません。大事なのは主人公が物語を通して変化をしていることです。その変化を通じて読者は物語をたのしむことができます。
「新人賞の懐」で「ナツイチ小説大賞」について編集者のおふたりにお話を伺った時に新人賞で多いものとして出てきたのが下記のものです。

海藏寺:物語をちゃんと終わらせているかどうかは見ますね。一冊の中におしまいをちゃんと作って、まとめてもらいたいです。
信田:「これは二巻への伏線です」みたいな、思わせぶりな伏線が残るのはやめてほしい。新人賞では多いんです、「俺たちの冒険はこれから始まるんだ」的な終わり方をするもの。「あぁ、始まってなかったんだ……」と(笑)。
逆に、最後のほうで疲れてきちゃって「もういいや!ここで終わらせちゃおう!」と投げたように感じられる作品もありますね。本当はここで終わりじゃなかったよね? って。

物語の最後はしっかりと終わらせましょう。しっかりと「解決」を迎えた作品を応募することが受賞には必要不可欠になってきます。


作家として生き残るための三種の神器「ゴールデンサークル」「マネタイズ」「ロー・コンプライアンス」

「終章 課題を設定できる者は生き残る」

 結論から申し上げれば、もし今後、「作家」という肩書きが時代の推移によって別のものに変わるときも、それを受け入れて適応しつつ、かつてあった作家像を継承して次代に翻訳し、末永く残せる者が生き残ります。
 時代の変化を受け入れるだけの者、変化を嫌って継承するだけの者、どちらも最終的には生き残ることができません。変化するだけでは行き詰まりますし、変化を拒めば忘れ去られます。なぜならどちらも、時間というものが生み出す価値観に逆らうからです。
 人間が抱きうる全ての価値を認める者が生き残るのであり、その際、三つのことがらを守りさえすれば、生き残ることができます。
 ゴールデンサークル、マネタイズ、ロー・コンプライアンスです。
【本文P111~P112より】

この三つのことがらを心がけていれば、なんでもできるのが作家業だと冲方さんは書かれています。作家として生き延びるための「何か」とはこれらの要素の複合体のようなものです。そして、大事なのは「WHAT」ではなく「WHY」を中心に置くことであり、作家として生き延びたい人は忘れないで意識しておきましょう。

そして、あなたの脳裏に浮かんでいる、書きたいと思っている作品があるのであれば、まずは最後まで書ききってしっかりとエンドマークを打ちましょう。そして書いていけばいくほどに、もっと他の誰かが書いた物語を読んでみたくなるはずです。自分の知らなかった世界や表現に出会うことも創作のたのしみにです。これからも小説を書いて読んでいきましょう。


小説の書き方本を読む_07_main

『生き残る作家、生き残れない作家 冲方塾・創作講座』
著:冲方丁 早川書房
デビュー25周年を迎えた本屋大賞受賞作家による創作指南
作家・冲方丁が、25年ものあいだ生き残ることができたのはなぜか?「HOWでなくWHYを知ること」「言葉・文章・描写の特質を理解すること」「物語る存在として生きること」。作家であり続けるためのシンプルかつ不可欠な原則を伝える、大人気創作講座の完全書籍化。

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